記憶の中の父さまの姿
突然、闇に一条の閃きが走り、ヴィルの影だけが浮かび上がった。
少し先の並行視界が細かく震える。猛烈な圧が一直線に迫ってくる。上段からの突き。剣先へ片手を添え、体重をそのまま雷みたいに乗せて、真っ直ぐこちらへ来る。
音が消えた。足裏だけが残る。
考える前に、体が出た。引かず、前。突きをかいくぐり、懐へ滑る。
予知の像に触れた瞬間の動きに、ほとんど遅れがない。ヴィルの動きも、風の流れも、空気の圧も、ばらけずに一枚になって、思考を挟まず体へ落ちてくる。
身を沈める。剣先の近くへ小さく〈場裏・白〉を展開し、内側で圧縮空気を抱え込ませる。領域解放で〈エアバースト〉を叩きつける――そう決めた、その瞬間だった。
映像に、ひどく小さな違和感が走る。
ヴィルの剣先の筋が途切れ、腕だけが虚を薙いだ。
背の芯を、鋭い危機が駆け抜ける。
目を奪う突き。刃は横。本命は斬り払いだ。
体幹にためた力が剣先へ誘導され、烈風の斬撃が胴へ滑り込んでくる。視界の縁が白く弾け、喉が詰まる。それでも動け。かわすしかない。
その刹那、胸の内側で何かが燃え上がった。異能『深淵の黒鶴』が応え、背に黒い翼が急速にひらく。内側がひやりと鳴り、指が白くなった。
速く。鋭く。追いつくために。
散らしていた小さな〈場裏・白〉が、一斉に脈を打つ。内側へ積んだ圧縮空気が、領域部分解放で一斉に噴き出した。絞った噴流が、わたしの体を射出する。芯が軋むほどの負荷が貫く。けれど構わない。
ほんの一拍で横へ跳ぶ。刃はわたしを掠めただけで終わった。荒れ狂う気流が肌を削り、息をする余裕さえない。
予知視が、次の像を押し込んでくる。ヴィルは止まらない。斬り払いから剣先を捻り、逆手の斬撃へ流れる。
下から迫る斬撃を避けようと、苦し紛れに圧縮噴流で跳ぶ――その行為さえ罠に組み込まれていたと知るのは、宙へ浮いた一瞬だった。
壁が肩の高さを横切り、床が一拍遅れて遠ざかる。
このままでは着地を取られ、終わる。
息が喉で折れた、その刹那。鋭い残像が割り込み、意識がまばゆい光に呑まれる。巨大なベアードウルフと相対する父の姿が、鮮明によみがえった。
舞のように速く、宙で捻り、回転し、剣戟を連ねる。変幻の型が敵を翻弄していく。
胸の奥で何かが弾け、止まっていた時間が動き出した。
天地が反転する渦中で、わたしは点在させた〈場裏・白〉を次々と踏む。内側に抱えた圧を絞って吐き、加速し、体を支え、捻りを補う。ばらばらだったものが、急に一本の流れになった。
下方の剣閃だけが、くっきりと輪郭を持つ。
わたしはマウザーグレイルの切っ先を滑らせ、彼の剣撃を交わした。
剣と剣が擦れ、火花が散る。
ヴィルの剣が空を切る鋭い音が耳を掠める。続けて、巨躯ごとタックルに来るのがはっきり見えた。
その一瞬を逃さない。巨体がわたしを捉える直前、身をひるがえしてかわす。剣先が肌をかすめ、神経がひりりと鳴いた。〈場裏・白〉の噴流を操り、空中を滑るように移動する。
迫る刃の勢いを逆手に取り、横へ加速する。流れに身を預け、ヴィルの巨体をかろうじて外す。強烈な風圧が肌を刺し、耳鳴りが頭蓋で反響した。
それでも着地は取らせない。噴流を領域部分解放で絞り、慣性をわずかに和らげ、ふわりと地へ降り立つ。
次の攻撃に備えて身を構えた、その時だった。
「そこまでだ!」
ヴィルの静かな声が空気を震わせる。
膝が抜けかけ、息がようやく喉を通った。目を開くと視界が霞み、肺だけが熱い。足は鉛のように重く、鼓動が頭蓋を揺らす。
苦しい。けれど、立っている。
ヴィルが深く息を吐いた。張りつめていた肩の線が、ほんのわずかに緩む。
そして、いきなり笑った。
「はっはっはっ!」
嗄れた笑いが天井に反響し、修練場全体がゆるむ。張り詰めた空気が、ひとかたまりで溶けた。瞬きが噛み合わず、わたしは彼を見つめたまま動けない。
「なぜ……なぜ笑うの?」
戸惑いの問いに、ヴィルはにこやかな笑みを浮かべる。けれど、その目の奥にはまださっきまでの熱が残っていた。
「いや、すまん。嬉しくて、ついな。……お前の動きを見ていたら、まるで昔のユベルが戻ってきたように思えたんだ」
その言葉が落ちた瞬間、胸の底の堰が音を立てて崩れた。
「え……」
息がうまく吸えない。喉の奥が狭くなり、言葉が遅れる。
「父さま……」
視界の縁が滲む。熱い滴が指を濡らした。顔を覆うしかない。
会いたかった。




