表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/119

魔石のいらない魔法少女

「えっ……?」


 思わず漏れた声が、紅茶の湯気の向こうで小さく揺れた。何を言われたのか、すぐには理解できないまま、わたしは呆然とグレイさんの顔を見つめる。けれど彼の瞳には迷いがなく、口元の微笑みも波ひとつ立たない。白い髭の奥で、唇がわずかに引き結ばれている。


 掌の端に沈めていた何かが、ふわりと浮き上がる。


「何を驚いているんだい?」


 声は静かだが、言葉の芯はまっすぐだった。視線から逃げようとしても、逃げ道だけが先に塞がれていく。


「あの男を追いかける時、君が用いたのは紛うことなき風の魔術に類するものだった。それも、無詠唱かつ無遅延の発動。私の目にはそう映ったのだが、違うかな?」


 胃が跳ねるように脈打ち、心臓の刻みが一段速くなる。カップの縁に触れていた指先が、微かに冷えた。


「い、いえ……わたしはそんな……」


 否定しようとするのに、喉の奥で言葉が絡まって出てこない。視線を逸らしても、彼のまなざしが静かに追ってくる。威圧ではない。ただ、純粋な探究の熱が薄く滲んでいた。


「安心なさい」


 その一言が、肩の上に載っていた重りを少しだけずらした。グレイさんの目尻の皺がふっと緩み、声の角が丸くなる。


「責めるつもりも咎めるつもりもない。私はただ、君がその力を持っているという事実を確認したかっただけだ」


 やさしい言葉なのに、その静けさが逆に落ち着かない。わたしのほうだけが息を乱している。


「どうして……どうしてわたしが魔術に類する力を持っているとわかったのですか?」


 自分の声が震えているのが、わたしにもわかった。


「簡単なことだ」


 彼はカップを置き、真正面からわたしを見た。指先がソーサーの縁を離れ、膝の上で静かに組み直される。


「私が魔術師だからだよ」


 その一言が、部屋の空気をひとつ冷たくしたように感じた。


「……あなたが、魔術師?」


 問いの形をしているのに、ほとんど確信に近い響きが混じった。口の中が乾く。


「そうだとも。もっとも、少しばかり長く生きている分、知識と経験があるだけの、そこいらにいくらでもいる凡庸な老骨にすぎないがね」


 謙遜の体裁をとってはいるが、言葉の端々に崩しようのない重みがある。瞼を伏せる角度、首を傾げる間合い。その一つ一つが、嘘のない自信を静かに証明していた。


 「魔術師」という言葉が、急に現実の輪郭を帯びて迫ってくる。夢の中で確かな実体に触れたような、現実と非現実の境目をなぞる心地だった。


 けれど、目の前の老人の眼差しが、それが空想ではないことを証明していた。嘘のない澄んだ瞳――その奥に、本質を見落とさない強さがある。


「なぜ、わたしにそれを? 忠告、あるいは警告。そういった意味合いですか?」


 ようやく出た問いは、自分でも驚くほどしっかりしていた。


 グレイさんは静かに微笑んだ。その微笑には懐かしさのような温度が含まれている。


「心配しなくてもいい。ただの好奇心とでも思ってくれたまえ。他意はないよ」


 彼はそこで言葉を切り、カップを手に取った。琥珀色の水面を一度だけ見つめてから、視線を窓の外へ移す。噴水のしぶきが光を受けて散るのを、しばらく黙って眺めていた。その横顔には、遠い記憶を手繰るような翳りがある。


「……だが、こうして君を見ていると、その力をどう扱うべきか迷っているようにも見える。私は、その迷いが君を苦しめる前に手助けをしてやりたいと思ったのだよ」


 窓の外の水音が、細く絶えず耳に届く。わたしの呼吸が一段浅くなった。


「私と話すことで、少しでも君が楽になれるのであれば、それでいい。思うことはそれだけだ」


 グレイさんは窓の外へ目を向けたまま、カップを静かに持ち上げた。その横顔には、遠い過去を慈しむような静けさと、先を見据える揺るぎなさが重なっている。


 わたしはその横顔を見つめながら、これがきっと自分の機会なのだと悟った。今、この瞬間を逃したくない――そう思った。


「あの……」


「なにかね? なんでも言ってくれたまえ」


 眼差しは柔らかく、どこか親しみが滲んでいる。彼はカップをソーサーに戻し、体ごとこちらへ向き直った。


「こんなことを申し上げるのは、おかしいと思われるかもしれませんが、わたしは魔術というものがよくわかっていません。それに、わたしがあの力を使えるようになったのは、つい一年あまり前のことで……」


「なんと……これは驚いた。では、君は誰からも魔術を学んではいない、ということかね?」


 グレイさんの眉がわずかに上がり、目の奥に鋭い光が走った。けれどすぐに表情を和らげ、先を促すように小さく頷く。


「……はい、仰る通りです。ですから、わたしは魔術の成り立ちや仕組みについて、さっぱりわかっていないんです。それに……『無詠唱かつ無遅延』で発動できるわたしの力が、いったいどういった理屈で成り立っているのかも、本当のところまだはっきりとしていなくて……」


 声が次第に小さくなり、消え入りそうになる。彼はそんなわたしを静かに見つめ、首を微かに傾げた。顎に手を当て、何かを確かめるように瞬きを一つ。


「それは興味深い話だ」


 その語尾の柔らかさが、胸の内の不安をわずかに解かしてくれる。


「なるほどね。自分の力の本質をどう捉えればいいのかわからない――それが君の抱える不安の正体だったわけだ。その戸惑いは、よく理解できるよ」


 カップが皿に戻る音が、妙に澄んで響いた。彼は膝の上に手を置き、受け止める準備をしたように見える。指先が布地の上で軽く開き、待つ姿勢をつくっていた。


「はい……。与えられたものが、自分にとって良いものなのか、それとも危険なものなのか――それすらもわからなくて、戸惑うばかりで……」


 ――わたしの力は純粋過ぎて、強すぎて、とても魔術なんて規格に収まらない。


 続けようとして止めた。怖くて言えない。言えるわけがない。


 腹の奥から言葉が溢れてくる。机の上の白磁の光に、小さな影が落ちた。


「だから何かしようとしても、いつもどこかでためらってしまうんです。もしも、間違った力の使い方をしてしまったらって……」


 最後の言葉は、吐息に溶けた。


 グレイさんは短く黙考し、噴水へ視線を向けてから、再びこちらに向き直る。瞼が一度ゆっくり閉じ、開いたときには目の奥の光が少しだけ温かくなっていた。


「不安に思うのは当然のことだ。力を持つということは、それだけ責任も伴う。これは何も魔術に限った話ではない。人とは力に溺れやすいものだ」


「はい。それはよく理解しているつもりです」


 前世の「深淵の血族」における、力の論理が支配する階級構造。力を持つ者が持たざる者を支配する異常な世界。わたしの戦いは復讐ではなく、その狂った仕組みの根底にある『力の根源』を、解呪によって消し去ることだった。


「よい心がけだ。君のように慎重に考える人は少ない。それこそが君の強みではないか。私はそう捉えるがね」


 その言葉に、わたしは目を見開いた。


「強み……ですか?」


 彼は静かに頷いた。白い髭の下で、唇がゆるやかに弧を描く。


「そうとも。君は自分の力を恐れているように見えるが、それは決して悪いことではない。それだけその力を大切に思っている証拠だ。無謀に振り回すよりも、よほど賢明なことだよ」


 背中の奥に温かな光が差し、肩の奥で固まっていた何かが少しだけゆるむ。


「でも……。もしわたしがあの力で誰かを傷つけてしまったなら……」


 声が震えた。それでも吐き出さずにはいられない。


 グレイさんはふと噴水へ視線を移した。窓ガラス越しの光が、彼の横顔に薄い影を落としている。


「人は完璧ではないし、誰しも間違えるものだ。それを恐れるなとは言わない。だが、間違いを恐れるあまり立ち止まることの方が、時に罪深いこともある。君の力が誰かを傷つける可能性があるなら、その逆に誰かを救う可能性も秘めているのではないかな?」


 息を呑む。


「わたしが、救う……?」


 グレイさんは静かに頷く。


「そうだ。君の力は、まだ君自身が気づいていない可能性を秘めているはずだ。その力が何のために与えられたのか――その答えはきっと、君自身の手で見つけるしかないだろう」


 胃の底がじんわりと温かくなる。


「だが、もし君がどうしても不安なら――その時はこの私が、微力ながら手を貸そう。それなりに長く生きてはいる分、できることもあろう」


 その声が、わたしの中に確かな安らぎを落とした。グレイさんの指先がテーブルの上で軽く動き、まるで約束を形にするような仕草に見えた。


「……ありがとうございます」


 わたしの言葉は小さかったが、感謝は滲んでいた。


 彼は柔らかく微笑み、再び紅茶を口に運ぶ。カップを傾ける角度、唇に触れる間合い。仕草はどこまでも落ち着いていて、この瞬間が永遠に続くかのような穏やかさに満ちている。


 わたしもそっとカップを手に取り、紅茶を口に運んだ。熱が口の奥を通るあいだだけ、心のざわめきが薄くなる。


 この席の会話は、偶然と呼ぶには整いすぎていた。噴水の一定の水音に合わせて、腹の奥のざわめきだけが少しずつ形を変えていく。いまこの瞬間を逃したら、きっと後悔する――そんな予感が、ゆっくり育っていった。


 カップをそっとテーブルに置き、わたしはポーチに手を伸ばした。留め具が小さく鳴り、奥にしまっていた封筒の白がのぞく。指で挟んだ瞬間、紙のひやりとした質感が掌へ移り、胃の奥がまた少しだけ強張った。滑らかな面のはずなのに、縁をなぞると繊維がかすかに爪へ触れる。


 封筒の端を揃え、深く息を吸う。吐き出す前に、迷いも躊躇もまとめて押し込み、わたしはそれをグレイさんへ差し出した。


「グレイさん……これを見ていただけますか?」


 声がわずかに震えたのが自分でもわかった。


「ほう……」


 グレイさんは興味深そうに目を細め、わたしの手元へ視線を落とす。受け取った封筒を手の中で転がすように、印章や紙の質感を確かめ始めた。長い指が封蝋の凹凸をなぞり、紙の厚みを測るように端を軽く挟む。


「宛先はリーディス王立魔術大学か……。なるほど。君は誰かから推薦を受けたということかね?」


 封筒をじっと見つめたまま問いかける。言葉には驚きはなく、むしろ当然のような落ち着きがあった。


「はい。これは知り合いの魔術師から預かったものです。その方が言うには、わたしが求めている知識や、この力の謎に関する手がかりが、ここに行けば見つかるかもしれないと……」


 言いながら、舌の裏がまた乾く。期待を口にするほど、それが叶わなかった時の冷たさまで先に思い出してしまう。


「なるほど。その差出人の名を聞いても?」


「はい。フィル・ラマディという風魔術の使い手です。大陸北方のエレダンという町で知り合いました」


 わたしがそう答えると、グレイさんの瞳に淡い光が灯った。眉がわずかに上がり、口元が小さく動く。


「フィル……その名は聞き覚えがある」


 その何気ない言い方に、背筋の奥が小さく跳ねる。


「彼をご存知なのですか?」


「意欲的な研究や論文には目がなくてね。たしか、彼の上梓した論文の題名は、『複数の術式の組み合わせによる自然現象の再現と解析を通じた実用型魔法陣の高効率化に関する研究』……だったかな」


 フィルの魔法談義を思い出す。彼はつむじ風を題材にして、二つの魔法陣を同時に走らせる必要を説いてくれた。中心を軽く減圧して、周囲の空気を寄せながら回転の芯を立てる術式。次に、その芯が上へ抜けるように持ち上げて、渦を引き伸ばす術式。


 グレイさんは視線を封筒に戻し、しばらく印章を撫でるように眺めたあと、静かに語り始めた。目を細め、遠くを見るような表情になる。


「……リーディス王立魔術大学――そこは中央大陸でも屈指の魔術研究と学びの場だ。君が探し求める答えや、知識が手に入るかもしれない。ただし、そこへ行くことが本当に君にとって最善かどうか、それを決めるのは君自身だ」


 言葉が背中を押すというより、肩の荷をひとつ外してくれる。こわばっていた首の付け根が、ふっと緩んだ。


「はい……」


 そう呟きながら、わたしはカップに手を伸ばす。陶器の温もりが指先に戻り、腹の奥のざわめきが少しずつ薄まっていく。


 窓の外では噴水の水音が、一定のリズムで続いていた。その揺れを聞いていると、別の問いが次々に浮かんでくる。


 魔獣の核に相当する魔石――その正体とは何なのか。


 あの石に宿る膨大な魔力は、一体どこから来ているのか? 魔術の源とされる魔石がなければ、魔術師は魔術を使うことすらできない――その仕組みを、わたしは何も知らない。


 だが、それだけではない。わたし自身の力――魔石を必要としないこの異質な力は、一体どういう原理で成り立っているのか? 魔術の理に背くこの力が、なぜわたしに宿ったのか? そして、この力は何と戦うために存在しているのか。


 迷いと不安、使命感が心の中でせめぎ合いながらも、わたしはポーチに封筒を戻し、静かに息をついた。


「……やはり、わたしは前へ進むしかないようです」


 小さく呟いたその言葉に、グレイさんは微笑んで頷いた。白い髭の下で口元が緩み、目尻の皺が深くなる。その穏やかな表情には、すべてを見通したような確信が宿っていた。


「うむ、そうだな。立ち止まって考えることも大切だが、前へ進むことでしか見えてこないものもある。それがどんな形であれ、君にとって必要な答えをきっともたらしてくれるだろう」


 その言葉が、腹の奥に静かに灯をともした。


 前に進むこと――それは、不安を抱えたままでも一歩を踏み出すことだ。リーディス王立魔術大学。その場所がわたしに何を与えてくれるのかはわからない。けれど、この封筒に込められた希望を無駄にはしたくない。そう強く思った。


「……君が見せてくれた魔術について、私なりの感想を述べさせてはくれまいか?」


 その問いかけに、わたしは思わず息を呑む。グレイさんの声のトーンが、わずかに低くなっていた。だが、彼の穏やかな目元に促されて静かに頷いた。


「はい……お願いします」


 グレイさんは窓の外へと目を向けた。噴水のしぶきが光を受けて淡くほどけるのを見つめ、しばらく黙ってから口を開いた。その横顔に、さきほどまでとは違う真剣さが浮かんでいる。


「魔石――それが、この世界の魔術における核心であることは、君も知っているだろう?」


 わたしは小さく頷く。この世界では、魔石がなければ魔術は成り立たないとされている。それは、人々にとってあまりにも当然の常識だった。


「しかし……――」


 グレイさんの声がさらに深く響く。彼はこちらに向き直り、わたしの目をまっすぐに見つめた。


「――君の魔術は、魔石を必要としないのではないかな?」


 その問いに、心臓が跳ね上がる。誰にも話していなかったことを、彼はなぜ知っているのか。


「……はい。ご推察の通りです」


 少し戸惑いながらも答えると、彼は驚くことなく微笑んだ。眉ひとつ動かさず、ただ頷く。その表情には、ただ受け止める優しさがあった。


「わたしの魔術には、確かに魔石を動力源として用いる必要がありません。でも……その理由が、本当のところ、よくわからないんです」


 グレイさんは静かに頷く。長い年月を生きた者の落ち着きがそこに漂っていた。指先がテーブルの上で組み直され、聞く姿勢が整えられる。


「それは珍しいどころか――極めて異質なことだよ」


 彼はカップを手にとり、紅茶を一口含んでから、再び穏やかに続ける。カップを置く仕草に、言葉を選ぶ間が滲んでいた。


「魔術とは、魔石に内包される超高密度のエネルギー――すなわち魔力を媒介にして成り立っている。それはちょうど、火を燃やすために薪が必要なようなものだ。魔石を必要としないということは、火を燃やす燃料を持たずに炎を起こすようなものだと言える」


 その例えは、わたしの中に一瞬の理解をもたらすと同時に、さらなる疑問を生んだ。


「では、どうしてわたしは……?」


 彼の言葉に引き込まれるように問い返す。声には期待と不安が交じっていた。


「それを正確に知るためには、もっと多くの知識が必要になるだろう」


 グレイさんはカップをテーブルに戻し、わたしをまっすぐに見つめた。深い海のような瞳には、温かさと底知れぬ奥行きが宿っている。瞳孔の奥に、幾重にも重なった時間の層が見える気がした。


「君の力は、魔石を使わずに何かを成す――いうなれば、自然そのものや君自身の存在に深く根ざしている可能性がある。その答えが、王立魔術大学で見つかるかもしれないな」


 声が腹の内をゆるやかに揺らす。わたしは息を呑み、その余韻にほんの少し耳を澄ませた。


 けれど、受け止めた瞬間にまた別の疑問が広がる。


「でも……本当にそこで見つかるんでしょうか?」


 不安と期待が混ざった声を出すと、彼は微笑む。その笑顔には、あたたかな確信が宿っていた。目元の皺が深くなり、けれど瞳の光は揺らがない。


「それは、君自身が確かめるしかないだろう。答えというものは、与えられるだけでは決して満足できるものではないからね。自分の目で見て、手で触れてこそ――それが最も確かな答えになるだろう。たとえ思うような答えに辿り着けなかったとしても、その過程で得た知識や見識は、きっと大きな糧になるはずだ」


 その一言に、長い人生を経た者だけが持つ重みがあった。わたしはそっと息をつき、視線を目の前の封筒へ落とす。上質な紙の面に光が揺れ、触れた指先にかすかな抵抗だけが残る。


 魔石に頼らない力――それを持つ自分が、この世界で何を成せるのか。わたし自身で受け止めるべきその力を、今なら少しだけ信じられそうだった。その謎のすべてを解き明かしたい。わたしの力が何のために与えられたのか、その理由を知りたい。


 目を上げると、グレイさんの瞳が、まるで包み込むように優しくわたしを見つめていた。その視線の奥に宿る静かな確信が、「前に進むべきだ」と語りかけてくる気がした。


 深く息を吸い込み、わたしは静かに頷いた。


「……わたし、行ってみます。王立魔術大学へ」


 彼の瞳に微かな笑みが浮かび、その瞬間、部屋全体にふわりと温かさが満ちていく。窓越しの光も、ひときわやわらかく感じられた。


「それがいい。君の選んだ道が、きっと君自身を強くしてくれるだろう。私から送る言葉としては、『失敗を恐れることはない。無駄なことなど何も無い』というところかな。月並みだが、そんなところだ」


 その言葉を胸ではなく腹の底にしまい、わたしはカップを手に取り、冷めかけた紅茶をそっと口に含む。陶器の縁が指先にひんやりと触れ、茶葉の残り香が微かに鼻をかすめた。その柔らかな味わいは、先ほどまでの迷いを静かに溶かしていく。


 新たな一歩を踏み出す――その決意だけが、腹の奥で静かに灯り続けていた。


 かつてフィルは語ってくれた。通常の魔術師は一属性への適性がせいぜいであり、二属性持ちともなれば天賦の才であると。


 では、四つの属性へ並行して触れうるわたしは、一体何なのだろうか。


 白の大気、青の水、黄の地質、赤の熱。呪文の詠唱も魔法陣も介さず、ただ想念のみを起点として、複数の〈場裏〉を並行に展開し、自在に組み替えられる。こんな異質な使い手が、わたしの他にどこにいるというのか。


 そして――精霊子、器、疑似精霊体、場裏、マウザーグレイル。


 前世から概念としては知っているはずなのに、それらが実感を伴って繋がらない。ひとつを掴もうとすれば、別の理が指の間から滑り落ちていく。


 空気や地脈に満ちているはずの「精霊子」を、わたしの手はまだ直接は捉えられない。


 それらを引き寄せる「器」は誰が作り、どうしてわたしに繋がったのか。


 器に束ねられ、刹那だけ励起する「疑似精霊体」は、命と呼ぶにはあまりに儚いのに、その奔流だけが現実に干渉する。


 その力が届く範囲である「場裏」は、どこまでがわたしの領域なのか。

 そして、その流れを支える「マウザーグレイル」という道具は、使い手の覚悟まで問い返してくる。


 わたしは、これらが何のために組み合わさっているのかを知らなければならない。それが自分の力とどう関わっているのかを解き明かさない限り、どこへ向かうべきかも、何を成すべきかも決められないからだ。


 いつかこの絡まりがほどけたとき、この力がわたしに与えられた理由も、きっと見えるはずだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ