36.客人と夕食
エリは部屋をノックする音で目が覚めた、いつの間にか寝ていたらしい
「は、はいっどうぞ」
部屋の扉を開けると恐らく70代後半と思われる老紳士が立っていた、仕立てのいいスーツで全身隙が無い格好をしていて、両脇には屋敷の玄関で見かけたスーツ姿にサングラスの体格のいい使用人が二人、老人を護衛するように立っていた
「初めまして岸川恵理さんだね?」
非常に流暢な日本語で挨拶した事にエリは驚いた
「はい、そうですが貴方は?」
「これは失礼した、私の名はアントニオ アルメイダ この家の主だ」
そう言うと老人はにっこりと笑うがその眼光は鋭くエリは圧倒される
「あ、サラさんのおじい様でしたか、は、初めまして、私はサラさんの所属する艦の艦長の岸川恵理と申します、えっと...どうぞ」
自己紹介はしたもののそこから言葉が続かずとりあえす老人を部屋に招く
「いいや大した用ではないのでここで結構、老いぼれとはいえ男がレディの部屋に入るのも何だしな...それはそうと君はうちの孫娘に親切にしているようだね?」
そこまで言うと今まで笑顔だったアントニオの目が鋭くなった
「それには何か考えがあるのかね?」
老人の物言いにエリは少し違和感を感じる、片言の日本語だったら言い回しの違いかと思うが彼の話す日本語はとてもそんな間違いをするようなレベルでは無いのでそのままの意味で言っているのだろう、少し失礼な言い方をする人だと思った
「いえ、サラさんには仕事で何かと助けていただいています、親しくしている事に別に他意はありません」
サラには実際に何度も助けてもらっている、これは本心だ
「そうかな?私が聞いた話では素人同然の君に戦艦の指揮をさせ責任を押し付けたそうじゃないか何故そんな卑怯者を庇うんだね?」
「なっ...」
反論したいのをエリはぐっとこらえる、その表情を見てさらにアントニオは話を続ける
「あいつは昔から卑怯な所があった、責任を他人に押し付け自分は被害者面だ、すぐ保身に走る」
なぜこの人は自分の孫をそこまで酷く言うのだろう?自分の事はともかくサラを酷く言う老人にエリはだんだん腹が立ってきた
「そんな事ありません、指揮官としての経験がない私が困らないようにサラさんにはサポートしてもらっていて助かっています」
「事務仕事はあいつの得意分野だ、それで君があいつの卑怯な振る舞いを許すなら安いものだろう」
エリの返答にいちいち癇に障るような返答を返してくるアントニオに苛立つエリの声がだんだん大きくなる
「違います、サラさんは言っていました、どんな事があっても私の味方だと」
「ふん、口では何とでも言える、君は知らんだろうが士官学校時代もそうだった、自分のミスで同期のクルーを殺しておいて後は泣き喚いて悲劇のヒロインだ、あいつの性格は良く知っている」
サラの士官学校時代の事を言われたエリは怒りがこみ上げてくる
「あなたはサラちゃんの抱えていた苦しみが解らないんですか?彼女がどれ程辛かったかどれ程苦しんでいたか理解すら出来ないんですか!」
エリの剣幕に後に控えていた使用人の二人が前に出る、まさに臨戦態勢といった感じでエリが何かすれば飛び掛りそうな雰囲気だ
「あいつはそういう奴だ、そうやって周りの同情を引いて保身する」
エリはもう我慢の限界だった思わず身を乗り出して叫ぶ
「うるさいもう喋るな!これ以上彼女を侮辱したら私が許さない、いますぐその口を閉じろ!」
エリはいつの間にか後ろに回った使用人に押さえつけられていたが、それでも老人を睨みつけて叫んでいた
「良い目をしている」
「は?」
老人は護衛の二人を制止する様に片手を上げるとエリの腕をつかんで押さえていた二人の護衛は押さえていた手を離し姿勢を正してまた老人の後に立った
ポカンとするエリを前に老人は優しく話す
「噂どおり君は底抜けのお人よしだな、君ならサラを任せても大丈夫なようだ、試してすまなかった、心から謝罪する」
そう言うとこの家の主は頭を下げた、先ほどまでサラを罵倒していた人物とは思えない優しい目をしていた
「試す?私を?」
先ほどの怒りがまだ収まっていないエリはまだ少し荒い口調だったが老人はかまわず話を続ける
「ああそうだ、あいつは心が弱い、誰か支えてやる人間が必要だ、かつては士官学校の同期の本当に信頼できる仲間がいた、だがあの事故以来あいつは友人に恵まれん、近づく奴らは皆あいつを利用しようとするような奴らばかりでな」
「それで私もそうだと?」
アントニオはゆっくりと頷く
「先ほどまではそう疑っていた、だがあいつのために本気で怒ってくれた君なら信頼できる、試した私に腹を立てるのは仕方がない、君やサラを侮辱するような真似をしたの確かだ、だから私を許せないならそれは構わん、だがサラは今までどおり支えてやってくれ、頼む」
そう言うと彼は再び頭を下げる
「いえ、こちらこそサラさんを頼もしく思っています、こちらこそよろしくお願いします...あと先程は怒鳴ってしまって申し訳ありませんでした」
ようやく少し落ち着いてきたエリは怒りに任せて暴言を吐いてしまった事を謝罪した
「いや、怒鳴ってくれて嬉しかったよ、それだけ真剣にあいつの身になってくれていると言う事だ、悪いのは挑発した私の方だ本当にすまなかった君が気にする事は無い」
アントニオが自分を試したというのはエリも少し釈然としないが、サラの事を心配しての行動だと考えると老人を許せる気になった、それがお人よしだと言われればそのとおりなのだがエリも自分の考えが甘いと言う事は自覚している、しかしもうこの老人を恨む気にはとてもなれない
「そうだ、もしよければ夕食をご一緒願えるかな?サラと3人で仕事の話を聞かせてくれると嬉しいのだが」
「はい、喜んで」
話を終えると老人はドアを閉じた、エリの部屋のドア横の柱の影、丁度ドアの前でアントニオと話していたエリには死角になって見えない位置にサラが立っていた、顔は涙でくしゃくしゃだった
「聞いてのとおりだ、良い友人が出来たな」
サラは声も出せないほど泣いていて答えることが出来なかった、祖父の問いにただ頷いて答える
エリに酷い事をしたとずっと後悔していた、どこかで恨んでるのではないかとずっと不安だった、でもこんな自分をエリは本気で庇ってくれた真剣に怒ってくれた胸の奥から暖かいものが苦しいぐらいにこみ上げてくる嬉しいはずなのに涙がとまらない
「落ち着いたら知らせなさい、それから夕食にしよう」
優しくそう言うとこの家の主は廊下を歩いて行った、残されたサラはその場で落ち着くまでしばらく泣いていた。
サラと別れアントニオが仕事部屋に戻るとそこには一部の隙も無い服装で立つ初老の男がいた、彼の秘書である、彼はアントニオを見ると頭を下げる
「これから食事だから手短にな」
こういう時は何か報告があると知っているアントニオは秘書に発言を促す
「こちらは今日までに確認された各国からの客人のリストです」
客人というのはアルメイダ家の周辺を探る各国の諜報員の符丁である
秘書は紙に印刷されたリストを手渡した、客人は毎日のように訪れるので部下が全て対処していて通常は事後報告を聞くだけになっているにもかかわらず秘書が報告に来たという事は何かあるという事だ、アントニオはそれを受け取り老眼鏡をかけ目を通すとその中の一枚に目を止めた
「めずらしい客が紛れとるな、この客の予定は調べてあるか?」
「はい、次のページに詳細を記してあります」
秘書はアントニオがこの客人に興味を持つのを予測していたらしく、客人の行動パターンを分析した結果予測される行動予定や人数などが詳細に書いてあった
「わかった、この客人は私が接待する、他はいつも通りにたのむ」
「承知しました、それでは失礼いたします」
そう言うと秘書は部屋を出て行った、アントニオは再び詳細が書かれた資料を見直す
「なるほど、こちらの動きを読んだ上で懐に飛び込んで来たか...面白い」
そう呟くとアントニオはニヤリと笑った
その日の夕食はエリが今まで体験した事がないものだった
20人は並べそうな広いテーブルにたたまれたナプキンと両サイドに一点の曇りもない銀製のナイフとフォークが並んでいるのを見ながらエリはさっきから落ち着かなかった、何故ならそんな広いテーブルに今はエリ1人しか座っていないからだ、食器が3人分テーブルにあるからこの家の主のアントニオとサラは来るのだろう、だがまだその席には誰も座っていない
(何この食堂?リオグランデの格納庫ぐらいあるんだけど...まあこれだけの家だから舞踏会やら立食パーティーなんか開く事もあるかもしれないけど普段の食事はもう少し狭い部屋でもいいんじゃない?こんな高い天井一面にフレスコ画が描かれたでっかいシャンデリアが3つもぶら下がっている所で食べる必要ある?あと、たった3人で食事するだけなのに何で5人も使用人がいるの?毎日これだけの人に見つめられて食事をして疲れない?)
そんな事をエリが考えているとこの家の主であるアントニオとサラが食堂に入ってきた、さっきから食堂の雰囲気に圧倒されていたエリはもしかすると2人とも舞踏会にでも出るような正装で来るのではと思っていたが普通の服装で少し安心する
「少し仕事が残っていたものでね、客人を待たせる非礼をお許し願いたい」
アントニオはエリに食事に遅れた事を詫びると奥の席に座った
サラはエリの正面の席に座る
「サラちゃん何かあったの」
エリがサラの表情を見ながら心配そうに言うとサラは少し驚いたような表情を見せる
「いえ何でもないです、少し居眠りをしていたもので」
「そう?ならいいんだけど、何だかいつもと違う雰囲気だったから...」
「たぶん実家にいるので少し違って見えるのかもしれませんね」
自分の感情には鈍感だが他人の感情の変化には妙に勘が働くエリにサラはすこし焦りを覚えたが、ちょうど料理が運ばれてきたのでそちらに話をそらす
「今日は料理人がとても張りきって作ってくれたので私の故郷の料理をぜひ楽しんでください」
使用人たちが料理を盛り付けられた皿を各自に次々と並べていく
(えーっとナフキンは膝に置いて...ナイフとフォークは外側から使うんだっけ?)
コース料理なんて高校の卒業前に社会実習の一環でテーブルマナーを学ぶためホテルのレストランで食べて以来だったエリは緊張の面持ちで料理を眺める
「昼から何も食べてないのだろう?さあ、遠慮なく食べてくれ」
そうエリに言うとアントニオが食事を食べ始めた
「それではありがたく頂かせてもらいます...」
サラたちが食べるのを見よう見真似で食事を口に運ぶ、たぶんとても美味しい料理なのだろうがエリは緊張のあまりほとんど味がしなかった
そんな緊張で食事がのどを通らないエリとは裏腹にアントニオは年齢を感じさせない豪快な食べっぷりで食事を平らげるのだった
「休みはどう過ごすつもりかね?予定はもう決めてあるのかい?」
食後のお茶と茶菓子が運ばれてきて、ようやく少し落ち着いたエリにアントニオが話しかける
「い、いえ特に決めていません」
「それなら明日はリベイラ広場あたりを散策してみるといい、きっと面白いものに出会えると思う」
そう言うとアントニオは菓子を口に運ぶ
「面白いものですか?」
エリはポルトガルに来たのは初めてでどんな所か知らないので興味を示す
「ああ、流行の衣料品店や焼き菓子の美味しいカフェとかあって楽しめると思う、小物をあつかう店などもあるから家族への土産などを探すには良い場所だ」
初めて訪れた街で休日はどう過ごそうかと思っていたエリだが家族へのお土産と聞いて行ってみたくなった、実家の兄弟たちの顔が浮かぶ
「ありがとうございます、今度行ってみます」
「ああ、サラに案内してもらうといい、明日はサラも予定は空いているんだろう?」
アントニオがサラに視線を向ける
「はい、ではエリさん明日行ってみますか?」
「本当?サラちゃんありがとう!」
無邪気に喜ぶエリを尻目ににアントニオがそういったものに興味が無いのを知っているサラは首をかしげるのだった
翌朝、少し遅めの朝食を終えるとエリとサラは街に出かけることにした、玄関先に車を呼ぶとサラは自動運転の車にリベイラ広場まで行くよう指示を出すと車は走り出した
「かわいい車が来たね」
縦に2人乗るタイプの小さな車に揺られながらエリは車の感想を述べる
「狭い路地が多い街ですから、ここでは普通なんですよ」
この時代、車はインフラ扱いになっていて自家用車という物は会社組織が使うものや一部の許可を受けた人が趣味で持つ場合を除き存在しない、一般人は国の委託を受けている管理会社が所有している車を必要な時に自分の携帯端末で呼び出して使うようになっている、自動運転の車が一定数常に道路上を走っており、呼び出すと一番近い所を走っている車がやってきてそれに乗り目的地に着いたらそのまま降りるとその車は他の呼び出した人のもとへ向かうというシステムだ、通常は4人乗りの軽自動車サイズのものが一般的だが人数を指定すると最大6人乗りまで選択可能でそれ以上の人数だと有料のタクシーとなる
「そういえば狭い路地が多いね」
歴史のありそうな石やレンガの建物が立ち並ぶ風景を眺めながらエリが答える、石畳の道を走る車は他の舗装された道路と違い少し振動があるがそれも逆に新鮮に感じる
「このあたりの市街地は馬車ぐらいしか走っていなかった頃の街並みがそのままなので奥の裏道なんかに行くと本当に人しか入れないような路地もあるんですよ」
確かに車道から時々見える、裏路地は細く階段が続く路地などが見える、車の窓ガラスには通りにある店や飲食店の情報や広告が次々に表示されては消えていく、エリはワクワクしながらその光景を眺めていた。
(まもなく目的地です、お忘れ物の無いようご注意ください)
自動運転の車からポルトガル語と日本語で目的地が近い事を知らせる音声が流れる日本語の音声が流れたのはエリの携帯端末が日本語の設定になっているのを車側が自動認識するためだ、やがて車は速度を落とし道路の路肩に停車した
「着きましたよ、ここがリベイラ広場です」
サラとエリが車を降りてドアを閉めると無人の車は自動で走り去っていく、乗ってきた小さなかわいい車を2人は見送ると広場を見渡す
広場と言うより川の河口にある港の一部のような開けた場所だ、周囲の建物にはカフェや商店が並んでいる、左側には川の対岸を結ぶ古い鉄橋が架かっていて、対岸の街並みの良いアクセントになっていた
「綺麗な街並み...」
エリがそう呟く、外国の街並みなんて何年ぶりだろう?子供の頃は研究者で海外赴任の多かった両親と海外で暮らすことも多かった、そこまで考えるとエリの脳裏に両親との思い出が蘇ってくる、そしてあの事故の事も...
「あっちに言ってみましょうか?」
そう言って唐突にサラは土産物屋の並ぶ一角を指差すと、エリの手を掴んで歩き出した、いつもより明るく振舞うサラを見てエリは自分が思いつめた表情をしていた事に気がつく
(サラちゃんに気をつかわせちゃったかな?)
サラが自分を気遣ってくれた事が嬉しかった、気持ちを切り替えてエリはサラに笑顔で答える
「うん、行こうか」
いけない、最近つい不安な事ばかりを考えてしまう、こんな事では駄目だ、そう自分に言い聞かせてエリは歩き出した。




