最終章:雨上がりの空に映えるなないろ
「つ、疲れた……」
結弦くんのお母さんとの話を終えて、電車で戻ってくる。
ホームに降りた私はがくりと項垂れた。
さすが社長さんというだけあって、凄い行動力だ。
私を評価してくれているのは嬉しいけど、実感は湧いてない。
自社ビルを持っているくらいだから、事業は成功しているんだと思う。
だからこそ、私の実力はお眼鏡に適っているとは思えない。
それも、動画を出してみればはっきりする。
それ自体はとても楽しみだ。
階段を登って反対側のホームに向かい、誰もいない改札をくぐる。
駅から出ると、空は曇っていた。
地面が濡れているので、ついさっきまで雨が降っていたのかもしれない。
台風が近づいている影響か、最近は突然夕立になることも多い。
雨の匂いを感じながら、道を歩いていく。
交差点の信号で立ち止まり、文化センターに続く階段を見上げる。
結局、結弦くんはあのビルには居なかった。
「もしかして……」
予感を覚えて、青になってから横断歩道を渡る。
私は自宅へ続く道ではなく、階段へと歩を進める。
まとわりつくような蒸し暑さにうんざりしながら、階段を登った。
時間は十八時すぎ。
いつもは学校帰りの学生が結構いるが、雨が降ったからか誰もいない。
駐輪場を通り過ぎたところで、気付く。
どこからか、アコギの音がする。
確信を覚えて、広場に続く道を進む。
進めば進むほど、大きくなる音。
聞き覚えのあるギターリフ。
「あ……」
広場が見えたところで、目的の人物はすぐに見つかった。
私はその場所にゆっくりと近づく。
広場の端っこでツインテールを揺らしながらギターを弾く、制服姿の女の子。
ハンマリング・オンとプリング・オフを高速に組み合わせた、印象的なイントロが広場に鳴り響く。
愛しのレイラ――
夕方の曇り空の下に立つその子の姿を、じっと見つめる。
誰に聴かせるわけでもなく、楽しそうに演奏する姿は、とても魅力的だった。
声を掛けるのも忘れ、その音に耳を澄ませる。
サビを終えたところで演奏は終わり、ストロークした手が小気味よい弦の音を弾きだす。
胸の前で手を合わせて、拍手した。
「優子ちゃん!!」
そこで気付いたようで、結弦くんは笑顔を浮かべてこちらを見る。
「相変わらず、凄いテクニックだね」
「ありがとー!!」
賞賛しながら近づくと、女の子みたいに体の前で両手を合わせる。
そのかわいらしい姿から出る低い声にも、すっかり慣れた。
「結弦くんのお母さんに会ってきたよ」
「ほんと? どうだった?」
「凄かった……」
私が困ったように言うと、結弦くんはけらけらと楽しそうに笑う。
恐らく、話した内容は知っているのだろう。
「優子ちゃんと知り合う前から、お母さんにはカラオケのお客さんで、凄い人がいるとは言ってたんだよね」
そろそろ撤収するのか、持っているギターを背中に回す。
「じゃあ、スタジオで練習してた時に、何度も顔を出してたのは……」
「優子ちゃんの実力を知るためだね」
「お、教えてよ……」
悪びれることなく言う彼に、脱力して肩を落とす。
「でも、知ってたら気を遣ってたでしょ?」
「た、確かに……」
お母さんが私を審美眼で見ていたと知ったら、その時点で緊張していたと思う。
結弦くんなりに私の性格を理解して、気を遣っていてくれたようだ。
「オリジナル曲の収録、頑張ろうね」
やっぱり、こちらの事情は把握しているらしい。
「結弦くんって、オリジナル曲作ったことあるの?」
YouTubeを見る限り、演奏しているのは全て版権曲だったと思う。
オリジナルアレンジをしてる動画は見たことがあるけど……。
「あるよ。でも趣味の範囲だったから、本気で作るのは初めて」
「そうなんだ」
頷くと、結弦くんは顎に手を当てて考える様子を見せる。
「誰かのために曲を作るの、初めてかも」
そのままこちらを向いて……
「ぼくの初めて、優子ちゃんにあげる」
目を細めて、そんなことを言われる。
輝くような表情で、小首を傾げる様子は、天使の様だった。
というか、女の子の格好でそんなことを言われたら、別の意味に聞こえる。
「おふっ……」
私は思わず、気持ち悪い笑みをこぼした。
緩みそうになる頬を、右手でぎゅっと押さえて誤魔化す。
「気負う必要はないよ。また文化祭の時みたいに、楽しみながらやろう」
「う、うん!!」
その気遣いが嬉しくて、笑顔で頷く。
プロダクションに入るなんて想像もつかないけど、また二人でセッションできるのは楽しいと思う。
正直に言えば、文化祭が終わって少し寂しかった。
勉強もあるし、夏休みの時ほど結弦くんには会えていない。
LINEはしてるけど、うざいと思われないかなと思って、なかなか通話ボタンは押せなかった。
そんなことを考え始めると、急に意識してしまう。
この短い期間に、いろんなことがあった。
美少女にしか見えない結弦くんに顎クイされ、心を惑わされた。
頭をなでなでされたこともあれば、良い所を面と向かって言われたこともある。
それから、お祭りでははぐれないように手を繋いで……
文化祭では抱きしめ合ったりもした。
結弦くんにとって、私はどんな存在なんだろう。
一歩近づいて、その顔を見上げる。
「どうしたの?」
「い、いや……なんでも?」
純粋な目を向けられて、赤い顔をしながら目を逸らす。
なんだか、それっぽいことはしてるけど、決定打がないもやもや感。
夏休み中も勉強と練習に明け暮れてたし、あれ以上のことは何もない。
もしかしたら、私だけが一方的にどぎまぎしているのだろうか。
確かめたい気持ちはあるけど、どうすればいいのだろう。
なにせ、そういうものとは一切縁がなく生きてきた身だ。
自分の中に浮かぶ気持ちにすら、戸惑っている。
でも、このまま戸惑い続けるくらいなら、いっそ……。
ちらりと、結弦くんに目を向ける。
「あ、あのさ……」
もじもじしながらも、なんとか言葉を絞り出す。
決定的な言葉を口にすることはできないけど、せめてそれっぽく確認するくらいなら……。
「なに?」
結弦くんに目を向けられ、再び視線を逸らす。
体が熱いのは暑さのせいではない。
多分、今の私は耳の先まで真っ赤になっていると思う。
それほどまでに、こういうことに対する抗体がない。
「え、えーと……」
どきどきと強く脈打つ心臓。
それを感じながら、必死に口を動かす。
夏休みの間に聞けなかった、些細な疑問。
「その……」
結弦くんが不思議そうにこちらを見てくる。
私は右手をぎゅっと握りしめて、その先を口にする。
「ゆ、結弦くんって……恋人とかいるのかなーって……」
そう言って、目をぎゅっと閉じる。
い、言ってしまった……。
それは、何気ない単純な疑問だとは思うのだけれど……
それを口にしてしまえば、相手に気があると伝えるようなもので……
もしかしてこの質問、めちゃくちゃ面倒くさかったりする?
頭の中を駆け抜けていく、物凄い数の感情。
「やっぱり言わなければよかった」という後悔が襲い掛かってくるが、訂正もできない。
私はあわあわとしながら、現実から目を背けるように目を逸らす。
胸を打つ心臓の音がうるさい。
判決を言い渡される容疑者のような気持ちで、相手の反応を待つ。
「もしかして引かれた?」「別の言葉の方がよかった?」などと後ろ向きな思いが交差する。
落ち着かない中言葉を待っていると、ふっと短く息を吐く音が聞こえる。
そして――
「いないよ」
と、頭の上から短い言葉が耳に飛び込んでくる。
私は恐る恐る目を開けて、ゆっくりと顔を上げた。
こちらに向けられているのは笑顔。
胸がほわっと温かくなる。
驚いた表情で結弦くんの顔を見ていると、真剣な表情を浮かべる。
突然、私たちの周りが明るくなった。
黒い雨雲の間から差し込む光――
「だってぼくには、優子ちゃんがいるから」
その言葉に、ハッとする。
時が止まったかのように、辺りから音が消えた。
心臓は相変わらず激しく脈打っているけど、結弦くんの声はしっかりと聞き取れた。
「それって……」
その意図を確かめるように、言葉を絞り出す。
結弦くんは困ったように眉をひそめて、頬を掻いた。
「嫌かな?」
そう問われて、私はもう一度目をぎゅっと閉じる。
心の底から溢れてくる嬉しさと、何か言わなきゃという焦り。
サビに入る直前の息継ぎのように、息を吸う。
「い、嫌じゃないです!!」
そのまま、自分の想いごと吐き出した。
その途端、周りの音が戻ってくる。
遠くから信号のぴよぴよという音が聞こえ、頬を撫でる風が足元の芝生を揺らしていく。
結弦くんは、驚いたように口を開ける。
「よかった、嬉しい」
だけど、その表情をすぐに笑顔に変える。
頬に赤みが差した、はにかんだ顔。それは、とてもかわいく見えた。
「あ……」
その顔を見ていて、ふと気付く。
「ん?」
「あれ……」
疑問の表情を浮かべる結弦くんに、空を指し示す。
二人を祝福するように照らす光。
雲間から覗く青空は少しずつ広がっていき、そこになないろに光るアーチが見えた。
雨上がりの空に浮かぶ虹――
それは一瞬だけくっきりと空に現れて、少しずつ薄くなっていく。
「おお、虹だー」
空を見上げて、感嘆の声をあげる結弦くん。
二人並んで、空を見上げる。
相手の気持ちを確かめ合うように、その手をぎゅっと握りあった。
もしかしたら、私たちしか気づいていないかもしれない、夕方の空に現れた虹。
空に溶けていくなないろを、無言で見つめる。
心の中に溢れてくる嬉しさ。
ふと結弦くんの横顔を見ると、その唇が目に入った。
二人の想いを繋ぐような証が欲しい。
ドキドキしながら顔を近づけようとするけど、とても届かない。
「……」
結弦くんがこちらを見る。
その瞬間、顔は信じられないくらい熱くなり、耳の先まで茹だる。
私は思わず目を閉じた。
手に結弦くんの熱を感じながら、少しだけ唇を重ねようと近づける。
ゆっくりと顔が近づいてくるのを感じ取る。
そして、確かめるように柔らかい感触が唇に重なった。
こちらを気遣うような優しいキス。
胸がきゅっとなって、嬉しさと切なさが溢れてくる。
ふわふわと天に浮かぶような感覚を覚えながら、僅かに鼻を鳴らす。
ベルガモットの匂いがした。
Fin




