37 すべては水面下で
その後も琴音の研修は続き、五日も経てば全員がアルコールから水分だけを抜き取ることが可能になっていた。
俺は公爵家の料理人や使用人たちに芳香蒸留水の味見をしてもらい、アイデアを募ったりアドバイスを受けたりして、飲料として商売に使えるレベルにまで質を引き上げた。
完成した飲料は「芳香飲料水」と名付けられ、義父上や琴音が社交で広めてくれた。十歳の女の子でもお茶会を主催するんだよ。貴族ってすごいなぁ。
結構好評で、工場を誘致してくれる家があったり柑橘が特産の領と共同事業として動くことになったりして、俺も色々と忙しくなった。
そんな時だった。
王家が大量の水を差してくれたのは。
「……わたくしが、王城で暮らす? 本日から? なぜです?」
公爵家の応接間の一つで、王家からの使者が脂汗を流している。
「それは、王妃教育の一環で……」
「王妃殿下も王太后殿下も、学園卒業後に王妃教育を始められたと記憶しておるが? それとも、我が娘は今から学び始めなければ教育が間に合わぬとでも?」
椅子に座った琴音も、その隣の義父上も笑顔だ。笑顔で怒っている。そしてなぜか同席させられた俺は無関心を装っているが、内心でやっぱり腹を立てていた。
「そもそも、そのような大切な話を、なぜ陛下自らがなされぬのだ。使い走りの伝言一つで、我々が王家の言い分を無条件で呑んで唯々諾々と従うとでも?」
「いえ……その……」
使者はますます小さくなるが、同情心は微塵も湧かない。
こちらをチラチラ見てくるのも癇に障るので、わざとあからさまに無視した。
ひょっとして、こいつが俺をこの場に同席させたのは、自分の味方をしてほしかったからか? 隙あらば公爵家の乗っ取りを企む連中と一緒にすんな。
「……さて。どう思う?」
結局、義父上が明日にでも直接城へ行って真意を糾すと言って使者を追い返し、俺たちは団欒室に集まった。
「最近は色々と動いておりましたし……目障りだと思われたのかもしれませんわね。どうやらあちらは、婚約者と比べられると困るようですから」
「努力の方向性を間違っていますね」
「いや、そもそもする気もないようだぞ」
「と、おっしゃいますと?」
「王城に紛れ込ませておる間諜からの情報だと、殿下の教育カリキュラムは大幅に遅れておるようだ」
俺と琴音は、思わず互いの顔を見合わせる。
「これは……あれでしょうか。優秀な婚約者に王子の仕事まで押し付けようとする、お約束テンプレ」
「ですわね、きっと。……でも、王家はそれでよろしいのかしら?」
「ん? 宜しい、とは何かね?」
「だって、お父様。王位継承権を持つ子供の中で、最も血が濃いのがわたくしですのよ?」
王位継承の正当性は血統に依る。だからこの世に生まれた時点で、既に琴音が他の継承者より一歩リードしている状態なのだ。
なのに、本来なら王位を継がせる気満々の王子に対して行われるような教育まで備わってしまったら。
女だから容易く御せると思っているのか、王子を愛しているから絆されてくれると侮っているのか。
「ねぇ廉くん」
「なに?」
ネリーが、いや琴音が、昔と同じ表情で笑うから。
俺も、昔の口調で返す。
「もしも、廉くんの目指す先が女公爵の婿から王配になっても、私と一緒に来てくれる?」
「勿論、どこまででも」
だよな。琴音は俺を負けず嫌いだとか言うけど、琴音本人だって大概なのだ。やると決めたら、とことんやるだろう。
まして、ここまで自分たちをナメ腐った連中が相手なら猶更だ。
「ふふ、ははは! 我が娘と婿殿ながら、末恐ろしい!」
義父上の顔にも微笑。獰猛な、野望を抱く貴族らしい笑い方。
「だが、頼もしい限りだ。私も覚悟を決めよう」
その後、俺たちは話し合いを重ねた。要請を断れた場合、断れなかった場合。それぞれのパターンに合わせて。
そして結局、琴音は王城で暮らすことになった。
もちろん義父上は最大限の配慮を約束させたし、山ほどの条件を付けた。
専属の侍女も侍従も、護衛も毒見役も、全て公爵家に忠誠の契約を結んだ者で固め、滞在する部屋の内装も調度も全て公爵家で用意した。さすがに王城で天然痘テロをかますほど王妃サイドだって馬鹿じゃないだろうけど、警戒しすぎることはないからね。
「ではお父様、レオネル令息。行ってまいります」
「ああ。行っておいで」
「行ってらっしゃいませ、公女さま」
それに伴って、俺の学習すべき範囲も大きく変わった。いずれは公爵領だけでなく、王国全てを動かせるように。
すべては静謐なる、水面の下で。
お読みいただき、ありがとうございました。
今回で第一章は終わりになります。
タイトル通り、「奪還」がレオネルの目標に入りました。
第二章は、ある程度書き溜めてからの投稿になります。気長にお待ちいただけると幸いです。




