35 研修会
翌日、使用人が使う裏の通用門から大きな馬車が入って来た。
一見すると辻馬車のように見える素朴な造りの箱から、『水操作』スキルを持つ人々がぞろぞろと降りてくる。目の前の屋敷の大きさに圧倒されて、ぽかんと口を開けている者もいた。
うん、解るよ。伯爵家の屋敷に慣れていた俺でも驚いたから。
王都という地価が天井知らずの場所で、こんな大きな敷地を持ってるのはヴェルニエ公爵家くらいだ。最古参の家だから一番最初に土地を確保できたのだろう、とは義父上の談。
ちなみに領地の屋敷は王都にあるこの屋敷より大きいらしい。えっ、ここも相当大きいと思うんだけど、それ以上……?
閑話休題。
やってきた人々は、男女比が半々くらい。それぞれ下級使用人のお仕着せを着ている。傍から見れば、新しい使用人を雇ったようにしか見えないだろう。
彼らはいわば研修を受けに来た新入社員といったところだ。琴音の生徒といってもいい。
案内役が彼らの許に到着し、手振り付きで何かを説明しながら屋敷の中に招き入れているのを見届けてから、俺も二階の窓際から離れた。
今日の俺の役目は、琴音のアシスタント。具体的に言えば、水蒸気蒸留の機器を操作する役。
操作自体は、大して難しくもない。前世でも蓋つきの鍋と耐熱のカップがあれば簡単に作れた装置だ。自由研究で身近な植物を片っ端から試してまとめた経験が、まさかこんなところで活きるとは。
もちろん、公爵家の装置は小学生が100均で集めた材料で作ったもののような雑な造りはしていない。貴族婦人が美容目的で顔に塗る薔薇水などを抽出するための機器なので、女性が好みそうなお洒落な装飾が付いている。
「皆様、ようこそおいでくださいました」
「こ、公女様!?」
講習のために用意された部屋で公爵令嬢に直々に出迎えられるというのは、生徒たちにとって青天の霹靂だったらしい。目を白黒させている。
彼らの中で最も年かさに見える男が慌てて礼をし、他の者たちも慌てて倣った。全然揃わない頭がぴょこぴょこしている。
「まずはこちらの椅子へどうぞ。自由にかけてください」
ぴょこぴょこが収まったあたりで、俺は生徒たちに声を掛けた。
戸惑いがちに一人、また一人と着席していくのを待って、琴音が彼らをここに呼んだ理由や仕事の内容などを説明していく。それを聞きながら、俺は蒸留器の火力を確認する。
「酒から、水だけを分けて抜く……?」
「そんなこと、本当にできるんですか?」
戸惑ってるな。
まあ気持ちはわかる。水という物質が温度によって個体・液体・気体と姿を変える性質があると俺たちが知ってるのは、きちんとした教育を受けたからだ。特に前世では義務教育だったから、日本人ならほとんどの人が知っていた。
しかし生憎、こっちは教育が行き届かない者がたくさんいる世界である。平民の場合、簡単な読み書き計算が出来さえすれば食いっぱぐれないと言われるくらいで、識字率は貴族と平民では雲泥の差がある。
蒸留酒はこの世界にもあるし、製法も確立している。
ただ、「その製造過程で、具体的に何が起こっているか」までは分からない。それが身分に関わらず、ほとんどの人々の認識である。
だからこそ、水蒸気蒸留機器の出番なのだ。百聞は一見に如かず、細工は流々。
「では、それを今から証明いたしましょう。レオネル令息」
「はい。では皆さん、こちらへいらしてください」
ぞろぞろと近寄ってくる人々に、俺は蒸留器の説明を始める。
「今、この部分で温めているのは塩水です。少し取り分けますので味を確認してみてください。塩辛いですよね?」
スキルを使うのに必要なのは自覚と修練、そして何より理解。
特に理解は深ければ深いほどいい。
任意の液体から水分だけを抽出することが可能であると「理解」できれば、成功までの道のりはぐっと短くなる。
「塩水を熱すると、湯気が出ます。この湯気は、水が姿を変えたものです」
「水が、姿を変える……?」
「そんなことって……」
いいねいいね、疑問が出るのは良いことだ。真面目に学んで考えてるってことだからな。
「冬の寒い日に、水が氷になるのは知ってますよね? 寒ければ氷になるように、水は熱くなれば湯気に変わるわけです。その証拠に、この湯気を集めて冷ますと元の水に戻ります。ここの管を湯気が通って、ここで冷えて、このコップに出てきます。……あ、火傷をするかもしれないので、器具にあまり顔を近づけない方が」
指差して説明をしながら、人数分の小さな深皿にコップの中身を分けていく。
「さあ、飲んでみてください。塩の味はしないはずです」
「……水だわ……」
「本当だ、しょっぱくない……」
「では追加でもう一つ。この容器の中身は先程、一番最初に塩水を取り分けたものです。そしてこちらは、今新たに掬ったものです。味を比べてみてください。熱いので気を付けて」
色違いの小皿がたくさんあるのは、さすが公爵家といったところ。全て透明な液体でも、皿の色で見分けがつく。
「熱い塩水の方がしょっぱいです」
「同じところから分けた塩水なのに……」
「塩水の中から、水だけが湯気になって分かれたからです。同じ分量の塩でも、溶かす水の量で塩辛さが変わるでしょう?」
生徒たちが、はっとした顔で手元の小皿を見た。
「酒でも、同じことができます」
酒の中に水が入っているのは、彼らも知っている。自家製ビールを仕込む家庭が多いからだ。
「では皆様、一度休憩をはさんでから、実践とまいりましょう」
琴音の声掛けに頷いた人々の顔からは、戸惑いや不安の代わりに希望とやる気がみなぎっていた。
よしよし、俺はちゃんとお役目を果たせたようだ。良かった。
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