34 公爵家の始動
ブノワの母であるベルタ・マイヨ子爵夫人が、デュマ前伯爵に接触したという知らせが、伯爵家から届いた。
これが違和感や危機感を覚えた祖父から提供された情報なら良かったんだけどね。残念ながら、義父上が伯爵家に使用人の教育役として送り込んだ諜報員のお手柄だった。
「これが、王妃から前伯爵へ宛てた手紙だ」
しかも証拠の現物押さえられちゃってるし。
耄碌したのか、おばあ様のお蔭で出てなかったボロが露見してるのか。
報告書と共に開かれた状態で手渡されたので、どちらも読んでいいものと判断して全てに一通り目を通す。
「……これをおかしいと思わないとは、我が祖父ながらがっかりです」
「うむ」
ラウルが全く反省してなかったのも吃驚だったけど、肝心の祖父がこれじゃあ、しょうがないのかもなぁ……。
「ラウル令息の方は、問題児の矯正が得意な家庭教師に任せるようにしたそうですわ。厳しくて有名な方だとか」
苦い顔をした俺の隣で、琴音が追加情報をくれた。
使用人を全員締め出した団欒室の中なので、俺たちは隣同士でくっついて座っている。
「それで何とかなればいいのですが」
最初は騎士団主催の訓練会に参加させて、曲がりくねった性根を叩き直して貰おうとしてたみたいだしな。なのに出禁喰らって不可能になったから、さぞかし手に余ってるんだろうなぁ。
ラウルがきちんと反省して、真面目に鍛錬受けて努力してるところを見せれば、あわよくば騎士団入団も再考になるんじゃないか……というのも、祖父は狙ってたみたいだけど。出禁ならもう無理だろう。
まあ、奴を馬鹿な乱暴者にしたのは伯爵家なので、せいぜい頑張ってもろて。
「容赦なく教鞭で叩かれるのですって。再教育後は大抵、借りて来た猫のようになるそうよ」
うへぇ。
教鞭というのは、いわゆる「教鞭を執る」っていう慣用句じゃなくて、馬を走らせるために使う物でもなくて、リアルに生徒に折檻する目的で使用される道具としての鞭だ。もちろんSとかMとか方面の話でもない。
前世だったら児童虐待で方々から訴えられてるだろうな。
「さて、レオネル君はどう考える?」
義父上は、いつもこうやって俺や琴音の意見を聞いてくれる。
それでなくとも、王家を相手取って立ち回らなければならない状況だ。団結すべき人々の間で、認識違いや誤解があったりしたら大変なことになる。だから事前に色々と話し合って、意識の擦り合わせや相談は常に欠かさない。毎日交流の時間を取る理由の一つでもある。
「伯爵家については、よほどの大問題を起こさない限りは泳がせておいたままで宜しいかと」
「その心は?」
「報告書の内容からすると、前伯爵は王妃側の情報しか知りません。それは勿論、大問題なのですが……。逆に言えば真実を知った時に味方に付く可能性もあります」
うん、そもそも情報が命の貴族社会で、一週間以上前の事件を知らないってのは論外ではあるんだけど。それはそれとして、王家のお茶会での騒動について祖父の耳に入ってたら、さすがに子爵夫人の戯言には耳を貸さなかったと思うんだよね。
「また、王妃たちに味方だと思わせておけば新たな証拠を得るのに使えるかもしれませんし」
「念のため聞くが、明かした上で協力を仰ぐというのは?」
解ってて聞いてるな、義父上。
「なしでしょう。間諜なんて器用な立ち回りは、祖父や父にはできません。こうして、王妃の署名が入った重大な手紙を取られていますし」
「ふむ」
ちなみに母は最初から頭数に入ってない。なんでもラウルの神経を逆撫でして木剣でやられ、怪我と精神的ショックで寝込んでるそうな。今じゃ息子の顔見ただけで悲鳴を上げるんだってさ。あれだけ猫可愛がりしてたのにね。
それを聞いても、俺は特に何とも思わなかった。
何せあの人、俺が庭で鍛錬という名の暴行を受けてるのを眺めて「そのくらいにしか使えないのだから、せいぜい役に立ってちょうだい」なんて言い捨ててくれたからね。自分が同じ目に遭って痛みを知って、反省なり謝罪なりするなら考えなくもなかったけど、可哀想な自分に酔ってるだけみたいだし。
「ところでお父様、消毒用アルコールの製造についての進展もあると伺いましたわ」
「おお、そうであった」
酒を蒸留し、消毒殺菌に使えるアルコールを製造する施設を作ろう。
天然痘によって三人もの死者を出した公爵家で、そういう話が上がったのは必然ともいえる。
「『水操作』のスキルを持つ者に交渉し、何人か確保できた。明日には屋敷に到着するであろう。蒸留用の建物の改築が完了するのはもうしばらく先だが、酒造は既に稼働を開始しておる」
「では、わたくしはその方たちにやり方を教えればよろしいのね」
酒を造ること自体は、大して難しくもない。前世でも、文明が芽生えたばかりの古代から人々はあらゆる地で酒を作り続けていた。材料や味にこだわらなくていいなら猶更、簡単な話だ。
だから酒を醸造する場所は、領内で使われていない大きめの建物をそのまま使える。必要なのは多少の改装くらいだ。そして酒造りに関して、特に国の許可などはいらないそう。
ただ、蒸留の方法は機密事項になる。折角なら公爵領の産業にしようという目論見もあり、全てを領内で完結させなければならない。だから人員も公爵領に住む『水操作』スキル持ちの人に声を掛けていた。
スキルと一口に言っても、その能力の大きさや影響が及ぶ範囲には差異がある。同じ『水操作』でも、琴音のように大量の水を自在に扱える人もいれば、雨粒程度の水滴を出せるのがせいぜいの人もいるのだ。前者を極大と評するなら後者は極小、といったところ。
今回義父上が声を掛けたのは、中から小程度のスキル持ち。平民でも貴族の血を引いてると、そこそこの力が使えたりするからね。最初は試しに彼らで稼働を開始してみて、上手くいくなら徐々に拡大していくそうだよ。
琴音は、母親と兄たちの死の原因を知ってからずっと、混ぜ物のない安酒を使ってアルコールを蒸留する練習をしていた。
スキルはあっても魔法はないこの世界、能力を使うのに肝心なのは自覚と修練、そして理解だ。
家庭で蒸留するための単純な機器も屋敷にはある。植物を水蒸気蒸留して、ハーブウォーターあるいはフローラルウォーターと呼ばれる芳香蒸留水や精油を作るためのものだ。
これで実際に蒸留しているところを見せながら教えれば、口頭での説明より解りやすいだろう。
お読みいただき、ありがとうございました。




