29 子爵夫人
「申し訳ございません、公爵閣下!」
ドレスの裾を持って慌てて小走りで駆け寄ってきた女性が一人。俺たちの前で立ち止まり、閣下に深々とカーテシーをする。
「母上!」
「おや、マイヨ子爵夫人。子爵家では一体、子息にどのような教育をしているのだね?」
こいつが子爵夫人か。王妃の親戚で、ヴェルニエ公爵夫人と長男、次男の暗殺に加担していたと推測される女。
妻子の仇かもしれない相手に、閣下は素知らぬ顔で追い打ちをかける。
憎しみや疑いの心は完全に隠して一切向けず、あくまで粗相をした子供の親に対する態度で。養父としての役目を果たしているだけなので誰も不思議には思わない。子のやらかしは親の責任だしね。
「わたくしの息子が、大変な失礼をいたしました。きっと、つい夫と間違ってしまったのですわ」
学校の先生を、授業中にうっかり「お母さん」って呼んじゃう、みたいな? 無理筋じゃない? あと、しおらしい雰囲気で閣下に謝罪しながらこっちを睨むなんて器用なまねをするのは止めてもろて。周囲の注目を集めてるって自覚を持ってほしい。
「私と、マイヨ子爵を間違える?」
勿論、閣下にも子爵夫人の態度が見えている。だから対応はとことん冷たい。
今にも鼻で嗤いそうな声を出してるってことは、二人は遠縁と言っても似てないのかな? 息子の方は、少なくとも色味についてはヴェルニエ家と若干似ているようだけれども。
「ええ、きっと、きっとそうですわ」
「では、妃殿下や第一王子殿下が何度断っても君の息子を我が家の養子に入れたがるのも、これとは無関係ということかね?」
引き攣った愛想笑いで夫人が放った苦し紛れの言い訳ゴリ押しに対して閣下がしれっと爆弾発言を落とす。その内容は子供たちの許に集まって来ていた親たちに微かなどよめきを齎した。
「まさか、王妃殿下がヴェルニエ公爵家の内政に干渉なさっているというの?」
「正式な後見養子として、レオネル伯爵令息が決まりましたのに?」
「なんてことかしら……」
母親の割合が多いからか、扇子の陰でひそひそと囁く声がそこかしこから聞こえてくる。
どんどん顔色を悪くする子爵夫人は俯き、俺に両手を握られたまま逃げられもせず挙動不審になっているブノワは、時折助けを求めるように視線を投げていた。乳兄弟のいる方向に。
しかし肝心の王子は目を合わせようとしない。相変わらず側妃だか公妾だかの地位を狙うご令嬢たちにちやほやされている。王妃はどうだろうかと思ったら、トラブルなど何も起こっていないかのような悠然とした態度で取り巻きらしき人々とお喋りをしていた。
いや、お茶会の主催者が率先して揉め事を収めようとしないのは駄目だろ。
とはいえ、ブノワが彼らに見捨てられることはないだろうな。
ヴェルニエ公爵家の簒奪に使える手駒は彼しかいない。替えが効かないのだ。そこも奴が増長する理由の一つでもあるんだろうけど。
何にせよ、王家の二人ともが事件に我関せずなのはこちらとしては都合がいい。色々な派閥の貴族が集まっている場で、子爵家に堂々と釘を刺せたから。
内々で済ませて貰えているうちに矛を引っ込めておけば、こんな公の場で暴露されて恥を晒すこともなかったのにね。夫人も、ブノワも。
「レオネル令息」
「はい」
「第一騎士団に、子爵令息を引き渡しなさい」
「かしこまりました」
「そんな!」
子爵夫人の悲鳴のような声。
そもそも、周囲の大人が「ゆくゆくは公爵家」などと甘い夢を吹き込んだからこそ、ブノワもその気になって図に乗ったんだろう。その一点については彼も確かに被害者と言えるが、だからといって社交の場での居丈高な態度と起こしたトラブルは到底許容できない。
結果が、若干十歳にして騎士団に連行されるという不名誉である。これを武勇伝にできるのは破落戸や野盗くらいだろう。
「子爵家の小僧が我が家の後見養子である伯爵家の子息に無礼を働き、一方的に暴行まで加えようとした。目撃者も複数おる。寄親として、また公爵家として、何事もなかったかのような扱いは出来ぬ。身柄は第二騎士団に引き継がれるであろうから、沙汰を待つがよい」
俺に攻撃をするということは即ち、ヴェルニエ家に喧嘩を売るのと同じなのだ。それが貴族社会の怖いところである。
……閣下は反省を促すために多少大袈裟に仰ってるけど、実際には第二騎士団でちょっとお叱りを受ける程度だと思うよ。俺が暴行を止めて、誰も怪我をしないまま事なきを得ているからね。教会で一週間ほど奉仕活動させられるのがせいぜいじゃないかな?
でも不品行が原因で騎士団に連れて行かれたという事実は消えないし、評判の悪化も止められない。人の口に戸は立てられないとは、よく言ったものだ。
「どうか、どうかお慈悲をくださいませ! この子はまだ子供でございます!」
「もう十歳だ。何より、『子供のしたことだから』は加害者が申してよいことではない」
本来なら、謝罪や補償を受けた被害者が、相手を許す理由として使う言葉だもんね。まともに謝罪もしてない奴の台詞じゃない。子爵夫人、閣下には謝ったけど俺の方は相変わらず睨んできてるし。
何より、このメシャン王国の慣習では、貴族の子女は十歳の祝宴に出るまでに礼儀作法の学習を一通り終えておくのが常識だ。
だからこそ王妃は、わざわざ謁見も今日のお茶会も最速でぶっ込んできているのである。教育を受けていなかったであろう俺の、つまり自分たちの思い通りにはいかなかった「公爵家の養子」の無作法を人前で晒し上げるために。
蓋を開けてみれば、非難の的となったのはブノワくんの方だったけどね。ざーんねん。
「公爵閣下。不躾ながら、発言をお許しいただけますか」
脇から、ナタンが控えめに声を掛けてくる。
「許そう。君は……ナタン・オベール侯爵令息だったかな? 第二騎士団長の子息の」
「はい。ご記憶にお留めくださり、ありがとう存じます。私は一部始終をレオネルの傍で見ておりました。もし証言が必要でございましたら、是非お知らせください」
閣下は俺の名が呼び捨てになっていることに気付いて、おや、という顔をした。他は一人称も含めて完璧だからね。どっかの夫人みたいに謝罪だからっていきなり話しかけたりしてないし。
勿論、彼が俺の名前を呼び捨てにしたのはわざとである。友達になりましたよと言外に伝える貴族仕草だ。
「レオネル令息。オベール侯爵令息と友誼を結んだのかね?」
「そうであれば嬉しく思います。初めての友ですので」
「私はそのつもりです、公爵閣下」
「そうか。それは有難いことだ。是非、仲良くしてやってくれたまえ。証言の件も感謝する」
ナタンは恭しく一礼し、子爵親子は歯軋りする勢いで睨んでいる。
おーい、相手は侯爵家だぞ。俺と違ってずっと身分制度がある世界で生きてきてるのに、危機感がなさすぎる。
ブノワが絡んでくるまで一緒にいた他の子たちも証言に名乗りを上げてくれ、閣下は鷹揚に頷いた。
結局、子爵令息は騎士団に連行され、子爵夫人もついて行った。
あの人がお茶会の場にいたのって、王妃の侍女だからじゃないの? 王妃に連絡も許可取りもなく行っちゃったけど、仕事はいいんだろうか。
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