1 覚醒
※2026.9.4 エピソードタイトルを変更しました。
ありふれた日常。
いつもの帰り道、いつもの通学路。
幼馴染の琴音が俺の隣にいて、他愛もないことを話しながら下校する。
「……あー、そうだ。帰り、うちに寄ってってくんない? 姉ちゃんが、借りてた本のお返しっつって冷蔵庫にプリン作ってあるんだ」
「お姉ちゃんのプリン!? やったあ!」
物心つく頃にはすでに、傍に琴音がいた。なんなら赤ん坊の頃から、両家の家族と並んで撮った写真があるくらいだ。
うちの姉をお姉ちゃんと呼ぶのが当たり前になるほど、近い存在。
将来も生涯も、ずっと共にしていくのだと自然に考えていた。そこに何の疑念も湧かなかった。
告白より前に、「いつ結婚する?」という話題が上るくらいには。放課後に制服のまま、二人で有名な結婚情報誌をパラパラと立ち読みして、書店員に二度見されたこともある。
「廉くんも読んだ?」
「読んだよ。少女向けって少年向けとはやっぱり色々違うんだなって思った」
「ふーん、どんなところが?」
「レオネルって奴いたじゃん? そいつの行動とかさ。少年向けだったら、ソフィのために悪役令嬢殺して自害なんて傍迷惑なこと、多分しない。ソフィが好きなら努力でも何でもして王子から奪うくらいのことはするんじゃねぇかな」
いつもの帰り道。
子供達が帰り始めて次第に閑散としていく公園の前を通り過ぎ、カウンターで暇そうにしている店主の姿を喫茶店の大きな窓越しに見て、日に日に天に向かって高く伸びていく養生シートに囲まれたビル建設現場の傍を通りかかり。
「なるほどねぇ。実際、読者の間でも意見は割れてるみたい」
「どんな風に?」
「『純愛・殉教っぽい自己犠牲尊い』と『身勝手な犯罪行為』、だって」
「あ、俺は後者かも。琴音は?」
「私も後者だなぁ。レオネルがソフィに傾倒してたのは学園の皆も知ってたんだから、どうしてもソフィに疑いの目とか非難の目は行くと思うし」
「そもそもヒロインの横恋慕がトラブルの原因なんだから余計にな」
「そうそう」
いつもの通学路、……だった。
ふいに大きな音がして、俺たちの足元に影が差すまでは。
驚いて見上げた頭上に、鉄骨が降って来るまでは。
人々の悲鳴や怒号が響く中、せめて琴音だけでも逃がそうと無我夢中で腕を伸ばして──
──俺は己の喉が発した絶叫に驚いて飛び起きた。
「ぼっちゃま!?」
丈の長いスカートを着た女性が、泡を食って部屋に飛び込んでくる。
「いったいどうなさいました、こんな夜中に……」
「…………」
誰だ、この人。
いや、憶えている。隣室に控えていた乳母だ。名前はドロテ。
心臓が爆発しそうだ。全身にびっしょりと汗をかいている。
気持ちを落ち着けようと肩で息をしながら、俺はぐるりと周囲を見回した。
灯りが落ちた屋内は、自宅のリビングよりも広い。何より暖炉なんて家にはなかった。寝かされたベッドだって、俺が使っていたシングルサイズより明らかに大きい。
何より、見下ろした自分の手。記憶にあるよりずっと小さい。
「……ぼっちゃま?」
怪訝そうな顔をした乳母を、俺はぼんやりと見上げた。
脳内の解像度が、急速に上がっていく。
「こわいゆめ、みた」
何とか返した言葉は我ながらずいぶんと情けないものだったが、悪夢を見た五歳児ならこの程度だろう。
「まあ、左様でしたか。まずはお着換えいたしましょう。明日の大切な儀式の日に風邪を召しては大変ですからね」
「はぁい」
乳母の手を借りてベッドから降り、汗ばんだ寝間着を着替えた。
「お一人で眠れますか?」
水差しからコップに移された水を飲む俺は、乳母の問いかけに黙って頷く。
「では、おやすみなさいませ。レオネルぼっちゃま」
「おやすみ、ドロテ」
扉が閉められたのを確認し、しばらく待ってから俺はベッドから這い出した。
部屋の端、壁の一部に埋め込まれた鏡の前まで行き、まじまじと覗き込む。
「うわー……マジか……」
唇の左下にあるほくろが特徴的な、小さな男の子が鏡面の向こうからこちらを見返していた。
◇◇◇
「まずは状況を整理しよう」
俺は鏡の中の幼子と目を合わせて独り言ちる。最低限でも現状を把握しておかないと、気になって到底眠れそうにない。
さっき見た夢は、現実に起こったことだ。日本人、湯山 廉人としての十七年分の記憶もある。
しかし、その隣に並ぶようにして、別の記憶も存在していた。伯爵令息レオネル・デュマとしての、五年分だ。
この時点で既に生じている問題が一つ。
「……これ、あのレオネルだよな……」
死ぬ直前(十中八九、あの降ってきた鉄骨で俺は死んだんだろう)に話していた小説の登場人物。ヒロインへの叶わぬ恋を抱えて、あろうことか婚約者を奪われた被害者である悪役令嬢に対してテロ行為をかました男。
小説のあらすじは、よくある話である。好意的な言い方をすれば王道、身も蓋もない言い方をすれば陳腐。
有用なスキルを持っていれば平民でも優遇される世界で、貴族が通う王立学園に入学した平民出身のヒロインが王子様と恋に落ちた。しかし王子には公爵令嬢の婚約者がいてトラブルに発展──うん、実にありふれている。
型破りだったのは、悪役令嬢の退場のしかただろうか。
彼女は公衆の面前での断罪だの、婚約破棄されて国外追放だの修道院だの、そんな末路は辿らなかった。馬車から降りたところを、思い詰めた勘助レオネルに刺されて死ぬ。
あ、ここで言う勘助は人名ではなく、「勘違い野郎」を指すスラングのことだ。姉ちゃん曰く、レオネルも立派な勘助らしい。俺も同感。
……姉ちゃんといえば、琴音、助かったかな。上手く難を逃れられてればいいけど。
どうか泣かないでほしい。姉ちゃんのプリン、俺の分も食っていいから。
俺以外の誰かと未来を生きるのは、少し、いやかなり辛いけど、大好きな琴音が寂しく孤独な人生を送るよりはずっといいから我慢する。俺もこっちで幸せになれるよう頑張──
「──いや、琴音の無事を決め打つのはまだ早いな」
無事でいてほしいけれど、やっぱり最悪を想定して動こう。
ここでいう最悪とはもちろん、琴音も俺と一緒に死んで、この世界に転生していることだ。彼女は俺以上に真っ当に生きてたんだから、人間に生まれ変わってると思いたい。というか、流石に人類以外の動植物まで含めてしまうと、人の力では探しようがないから神様お願いします。ほんとマジで。
転生してきているかもしれない琴音を探す。今後はこれが人生の最優先事項だ。見つからないまま爺さんになって死ねたら、その時は「やっぱり助けられてたんだ、俺グッジョブ」と思おう。
「……ただ問題は、原作の勘助テロ野郎が俺ってことなんだよなぁ……!」
しかも奴がああなる原因の起点は、翌日起こると先ほど乳母に明言されてしまった。
大切な儀式の日、というやつだ。
この国では、子供が五歳になったら吉日を選び、最寄りの教会で「スキル顕現の儀式」なる行事をやる。親の義務であり、どんな家の子でもどんな辺鄙な場所に住んでいても、必ずやらされることだ。
そして、平民に有用なスキルが出たら国や教会や有力貴族が抱え込んだりする。なんなら特権階級が普段は汚い臭いと蔑むスラムにいるような浮浪児も、五歳になったら教会へ連れていかれる。そこで良いスキルを持っていれば裕福なところへ養子縁組してもらえる可能性があるので、一縷の望みを持つ子供も多いとか。
もっとも、平民の大抵に発現するスキルはささやかなものであることが多い。雨粒程度の水滴が出せたり、葉っぱ一枚揺らす程度の風が出せたり程度がせいぜいだ。
逆に貴族は強力なスキルを得やすく、万が一卑小な力しか出せなかったら悲惨なことになる。
レオネルはまさに、悲惨になったパターンだった。スキルは顕現したが、使えなかったのである。
更に運悪く双子の弟に剣聖という立派なスキルが現れたので、事あるごとに比べられ馬鹿にされ、家族どころか乳母や乳兄弟からも軽んじられ、学園に通うようになっても「なぜ無能がここにいる」と嘲笑される羽目になった。
そこへヒロインがやってきて優しくされて、彼はコロリといってしまうのである。「逝く」、と書いてもいい。
「…………よし」
何度か深呼吸をして、俺は小さな両手で自分の頬をぺちんと叩いた。
「まずは明日の儀式だ。なんでスキルが使えないのか確認しないと。どうしたら使えるようになるのかも」
そうと決まったら、さっさと寝てしまおう。寝不足だと動く頭も動かなくなるからな。
お読みいただき、ありがとうございました。
悪夢見て飛び起きた五歳児に対して、乳母の対応が塩すぎない? と思われた方、大正解です。




