18 ヴェルニエ公爵の決意
※今回は三人称視点です。
ヴェルニエ公爵は階段の手すりに背を凭れ掛からせるようにして、大きな絵を眺めていた。
屋敷の玄関ホールを見下ろす位置に飾った、家族の肖像画。
「イレーヌ、……シリル、セザール……」
椅子に座って幼いコルネリアを抱いた公爵夫人イレーヌ、その後ろに立つ長男シリルと次男セザール。二人の息子の肩に手を置いた公爵の表情は、今よりずっと若く明るい。
幸せだった頃を切り取って残したような絵画は、外す気にもなれずに今でも一番目立つ場所に大切に飾ったままだ。
後添えを勧めようとする者達は「いつまでも飾ったままでは、新たに一歩踏み出すこともできないだろう」などと言って別の絵と換えるよう勧めてきたが、二、三人ほど縁を切るとたちまち静かになった。
こちらは最初から、忘れる気などないというのに。
とはいえ、あまりにも分の悪い戦いだった。
妻と息子たちを喪い、更にたった一人残った家族である娘まで王家に取り上げられかけていた。
妻子の命を奪ったかもしれない女のいる場所に、女の血を引く王子の妻として嫁がされようとしていた。
しかし。
「我がヴェルニエ家に、新しい風が舞い込んできたぞ」
今日は何と佳き日か。
コルネリアの探し人が見つかった。
前世では幼い頃からずっと一緒にいて、将来を約束していた相手だという。死ぬ瞬間まで娘を守り、その身を以て庇ってくれた男。
娘と同じく十七歳で短い生涯を閉じた彼は伯爵家の嫡子として生まれ代わり、静かに爪を研いでいた。
優秀で礼儀正しく、気概もある。何より、娘を大切にしてくれる実績がある。婿として迎えるのに、これ以上ない令息だった。
娘に言わせると無理をしがちなのが玉に瑕だそうだが、人知れず復讐の機会を虎視眈々と狙って最良のタイミングで完遂してみせた様は聞いていて痛快だった。未来の女公爵を支える者として、ますます好ましい。
そんな彼──レオネル・デュマは、行き詰まり掛けていた調査に大きな進展を齎してくれた。
『妻子が行く予定だった孤児院に、王妃の祖国である隣国の商人から毛布が寄付されていた』
『その商人は寄付の後マイヨ子爵領で死に、火葬されている』
『孤児院を訪問した妻子はこの国では滅多に見ないような奇病に侵され、帰らぬ人になった』
『マイヨ子爵婦人は隣国出身で、王妃の侍女を務める腹心とも言える人物である』
『王妃は妻の美貌を常日頃から妬んでいた』
そして、
『マイヨ子爵家は、今でも公爵家に養子を送り込むのを諦めてはいない』。
今までは、全てがただの点だった。
積み重ねてみれば多少の疑念はあるが、逆に言えば確たる証拠もなく、糾弾したところで言いがかりだと判断されかねない。最悪、王家に対する不敬を咎められかねなかった。
しかし。
レオネルは、公爵から聞いた情報だけで病の症状を言い当てた。彼が前世で住んでいた世界で、毛布を感染源として疫病を故意に蔓延させた事件が実際に起こっていたことも歴史を学んで知っていた。
点が線で繋がった。
暗殺だ。愛しい妻と息子たちは殺されたのだ。高熱と呼吸困難に散々苦しめられたばかりか、二目と見られぬ惨い姿にされて死に追いやられたのである。
幼かったコルネリアに、最期の別れすらさせてやれなかった。公爵ですら、病に感染しては危険だからと火葬前に顔を見るのを止められたくらいだ。今思えば、変わり果てた容貌を見せない配慮も含まれていたのかもしれない。
「愛しい我が妻と子らに、最後に一目会うことすら許されぬというのか!」
押し留めようとする医師が根負けするまで強固に言い張り、感染対策をさせられて彼らの寝室に入った時のことを、未だに夢に見ることがある。その度に、公爵は全身が汗に塗れた状態で飛び起きるのだ。
顔中に現れた豆のような大きさの発疹には膿が溜まり、中央が窪んだ形をしているせいで無数の目玉が肌に浮かび上がっているように見えた。
王都の屋敷を出発した時は、三人とも元気だったのに。
いつものように妻にキスをして、息子たちを抱きしめて、「気を付けて行っておいで」と送り出して。それが今生の別れになるなどと。
かつての美貌は見る影もなく、彼らの遺体に駆け寄ることも許されなかった。同じく感染対策をした護衛達に力づくで止められたからだ。
「あなた様の御身にまで何かあったら、お嬢様は、公爵家はどうなるのです!」
血を吐くような叫びに、我に返った。
コルネリア。今やただ一人残された大切な娘を残して逝くわけにはいかない。危険と知りながらも死病の罹患者がいる場所まで付いて来てくれた忠臣達を、路頭に迷わせるわけにも。
その後、公爵は疑惑に関しては一貫して沈黙を貫いた。葬儀の際も、その後も。あくまでただの病だとして、言葉にも態度にも一切出さなかった。
水面下で調査を進める傍ら、娘を溺愛する父親という印象を周囲に植え付けてコルネリアに仇なそうとする者を牽制し続けた。
すべては復讐と、娘の幸せな未来のために。
「──私もコルネリアも、そなたらのことを忘れたことは一度たりともない」
孤児院に運び込んだ毛布の出所を探る。王妃の傍に潜り込ませた公爵家子飼いの間諜に監視を続行させる。
あの女のことだ、いつまでも尻尾を隠してはおけまい。マイヨ子爵婦人と二人になって酒でも入れば、何か情報を漏らす可能性がある。
今はただ、淡々と全てを進める。必ずや真実を炙り出し、あの女を妻子と同じ目に遭わせてやるのだ。
妻子の遺体は火葬され、療養地となった別荘も遺品ごと燃やした。夜でも赤々と燃え盛っていた焔は、今もこの胸の裡にある。
「我が娘は必ず守ってみせる。イレーヌ、シリル、セザール、どうか我々を見守っていてほしい」
肖像画の妻は、いつもと同じように在りし日と同じ微笑を湛えていた。
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