9 第二騎士団長の所見
※今回は三人称視点です。
第二騎士団長ノエ・オベールは、机の上に散らばっていた報告書を一ヶ所に纏めた。トントンと端を揃え、綴じ紐を通す。
デュマ伯爵家の醜聞についての調査は殆ど終わっていた。あとは表紙を付け、最終確認をして提出するのみである。
調べれば調べるほど、胸糞が悪くなる事件だった。パラパラとめくってページの順番が揃っているかを見ながら、腹の中の苦い空気を吐き出す。
最悪の事態になる前に、被害者である長男レオネル・デュマを保護できたのは不幸中の幸いだった。
「公爵閣下が介入なさるなら、恐らくは大丈夫であろうが……」
公爵がレオネル令息にどのような話、あるいは提案をするのかについては、さすがに詳しい内容は聞けていない。
王家に確認を取って了承されているというなら、それ以上は踏み込む権利がないからだ。第二騎士団長としても、派閥の違うオベール侯爵家の当主としても。
ただ、きっと悪い話にはならないだろうとノエは思っている。
ヴェルニエ公爵は人格者で知られ、王城で起こった事件の時は現場の近くに居合わせていた。娘のコルネリア嬢もスキルを披露する一人であり、彼女のすぐ後が事件の中心人物であるラウル・デュマの順番だったからだ。
「本当に……酷い事件だった……」
幼児が粗相をする、というのは往々にしてよくある。
どれだけ厳しく躾をしていようと、幼い子供の肉体は儘ならないことが多い。だから食べたものを吐き戻してしまったり、厠が合わなかったりといった不幸な事故がたまに起こるし、余程でなければ招待した側もいちいち目くじらを立てたりはしない。「子供を招待するなら、汚されたり壊されたりして困るものは置かない」というのは迎える側のマナーでもある。
けれど、だ。
十歳になった者が、となると話は少しばかり変わってくる。そこまで成長していたら、体調を崩しても周囲の大人に伝えるくらいはできるからだ。突然気を失って昏倒した、というならともかく。
ラウル・デュマは「剣聖」のスキルを持っていたし、将来は直属の部下になる可能性が高かった。だからノエも彼の様子をつぶさに見ていた。勿論、直接顔を合わせて挨拶もしている。具合が悪いようには全く見えなかった。
それが、よりにもよって。
国王と総大司教、国中の貴族、そして同い年の子息令嬢が注目している真っただ中で、ラウルはやらかした。
失態だけなら、まだ子供だからと取り繕えたかもしれない。
子息令嬢が次に一堂に会するのは、学園入学の十五歳。五年もあれば噂は下火になるし、それまでに騎士団に入って手柄の一つでも立てていれば、底意地の悪い連中の囀りも黙らせられただろう。
だが。
彼はその場にいもしない──そもそも、健康なのに登城させていないこと自体が問題なのだが──双子の兄に責任を擦り付けようとしたのである。誰が聞いても言いがかりとしか思えない内容だった。
未熟な子供の発言とはいえ、あまりに度を越した失言。せっかくの祝賀の空気が凍り付いた上に、総大司教の御前でスキルについてあからさまな差別用語まで口から飛び出したとなれば、もはや取り返しは付かなかった。
着替えをするからと両親と引き離されて別室に連れていかれたラウル・デュマの放った口汚い放言の数々には、聞き取りに立ち会ったノエも思わず顔を顰めずにはいられなかった。
一体どんな教育をすれば、あのような歪んだ性根に育つのだろう。デュマ伯爵夫妻に話を聞く場にいたのは副団長だったが、彼も渋面を作っていた。あちらは多少表面を取り繕っていたものの、やはり長男に対する態度に問題があるのは書類に記載された証言内容の端々からもにじみ出ている。
とはいえ、一方の言葉だけを基に物事を判断するわけにはいかない。
何より総大司教が、めでたい祝祭の日に独り留守番をさせられているレオネルを心配していた。このまま彼らを屋敷に帰したら、あらぬ疑いをかけられた味方のいない子供がどんな目に遭わされるか分からない、と。
だから貴族に纏わる事件や問題に対処する役目を持つ第二騎士団が、王命によって身柄を確保するという建前のもとで彼を保護しに行くことになった。
団長自らが向かう必要はなかったが、ラウルの進退について決定する権限を持つ自分こそが真っ先に会っておかなければならないと判断したのである。加害した大人たちに口裏合わせや沈黙を強要される前に。
そしてその判断は間違っていなかった。
伯爵家でノエ率いる一行を迎えたのは、肥え太った使用人たちと、ちぐはぐな服を着せられた痩せた子供。メイドはレオネル令息に紅茶も出さずに部屋を出ようとし、執事は蔑んでいる態度を隠そうともしない。恐れ多くも主人の息子に対して、である。
メイドに関しては、失態に気づいてから部屋を辞するまでの反応や態度を見るに、恐らく彼にお茶を供する習慣がなかったのだろう。こちらや執事の顔色を窺いはしても、肝心の令息には何の気配りもなかった。言語道断の態度が、あの家では罷り通っている。
色褪せた膝丈ズボンとは対照的な新品のシャツは明らかに体形に合っておらず、袖口からは指先だけが出る有様だった。どうせなら手首が見えるまで折り返せばいいのに、という違和感はすぐに解消された。カップを口に付けようとした時に袖が肘へと落ちて、痣のある手の甲が見えたのである。普段からお茶を出していれば、そのようなボロを出すこともなかっただろうに。自業自得だが腹立たしいことに変わりはない。
そんな環境にいながら、レオネル・デュマは礼儀正しく、利発で、己を虐げる双子の兄弟を案じる優しさを持っていた。
同じ両親から同じ時に生まれた双子だというのに、こうも違うのか、と思うほどに。レオネルが弟を庇おうとすればするほど、ラウルの人格や素行に問題があるのだと露呈していくのは皮肉だった。
ふいに扉をノックする音がして、ノエは報告書の束から顔を上げた。入室を許可すると、息子が入ってくる。
「ナタンか。どうした?」
「父上を呼びに来ました。母上が、お茶にしましょうと」
今回の事件の被害者である長男レオネル・デュマと、加害者の中心人物ラウル・デュマは、共にナタンと同じ歳だ。
ふくふくとした子供らしい頬の曲線を見れば、どうしても痩せ細ったレオネルを思い出す。面会に行く時に菓子を持っていくと、とても嬉しそうにしていた。スキル顕現の儀式以降、甘いものは贅沢品だと食べさせてもらえなかったのだそうである。伯爵家の他の面々は軒並み肥え太っているというのに。
教会で暮らして二週間ほどだが、最近は雰囲気が和らいできていて安心した。最も心安らぐはずの自宅で、彼はずっと緊張や警戒を強いられてきていたのだろう。
「わかった。行こう」
公爵家の介入で、せめて菓子くらいは満足に食べられるようになればいいのだが。
書類を机の上に置き、ノエは執務室を後にした。
お読みいただき、ありがとうございました。
第二騎士団長の息子ナタン君は、実は既に登場しています。
「序」で、他の生徒に合流したレオネルに話しかけてきた子がそうです。




