閑話 預言の国 王妃 朝比奈弥生
王妃である朝比奈弥生は、憂鬱な思いを押し込め、微笑んでいた。
どうしてこんなことになったのかしら……。
わたくしは重たく感じる体を何とか支えて姿勢を正し、漏れ出てこようとするため息を嚙み潰した。
揺れる馬車の中。
一人であったなら、誰にはばかるでもなく重苦しい息を吐いていただろう。
窓の外に向けていた視線をちらりと正面に戻す。
そこには役人になった弟が、書類に目を落としていた。
陛下に心酔する弟の目は真剣そのもので、初めての大役を立派に勤め上げようと張り切っているのが見て取れる。
わたくしがため息をつこうものなら、眉を吊り上げて、怒り出すだろう。
わたくしは、窓の向こうに視線を戻した。
流れる景色はのどかな丘と、遠くに見えるのは果樹園だろうか?
まばらになってくる家々も、様々な色形の意思を積み上げた、なんだか可愛らしい家ばかりで、目に楽しい。
でも、わたくしの気分は、進むにつれ、目的地に近づくにつれ、沈んでいくばかり。
ああ、本当に、どうしてこんなことになったのかしら。
魔女の今回の監査役を任じられたのは、ひと月前のこと。
魔女が今この時代に実在していることを知らされらのも、その時。
魔女は、国で一番といっていい重要機密だ。限られたものしか知らない。
わたくしに知らされなかったのも、それは仕方ないこと。そして、王妃という立場に慣れてきたわたくしに知らされらのも。
もう陛下に嫁いで二年経つ。
そろそろわたくしにも、国の裏事情を見せたかったのだろう。
それを許された。
まだ役人として新人の弟が、一緒に任じられたのは、いわばわたくしのおまけ。
それを弟もわかっているはずだけど、それでも期待されたのだから張り切っている。
この子には恐れはないのかしら?
嫌悪はないの?
魔女に対する。検査に対する。
わたくしは恐ろしかったし、今も怖い。
実在した魔女も、魔女が持つ力も。
陛下から話を聞いて、監査を頼まれたとき、わたくしは眩暈がした。
それに、検査そのものにも嫌悪がする。
担当官の話を聞いただけで、気分を害してしまうほどの野蛮な行い。
検査と称した人体実験。あれはそうとしか言えない。
陛下は御存知なのかしら?
魔女がまるで奴隷か動物のように扱われているのを。
あの方は、「会って様子を見てきてくれ」とおっしゃられたけれど、詳しい話をしてくれた担当官とのズレがあるように感じられるのは、気のせいかしら?
陛下は魔女をどう思っていらっしゃるのだろう。
あの方の考えていることが、ずっとわからない。
もう二年も経つのに、わたくしは一向に陛下を支えることができていない。
これでは、わたくしの在る意味なんて……。情けない。
また、ため息が出そうになる。
とうとう窓の外は住宅がなくなった。
視界に広がるのは、広い草原。
「ところで、姉上。陛下とはどうですか?」
書類に目を落としていた弟が、ふいに聞いてきた。
「え?」
ちょうど、あの方のことを考えていたところで、驚いて、つい問い返してしまう。
振り返った先の弟は、じっとこちらを見つめていた。
思わず動揺して、心臓が跳ねた。
わたくしは一瞬唇を食んで、微笑んだ。
「もちろんご覧の通りですわ。それとも、わたくしと陛下の間に、何か問題があるように見えますか?
……子はまだですが、……わたくしも陛下もまだわかいですし、わたくしたちには時間が必要なだけ。
無論、あの方はこれ以上ないくらい素晴らしい方ですよ」
一点の憂いもないという顔をして、実の弟に晴れやかに微笑んで見せる。
嫁いだ瞬間から、わたくしは王家寄りの者。
例え血のつながった家族であっても、弱みなど早々見せてはならない。
大丈夫。
わたくしはちゃんと笑えている。
本当は、あの方との仲は……そう、あまり上手くいっている自信はないけれど。
不安が積もるばかりだけれど。
完璧な微笑みを見せるわたくしに、弟はあきらめたようだった。
1つ嘆息して、「なら、いいですけど」とつぶやいた。
納得している様子ではない。
「くれぐれも、お忙しい陛下を煩わせるようなことはなさらないでくださいね。
姉上は仮にも陛下を補佐するために嫁がれたんですから。
ま、まあ、姉上がどうしても困ってらっしゃるなら、俺が聞いてあげないこともないですけど。
……仕方なくですから!」
「ええ。もちろん重々承知していますよ。あなたに手間をかけさせるまでもありません。
陛下のご負担を減らせるよう、努めていますよ」
微笑んだまま応えると、なぜだか弟は言葉を詰まらせ、不満そうな顔をした。
どうしてかしら?
お望みの答えを返したはずだけれど。
わたくしは、不思議に思って、首をかしげる。
何か間違えたことをいってしまったかしら。
結局、弟は何か言いたげにしつつ、何も口にすることはなかった。
もう間もなく、わたくしたちが乗った馬車は、件の施設に到着する。




