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物語の塔  作者: ck
シンデレラ編
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9/17

第7話 十二時の声 ~シンデレラ編~完結


拍手が、まだ耳に残っていた。


リオは柱の陰で、《三人目の娘》を見下ろした。

招待状を持つ指。色の揺れる衣装。彼女を囲む人々。

重ねた三枚のカードは、確かに娘の絵へ結びついている。


それでも、顔はない。


広間の時計を見た。

針が、十二時へ近づいていた。


この先、物語の娘は舞踏会を去る。

そして、屋敷にいる娘と同じ一人だと分かる。

まだ欠けているのは、そこだろうか。


十二時の鐘なら、どうだろう。

祝祭から去ることと、元の姿へ戻ること。その両方を、一つの出来事としてつなげられるかもしれない。


ここまで、重ねるたびに娘の絵は変わった。

方法そのものが間違っているとは思えなかった。


リオはもう一度、時計を見た。

ほかの場所を探し回る時間はない。

あの鐘を加えれば、残った空白も埋まるはずだ。


カードを本へ戻し、大広間を出た。


廊下では、靴音がよく響いた。

窓の向こうに時計塔が見える。

そこへ通じる渡り廊下を急いだところで、反対側から来る人影に気づいた。


アリアだった。


黒い服の裾に埃がつき、片方の袖には白い筋が残っている。

リオを見ると、足を止めた。

視線が上着から胸元へ、それから飾りのついた靴へ下りていく。


「……何をしているんですか」


「少し、事情がありまして」


「少しには見えません」


リオは自分の袖を見た。

大広間では気にならなかった金の刺繍が、廊下の薄明かりでも光っている。


「アリアさんこそ、どこへ?」


「鐘を探していました。あなたは、時計塔へ行くところですか」


「ええ。ちょうど、あの鐘が必要になったんです」


アリアは、来た方へ顔を向けた。


「あそこには、ありません」


「鐘が?」


「鐘も、打つためのものも。上まで行きましたが、針の裏には何もありませんでした」


窓の向こうでは、時計の針が動いている。

リオは塔を見てから、アリアへ視線を戻した。


「歯車も、振り子も?」


「ええ。部屋は空でした」


アリアは袖の白い筋を払った。

一度では落ちず、もう一度、指で擦る。


「二人と別れたあと、街でもう一度聞いたときは、城の上からでした。城へ入ると、今度は街の方から聞こえた。それで、戻って確かめてもみたんです」


「反響ではなく?」


「建物の陰へ回って聞き比べました。同じ場所の音が反射しているのなら、あんな変わり方はしません」


音を追って、行き来したのだ。

リオが招待や衣装を探している間も、アリアは街と城を歩き続けていた。


「それでも時計塔だけは、確かめておこうと思って」


「空だった」


アリアが頷く。


「なぜ、鐘が必要なんですか」


リオは本を開き、《三人目の娘》を取り出した。


「この娘を、完成させようとしています」


アリアがカードへ目を落とした。


「三人目……?」


「屋敷には、二人の娘しかいないことになっていました。でも、もう一人が暮らしていた痕跡があったんです」


リオは、トマリと屋敷で見つけたものを話した。

一人分多い食器や、煤けたエプロン。壁の中に埋められていた文章。

台所で聞いた、姿のない娘の声。


トマリが手に入れたカードには、顔も名前もなかった。

本には、ほかと色の違う文字で指示が出た。


「十二時までに、この娘を舞踏会へ連れて行け、と。トマリからは、僕が引き受けました」


「それで、その服を?」


「娘の姿が戻れば、連れていけると思いました」


招待を得たこと。

自分で姿を変え、客として大広間へ迎えられたこと。

物語を語り、喝采を受けたこと。

それらをカードにして重ねるたびに、娘の絵が変わったこと。


アリアは最後まで聞いてから、リオの上着をもう一度見た。


「その姿で拍手を受けたのは、あなたですね」


「はい。彼女は、まだ絵の中にしかいませんから。必要な体験を代わりに集めれば、一人の人物として戻せると思って」


言い終える前に、アリアが顔を上げた。

廊下の奥へ目を向け、少し待つ。


リオも振り返った。

舞踏曲が、途切れ途切れに聞こえるだけだった。


「何か、聞こえましたか」


「今は、分かりません。ただ、さっきの鐘にも、声のような音が混ざっていたんです」


「この娘の声では?」


「そこまでは言えません。言葉も聞き取れなかったので」


アリアはカードへ視線を戻した。


「この人のことも、今、知ったばかりです」


リオは頷いた。

鐘を足すことばかり考え、音を追ってきたアリアの話まで、自分の考えに結びつけようとしていた。


「その娘は、舞踏会へ行きたがっているんですか」


「シンデレラなら、そこへ行くはずです」


答えてから、リオは娘の顔を見た。


「……でも、この娘がそう言ったわけではありません」


「屋敷では、何と言っていたんですか」


「今夜は、舞踏会なの、と」


「それに、何と答えたんですか」


リオは口を開き、閉じた。

台所には誰もいなかった。

残された声を聞いたのだと思った。今夜、舞踏会があると答えることは、考えなかった。


「答えていません」


アリアは責めなかった。

カードの絵を見たまま、しばらく黙っていた。


「今も、その返事を待っているのかもしれませんね」


「ですが、まだ顔も声も戻っていない。まずは、完成させなければ」


窓が震えた。

二人は同時に顔を上げた。


一度。


低い鐘の音が、廊下を満たした。


リオの手の中で、娘のカードが震える。

光っていた衣装の縁から、灰がこぼれた。


二度。


リオの袖が裂けた。

布の切れ端は床へ着く前に崩れ、細かい灰になって散った。


三度。


大広間から、歪んだ音楽が聞こえた。

伸びた弦の音に、人々の声が重なる。


リオは黒い本を開いた。

鐘をカードにする。まだ、足せるものがある。

空いている枠へ指を掛けた。


「待って」


アリアが言った。


「今、混ざりました」


四度。


カードの中で、娘の衣装が灰色へ変わっていく。

リオは本から目を上げた。

アリアは窓にも時計塔にも向かず、その場で耳を澄ませていた。


五度。


娘を囲んでいた人々の手が、絵の中からほどけた。

明るかった大広間が暗くなり、華やかな装いだけが浮かび上がる。


自分が与えたものが、消えていく。

その下にある娘の顔は、見えないままだった。


六度。


「少し、静かに」


アリアが目を閉じた。

リオは、開きかけた口を閉じる。


鐘の余韻が床を伝ってきた。

身体の内側まで揺れている。

そのほかには、リオには何も聞き分けられなかった。


七度。


「今夜は……」


アリアの唇が動いた。

聞こえたものを確かめるように、ゆっくりと。


八度。


「今夜は、舞踏会なの?」


目を閉じたまま、アリアが続けた。


「そう言っています」


リオは息を止めた。


自分の耳に届いたのは、アリアが伝えてくれた言葉だった。

だが、覚えている。

屋敷の台所で、誰もいない灰の前に立って聞いた、あの問いだった。


あそこに残された、過去の声だと思っていた。

それが、まだ続いている。

屋敷から離れたここでも、娘は舞踏会のことを尋ねていた。


リオは本を閉じた。


何があれば、舞踏会へ行けるのか。

衣装も、靴も、称賛も、答えなら幾つも浮かぶ。

どれも、読んだことのあるシンデレラのものだった。


九度。


カードを、両手で持ち直した。


「今夜は、舞踏会です」


まず、答えた。

それから、扉の方を見た。


「あなたは、そこへ行きたいですか」


返事はなかった。


リオは待った。

鐘を収めるはずだった本を、脇へ抱えたまま。


十度。


カードの表面から、灰があふれた。

床へ落ちた灰が、風もないのに巻き上がる。

細い腕。裸足の足。色の定まらない髪。


リオの前に、少女が立っていた。


カードの中と同じ、華美な衣装をまとっている。

顔には、まだ目も口も見えない。

それでも、こちらを向いているのが分かった。


「分からない」


声は、すぐ目の前から聞こえた。

言葉のあとに、小さく息を吸う音がした。

アリアが目を開け、少女の方を見た。


「でも、見てみたい」


少女が、舞踏会場へ顔を向ける。

開いた扉の向こうでは、まだ音楽が鳴っていた。


「私も、そこにいていいの?」


リオは手元を見た。

カードは残っている。

描かれた招待状を、少女の指が押さえていた。


すべての娘へ。

城門の前で、そう言ったのは自分だった。


「ええ。これは、あなたの招待状です」


十一度。


少女の衣装が崩れた。

宝石が灰になり、刺繍がほどける。

光る裾が消えて、煤に汚れた灰色の服が残った。


少女は、自分の袖を見た。

裾にも触れ、それから大広間へ顔を戻した。


誰も、彼女を呼んでいなかった。

美しい服も、迎える拍手もない。


リオはカードを左手に持ち、右手を差し出した。


「一緒に行きましょう」


少女は、その手を見た。

すぐには取らなかった。


リオの靴の先で、床に細い亀裂が走った。

思わず、指に力が入る。

伸ばしてつかめば、少女の腕に届く距離だった。


そのまま、待った。


少女の指が動く。

自分から手を伸ばし、リオの手に重ねた。

冷たい指先が、一本ずつ握ってくる。

リオは、そっと握り返した。

かすかな震えが掌へ伝わり、視界が滲んだ。

一度瞬きをして、少女の手を見た。


左手のカードが、光った。


揺れていた輪郭が止まり、顔を覆っていた灰が消える。

誰かに似ているわけではない、初めて見る少女の顔だった。

上部には、一つの名が残っていた。


《三人目の娘》。


リオは、その文字を見た。

名前は変わらなかった。


少女が手を引いた。

リオは顔を上げ、一緒に歩き出した。


床が鳴るたびに、足の裏へ振動が来る。

少女の歩幅に合わせて、リオも足を運んだ。

扉が近づく。

中を見ようとして、少女の顔が少し前へ出た。


扉の前で、少女が止まった。


握っていた指が、ゆっくり離れる。

リオは手を下ろした。


少女は、開いた場所を見ていた。

煤のついた服の裾が、膝のあたりで揺れた。


やがて、一歩を踏み出す。


自分の足で、舞踏会場へ入っていった。


十二度。


最後の鐘が鳴った。


リオの脇で、黒い本が開いた。


――十二時までに、三人目の娘を舞踏会へ連れて行け。


色の違う文字が、端から崩れていく。

黒い粒となり、白いページの上から消えた。

達成を告げる言葉も、新しい指示もなかった。


天井が崩れた。

石の音はせず、灰だけが広間へ降り注ぐ。

人々の姿がほどけ、音楽が途切れた。

窓の向こうで、王城を囲んでいた街が黒く沈んでいく。


少女は広間の中央に立っていた。

消えていく景色を、見ている。


最後に、こちらを振り返った。

その顔には、もう空白がなかった。


リオの足元が沈んだ。

少女の姿も、扉も、灰に覆われて見えなくなった。


◆


目を開けると、リオは巨大書庫の床に立っていた。


果ての見えない書架。

高い天井と、中央の台座。

物語へ入る前と同じ、塔のメインホールだった。


袖を見る。

金の刺繍はなく、塔へ来たときの服に戻っていた。


隣でアリアが身体を起こした。

自分の本を開き、ページの間に指を置いている。

少し離れたところには、トマリがいた。


リオも、黒い本を開いた。

招待や衣装、仮初の姿、喝采。得たカードは、それぞれの枠に残っている。

その中から、《三人目の娘》を取り出した。


灰色の服を着た少女が、舞踏会場へ踏み出す姿が描かれていた。

もう、顔は揺れなかった。


手を取られた右の掌を、リオは見た。

まだ、指の触れたところが分かる気がした。


トマリが近づき、カードを覗いた。


「できたんだ」


「ええ」


トマリは、少女の顔をしばらく見ていた。

それから、短く息を吐く。


「そっか」


預けたカードを返せとは言わなかった。

リオも、ここまでのことをうまく話せる気がしなかった。


「それが、この物語を終わらせたカードですか」


背後から声がした。


リオが振り向くと、灰色の髪をした青年が立っていた。

白と黒を基調とした服。

整った顔をしているのに、少し目を離せば細部を思い出せなくなりそうだった。


青年の視線は、リオの手元へ向いている。

カード全体というより、少女の顔を見ていた。


「ええ。あなたも、今、戻ったんですか」


青年が頷いた。


リオは、メインホールに戻った者たちを見回した。

自分と、アリアと、トマリ。それから、この青年。


四人。

シンデレラの本を囲んでいた窪みも、四つだった。

最後の一つに黒い本を置いたのが、この青年なのだろう。


トマリとは街から行動を共にし、アリアとも王城で再会した。

だが、この青年には、あの物語の中で一度も会わなかった。


どこにいたのだろう。

何を見て、何を持ち帰ったのか。


リオが尋ねる前に、青年が口を開いた。


「そのカードを使うところが見たいです」


平坦な声だった。


「使うところ、ですか」


「はい」


初めて、青年の目がリオの顔へ向いた。


「僕と戦ってください」


わずかな間を置き、続ける。


「小説家、リオさん」


青年が、閉じた黒い本を持ち上げた。

表紙に、白い文字が浮かんでいる。


――絵師、レイト。


リオはその名を読み、手の中の《三人目の娘》を握り直した。


第7話・終


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