第8話 百頁の命
「戦う、というのは……今からですか」
リオが尋ねると、レイトはうなずいた。
「はい」
迷いのない返事だった。
つい先ほどまで、リオたちはシンデレラの世界にいた。
十二時の鐘を聞き、崩れていく王城から、この塔へ引き戻されたばかりだ。
トマリは少し離れ、口を挟もうとはしない。
リオの手の中には、完成した《三人目の娘》がある。
だが、それをどう使うのか。
そもそも、対戦がどのように始まるのかさえ、リオは知らなかった。
「僕は、まだ対戦の仕方を知らないんです」
「受けるなら、互いの黒い本を触れ合わせます。その後は、黒い本が示します」
「それだけで戦えるんですか」
「少なくとも、始めることはできます」
レイトの声は平坦だった。
リオが何も知らないことを責めてもいなければ、気遣っている様子もない。
ただ質問されたことに、必要な分だけ答えている。
「申し込みを断ることはできますか」
「はい」
「断った場合は?」
「何も起きません」
「対戦でなければ、《三人目の娘》は見られないんですか」
レイトの視線が、リオの持つカードへ落ちる。
「カードを見るだけなら、ここでもできます」
「では、対戦なら何が違うんですか」
「それを完成させたリオさんが、どう使うのかを見られます」
「僕が使うところを見たいんですね」
「はい」
レイトは帰還した直後から、リオではなく、その手にあるカードを見ていた。
「あなたも、あの世界にいたんですよね」
「いました」
「でも、僕たちは一度も会いませんでした」
リオが知る限り、レイトは屋敷にも、王城にもいなかった。
「僕は、あなたたちとは違う場所を見ていました」
「違う場所?」
「王城から離れた場所です。僕は、別の目的で動いていました」
レイトはそれ以上説明しなかった。
リオは手の中のカードを見下ろした。
ここで断っても、何も起きない。
だが、三勝しなければ、この塔から出ることはできない。いずれ誰かとは戦わなければならないのだ。
「分かりました。では――」
「待って」
それまで黙っていたアリアが、初めて口を挟んだ。
リオへ近づき、その手の中にある《三人目の娘》を見る。
「あなた、そのカードに何が書かれているか確認したの?」
「まだです」
「自分のほかのカードは?」
「それも、まだ……」
「対戦で何をすれば勝ちになるのかは?」
リオは答えられなかった。
アリアはそこでようやく、レイトへ視線を向けた。
「あなたは、その状態のリオと戦いたいの?」
レイトはすぐには答えなかった。
「違うでしょう」
アリアは続ける。
「《三人目の娘》を見たいから、リオを選んだ。自分のカードさえ確認していない相手と今すぐ戦っても、あなたが見たいものは見られないんじゃない?」
レイトの視線が、再び《三人目の娘》へ落ちる。
アリアはリオを庇っているのではなかった。
ただ、レイト自身が口にした目的と、いま対戦を始めることが噛み合っていないと指摘している。
「では、どれくらい待てばいいですか」
「少なくとも、対戦の仕組みを知って、持ち帰ったカードを確認するまで」
「アリア」
アリアはリオへ向き直った。
「何も分からないまま受けるのは、選んだことにならない」
静かな声だった。
「あなたの、そうやって選んでいるようで何も選んでいないところ、腹が立つ」
アリアが自分へ向けた、はっきりとした苛立ちを、リオは初めて見た。
「誰か、教えられそうな人はいないの?」
リオは塔へ来た直後のことを思い返した。
自分たちより先にこの塔へ呼ばれ、カイとの対戦を終えたばかりだった男。
あのときも、塔から出る条件や、物語からカードを持ち帰ることを教えてくれた。
「サカモトさんに聞いてみます」
「教えてくれると思う?」
「最初にも、僕たちへ説明してくれました。同じように教えてもらえるかもしれません」
それだけではない。
黒い本が示した、サカモトの肩書。
――ゲームプロデューサー、サカモト。
「それに、サカモトさんはゲームプロデューサーです。ルールを理解して、相手に説明することには慣れているはずです。少なくとも、ここにいる七人の中では、一番適任だと思います」
「分かりました」
レイトはあっさりと答えた。
「ここで待っています」
「必ず戻ります」
リオが告げると、レイトは小さくうなずいた。
「私も行く」
歩き出したリオの後ろから、アリアが言った。
「対戦の仕組みを知る必要があるのは、私も同じだから」
◆
サカモトは、メインホールから少し離れた書架の前にいた。
黒い本を開き、何かを確かめている。
リオたちが近づくと、サカモトは顔を上げた。
「戻ったんですね」
「はい」
「それで、何の用ですか」
「教えていただきたいことがあります」
リオはサカモトの前で立ち止まった。
「この塔で行われる対戦のルールを、僕たちに説明してもらえませんか」
「前にも説明したはずです」
「三勝すれば塔から出られることと、二度続けて負ければ死ぬことは聞きました。でも、実際にどうやって戦うのかは知りません」
サカモトの目が細くなる。
「対戦を申し込まれたんですか」
「レイトに」
「なるほど。それで僕のところへ」
「最初に塔の仕組みを教えてくれたのも、サカモトさんでしたから。それに――」
リオは一度言葉を切った。
「ゲームのプロデューサーなら、ルールを整理して、相手に伝えることにも慣れていると思ったんです」
サカモトはしばらく黙ってリオを見た。
「プロデューサーだからといって、どんなゲームのルールでも知っているわけではありませんよ」
「それでも、僕たちよりは詳しいはずです」
「ずいぶん都合よく頼りますね」
カイとの対戦直後に塔の説明を求められた、最初のときと同じ苛立ちが、丁寧な声の奥にわずかに滲んでいた。
それでも、サカモトは二人を追い返さなかった。
視線が、リオの持つ《三人目の娘》へ移る。
「いいでしょう。ただし、条件があります」
「何でしょうか」
「あなたたちがシンデレラの世界で獲得したカードを、すべて見せてください」
「私のカードも?」
「二人ともです。僕はあの物語に入っていない。そこで何が手に入り、どんな効果を持っているのか知りません」
「それを知って、どうするんですか」
「いずれ、僕に使われるかもしれないカードです」
サカモトは当然のことのように答えた。
「こちらが知っているルールを一方的に渡すつもりはありません。説明が必要なら、それに見合う情報を出してください」
親切で教えようとしているのではない。
これは取引だった。
サカモトにとっては、リオたちのカードを知ることにも、それだけの価値がある。
アリアは少し考えてから尋ねた。
「見るだけですか」
「ええ。カードには触れません」
「分かりました。私は見せます」
アリアはそう答えてから、リオを見た。
「あなたは?」
リオは《三人目の娘》を握り直した。
「僕も、その条件でお願いします」
サカモトは黒い本を閉じた。
「では、取引成立です。まず、持ち帰ったカードを見せてください」
リオは手にしていた《三人目の娘》を、サカモトへ向けた。
さらに黒い本を開き、シンデレラの世界で獲得したカードを一枚ずつ取り出していく。
《すべての娘への招待》。
《舞踏会の衣装》。
《仮初の姿》。
《祝祭の喝采》。
《三人目の娘》を含め、全部で五枚。
一つの物語へ結び直された後も、それぞれ独立したカードとして、リオの黒い本に残っている。
サカモトは、まず《三人目の娘》へ目を向けた。
《人物》。
《核心人物》。
必要《頁》、10。《影響値》、0。
「ゼロ?」
記された数字を見て、リオは思わず声を漏らした。
だが、その下には続きがあった。
――この人物を登場させる際、手札にある《物》または《出来事》を1枚以上、使用済みにする。
――使用済みにしたカード1枚につき、この人物の《影響値》を5増加させる。
「一枚なら五。二枚なら十……」
リオの言葉を、サカモトが引き継ぐ。
「四枚なら、影響値は二十になります」
その視線が、残る四枚へ移った。
《三人目の娘》へ統合され、その人生の土台となった、二枚の《物》と二枚の《出来事》。
そのすべてを使用済みにすれば、《三人目の娘》は影響値二十で舞台へ登場する。
「この四枚を使わなければならないんですか」
「いいえ」
サカモトは、効果の記述をもう一度確認した。
「指定されているのは、手札にある《物》か《出来事》だけです。どのカードを選ぶかも、何枚を使用済みにするかも、あなたが決められる。ただし、最低でも一枚は必要です」
最初から影響値二十を持つ人物ではない。
何を、どれだけ彼女へ与えるのか。
それを選んだ結果として、《三人目の娘》の影響値が決まる。
シンデレラの世界で、リオがしたことと同じだった。
一つだけの正しい人生が、初めから用意されているわけではない。
ばらばらの物と出来事を選び、一人の人物へ結びつける。
「強いカードなんですか」
「使い方次第です」
サカモトは即答した。
「十頁を支払ったうえで、手札も使用済みにしなければならない。高い影響値を得ようとするほど、ほかのカードを使う機会を失います」
強くするためには、ほかのカードを使う機会を手放さなければならない。
だからといって、少ない枚数しか与えなければ、十頁に見合う人物にはならない。
「簡単なカードではありませんね」
「ええ。少なくとも、何も考えずに登場させて強いカードではありません」
サカモトは残る四枚にも順に目を通した。
リオがそれらを獲得した経緯までは知らない。
それでも、《三人目の娘》と組み合わせることを想定して作られていることは、カードを見れば分かる。
「アリアさんもお願いします」
アリアは黒い本を開いた。
取り出したのは、一枚だけだった。
《十二時の声》。
鐘の内側に、灰色の少女の横顔が描かれている。
《出来事》。
リオの頭に、あの声がよみがえった。
――今夜は、舞踏会なの?
最後に少女自身の意思を引き出し、《三人目の娘》を完成へ導いた声。
それはリオではなく、アリアのカードとして残っていた。
「私が持ち帰ったのは、これだけ」
アリアはカードをサカモトへ向けた。
サカモトは《十二時の声》に記された内容を読み、リオの五枚と見比べた。
「同じ物語へ入っても、持ち帰るカードは同じではないようですね」
「物語の中で何をしたかによって、変わるんでしょうか」
「恐らくは。ただし、物語を完結させた者が、そこで使われたものをすべて得るわけではない」
《三人目の娘》はリオへ。
彼女を完成させた最後の声は、アリアへ。
同じ結末へたどり着いても、二人が持ち帰ったものは違っていた。
サカモトはしばらく六枚のカードを見つめていた。
やがて、リオとアリアへ返す。
「これで十分です」
「では、教えてもらえますか」
「ええ。約束ですから」
サカモトは自分の黒い本を開いた。
「対戦は、互いの黒い本の表紙を触れ合わせ、双方が同意した時点で成立します」
どちらか一方が望むだけでは、始まらない。
申し込む者と、それを受ける者。
二人が自分の意思を示して、初めて対戦となる。
「成立すると、双方が百の《頁》を持った状態で始まります」
「相手の《頁》をゼロにすれば勝ち、ですね」
アリアが確認する。
「そうです。ただし、《頁》はただの体力ではありません。カードを使うための代価でもあります」
人物を登場させる。
物を所持させる。
出来事を使用する。
そのたびに、カードに記された《頁》を自分で支払う。
「つまり、相手に減らされなくても、カードを使うだけで自分の頁が減っていく」
「ええ。何も登場させなければ相手の頁を減らせない。ですが、登場させすぎれば、自分から敗北へ近づくことになります」
百頁は、その対戦で使える命だった。
同時に、その命を使って何を舞台へ生み出すのかを決めるための数字でもある。
「カードは三種類です。《人物》《物》《出来事》」
サカモトは説明を続けた。
「《人物》は、必要な《頁》を支払って舞台へ登場させます。人物には《影響値》があり、自分のターンの終わりに、舞台にいる人物の影響値を合計する」
「その合計だけ、相手の頁を減らす?」
「そうです」
人物同士が互いを殴り合うわけではない。
舞台に存在する人物が、相手の物語へどれだけの影響を及ぼすのか。
それが数値となり、相手の頁を削っていく。
「《物》は、基本的に舞台にいる人物へ所持させます。影響値を増やすものもあれば、人物へ新しい効果を与えるものもある」
「《出来事》は?」
「使用した時に効果を発揮します。効果を終えた《出来事》は、使用済みになる」
「人物が退場させられた場合は?」
「その人物も使用済みへ送られます。相手の頁を減らす以外にも、人物を退場させる効果や、物や出来事を使用済みにする効果があります」
人物を並べ、影響値だけを競うものではない。
相手の舞台を崩すことも、自分の舞台を守ることもできる。
「《核心人物》は?」
アリアが《三人目の娘》を見ながら尋ねた。
「自分の舞台へ同時に登場させられる《核心人物》は、一人だけです」
物語の中心となる《核心人物》を、いくつも並べることはできない。
誰を物語の中心に置くのか。
それも、対戦の中で選ばなければならない。
「レイトから、対戦を断っても何も起きないと聞きました。断ったこと自体による罰はないんですか」
「ありません」
「それなら、勝てそうな相手が見つかるまで断り続けることもできる?」
「理屈の上では。ただし、対戦できるのは同じ物語へ入った者同士だけです。一度戦った相手とは、二度と戦えない」
サカモトは淡々と答えた。
「三勝しなければ塔からは出られません。誰と戦うか。いつ申し込み、いつ受けるのか。それも含めて、自分で決める必要があります」
誰とでも、何度でも戦えるわけではない。
一度の選択が、その後に残された相手まで変えてしまう。
「手札やターンの進行については、対戦が成立すれば黒い本に表示されます。僕から説明できる基本的な仕組みは、以上です」
サカモトが本を閉じる。
「ありがとうございます」
リオは頭を下げた。
「ですが、まだ自分のカードをすべて確認していませんね」
サカモトはそれだけ言うと、リオの黒い本から視線を外し、自分の本を開き直した。
取引で見せると決めたのは、シンデレラの世界で獲得したカードだけだ。
初めから与えられたカードまで、互いに開示するとは決めていない。
リオは黒い本を自分へ向けて開いた。
そこには、シンデレラの世界で得たものとは別に、十五枚のカードが収められていた。
頁の上部には区分として、《小説家》と記されている。
塔へ来る前のリオが、どのような物語を書いてきたのか。
その積み重ねから作られたカードだった。
最初に目へ入ったのは、《名もなき主人公》。
必要《頁》、5。《影響値》、3。
名前も過去も持たず、読者が自分を重ねるために空白のまま残された人物。
その中に、一枚だけ異なる印を持つカードがあった。
《すべてを背負う英雄》。《核心人物》。
必要《頁》、16。《影響値》、12。
崩れかけた都市を、一人の男が背負って立っている。
周囲に誰もいないのではない。
誰もが、その男を英雄にするための景色として描かれていた。
名前も、舞台も、時代も違う。
それでもリオは、同じ人物を何度も書いた覚えがあった。
すべてを一人で背負い、ほかの誰かが差し伸べる手を拒み、最後には自分を犠牲にして物語を終わらせる英雄。
十五枚のどれにも、見覚えがあった。
そのまま書いたものではない。
けれど、どのカードにも、リオが繰り返してきた構造が残っている。
「これが、僕のカード……」
「いわば初期デッキです」
リオのつぶやきを聞き、サカモトが自分の本から目を上げないまま訂正した。
「物語から一枚も持ち帰っていない者でも、対戦できるように与えられている。ただし、誰にでも同じカードが与えられるわけではありません」
小説家だから与えられたのではない。
小説家として、リオが何を書いてきたのか。
その結果が、この十五枚だった。
黒い本の中で、初期デッキの下に新たなカードが加わっていく。
《三人目の娘》。
《すべての娘への招待》。
《舞踏会の衣装》。
《仮初の姿》。
《祝祭の喝采》。
十五枚に、シンデレラの世界で得た五枚が加わる。
合計、二十枚。
最初から与えられた、自分が繰り返してきた物語。
あの世界へ入り、自分で選び、持ち帰った物語。
その両方を使って、リオはレイトと戦うことになる。
隣では、アリアも黒い本を自分へ向け、自分の初期デッキを確認していた。
リオは、それをのぞかなかった。
アリアも、リオの十五枚を見ようとはしなかった。
「これで、対戦を受けられますか」
サカモトが尋ねた。
リオは二十枚のカードを見つめた。
仕組みを知らないまま、求められるままに受けるのではない。
何を使い、何を支払い、何を失う可能性があるのか。
すべてを理解したわけではない。
それでも、少なくとも今は、自分が何を選ぼうとしているのかを知っている。
「はい」
リオは黒い本を閉じた。
「レイトのところへ戻ります」
第8話・終




