第9話 写せないもの
《対戦を開始します》
二冊の黒い本に、白い文字が浮かび上がった。
《小説家、リオ》
《絵師、レイト》
《頁 100》
百頁。
カードを使うための代価であり、失えば死へ近づく残り時間でもある。
自分の人物を登場させるために、自分の命を削る。
サカモトから説明を受けたときには理解したつもりでいた。
けれど、実際に数字を目の前にすると、まるで別のものに見えた。
向かいに立つレイトは、すでに手札へ目を落としている。
自分の命が百枚の紙へ置き換えられたことに、驚いている様子はなかった。
「始めます」
先攻は、リオ。
最初に選んだのは、一枚の《出来事》だった。
《旅の始まり》
《出来事/必要頁1》
――カードを一枚引く。
黒い本から一枚の頁が剥がれ落ちる。
《小説家、リオ 残り99頁》
新たに手札へ加わったカードを、リオはそのまま選んだ。
《名もなき主人公》
《人物/必要頁5/影響値3》
――自分の舞台に人物がいない状態で登場した場合、カードを一枚引く。
さらに五枚の頁が失われる。
《小説家、リオ 残り94頁》
舞台へ、一人の人物が現れた。
顔立ちは曖昧で、服装にも特徴がない。
名前も、目的も、過去もない。
ただ物語の中心に立つという役割だけを与えられた、誰にでもなれる人物。
《名もなき主人公》が登場するまで、リオの舞台に人物はいなかった。
効果によって、もう一枚のカードが手札へ加わる。
主人公を置く。
そこから、物語を始める。
あまりに当たり前で、使い古された始まり方だった。
影響判定:《舞台の合計影響値 3》
《絵師、レイト 残り100頁 → 97頁》
続いて、レイトのターン。
選ばれたのは、
《見覚えのある人物》
《人物/必要頁3/影響値2》
――登場時、相手の人物を一人選ぶ。
――この人物が舞台にある限り、選んだ人物に記載された特性をすべて得る。
《絵師、レイト 残り94頁》
舞台へ、どこかで見たような人物が現れた。
誰に似ているのかは分からない。
それでも、初めて目にした気がしない。
レイトが選んだのは、《名もなき主人公》だった。
《見覚えのある人物》は、そこに記された特性を得る。
レイト自身が、主人公を作ったわけではない。
リオの舞台にある役割を、写し取った。
影響判定:《舞台の合計影響値 2》
《小説家、リオ 残り94頁 → 92頁》
一度目の応酬では、リオが与えた影響が一頁上回った。
それでも、残り頁ではレイトが二頁多い。
レイトは残り頁を見ていなかった。
視線は、《名もなき主人公》と《見覚えのある人物》の間を行き来している。
リオの二度目のターン。
選んだのは、
《意味ありげな鍵》
《物/必要頁2》
――所持している人物の《影響値》を1増やす。
《小説家、リオ 残り90頁》
小さな鍵が、《名もなき主人公》の手に収まった。
何を開くのかは分からない。
なぜ持っているのかも、まだ書かれていない。
ただ、意味があるように見える。
それだけで主人公は、先ほどよりも重要な人物になった。
影響判定:《舞台の合計影響値 4》
《絵師、レイト 残り94頁 → 90頁》
レイトは、鍵を所持した主人公を見ていた。
続いて、自分の手札から一枚を選ぶ。
《輪郭だけの宿敵》
《人物/必要頁6/影響値0》
――登場時、相手の人物を一人選ぶ。核心人物は選べない。
――この人物の《影響値》は、選んだ人物に記載された元の《影響値》と同じになる。
《絵師、レイト 残り84頁》
舞台へ、黒い人影が現れた。
顔も、名前もない。
主人公と向かい合うための輪郭だけを与えられた人物。
選ばれたのは、《名もなき主人公》。
《意味ありげな鍵》によって増えた分ではない。
人物そのものに記載された《影響値》だけが写し取られる。
影響判定:《舞台の合計影響値 5》
《小説家、リオ 残り90頁 → 85頁》
二度目の応酬を終えたとき、残り頁は逆転していた。
差は、わずか一頁。
けれど、レイトの人物はどちらも、リオの舞台を見てから形を得ている。
主人公という役割も、宿敵の強さも、先に存在した人物から借りたものだった。
「全部、僕の舞台を見てから決めるんですね」
リオが尋ねても、レイトは答えなかった。
一度だけ向けられた目が、すぐに手札へ戻っていく。
聞こえていないわけではない。
まだ答える必要がないと判断したように見えた。
リオの三度目のターン。
手札の中で、一枚のカードが強く輝いていた。
《すべてを背負う英雄》
《核心人物/必要頁16/影響値12》
――《劣化2》自分の影響判定に二回参加した後、その判定終了後に使用済みとなる。
十六頁。
これまでとは比べものにならない代価だった。
それでも、小さな差を積み重ねるだけでは、レイトに主導権を奪われる。
リオは《すべてを背負う英雄》を選んだ。
《小説家、リオ 残り69頁》
舞台へ、一人の男が現れる。
崩れかけた世界の中央に立ち、すべてを救う使命を背負わされた英雄。
かつて、リオが書いた人物だった。
影響判定:《舞台の合計影響値 16》
《絵師、レイト 残り84頁 → 68頁》
残り頁では、リオがわずかに上回った。
舞台の《影響値》には、それ以上の差がある。
レイトは、《すべてを背負う英雄》を見つめていた。
英雄の表情にも、その背後にある世界にも、心を動かされたようには見えない。
何を写せば、同じ強さになるのか。
その輪郭だけを確かめている。
レイトは、一枚の《物》を選んだ。
《砕けた陶器の教会》
《物/必要頁3》
――自分の舞台にあるカードが使用済みになるたび、使用済みとなったカード一枚につき、相手の《頁》を1減らす。
《絵師、レイト 残り65頁》
ひび割れた白い教会が、レイトの舞台に現れる。
続いて、もう一枚。
《誰でもない完成品》
《人物/物/必要頁10/影響値0》
――このカードは、常に《人物》と《物》の両方として扱う。
――登場時、相手の人物を一人選ぶ。
――この人物の《影響値》は、選んだ人物に記載された元の《影響値》と同じになる。
――この人物は《核心人物》として扱わない。
《絵師、レイト 残り55頁》
現れたのは、何も描かれていない白い人型だった。
レイトが、《すべてを背負う英雄》を見る。
それだけで、白い人型が英雄と同じ輪郭へ変わっていく。
《誰でもない完成品》
《影響値 0 → 12》
姿と数字は、同じだった。
けれど、《誰でもない完成品》は英雄の特性も、効果も得ていない。
《核心人物》としても扱われない。
影響判定:《舞台の合計影響値 17》
《小説家、リオ 残り69頁 → 52頁》
自分は《すべてを背負う英雄》のために十六頁を支払った。
レイトは、同じ《影響値》を十頁で手に入れた。
六頁の差がある。しかも《劣化》を持たない。
「同じ影響値なのに、僕より六頁も少ない」
「同じ人物ではありません」
レイトは、自分の舞台に立つ英雄の輪郭を見上げている。
「何が違うんですか」
「僕には、これを描こうとした理由がありません」
欠点を告白しているようには聞こえなかった。
理由がないことも、少ない頁で同じ数字を得られたことも、ただの違いとして並べている。
《見覚えのある人物》は、相手の人物から特性を得る。
《輪郭だけの宿敵》は、元の《影響値》を得る。
《誰でもない完成品》は、通常人物だけでなく、《核心人物》の《影響値》さえ写し取る。
三枚とも、それだけでは力を持たない。
コピーデッキ。
相手が人物を登場させ、形を与えることで、初めて強くなる。
それが、レイトのデッキだった。
「自分から先に作ろうとは、思わないんですか」
リオが尋ねると、レイトは二人の英雄を見比べた。
「完成したものには、答えがあります」
「まだ完成していないものには?」
レイトの指が、わずかに止まった。
「何が正しいのか、分かりません」
その言葉だけが、これまでのどの返答よりも、レイト自身のものに聞こえた。
写すことに迷いはない。
完成したものを選ぶことにも。
けれど、まだ形のないものを前にしたとき、どこへ線を引けばよいのか分からない。
レイトは、正しい形が現れるのを待っている。
だから、相手より先には描かない。
リオの四度目のターン。
新しいカードは使わなかった。
影響判定:《舞台の合計影響値 16》
《絵師、レイト 残り55頁 → 39頁》
その直後。
《すべてを背負う英雄》の姿が崩れ始めた。
この人物が《影響判定》に参加したのは、これで二度目。
《劣化2》が処理される。
リオには、その理由が分かっていた。
一度目は、本気で書いた。
誰か一人では背負いきれないものを、それでも抱えて立ち上がる人物を書きたかった。
二度目は、求められたから似た人物を書いた。
三度目には、何が読者の心を動かしたのかを考えず、反応のよかった部分だけを残した。
強い言葉。
大きな使命。
世界を救う結末。
同じ役割を与え、同じ感情を背負わせ、名前と舞台だけを変えた。
そうして英雄は、何かを背負っている人物ではなく、背負っているように見える人物へ変わった。
色を失った英雄が、文字へ戻っていく。
《すべてを背負う英雄》は使用済みとなった。
リオの舞台に残った人物は、《名もなき主人公》だけだった。
けれど、レイトの舞台に立つ英雄の輪郭は崩れない。
《誰でもない完成品》が写し取ったのは、カードに記載された《影響値》だけ。
英雄が劣化するという効果も、その終わり方も得ていなかった。
リオが十六頁を支払った人物は消えた。
レイトが十頁で同じ数字を得た人物は、舞台に残り続ける。
続くレイトのターン。
新しいカードは使わなかった。
影響判定:《舞台の合計影響値 17》
《小説家、リオ 残り52頁 → 35頁》
残り頁ではレイトが四頁上回っている。
舞台の《影響値》には、十三もの差があった。
「もう終わりですかね。残念です。」
レイトは興味を失った目で舞台を見る。
リオの舞台には、《意味ありげな鍵》を所持した《名もなき主人公》。
レイトの舞台には、《見覚えのある人物》《輪郭だけの宿敵》《誰でもない完成品》、そして《砕けた陶器の教会》。
顔のない主人公の前に、借り物の人物たちが並んでいる。
まるで自分の過去を見せつけられているかのようだった。
「これは、僕が駄目にした人物です」
リオの言葉に、レイトが顔を上げる。
「でも、評価された」
「ええ」
否定はできなかった。
評価された。
求められた。
数字になった。
だから、同じものを書いた。
「だから、やめられなかった」
レイトが、リオを見る。
「あなたも、完成したものを写したんですね」
その指摘は正しかった。
レイトが写しているのは、他人の完成品。
リオが写し続けてきたのは、過去の自分だった。
受け入れられた人物を残し、評判の悪かった部分を削り、名前と舞台だけを変えて、また同じ物語を書く。
写し元が違うだけだった。
リオは、レイトを責める気にはなれなかった。
自分もまた、何が正しいのか分からなくなったから、すでに答えの出た物語へ戻り続けた。
「それでも、まだ書くんですね」
「ええ」
なぜ、と聞かれた気がした。
書けば、また何かを駄目にするかもしれない。
自分の言葉など、もう残っていないかもしれない。
それでも、白紙のまま本を閉じることだけはできなかった。
胸を張れるような理由ではない。
正しいと信じているわけでもない。
「やめられなかっただけです」
それが最後に残った作家としての、意地だった。
リオの五度目のターン。
手札を見る。
《三人目の娘》。
そして、その周囲に並ぶ四枚。
《すべての娘への招待》。
《舞踏会の衣装》。
《仮初の姿》。
《祝祭の喝采》。
シンデレラの世界で手に入れた、《物》と《出来事》。
リオは、《三人目の娘》へ手を伸ばした。
「まだ、書けます」
それは、レイトへの答えではなかった。
自分の手から、まだ筆が離れていないことを確かめるための言葉だった。
《三人目の娘》
《核心人物/必要頁10/影響値0》
――この人物を登場させるには、手札の《物》または《出来事》を一枚以上、使用済みにしなければならない。
――使用済みにしたカード一枚につき、この人物の《影響値》を5増やす。
《小説家、リオ 残り25頁》
黒い本から、十枚の頁が一度に剥がれ落ちた。
リオは、四枚すべてを選んだ。
《すべての娘への招待》。
《舞踏会の衣装》。
《仮初の姿》。
《祝祭の喝采》。
それぞれの効果を使うためではない。
《三人目の娘》を登場させるために、四枚を直接使用済みにする。
一枚ずつ、使用済みの頁へ送られていく。
《使用済みにしたカード 4枚》
《三人目の娘》
《影響値 0 → 20》
舞台の中央に、少女が現れた。
豪奢なドレスは着ていない。
ガラスの靴も履いていない。
名前も、顔も、まだはっきりとは見えない。
それでも、誰かに作られた役を演じるためではなく、自分の意思でそこに立っていることだけは分かった。
「影響値が二十…。」
レイトの瞳にわずかに感情が戻る。
影響判定:《舞台の合計影響値 24》
《絵師、レイト 残り39頁 → 15頁》
一度の判定で、残り頁は逆転した。
それでも、レイトは動揺していなかった。
視線は《三人目の娘》へ向けられている。
続くレイトのターン。
「見たいものを見せていただきました。」
手札から、最後の一枚を選んだ。
《墓のハシバミ》。
《物/必要頁3》
――このカードを使用済みにする。
――自分の舞台にある《物》を一枚選び、一度舞台から離す。その後、そのカードを必要《頁》を支払わず再び登場させる。
《絵師、レイト 残り12頁》
レイトの舞台に、一つの墓石が現れた。
その脇から伸びた細い枝が、《誰でもない完成品》へ絡みつく。
英雄の輪郭を持つ白い人型が、舞台から引き剥がされた。
《墓のハシバミ》は、その役目を終えて使用済みとなる。
《砕けた陶器の教会》の鐘が鳴った。
《小説家、リオ 残り24頁》
舞台から離れた《誰でもない完成品》が、必要《頁》を支払うことなく再び登場する。
白紙へ戻った人型を前に、レイトが新たな対象を選んだ。
《三人目の娘》。
白い人型の輪郭が、小さな少女の姿へ変わっていく。
レイトが見ているのは、《三人目の娘》に表示された《影響値20》。
それを写し取れば、レイトの舞台の合計影響値は25になる。
リオの残りは、24頁。
「これで、終わりです」
レイトの声には、初めて迷いがなかった。
リオは、舞台に現れた二人目の少女を見る。
そして、レイトへ告げた。
「レイトさん。自分の舞台を、もう一度見てください」
レイトの視線が、自分の舞台へ戻る。
白い少女の上に、数字が浮かんでいた。
《誰でもない完成品》
《選択した人物 三人目の娘》
《影響値 12 → 0》
レイトの目が、数字の上で止まる。
「《三人目の娘》に記載された元の《影響値》は、0です」
舞台に立つ二人の少女は、同じ姿をしていた。
けれど、その上に表示された数字だけが違う。
「僕は、シンデレラの世界で四枚のカードを集めました」
《すべての娘への招待》。
《舞踏会の衣装》。
《仮初の姿》。
《祝祭の喝采》。
「招待を受け、衣装をまとい、別の誰かになり、舞踏会で喝采を浴びる。ばらばらだった出来事を、一人の娘の人生として重ねました」
それでも、《三人目の娘》は完成しなかった。
どれも、リオが少女へ与えた答えだったからだ。
「最後に必要だったのは、僕が用意したものではありません」
――今夜は、舞踏会なの?
あの声が、今も耳に残っている。
「彼女が自分から声を上げて、差し出された手を取った。僕がすべてを決めるのをやめて、彼女自身の選択を物語の中心に置いたとき、初めてこのカードは完成しました」
いま《三人目の娘》が持つ《影響値20》も、最初からカードに記されていたものではない。
この対戦で、リオが四枚のカードを使用済みにしたことで生まれた数値だった。
「《誰でもない完成品》が写せるのは、カードに記載された元の《影響値》だけです」
少女を生み出した効果は得られない。
四枚のカードを手放したという行為も、その前に重ねた試行錯誤も写らない。
何より、少女が自ら声を上げ、選んだという過程は、完成したカードの数字には残されていない。
「完成した姿を選ぶことはできても、そこへ至るまでの選択までは写せません」
レイトは何も答えなかった。
ただ、《影響値0》となった少女を見ている。
影響判定:《舞台の合計影響値 5》
《小説家、リオ 残り24頁 → 19頁》
レイトのターンが終わった。
次のターンが、リオへ回る。
新しいカードは使わなかった。
影響判定:《舞台の合計影響値 24》
《絵師、レイト 残り12頁 → 0頁》
白い数字が、ゆっくりと減少していく。
十二。
十一。
十。
最後の一頁が、レイトの黒い本から剥がれ落ちた。
《対戦終了》
舞台にいた人物たちが、文字へ戻っていく。
二人を隔てていた境界が消え、メインホールの床が元の姿を取り戻した。
レイトの黒い本が閉じる。
その表紙に、白い文字が刻まれた。
《絵師、レイト》
《0勝1敗》
リオの本にも、同じように結果が記される。
《小説家、リオ》
《1勝0敗》
《頁 残り19》
勝った。
その事実を理解するまでに、少し時間がかかった。
リオは初めて、塔での対戦に勝利した。
第9話・終
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【対戦記録 リオ VS レイト】
リオ1使用:《旅の始まり》《名もなき主人公》/合計《影響値》3/リ残94頁/レ残97頁
レイト1使用:《見覚えのある人物》/合計《影響値》2/リ残92頁/レ残94頁
リオ2使用:《意味ありげな鍵》/合計《影響値》4/リ残90頁/レ残90頁
レイト2使用:《輪郭だけの宿敵》/合計《影響値》5/リ残85頁/レ残84頁
リオ3使用:《すべてを背負う英雄》/合計《影響値》16/リ残69頁/レ残68頁
レイト3使用:《砕けた陶器の教会》《誰でもない完成品》/合計《影響値》17/リ残52頁/レ残55頁
リオ4使用:なし/合計《影響値》16/リ残52頁/レ残39頁
レイト4使用:なし/合計《影響値》17/リ残35頁/レ残39頁
リオ5使用:《三人目の娘》/合計《影響値》24/リ残25頁/レ残15頁
レイト5使用:《墓のハシバミ》/合計《影響値》5/リ残19頁/レ残12頁
リオ6使用:なし/合計《影響値》24/リ残19頁/レ残0頁
【対戦結果】
勝者:《小説家、リオ》
リオ:最終19頁/1勝0敗
レイト:最終0頁/0勝1敗




