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物語の塔  作者: ck
シナリオ
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12/13

第3話 三人目

扉を押し開けると、暖かな空気が流れ出した。

外の夜気とはまるで違う。


薪の焼ける匂い。煮込まれた肉と香草の匂い。蝋燭の火に温められた、古い木材の匂い。


屋敷は生きていた。


リオは敷居をまたぐ前に、一度だけ振り返った。


鉄格子の門。その向こうに続く石畳。白い壁の家々。空には、巨大な満月が浮かんでいる。


街に人影はない。それなのに、この屋敷の中からは生活の気配がした。


「どうぞ」


トマリが片手を差し出す。


「年長者から」


「三十歳に言われたくないですね」


「覚えてたんだ」


「ええ」


リオは屋敷の中へ足を踏み入れた。


床には赤い絨毯が敷かれている。正面には二階へ続く大階段。左右の壁には風景画と人物画が並び、その下で真鍮の燭台が揺れていた。


豪奢ではある。


だが、城というほどではない。

裕福な商人か、領主の屋敷といったところだろう。


トマリが扉を閉める。


その瞬間、二階から女の声が響いた。


「遅い!」


リオとトマリは、同時に階段を見上げた。


手すりの向こうから、若い女が顔を覗かせている。


髪を高く結い上げ、薄紅色のドレスを身にまとっていた。年齢は二十歳前後だろう。


「いつまで待たせるつもりなの?」


女は階段を駆け下りてくる。


その後ろから、もう一人の若い女が現れた。こちらは水色のドレスを着ている。目元や鼻の形がよく似ていた。


「ちょっと。誰、その人たち」


「知らないわよ」


薄紅色の女が、リオとトマリを交互に見る。


「仕立て屋じゃないの?」


「違うと思う」


「じゃあ、靴屋?」


「見れば分かるでしょう。靴なんて持ってないもの」


二人の視線が、リオたちの手元に落ちる。


リオは何も持っていない。

トマリも同じだ。


ただし、二人の上着の内側には、それぞれ黒い本が収められている。


「どなたですか」


二階から低い声がした。


姉妹の表情がわずかに強張る。


ゆっくりと階段を下りてきたのは、黒いドレスを着た女だった。


年齢は四十代半ばほど。細身で、背筋がまっすぐに伸びている。結い上げられた金色の髪には、一筋の乱れもなかった。


女は階段の中ほどで立ち止まる。


「今夜は客人を招いた覚えはありません」


穏やかな口調だった。


だが、歓迎する気がないことは明らかだった。


リオは軽く頭を下げる。


「突然の訪問をお詫びします。少し、お尋ねしたいことがありまして」


「尋ねたいこと?」


「こちらに、若い女性が住んでいると聞きました」


薄紅色の女が笑った。


「見れば分かるでしょう。住んでいるわよ」


水色の女も、その隣に並ぶ。


「二人もね」


リオは二人を見る。


「お二人のほかに、もう一人いませんか」


姉妹の笑顔が消えた。


薪が弾ける音がした。


「娘は、この二人だけです」


黒いドレスの女は、迷いなく答えた。


リオは、その表情を見つめる。


警戒はしている。

不快にも思っている。


だが、何かを隠しているようには見えなかった。


「使用人は?」


女の眉間に皺が寄る。


「それを聞いて、どうするのです」


「灰かぶりと呼ばれている少女を探しています」


静寂が落ちた。


三人の女は、誰も反応しなかった。


その言葉を知らないというより、耳に届かなかったような沈黙だった。


トマリが横から口を挟む。


「暖炉の灰を被ってる女の子。汚れた服で、家の仕事をしてる。そういう子、いない?」


「いません」


女は即座に答えた。


「この家に、そのような者は存在しません」


――この家に灰かぶりは存在しない。


本に記されていた言葉と、女の言葉が重なる。


「では、ガラスの靴に心当たりはありませんか」


リオが尋ねる。


薄紅色の女が吹き出した。


「ガラスの靴?」


「そんなもの、履けるわけないでしょう」


水色の女も笑う。


「割れたらどうするの?」


「血だらけになるわ」


二人の笑い声が玄関広間に響いた。


黒いドレスの女だけは笑わなかった。


「お引き取りください」


「もう一つだけ」


「お引き取りください」


声が強くなる。


その時、


ギィと音を立て階段脇の扉がひとりでに開いた。

屋敷の奥へ通じる扉だった。


だが、女たちは誰も振り返らない。


廊下に並んだ蝋燭が、一本ずつ奥へ向かって灯っていく。


「リオ、あれ」


トマリが目線で屋敷の奥を指す。


「ええ。彼女たちには見えていないようです」


「追い出したい人と、入ってほしい家が揉めてる」


トマリは肩をすくめた。


「つくづく矛盾だらけだ」


「舞踏会の支度がありますので」


その言葉に、リオは視線を上げた。


「今夜、舞踏会があるのですか」


「ええ」


薄紅色の女が髪に触れる。


「お城で王子様が花嫁を選ぶの」


「街中の娘が招待されているのよ」


水色の女が続ける。


「もちろん、選ばれるのは私たちのどちらかだけど」


「どちらかじゃないわ。私よ」


「その髪で?」


「何ですって?」


二人が睨み合う。


「行こう」


トマリが小声で言った。


二人は、開いた廊下の奥へ進む。


黒いドレスの女に反応はなかった。


廊下へ入ると、背後で扉が閉まった。


直後、玄関広間から姉妹の声が聞こえる。


「ねえ、お母様。今日の夕食は?」


「もう用意されているでしょう」


「誰が用意したの?」


短い沈黙。


女が答えた。


「誰が?」


心から、質問の意味が分からないという声だった。





廊下の先には、食堂があった。


長いテーブルに白い布が掛けられ、銀の食器が並んでいる。大皿には焼かれた肉が載り、まだ湯気を立てていた。


トマリが入口で立ち止まる。


「四人分ある」


椅子は四脚。


皿も四枚。


杯も四つ。


「母親と娘が二人。三人分ではなくて?」


「向かいに客を座らせる並べ方じゃない」


トマリは食卓を指差す。


「こっちが母親。左右が娘。端に、もう一人」


暖炉に近い席だけ、椅子が引かれていた。


皿は置かれている。


だが、料理は盛られていない。


椅子の背には、灰色のエプロンが掛かっていた。


使い込まれ、裾には黒い煤が染みついている。


リオがエプロンに触れる。


「存在しない人間の席ですか」


トマリは、床に視線を落とした。


椅子の下から、小さな足跡が続いている。


裸足の跡だった。


足跡の中にだけ、薄く灰が積もっている。


「灰を踏んだ跡ではありませんね」


「歩いたところに、灰が残ってる」


足跡は食堂の奥にある階段へ向かっていた。


二人は跡を追った。


二階には、四つの部屋が並んでいた。


大きな部屋が一つ。

飾りの多い部屋が二つ。

物置が一つ。


足跡は、廊下の突き当たりで途切れている。


トマリは壁を見た。


それから窓を開け、外を覗き込む。


「危ないですよ」


「外から見たとき、この屋敷、もう少し横に長くなかった?」


「そうでしたか」


「そうだった」


トマリは廊下を歩幅で測り始める。

突き当たりまで進み、また戻る。


「足りない」


「何がです」


「たぶん部屋が一つ分くらい」


壁を指で叩く。


硬い音。


少し位置をずらす。


今度は、奥に空間があるような音が返ってきた。


トマリが壁へ耳を当てる。


「何か聞こえる」


リオも耳を近づける。


ぱらり。


薄い紙が擦れるような音。


ぱらり。


本のページをめくる音だった。


壁紙には、白い花が一面に描かれている。

その花の下から、裸足の爪先だけが覗いていた。


トマリが壁紙の端へ指を掛ける。


「剝がしてみるか」


「確認を取る相手もいませんね」


「じゃ、遠慮なく」


壁紙が破れる。


その下に現れたのは、漆喰でも木板でもなかった。




文字だった。




壁一面に、異なる文章が重なり合っている。


リオは、近くにあった一節を読む。


――少女は母の墓に植えた木へ願い、白い鳥から衣装を与えられた。


その文字を押し潰すように、別の文章が浮かぶ。


――老婆は杖を振り、かぼちゃを黄金の馬車へ変えた。


少し離れた場所には、


――金でできた靴。


――ガラスでできた靴。


二つの文章が、互いを消そうとするように書き換わり続けている。


「こいつはひどいな」


トマリが声を漏らした。


「一人の少女に、すべてが重なっている?」


リオは壁を見つめる。


どの文章にも、少女がいる。


だが、その名に当たる部分が塗り潰されていた。


「だから、誰だったのか分からなくなった」


リオの言葉に重なるように、一階から何かが落ちる音がした。


二人は顔を見合わせる。


「下だ」


トマリが走り出す。


玄関広間へ戻る。


継母たちの姿はない。


二階のどこかから、姉妹が言い争う声だけが聞こえていた。


トマリが足を止める。


「これ」


壁に掛けられた肖像画。

黒いドレスの女と、二人の娘が並んでいる。

二人の娘の間には、不自然な隙間があった。

女主人の片腕も、誰もいない空間へ伸びている。


「最初から、こうでしたか」


「違和感はあった。でも、こういう絵なのかと思った」


空間には、薄く輪郭だけが残っていた。


「三人目の娘」


トマリが呟く。


薄かった輪郭が揺れ、粗末な服を着た少女の形になる。


次の瞬間、髪が薄紅色の娘と同じ形に変わった。


顔が水色の娘と重なる。


リオは息を止める。


「消したんじゃない」


トマリが絵を見たまま言った。


「空けてあるんだ、ここ」


「誰かを入れるために?」


輪郭は、再び見えないほどに薄くなった。


肖像画から灰がこぼれる。


灰は床へ落ちると細い帯になり、廊下へ進んでいった。


「追うよ」


灰は食堂を抜け、台所へ入る。


かまどの前で渦を巻き、そのまま火の中へ吸い込まれた。


炎が大きく揺れる。


次の瞬間、屋敷中の火が消えた。


暗闇。


二階から聞こえていた姉妹の声も止まる。


かまどの奥。


冷えた灰の中から、少女の声がした。


「今夜は、舞踏会なの?」


幼い声ではない。


だが、大人とも言い切れない。


期待しているようにも、怯えているようにも聞こえた。


「誰です」


リオが問いかける。


返事はない。


灰の中央に、一枚のカードが落ちている。


縁が黒く焦げていた。


トマリが腰を落とし、手を伸ばす。


「待ってください」


「触らないと分かんないでしょ」


「危険かもしれません」


「このまま見てても、何も分からないでしょ」


トマリの指先がカードに触れた。


表面に、粗末な服を着た少女が浮かび上がる。


裸足。

長い髪。

顔だけが白い空白になっていた。


次の瞬間、その顔が薄紅色の娘へ変わる。


水色の娘。

見知らぬ顔。


そして、再び何もない顔へ戻った。


トマリが手を離す。


「まだ、決まってないってこと?」


「そう見えます。ただ、誰でもいいという意味ではないでしょう」


カードの上部には名前が記されていた。

だが、文字が重なり合い、読むことができない。


リオの上着の内側で、黒い本がドクリと震えた。


取り出すと、ひとりでにページが開く。


これまで記されていた文章が消え、代わりに新しい文字が金色の光を帯びて浮かび上がった。




――十二時までに、三人目の娘を舞踏会へ連れて行け。



遠くで鐘が鳴った。




一度。




壁の時計は、十一時を指している。




リオは、黒い本の時計を確認した。


最後に見たとき、十一時十五分を示していた本の時計も、今は十一時に戻っていた。


「時間、巻き戻ってるな」


リオは二つの時計を見比べる。


「……あの鐘、時間を知らせていたんじゃあない」


「締め切りだった?」


「ええ。十二時までに、次の段階へ進めということです」


トマリは黒い本を覗き込んだ。


「最初の条件を満たしたから、また一時間に戻ったってことか」


「おそらく……ですが、今度は文字の色が違います」


二人の視線が、金色に浮かぶ文字へ落ちる。


「十二時までに、三人目の娘を舞踏会へ」


トマリはカードを見下ろした。


「次がゴールってことか」


「少なくとも、今はそう考えるしかありません」


リオは、顔のない少女を見つめた。


「誰かをこの少女にする前に、この少女が誰だったのかを確かめる必要があります」


「それが、カードを完成させる条件かもしれないね」


トマリがカードを拾い上げる。


今度は、顔は変わらなかった。


「どのみち、城には行くしかないな」


リオは黒い本を閉じた。


だが、すぐには答えなかった。


「……少し、出来すぎていませんか」


「何が?」


「扉が開いて、足跡が道を示して、今度は行き先まで教えてくれる」


トマリは、手にしたカードへ目を落とした。


「俺たちが見つけたっていうより、見つけさせられてる?」


「ええ。城へ向かうことも、最初から決められていたような気がします」


「でも、行かないと始まらない」


「そうですね」


リオは黒い本の表紙を見つめた。




「それが、一番嫌なところです」




――第3話・終

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