第5話 すべての娘への招待 ~シンデレラ編~
「たぶん――お前が最後の相手だ」
リオは、すぐには答えなかった。
三勝目を懸けて戦う相手、ということだろうか。
トマリの顔には、今ここで勝負を始める気配はなかった。
「最後、ですか」
「今やって、どっちが勝っても納得しないだろ」
「勝敗に、納得は必要ないと思います」
「そういうところだよ」
トマリは笑った。
だが、こちらを見る目は逸らさなかった。
「俺は、お前が何を持って帰って、どう使うのか見たい。こっちも、自分で見つけたもので戦いたいしな」
「だから、別々に探す?」
「うん。城に入ったら、この子のことで終わりそうだろ。俺は、ほかに何があるかも見たい」
門の向こうから、速さの合わない舞踏曲が聞こえてくる。
トマリは一度そちらを見て、リオへ向き直った。
「今は一緒でも、帰るまでには勝ちたいと思う。黙ってついていくのも、嫌だろ」
「先に言われても、困ります」
「じゃあ、黙ってた方がよかった?」
リオは少しだけ笑った。
それも困ると思った。
「分かりました。共闘は、ここまでにしましょう」
「止めないんだな」
「僕も、あなたと戦うのは今ではない気がします」
トマリの眉が少し上がった。
それから、嬉しそうに口元を緩めた。
「だろ?」
上着の内側から、一枚のカードを取り出す。
《三人目の娘》。顔のない少女が、粗末な服の裾を垂らして立っていた。
「じゃあ、これはお前が持っていけ」
「僕が?」
「城まで連れていくんだろ」
リオは差し出されたカードを見た。
共闘をやめようと言い出した手で、今度はこれを渡そうとしている。
「あなたは、どうするんですか」
トマリは、来た道から分かれる路地を見た。
「灯りのついてる家が、まだあるだろ。あっちを一軒、確かめてみたい」
「娘の家ではないと思いますよ」
「うん。でも、誰かが住んでるかもしれない。全員、城へ来てるのかもしれないけど」
路地の奥で、窓からの灯りが石畳を照らしていた。
人影は見えなかった。
「何の話か分かる前に、自分で中を見たいんだ。屋敷の壁を調べたときみたいにさ」
リオは、カードへ視線を戻した。
「本当にいいんですか。あなたが見つけたものですよ」
「だから、渡してるんだって」
トマリがカードを少しだけ押し出した。
リオは手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、抱えていた黒い本がひとりでに開いた。
空白の頁に長方形の枠が浮かぶ。
受け取ったカードを近づけると、その枠へ静かに収まった。
《三人目の娘》
――未完成。
金色の指示も、まだ消えていない。
リオは本から顔を上げた。
「失敗すれば、あなたも帰れないかもしれません」
トマリの本にも、同じ指示が出ていた。
どちらか一人だけが失敗する、と考える根拠はない。
「失敗すると思ってたら渡さないよ」
「そこまで信用されるようなことは、まだ」
「信用するかどうかは、俺が決める」
トマリはリオの手元へ目を落とした。
「お前、台所からなかなか動かなかっただろ。あの子が誰か、まだ確かめたがってた」
リオは、顔を上げた。
「城へ着きました、終わりですって、お前ならしないと思った。それに、あの子をどうにかしたいのは、お前の方だろ」
リオもカードを見た。
屋敷の灰の中から聞こえた声を、思い出した。
今夜は、舞踏会なの?
あの声の持ち主を、今はこの絵の中にしか見つけられない。
「……そうですね」
「任せた」
トマリは王城に背を向けた。
来た道から枝分かれした、細い路地を覗き込む。
「次に会った時は、手は貸さないからな」
「それでも、今ここであなたと戦うよりは、納得できます」
トマリが振り返った。
「勝敗に納得はいらないんじゃなかった?」
「あなたが必要だと言ったので」
一瞬置いて、トマリが声を上げて笑った。
「ほんと、面倒なやつだな」
笑いながら歩き出す。
数歩進んでから、片手を上げた。
「短い付き合いだったな。勝手に死ぬなよ、兄弟」
兄弟。
リオは返事をしかけて、言葉を止めた。
上げられた手が、もう下りようとしている。
「あなたも」
声をかけると、トマリは振り向かずに、もう一度手を振った。
その背が路地へ入り、角を曲がって見えなくなる。
リオは少しの間、そこを見ていた。
本の縁に指を掛けたまま、自分も手を上げればよかったと思った。
城の方で、門が動く音がした。
リオは本を閉じ、そちらへ向かった。
◆
城門の前には、舞踏会へ向かう客が並んでいた。
衛兵が一組ずつ確かめ、門を開けさせている。
直前の客が中へ消えると、再び扉が閉じた。
「招待状を」
順番が来て、衛兵が手を差し出した。
「持っていません」
「では、お通しできません。列を離れてください」
リオは脇へ寄った。
門の横には、王家の紋章が押された布告が掲げられている。
――王子の妃を選ぶため、国中すべての娘を舞踏会へ招く。
屋敷の姉妹も、娘たちは皆招かれていると言っていた。
リオは黒い本を開き、《三人目の娘》を取り出した。
「この娘の付き添いです。彼女も招かれているはずでは?」
リオは、森を抜けた先にあった屋敷の場所を説明した。
衛兵はカードへ目を向け、それから名簿を開いた。
「こちらの屋敷のお嬢様は、お二人です。このような方は記されていません」
差し向けられた頁には、二人分の名前だけがあった。
リオは布告を指した。
「そこには、名簿にある娘だけとは書かれていません」
「お名前は」
「今は、分かりません」
「お名前のない方を、お嬢様として認めることはできません」
衛兵が名簿を閉じかける。
リオは、カードを引っ込めなかった。
「この屋敷には、もう一人分の席がありました。誰もいないのに、服も、歩いた跡も残っていた」
灰の残る足跡。
食卓の端の、料理が盛られていない皿。
肖像画に空けられていた場所。
誰も彼女の名を呼べなくなっても、屋敷からすべてが消えたわけではなかった。
「名前が分からなくても、この娘がいたことは変わりません」
「ですが、名簿に」
「その名簿に載っていない娘は、国中すべての娘に含まれないんですか」
衛兵は口を閉じた。
後ろで、客の靴が石畳を擦った。
リオは掲げられた布告へ、《三人目の娘》を重ねた。
「この招待は、彼女のものでもあるはずです」
カードを押さえた指の下で、紙が震えた。
布告の文字が黒く滲み、一文だけが浮き上がる。
――すべての娘を舞踏会へ招く。
細い文字の帯が、カードの縁を巡った。
少女の輪郭が、わずかに濃くなる。
リオが手を引くと、布告を留めていた金具が弾けた。
紙が壁を離れ、宙に浮いた。
王家の紋章も、舞踏会の日付も、中央へ寄っていく。
風に揺れていた端が硬くなり、雨の染みと皺が絵の中へ収まった。
小さくなった輪郭を、黒い枠が囲む。
《すべての娘への招待》
硬い音を立て、カードがリオの手元へ落ちた。
慌てて受け止めると、紙よりも確かな重さがあった。
表面には、王家の紋章を押された布告と、城へ続く馬車の列が描かれている。
その下に、短い一文が残っていた。
――国中すべての娘を、舞踏会へ招く。
名前を書き込む欄はなかった。
《三人目の娘》を隣へ並べても、招待の文字は変わらない。
リオは二枚を持ったまま、壁を見た。
布告があったところに、留め具の穴だけが残っている。
自分の手で、物語の一部をカードにした。
その実感が、遅れて指へ伝わってきた。
黒い本が開いた。
新しく現れた枠へ招待を近づけると、カードは指先を離れ、ぴたりと収まった。
絵も、文字も残っていた。
リオは少しだけその表面に触れ、隣の頁へ娘を戻した。
衛兵は、本と布告の消えた壁を見比べた。
やがて名簿を閉じ、門の脇へ退く。
「三人目のお嬢様と、その付き添いですね」
リオは顔を上げた。
「はい」
「お通りください」
衛兵の合図で、門が開いた。
奥から音楽と、着飾った人々の話し声が流れてくる。
◆
リオは列の脇へ寄り、本の二枚へ目を戻した。
《すべての娘への招待》は、輪郭の定まった一枚になっている。
隣の《三人目の娘》には、まだ顔がなかった。
――未完成。
招かれていることは認めさせた。
それでも、娘が誰なのかは戻っていない。
このままカードを持って門をくぐるだけで、何かが変わるだろうか。
リオは二枚を取り出した。
門を通ることはできる。それは、今確かめた。
けれど、《三人目の娘》の手には、何も描かれていない。
布告へ娘のカードを重ねたとき、少女の輪郭が濃くなった。
布告から流れた文字は、このカードの縁まで届いていた。
リオは二枚の角を近づけた。
この娘への招待として、重ねてみたらどうなるだろう。
「統合できれば……」
そう口にしてから、手を止めた。
名簿に載っていなかった娘が、招待を受けて舞踏会へ来る。
そこまでは、自分の知っている話の中にあった。
門の奥で、従者が客を大広間へ案内していた。
次の馬車が来る音がして、リオは道を空けた。
試すなら、中へ入ってからだ。
「それに、あの子をどうにかしたいのは、お前の方だろ」
トマリの声を思い出し、娘のカードを見た。
まずは、この招待を渡してみよう。
二枚を本へ戻し、表紙に手を掛けた。
リオは本を閉じ、衛兵へ頷いた。
未完成の少女と、一枚の招待を抱え、次に開いた城門をくぐった。
第5話・終




