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物語の塔  作者: ck
始まり
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3/17

第1話 物語の塔


 暗闇の中を、落ちていた。


 いや、落ちているのかも分からない。

 風はなく、身体に重さも感じなかった。手を伸ばしてみても、壁にも床にも触れない。


「ここは……」


 自分の声が聞こえたことに、少しだけほっとした。

 その直後、別の声が頭の中へ響いた。


『三度、勝利した者は、塔より解放される』


 男とも女ともつかない声だった。

 耳で聞いているのではない。言葉が直接、意識の中へ入ってくる。


『二度続けて敗北した者は、物語にのまれる』


「のまれる、って――」


『自ら物語へ入り、その手段を持ち帰れ』

『持ち帰った物語をもって、互いに争え』


「待ってください。誰と争うんですか」


 返事はなかった。


 暗闇に、白い亀裂が走った。

 光が広がり、足元が抜ける。


 今度こそ、身体が落下した。


 リオは咄嗟に片手をついた。硬い床に掌を打ちつけ、息が詰まる。

 痛みは思ったほど強くなかった。もう片方の手には、黒い本が残っていた。


 顔を上げる。


 重厚な木の書架が、果ての見えない高さまで伸びていた。革装丁の本が隙間なく並び、真鍮の装飾が琥珀色の照明を反射している。

 床は磨かれた大理石。広間の向こうにも書架が続き、その先は淡い光の中へ溶けていた。


 図書館、と口にしかけた。


「これで終わりです」


 張りつめた声が、それを遮った。


 広間の中央で、二人の男が向かい合っていた。

 床を走る光の線。その上に浮かぶ、何枚ものカード。


 一人は、四十代ほどの背の高い男だった。

 姿勢を崩さず、手元の一枚に指を添えている。そばに浮かぶ黒い本には、白い文字があった。


 ――映画監督、カイ。


 向かいの男は、それより若い。

 スーツの襟が乱れ、額に汗がにじんでいた。口元は笑おうとしているようにも、歯を食いしばっているようにも見えた。


 ――ゲームプロデューサー、サカモト。


 サカモトの前には、兵士を描いたカードが何枚も並んでいた。

 カイの手元にあるのは、一枚だけ。


 サカモトが最後のカードを場へ出す。

 兵士たちが、一斉にカイへ迫った。


 カードに描かれていたはずの人間が、歩いている。


 リオは立ち上がりかけたまま、動きを止めた。


 カイは何も答えず、残された一枚を裏返した。


 戦場の中央に、一人の人間が現れる。

 鎧も、華やかな衣装もない。押し寄せる兵士の中で、その姿はあまりに小さかった。


 その人物が顔を上げた。


 兵士たちが止まる。

 整然と並んでいた陣形が崩れ、カードの表面に次々と亀裂が走った。


「何が――」


 サカモトが手を伸ばす。

 光が弾けた。


 彼の前に浮かんでいたカードが、すべて床へ落ちる。

 黒い本が、音を立てて閉じた。


『勝者――カイ』


 サカモトは口を開いたまま、しばらく立っていた。

 それから膝をつき、落ちたカードに手を伸ばした。一枚を拾おうとして、指が滑る。


 カイは自分のカードを本へ戻した。

 広間を出ていく途中、その視線が一度だけリオのところで止まった。

 リオが会釈を返すより先に、男は書架の間へ消えていた。


 少し離れた場所では、女性が口元に手を当てていた。

 リオが目を向けると、彼女は手を下ろし、別の書架へ歩いていく。ほかにもいた人影が、一人、また一人と広間を離れた。


 誰も、床に膝をついた男へ声をかけなかった。


 ◆


「立てる?」


 横から差し出された手に、リオは振り向いた。

 三十歳ほどの男が、腰をかがめていた。服装は整っていたが、片方の袖に白い埃がついている。


「ありがとうございます」


 リオはその手を取って立ち上がった。

 男は空いた手で袖を払った。


「俺もさっき、あそこに落ちた。もうちょっと普通の入口にしてほしいよな」


 笑いかけられ、リオは曖昧にうなずいた。

 男も返事を待たずに、中央のサカモトを見た。


「……あれ、俺たちもやるってことか」


 握った手が、まだ離れていなかった。

 男は気づくと、軽く振ってから放した。


「トマリ。漫画家」


「リオです。小説を書いています」


「よろしく。で、いいのかな、こういうときも」


 今度は、リオも少し笑えた。


「あの」


 若い女性が、数歩離れたところに立っていた。

 黒い本を胸に抱き、二人の顔を見比べている。


「出口、見ませんでしたか」


「いや。そっちは?」


「見つかりません。向こうも、ずっと本棚で」


 彼女は広間の奥を振り返った。

 トマリが肩をすくめかけると、その前に問いが続いた。


「さっきの声は? あなたたちにも聞こえましたか」


「聞こえた。三回勝てば帰れるって」


「耳を塞いでも、聞こえていました」


 女性は本を抱え直した。


「アリアです。曲と、詞を作っています」


「漫画家と小説家と、作詞作曲家か」


 トマリは中央に残った男へ目を向けた。


「映画監督にゲームプロデューサー。仕事の集まりなら、もうちょい歓迎してほしいけど」


「私は、呼ばれて来たわけじゃありません」


「俺もだよ」


 トマリの笑顔が消えた。

 アリアは目を伏せた。


「……すみません」


「いや。俺が、変なこと言った」


 リオは、自分の本を見た。

 さっきの二人と同じように、表紙には名前と職業が出ている。


 小説家、リオ。


 何かを書けと言われたわけではない。

 物語を持ち帰り、互いに争え、と言われたのだ。


 中央で、サカモトがまたカードを取り落とした。

 リオは黒い本を抱え直した。


「僕、聞いてみます」


 何を聞くかは、歩きながら考えた。


 ◆


「手を貸しましょうか」


 サカモトのそばで立ち止まると、男は顔を上げた。


「結構です」


 拾い残したカードが、リオの足元にあった。

 腰をかがめかける。


「そのままにしておいてください」


 リオは手を引いた。


 サカモトは自分でカードを拾い、本に戻した。床へ片手をついて立ち上がろうとしたが、一度では立てなかった。

 リオはもう一度手を出しかけ、やめた。


 男は息を整えてから、ようやく立った。


「新しく来た人たちですか」


「はい。リオといいます」


「トマリ。こっちはアリア。俺たち、何も分からなくて」


 追いついたトマリが言った。

 サカモトは三人の本を順番に見た。


「サカモトです。ゲームプロデューサーをしています」


 乱れた襟を直す。

 その間だけ、仕事の挨拶に戻ったようだった。


「声は聞いたでしょう」


「聞きました。でも、物語を持ち帰るというのが……。さっきのカードのことですか」


 リオが尋ねると、サカモトは本を押さえたまま黙った。

 やがて、アリアを見た。


「あなた方が聞いた説明を、教えてください。省略せずに」


「同じ声だったんじゃないんですか」


「同じかどうか、確認したいんです。知っていることは僕も話します」


 アリアはすぐには答えなかった。

 リオが、暗闇の中で聞いた言葉を順に伝えた。


 三度勝てば解放される。

 二度続けて負ければ、物語にのまれる。

 自ら物語へ入り、手段を持ち帰る。

 持ち帰った物語で、互いに争う。


「二度、続けて。そう言いましたね」


「はい」


 サカモトはうなずいた。

 本の表紙を押さえていた手が、少し緩んだ。


「……変わってはいないんですね」


 誰にともなくつぶやき、それから本を開いた。


 ページの上に、兵士が描かれていた。

 ついさっき、この床を進んでいたのと同じ姿だった。今は、ただの絵に見える。


「この塔から、物語の中へ入れます。そこで人物と関わったり、物を手に入れたりする。条件を満たせば、カードとして持ち帰れる」


 サカモトはページの端を持った。

 指先が震え、うまくめくれない。持ち直してから続けた。


「人物だけじゃありません。物も、出来事もカードになる。それでデッキを組み、参加者同士で戦う。今、あなた方が見たように」


「この兵士たちも、物語の中にいたんですか」


「ええ」


 リオはページに顔を近づけた。

 サカモトが本を引いた。


「見るだけにしてください」


「……はい」


 何が起きたのか、もう少し見れば分かるような気がした。

 だが、本は閉じられた。


「出口は、知らないんですか」


 アリアが尋ねた。

 サカモトは彼女を見て、首を横に振った。


「知っていたら、とっくに帰っています」


 アリアは唇を結び、書架の向こうへ目をやった。

 サカモトも、閉じた本に視線を落とした。


「三勝すれば出られる。それは、全員にそう告げられた。それなら、勝てばいいんです」


「物語にのまれる方は? どうなるか分かってる?」


 トマリが尋ねた。

 サカモトは答えなかった。


 広間の静けさが、急に気になった。


「今ので、一敗なんだよな」


 トマリが続けた。


「次は負けられない、ってことか」


 サカモトの顔がこわばった。

 リオは、トマリとの間に言葉を差し込んだ。


「でも、二度続けて、ですよね。まだ――」


「分かっています」


 サカモトの声が、広間に響いた。


「あなた方に言われなくても、次に負けられないことくらいは」


 リオは口を閉じた。

 励ましたつもりだった、と言えば、さらに傷つける気がした。


「……すみません」


「悪い。俺の聞き方が悪かった」


 トマリも言った。

 サカモトは二人を見ず、襟元へ手をやった。もう直すところはなかった。


 なぜ自分たちなのか。

 誰がここを作ったのか。

 三度勝って帰った者は、本当にいるのか。


 リオは、残っている問いを飲み込んだ。


 ◆


 広間の中央で、低い音がした。


 大理石の床に亀裂が走る。

 トマリが足元を見て、後ずさった。


「おい、また落ちるのか――」


「下がって!」


 アリアの声に、リオも床から離れた。


 割れた床の中央から、円形の台座がせり上がってくる。

 その上には、一冊の本があった。リオたちの持つものより、はるかに大きい。

 古びた革の表紙には、片方のガラスの靴が金色で描かれていた。


 本が、ひとりでに開いた。


 夜の城。

 光に満ちた舞踏会。

 階段を駆け下りていく、青いドレスの少女。


 ページの中央に、金色の文字が浮かび上がる。


 ――シンデレラ。


「……始まった」


 サカモトがつぶやいた。


 台座の周囲には、四つの窪みができていた。

 どれも、黒い本と同じ大きさだった。


「そこに本を置いた者が、中へ入る」


 サカモトは自分の本を握りしめていた。


 誰も、窪みに本を置かなかった。


 トマリは四つの窪みを見比べ、アリアは開かれたページを見つめている。

 リオには、少女の顔がよく見えなかった。


 彼は一歩、台座へ近づいた。


「入るの?」


 トマリの問いに、足を止めた。


「まだ分かりません。まず、何が書かれているのか見たいんです」


 自分の本を抱えたまま、もう一歩進んだ。

 近くで見るページの中では、少女が階段を駆け下り続けていた。


 リオは、そこに書かれた文字を探した。


 舞踏会の奥で、大時計の針が動く。

 短針と長針が重なった。


 十二時を告げる鐘が、鳴り始めた。


第1話・終

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