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物語の塔  作者: ck
本能寺編
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16/17

第14話 それぞれの出陣

「ここは、戻さないんですね」


リオは脚本を開いたまま、冒頭の頁へ指を戻した。


会議室の机には、同じ題名の冊子が二冊置かれていた。

『灰冠都市』。

リオの前の一冊には付箋が並び、向かいに座るカイの一冊には、余白まで書き込みがあった。


「戻しません」


カイが答えた。


「ここで、原作と違う行動を取らせます」


敵として描いた人物の、その最初の行動が変えられていた。

台詞を短くしたのでも、場面を省いたのでもない。

原作では選ばなかった方を、選んでいる。


リオは後ろの付箋を開いた。


「そうすると、この人がここに来る理由がなくなります」


「ええ。だから、その場面には出していません」


「でも、この二人が話さなければ」


そこまで言って、リオは頁をめくった。

代わりの場面を捜し、見つけたところで指を止める。


同じ役を、別の人物へ渡したわけではなかった。

会わなかったことで、その後に選ぶものまで変わっている。


「最後まで、変えるんですね」


「最初を変えて、最後だけ元に戻したら、途中の人間が困るでしょう」


カイは自分の脚本をリオの方へ回した。

一つの場面に、二本の線が引かれていた。


「ここ、最初は原作の台詞を残していました。でも、もう言えなかった。そこまでの行動を変えたので」


リオは書き込みを読んだ。

線の脇に、短い疑問がいくつも書かれている。

なぜ今、それを知っているのか。

なぜ、この相手に話すのか。


「好きな場面なんですけどね」


カイが、消した台詞の上を指で叩いた。


リオは、自分の脚本へ目を戻した。

同じところに付箋があった。

残してほしい、と言うつもりで貼ったものだった。


「原作では、そこまでに、ずいぶん時間をかけました」


「読みました」


カイは机の脇から文庫本を取った。

頁が開き癖のついた場所で止まる。

リオの指していた場面よりも、ずっと前だった。


「この辺りからですよね」


リオは頷いた。


「一度、書き直したんです。あの言葉を言わせたくて、そこまでを急ぎすぎていたので」


「ああ」


カイの顔が、少し動いた。


「その台詞を、削る方には行かなかったんですね」


「何度も考えました。でも、その前を、もう少し書いてみたくなったので」


カイは、開いた頁をしばらく見ていた。


「その話、もっと早く聞きたかったな」


リオも本を覗き込んだ。

自分が書いた文章なのに、打合せで読まれると、直したいところがいくつも見つかった。

それでも、そこを書いていたときに迷ったことは思い出せた。


「映画では、違うところで迷わせたいんです」


カイが脚本へ手を戻した。


「原作を知っている人も、この先は知らない。その状態で、もう一度この人たちを見てほしい」


「それは、分かります」


「分かる、ですか」


リオはペンを取った。

キャップを外し、机の上へ置く。


冒頭を元に戻せば、済む話ではなかった。

もう何人もの人物が、その変更の先で動いている。

そこを一本ずつ切り、原作の場所へ戻すことになる。


だが、この結末を『灰冠都市』として受け取れるのか。


リオは最後の頁を開いた。


打合せの前、自宅で二度読んだ。

一度目は、原作から変わったところに印をつけた。

二度目は、その印を見ないようにして読んだ。


先が気になって、頁をめくったところもある。

読み終えてから、そこにだけ付箋を足せずにいた。

それを面白いと言えば、ほかの変更まで認めたことにされる気がした。


「読者は、どう思うでしょうね」


カイはすぐに答えなかった。


壁の時計が、小さく音を立てた。


「先生は?」


リオはペン先を紙から離した。


「僕は、原作者ですから。映画としての判断は、皆さんの方が」


「映画の撮り方を聞いているんじゃありません」


カイの声が、少し強くなった。

開いていた文庫本を閉じ、また開く。


「これを初めて読んだとき、途中で本を置けなかったんです。誰かが決めるたびに、次が分からなくなった」


リオは何も言わなかった。


「最近の先生の本は、安心して読めますね」


カイは文庫本の端を揃えた。


「途中で、どう終わるか分かるので」


リオは机へ目を落とした。

ペンのキャップが、転がりかけて止まっていた。


「……変わってしまった、と?」


「先生は、どう思っていますか」


同じ問いを、もう一度渡された。


リオは最後の頁をめくり返した。

紙の角が折れ、指で伸ばす。


「原作より、面白くなると思っているんですね」


「思っています」


カイは言った。


「撮り終えたら、先生に、面白かったか聞きたい」


声は静かだった。

けれど、原作者の返事を待つだけの顔ではなかった。

リオの書いたものを机へ置き、自分の脚本をその隣へ並べている。


リオは二冊を見た。


「反発は、あると思います」


「あるでしょうね」


「原作と違う、というだけでも」


「先生の名前があるから褒める、で済ませてほしくないんです」


言い終えてから、カイは息を吐いた。

文庫本へ伸ばしかけた手を、途中で戻す。


「でも、先生とは、その前の話をしたい」


リオはペンを持ち直した。


この場面は、好きだ。

ここは、まだ納得できない。

その結末へ行くなら、途中に足りないものがある。


一つずつなら、言えたはずだった。


しかし、そこを話し始めれば、自分もこの映画の行く先を選ぶことになる。


「少し、整理させてください」


カイが椅子の背から身体を離した。


「今日、決めてほしいところは伝えてあります」


脚本の表紙を押さえる。


「この方向で、準備を進めます。原作へ戻してほしいなら、今、言ってください。そこから話しましょう」


リオは冒頭の付箋を見た。


止めるだけの理由が、ないわけではなかった。

進めてほしいと思うところもあった。

どちらも、口にすれば、カイは理由を尋ねるだろう。


「僕が、口を出しすぎるのもよくないでしょう」


カイはリオを見ていた。


リオは、その目を見返せず、ペンにキャップをした。

乾いた音が、机の上に落ちた。


◆


「リオ。起きて」


肩を揺すられて、目を開いた。


すぐ近くで、何か重いものが地面へ落ちた。

男が怒鳴る。


「そこを空けろ! 通れぬだろうが!」


リオは身体を起こしかけた。

背中の下で、敷かれた筵が鳴った。


アリアが屈んでいる。

その後ろには、粗い板壁があった。

戸口を槍の穂先が横切り、靴の上へ土埃が落ちた。


ツムギがいない。


「ツムギさんは?」


アリアは、肩に置いていた手を離した。


「……自分がどこにいるか、先に気にならない?」


リオは周りを見た。

低い天井。

積まれた縄。

戸口の外に立つ、鎧姿の男。


「隣の小屋。カイもいるわ。二人とも無事。私たちも、ここから動くなと言われている」


「捕まったんですか」


「今のところは、待たされているだけ」


アリアは戸口へ目を向けた。

外の男は、こちらを見ていた。


「砦の外で、兵に見つかったの。あなたは地面に倒れていたから、運んでもらった」


リオは袖にこびりついた土を払った。

身体を動かしても、強く痛むところはなかった。


城で、ツムギと話していた。

それから先を、思い出せない。


「私は道にいたはずなのに、気づいたらここだった。あなたたちも、すぐそばにいたわ」


脇に置かれた黒い本へ手を伸ばした。

表紙を開く。


――本能寺の変の真相を明らかにせよ


同じ文字だった。


「ここは、どこですか」


「善照寺砦、と聞いたわ。今川の軍が来ているらしい」


リオは顔を上げた。


外で馬が嘶いた。

続いて、兵たちが何かを叫ぶ。

今度は、誰かを迎える声だった。


「殿が着かれた」


戸口の男が、首を伸ばした。


◆


鎧の音が近づいてきた。


入ってきた男は、リオを見て足を止めた。

兜を脇に抱え、顔を確かめるように身を屈める。


「名は」


「リオです」


男の目が細くなった。


「やはり、おぬしか」


リオは、その声に覚えがあった。


「那古野で、殿に長々と話を聞かせていたな。灰に覆われた都の話だ」


廊下に膝をついていた、若い男。

待つ者たちのために、話を切り上げてほしいと頼んでいた。


目元には、あのときになかった皺があった。

頬も日焼けし、記憶の顔より痩せている。


「信盛、さん」


「佐久間信盛だ」


男はリオの顔から、服へ目を下ろした。

最後に、黒い本を見る。


「妙なものを抱えた客がおると思うたが……顔まで、そのままとはな」


信盛は、もう一度顔を覗き込んだ。


「倅ではあるまいな」


「本人です」


「ならば、今までどこにおった」


リオは答えに詰まった。


つい先ほどまで、あなたのいる城にいた。

そう言って、信じてもらえるとは思えなかった。


信盛は返事を待ったが、外から呼ばれると、顔を上げた。


「詮議は後だ。殿には伝える」


「会わせていただけるんですか」


「那古野の客だと取次ぐ。あとは、殿がお決めになる」


戸口の兵へ、信盛は顎を向けた。


「刃物はなかったな」


「はっ。四人とも」


「俺が連れていく。勝手に歩かせるな」


信盛は外へ出た。

リオは立ち上がり、アリアとあとに続いた。


◆


小屋を出ると、ツムギがこちらを向いた。


「あ、起きた」


胸の前に抱えていた本が、少し下がった。


「気分は?」


「大丈夫です。ご心配をおかけしました」


隣にカイが立っていた。

リオと目が合うと、一度頷き、信盛の背へ視線を戻す。


四人で、兵の間を歩いた。

草鞋を結び直す男がいた。

仲間の鎧の紐を締め、余った端を押し込む男もいた。


どの手も、忙しく動いていた。


門の方から、二人がかりで男を運んできた。

支えられた足が、地面を引きずっている。


リオは脇へ寄った。

すれ違う瞬間、血を吸った布が見えた。

赤いところへ、男が何度も掌を押しつけていた。


「こちらへ」


アリアに袖を引かれ、リオはようやく歩き出した。


小屋を出て、まだいくらも歩いていない。

運ばれていった男の足が、まだ目に残っていた。


その先に、信長がいた。


少年の細さは、もうなかった。

鎧を着た肩は広く、顔つきも鋭くなっている。

家臣の話を聞きながら、運ばれてきた水を飲んでいた。


信盛が近づき、短く告げる。


信長の目が、リオへ向いた。


「灰の都の話をした者か」


「はい」


「信盛が、妙なことを申すのでな」


空いた器を、脇の男へ渡した。

リオを上から下まで見て、口元を緩める。


「本当に、変わらぬな」


声は低くなっていた。

笑うと、あの少年の顔が重なった。


「今日は、話を聞く暇がない」


「分かっています」


「分かるか。まだ何も聞いておらぬのに」


信長が笑った。

リオも口元を動かしかけた。


兵の一人が駆け込んできた。

信長は、もうそちらを見ていた。


「義元の陣に、動きは」


「なお、桶狭間に」


桶狭間。


リオの喉が動いた。


史実では、今川義元を討ち、信長が勝つ戦い。

そう知っている。

ここでも、その通りに進むとは限らない。


だが、目の前の男たちは知らない。


報告を聞く兵の顔には、笑みがなかった。

兜を抱える指が、縁を白く押さえていた。


「中島へ出る」


信長が言った。


すぐに、家臣の一人が膝を進めた。


「ここを出れば、敵の目に触れます」


「承知しておる」


「この人数で、なお先へ進まれては」


信長は男を見た。


「ここから、義元の首が取れるか」


男は口を閉じた。


信長はもう一人を呼び、道の様子を尋ねた。

答えを聞きながら、腰の紐を引き直している。


「通れるはず、とは何だ。見たのか」


「いえ、先ほど戻った者より」


「そやつを呼べ」


返事を待つ間に、次の男へ顔を向けた。

急かされているのに、家臣たちは途中を省けなかった。

言い終わる前に、信長が足りないところを尋ねていた。


退いてほしいという声も、進むための報告も、耳には入っていた。

その上で、進む方を選んでいた。


リオは、並んだ槍を見た。


少年がもう一度と望んだとき、立ち上がったのは一人だった。

今は、砦中の男が、その一言を待っている。


「信盛。ここを任せる」


「はっ」


信盛は頭を下げた。

先ほどリオを疑っていた顔が、もう別の方へ向いていた。

残す兵を呼び、短く指示を出している。


信長の前へ、馬が引かれてきた。


リオは一歩、近づきかけた。


「信長様」


声が出てから、自分でも驚いた。


信長が振り向く。


「何だ」


勝つ、と言うことはできた。

歴史の本で読んだ結果を、そのまま渡すことはできた。


リオは、馬の手綱を取る男を見た。

まだ若い。唇を何度も舐めていた。


この男が戻るのかは、知らなかった。


「……今川を退ければ、それでよいのではないんですか」


信長は、鐙へかけようとした足を止めた。


「退いた義元は、どこへ行く」


リオは答えられなかった。


「兵を揃えて、また来るぞ」


信長は馬の背へ上がった。

手綱を取り、砦の外へ顔を向ける。


「こちらから、行かねばな」


それから、リオを見下ろした。


「追い返して、また尾張の境で待てと申すか」


その口元に、笑みが残っていた。

今川が来たから仕方なく出るのだと、その顔を見て思うことはできなかった。


リオは見上げていた。

話の続きを待った少年と、同じように前へ身を寄せている。


今、その先にいるのは、まだ倒していない敵だった。


「出るぞ」


槍が、一斉に傾いた。


信長の馬が門を抜ける。


一人、また一人。

話を聞いていた男たちが、刃を持ってあとに続いた。


リオは、その列から目を離せなかった。


第14話・終

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