第六話
「いらっしゃい」
店を覗くと奥のカウンターからしわがれた声が聞こえる。窓が無いために店内の明かりはランプだけ。カウンターに置き型のランプがひとつ、右の壁には吊るし型のものがふたつ灯してあり、ふたつのランプは棚に並べられた商品を明るく照らすものだった。
カウンターの向こうには一人の人物が座っている。商品棚とは違い、こちらのランプは人物から離れている。薄暗くて顔はよく見えなかったが、これが噂のエディットなる人物だろうとエリザベスは思った。
「あの、失礼いたします……」
彼女は最初こそ、こわごわゆっくりと店の中に入ったが、視界の端に商品が入ると急に素早くなった。
「あら、なんて立派!」
カウンターに向かっていたはずの足が90度曲がり、商品棚に向かう。彼女は下の棚に置いてあった大きめの鉄鍋を繁々と眺めた。
(綺麗な鍋肌ね。たぶん新品だわ。でもこの値付けだなんて……)
値札が鍋の取っ手に結び付けられている。値札にはエリザベスが想像していた値段の7割程度の数字が書かれていた。彼女はその安さに思わず鍋を両手で持ってみる。
(うーん、重い! 立派な鋳物だわ! これは一生物どころか、子供の代まで受け継げそう)
「随分と珍しい客だね。その鍋を買う気はあるのかい?」
鋭い声がエリザベスの身体を刺すように響いた。彼女はギクリと身をこわばらせ、それでも鍋を傷つけないようにそっと置き、振り向く。
はたして、声の主は先ほど見かけた時から微動だにしていないようだ。
「ご、ごめんなさい、お金も無いのに触ってしまって。でも良い品なのにあんまりにも安いものですから、つい……」
エリザベスが謝罪と言い訳をすると、カウンターに座る店主の眼鏡の奥がキラリと光った気がした。
「ふん、お嬢さん、これが良い品なのに安いと言うのかい?」
「ええ、これだけの鋳物なら王都ではもっと高値で売れますわ。このまま馬で運んでも利益が出るかもしれません」
「アンタ、王都から……来たんだろうね、その格好じゃ」
店主はエリザベスのデイドレス姿を一瞥して、言葉の途中からは決めつけて言った。その後は、急に改まった口調になる。
「それで? 身分のある御婦人が、こんな下町の小さい店に何の御用でしょうかね?」
この時、エリザベスは気がつかなかったが、あとから考えると店主の切り替え方は少し不思議なものだった。おそらく貴族階級と思われる娘が大きな鍋の値踏みや王都での売値の話をするだなんて普通では考えられないことなのに、会話のなかで疑問を挟まなかったのだから。
でも、店主にとってはそれはさして重要なことではなかったのだろう。
それに、この後エリザベスは自らの立場を明かしたのだ。商売を少しかじっていることも。それで小間物屋の店主エディットにとっては充分だったのかもしれない。
「私の名は、エリザベス・シェーンバーグ。王都で商会を営むシェーンバーグ男爵の妹です。実は古着屋のご主人からここの噂を聞いて訪ねましたの。貴女がエディットさんでよろしいかしら?」
「ああ、私ゃ、確かにエディットです」
「エディットさんは、女性の悩み相談を受けていらっしゃるとか」
「……ふん」
エディットの銀縁眼鏡がランプの明かりを反射する。
「私なんかが男爵令嬢様のお悩みに答えられますかねぇ? 私の専門は、下町の女たちに、恋人やら結婚生活やらについて世間話をする程度なんですがね」
「!……まさに適任だと思いますわ。私、もう結婚したくないんですの」
エリザベスは一度目の結婚生活の失敗と、本当は商会の補佐をしたかったのに義姉が次の縁談を仕組んだことを打ち明けた。流石に「縁談の相手がこのメイサの街の領主だ」ということは伏せたが。
「……今日が顔合わせの予定だったのですが、途中立ち寄ったこの街で、私は父のもとから逃げ出したのです」
「なるほど。それで行き場がなくなり独りでこんなところにやって来たと」
「はい」
「……」
ここにきてエリザベスは老女の顔以外が初めて動くのを見た。と言っても、大きな動きではない。カウンターに作り付けの引き出しを開けて中にあるシガレットホルダーを取り出したのだ。エディットはそれに煙草を刺すと、ランプの覆いを外して煙草を近づけ、火をつける。
彼女が息を吸い込むと、暗い部屋の中で煙草の火が赤くチリチリと生き物のように蠢く。エリザベスはその様子を固唾を呑んで見つめていた。
煙草をひと吸いして。ふー……と、細く長い息とともに煙を吐き出してから、エディットはこう言った。
「悪いことは言わないから、お帰んなさい」
「!」




