第五話
この話からはカクヨムさんに投稿したものとは違い、企画のために加筆した箇所に入ります。
脇道に何度も入るうちに、やがて華やかだった街の様子がありふれた地味なものに変わってくる。下町に入り込んでいたのだ。
それでも、まだスラムまでは行き着いていないせいか、辺りの治安は悪くなかった。道端に物乞いや浮浪者も見当たらないし、何より身の危険を感じない。
供も付けず、ボンネットにデイドレス姿のエリザベスは下町から明らかに浮いている。しかし彼女を不思議そうにじろじろと見る人は何人もいても、声をかけたり強引に連れ去ろうとする人はいないからだ。
(目抜き通りが華やかなだけではなくて、裏側はちゃんと落ち着いた街なのね。伯爵様がやり手だというのは、きっと本当なんだわ)
エリザベスは感心した後、コゼット伯爵に少しだけ申し訳ない気持ちになった。が、これはあくまでも縁談がまとまる前の顔見せ段階のはずだ。
縁談は水面下で動いていたし、双方どちらかの関係者が暴露でもしない限り噂になることも無い。
……そして双方共に、このことは公にしたくないだろう。「婚約者候補に逃げられた伯爵」「婚約をしたくなくて街で行方をくらませた令嬢」の噂など、両家にとって恥でしかないからだ。
そこまで考えて、エリザベスは伯爵への罪悪感を有耶無耶にすることにした。自分がとんでもない不義理をしたことは重々わかっている。だが、これは父や義姉に対するせめてもの抵抗の証だ。彼女はどうしても義姉の思い通りにはなりたくなかったのである。
(きっと伯爵様は今後、うちの商会とは取引をしなくなるでしょうね。そのほうがいいわ。あんな粗悪品に平気で高値を付けて売る店なんて……)
そう考えながら彼女は下町の商店が並ぶ、比較的大きな通りを歩き店先を眺めていく。古着屋の看板を見つけると躊躇なく中に入った。
「いらっしゃいませ!」
「私が今着ているドレスを買い取ってくれる? そして適当な服が欲しいの」
父親の元から逃げ出したエリザベスには、手持ちの金は全くない。更に今、身に着けているドレスは目立つから父に見つかってしまう可能性もある。だからドレスを換金し、町娘の着るような服を手に入れようと考えたのだ。
だがしかし、愛想よく出迎えの挨拶をした中年の店主は、エリザベスの姿を一目見た途端、愛想を脱ぎ捨てて冷たい声になった。
「うちでは買い取りできません。お引き取りを」
「何故!?」
当てが外れたエリザベスは、着ているものをよく見てもらおうと店主に二歩、三歩と歩み寄り、言いつのった。
「近くで見れば分かるけど、この布はとても質が良いのよ。デザインだって悪くないし、結構な値が付くはず。確かな品よ!」
「本当に確かな品ですか? 出どころが怪しくないと?」
「!」
間髪を容れず言い返した店主の、口調と目つきの鋭さにエリザベスは一瞬怯む。
「お嬢さんのドレスの質の良さは、近くで見なくたってわかりますよ。俺はこれでも長年この仕事をしてきて、いずれは目抜き通りに店を持ちたいと思ってる身ですからね」
「じゃ、じゃあ……」
「だからこそ、買い取れません。こんな下町の店に身分の高そうな女性がおひとりでやってきて、着てるものをそっくり売るなんざ、ただ事じゃないでしょう? ほいほいとドレスを買い取れば後でどんなトラブルに巻き込まれるかわかったもんじゃない」
「……」
エリザベスは俯き、手袋をはめた両手をぎゅっと握り合わせた。あまりにも自分が愚かだったと思い知らされたのだ。
彼女は商売が好きだからこそ、身につけたドレスの純粋な価値のことしか頭になかった。でもそれは、実家の商店が怪しいものを取引したり中古品を売らないという信頼やスタンスがあったからこそ、出来上がった価値観だ。
お金を手っ取り早く作りたいからとドレスを売った後にどうなるかまでは考えが及んでいなかった。
もしも父が古着として売られているドレスを見つけたなら。「エリザはこの街で誘拐や人身売買などの犯罪に巻き込まれた可能性がある!」と騒ぐかもしれない。
そうなればこの店の主人はもちろん、ひいては街を治める伯爵にまで更なる迷惑をかけることになるだろう。
「……ごめんなさい。私が浅はかだったわ。このお店はとても誠実な商売をされているのね」
彼女の足元を見て安く買い叩くことだってできただろうに、この店主は最初から買い取りはできないと突っぱねた。更に、食い下がるエリザベスに理由も告げたのだ。そんな事をしても一文の得にもならないのに。
彼女は商売人の端くれとして、古着屋の主人に素直に敬意を示した。
すると、店主の冷たかった雰囲気が少し和らぐ。
「お嬢さんも何か訳がお有りなんでしょう。俺じゃあ力にはなれませんが……エディットさんなら、もしかしたら」
「エディットさん?」
「この先で小間物屋をやってるばあさんなんですかね。店が女たちの悩み相談所になってるそうですよ。下町の女と高貴なお嬢さんとでは悩みの質も違うかもしれないが」
「ありがとうございます!」
エリザベスはお礼を言って古着屋を出ると、通りで小間物屋を探した。程なく目当ての店の看板が見つかる。
小さな店は窓のひとつも無い石積みの壁に確りした樫の木の扉と、飾り気の無い外見だが重厚で堅実な雰囲気を漂わせている。
扉を押してみると予想通り重めだったけれども、若い女性でも押せないほどではなかった。




