第二十九話 エディットの帰還
「今日はなんの用ですか?」
「まあ色々と用件はあるんですがね。まずは土曜日のお礼を言わなくては」
アーノルドは軽く頭を下げた。
「ありがとうございました。お陰で大変助かりましたよ」
「ああ、手配した女の子を隣の子爵様のパーティに連れて行ったと聞いてますよ。そして貴方の正体もね」
エリザベスはわざとそらっとぼけた。今の自分は師匠の変装をしている。エディット本人でないのはバレているが、パーティに行った女とはあくまでも別人で押し通すつもりだからだ。
「ええ。僕は爵位を継いだ説得力を持たせる為に婚約者を連れて行く必要があったんですよ。だから彼女には『隣でニコニコしているだけでいい』と言った。……ところがですよ」
「?」
「貴女が紹介してくれた女性は随分と面白いひとでしてね。ホストの子爵夫人を危機から救い、親身にアドバイスまでしてくれた。まるで貴女のようにね」
「!」
エリザベスはヒヤリとしたが顔には出さなかった。
「へぇ、そう……」
「しかも彼女は手品まで使ってみせた。見事な手際で、本当に低木の根元に僕のカフリンクスが落ちていたのかと思うほどでした。あれは何も持っていない右手にわざと注目させる動きをして、実は左手に隠していたのかな?」
榛色の瞳がいたずらっぽく煌めき、彼女を射抜いた。再び彼女の胸の動悸がどくどくと速くなる。
アーノルドの推測は図星だ。エリザベスはハンクやその下の孤児たちに空き時間で読み書きを教えていた。そのお礼に(?)、彼らのスリや視線誘導の技術を教わったのである。
……まあ、そのスリの技術はもう使っては駄目よ、とこんこんと言い聞かせたうえで、彼らと知恵を絞って簡単な手品を編み出したのだが。
余談だが、下町の大きい通りでは休日に孤児たちが手品を披露することで、僅かながらも小銭を稼ぐことができているらしい。
「そ、そう。それは知らなかったわ……」
「ほう? 知らないんですか。まあいいでしょう。彼女の大活躍のおかげで想像以上に事が上手く運びましてね。メルトバレー子爵家はもうすぐ代替わりするそうです。新しい子爵はまだ若いですが事業面は母親である元子爵夫人が、精神面は奥方がサポートしてくれますから何の心配もありません」
「へえ、そうなの。今の子爵はどうなるの? 不誠実な男だったんでしょう?」
「今までと変わらずですよ。夫人とも離婚せず、屋敷で過ごすらしいです。爵位を息子に譲れば彼に近づく女性はいなくなるでしょうから、今後は大人しくなるんじゃないですかね? 尤も、夫人の方は愛が冷めはじめたようですが」
「……え!? だってあんなに……」
「あんなに?」
アーノルドに返されて、彼女はハッと口に手を当てる。どうにかこうにか、誤魔化しの言葉を絞り出した。
「あ……あんなに何度も、手配した子に説明されたんですよ。子爵夫人は夫を深く愛していた、って」
「その愛がしぼむほど子爵の本性を見せつけられましたからねえ。僕も相当彼をやりこめましたが、それより前に彼女が夫人を説得したのも大きかったのかもしれません」
「は、はぁ……そうですか」
いや、子爵夫人は情が深くて賢い……それに加えて今までは堅実で真面目で、慎ましく品行方正だった。
でももしかしたら今回のことで、ちょっとずる賢さを覚えたのかもしれない。夫に愛想を尽かしたふりをすれば、きっとあの子爵なら慌てて夫人を抱きしめ、涙と愛の言葉を降らせまくるだろう。
そうやって夫人は上手く夫を転がすのではないか……死が二人を分かつまで。
エリザベスがそんなことを考えているなど、アーノルドは気づいていないようだ。まあ彼は今まで縁談も寄ってくる女性も全て、逃げるか蹴散らすかしていたらしいから、そういった男女の機微などはわからないのだろう。
彼はご機嫌で話を続ける。
「まあそんな訳で、僕は土曜日に出会ったあの女性があまりにも面白いんで気に入りました。だから嘘を誠に変えることにしようと決意しまして!」
「?」
首を傾げかけたエリザベスに、アーノルド・コゼット伯爵は衝撃的な言葉をぶつけたのである。
「僕は婚約者であるエリザベス・シェーンバーグ前男爵令嬢に改めて結婚を申し込もうと思うんです」
「…………は?」
エリザベスは気の抜けた声を出してしまった。こんな声を出したのは、彼が5日前に「自分がコゼット伯爵本人だ」と告白した時以来である。
その時、裏口の扉がバタンと開き、低めのはっきりした声が通った。
「ただいま〜。エリザ、いるのかい?」
「師匠!?」
彼女は弾かれるように立ち上がり、店の奥へ駆け寄る。夢でも幻想でもなく彼女の師匠が裏口の扉の前に立っていた。
エディットだ。やっと小間物屋の老店主が帰ってきた。エリザベスの目に熱いものがじわりとこみあげる。
「師匠……おかえりなさい。今までずっとどこに行ってたんですか!?」
「え? どこって……」
エリザベスが自分と同じ姿に変装し、しかも予想もしていなかった質問を浴びせてきたことに目を丸くしてぽかんとしたエディット。
だがすぐに深い青の目が眇められ、鋭い光がキラリと宿る。
次回最終話です




