第二十六話 グレーのルビーの秘密
すみません。メルトバレー子爵令息の名前を出さないと今後の会話が不自然になりすぎるので「ジャック・メルトバレー」に決めました。
それに伴い、過去の話にもジャックの名前を少し挟むよう改稿しております。
「それは……流石に言えませんが、子爵様に注いでいた愛を少し減らしてみても良いのではないでしょうか」
ここにきてエリザベスは言葉を濁した。
流石に「夫の気を引くために逃げてみろ」と言うのは、いささか子爵家の家庭事情に介入しすぎではないかと思ったからだ。
それにローズのような街の女なら、身分もないし近くに住んでいるのでいくらでもフォローできる。しかし子爵夫人とは、この偽婚約者の仕事が終われば二度と会うこともないだろう。
夫人が宝石産業から手を引けば子爵家もめちゃくちゃになるだろうし、あまりにも無責任なアドバイスになってしまう。
「ああ、それについては僕からもお話が」
エリザベスの躊躇いを見抜いたかのように、絶妙なタイミングでアーノルドが横から口を挟む。
「夫人。パーティが始まる前、ジャックから今後のことについて相談がありませんでしたか?」
「え、ええ……そうです。でも何故ご存知なの?」
「僕は以前から彼に相談を受けていました。子爵の前では今日久しぶりに会ったように見せかけていましたがね。メイサの街や、こちらの領内で何度か会談をしていたんです」
「え」
エリザベスは驚きを隠せず横にいる男を見た。玄関ホールで子爵令息との再会を喜ぶ姿はあまりにも自然で、今暴露されなかったら疑うこともなかったろう。
(やっぱりこの男、信用できない……!)
しかし、そう思ったのは彼女だけらしい。夫人は感心したように言った。
「ああ、そうでしたの。……そうですよね。そちらに流す宝石の件は、去年から息子に任せていましたもの」
「ええ。それで彼から気になる話も聞いていたので遅かれ早かれ愛人が乗り込んでくるのではないかと心配していました。思ったより早く来ましたがね」
と、その時。背後の扉が乱暴に開けられた。
「ここにいたのか! おい、余計な口を挟みおって! 息子の次は妻を誑かそうとしたんだろうが、そうはいかんぞアーノルド!」
振り返ると顔を真っ赤にしたメルトバレー子爵が仁王立ちになっていた。後から「親父!」と息を弾ませて待機室に飛び込んできたのはジャック・メルトバレー子爵令息である。
子爵はアーノルドを睨みつけたが、彼は涼しい顔をして応える。
「おやおや、これは聞き捨てならないな。僕は夫人を誑かしたりしませんよ。なにせ、こんなに素敵な婚約者がいるんですから」
彼は横目でエリザベスの方をちらりと見た。その口角がニヤリと上がったような気がしたのは彼女の被害妄想だろうか。
「誤魔化しても無駄だ! ジャックに家督を継げとお前が唆したに決まってる。そして妻には離婚を勧める気だろう!」
「唆したのではありませんよ」
ゾッ……と、エリザベスの背中に冷たいものが走った。こんなに感情の無い、冷たいアーノルドの声を聞いたことがなかったからだ。今日はもちろん、彼が旅商人の姿をしていた時でさえも。
今、彼女が見る彼の横顔も、普段の飄々とした態度だけでなく一切の感情を捨て去ったかのようだった。
「メルトバレー子爵。貴方が約二ヶ月前に庶民向けの宝石の加工場を訪れて、あのグレーのルビーを強引に持ち去ったことは調べがついているんですよ」
「!」
「今までも二流品のルビーやサファイアを時々くすねていたのは知っています。工場の者も領主の貴方を相手に強くは言えませんし、仕方のないことだと見逃していたんです。でも今回はモノが違う」
アーノルドはテーブルの上にあったカフリンクスを手に取る。
「あのグレーのルビーはこれくらいの大きさはあった。『メルトバレー家の宝石』を名乗ることはできなくても、それなりに良い値がついたはずだ」
待機室でサラが得意気に「ルビーです。普段は出回らない特別なものよ」と言った時。子爵夫人と親しい賓客(つまり、夫人が宝石を取り仕切っていると知っていた貴族)は、皆驚いていた。
夫人は貴族階級にルビーやサファイアを売る際、大きさや色味、クラックやインクルージョンの少なさなどクオリティを厳選したものばかり売るようにしていた。いまや貴族階級の間では「メルトバレー家のルビーやサファイア」といえば品質の保証されたブランドと言ってもいい。
だから彼女が嫁入りしてからの子爵家は益々繁栄したのである。
子爵の瞳の色と同じ、赤よりもグレーの強いルビーなど本来出回るわけがない。夫人の許可を得ずに子爵が勝手にクオリティの低い宝石を持ち出したのだろう……と賓客のうち半数ほどは推測していたはずだ。
更にエリザベスはその宝石を囲む銀細工まで確認した。仕上げが良くなかったのも、メルトバレー領内ではなくどこか別の場所でこっそり作らせたからに違いない。
そして子爵がそんな真似をしなかったならば。あのグレーのルビーは庶民向けの宝石加工場から本来どこに行ったかというと……
「子爵、貴方がいくら事業に疎くても我がコゼット伯爵家との長い付き合いで知らないとは言わせませんよ。そちらのクオリティの低い宝石は庶民向けとして纏めてこちらで引き取る契約です。屑同然の石から、ある程度大きくて富裕層の商家が喜びそうなものまで」
そう。メイサの街の目抜き通りの宝飾店では二流から三流の宝石を。下町でさえも透明度のない屑石をあちらこちらで売っている。宝石産業が主力で鉱山が多く坂道だらけのメルトバレー領内では、町で宝石を扱っていても大して売れない。外部の人間がほとんど来ないからだ。
だから隣の領地であり、栄えていて外部から旅商人が多く立ち寄るメイサの街で、メルトバレー産の宝石を庶民向けに売っているのだ。
当然ながら貴族向けのクオリティの高い石よりも、庶民向けの石の方が大量に産出される。サラの「メルトバレーのお陰で儲けている」というのはてんで筋違いで、むしろコゼット伯爵家がなければメルトバレー子爵家は石がダブついてしまうのである。
メイサの街の住人であり商売の知識に興味津々でもあるエリザベスは、当然このことを以前から知っていた。
※補足です。
貴族向けの「メルトバレー家の宝石」と
庶民向けの「メルトバレー産の宝石」は、名称こそ似ていますが、貴族や商人の間では明確に別物(前者のみブランドもの)として扱われています。
三重県松坂市産の牛の全てが「松坂牛」になれるわけではない、と考えていただけるとわかりやすいかと。
(※過去の話に表記ミスがあったので修整済みです)




