第二十三話 デウス・エクス・マキナの計略
「は……」
メルトバレー子爵夫人の下顎がカクンと落ち、口は半開きのままになった。
エリザベスにはそれが「何をわけのわからないことを言ってるの?」という表情に見て取れたが、事情を知らない第三者が見れば「図星を当てられて驚いた」という顔にも見えるだろう。
「奥様」
蚊の鳴くような、本当に聞き取れるかギリギリの囁き声で執事が言った。見れば彼の手は、夫人の腕をきつく握りしめている。ドレスに皺が寄るほどに。
夫人はそこで漸くハッと我に返った。元々賢い彼女は、今の会話が何を意味しているのか悟ったようだ。ゆっくりと肯定した。
「え、ええ……」
夫人の反応を受け、エリザベスは自信に満ちた微笑みを見せた。
「しかしそれは誤解なのです。子爵家の大事な宝石は盗まれてはいません。ですから私は先ほど『まだ未遂だ、壊されても盗まれてもいない』と、申し上げたのです。このメルトバレー子爵家で一番大きな宝石は今、奥様がおつけになっています。もしもあの男性の気が変わって泥棒をしようと思えども、今、屋敷の宝石箱や、それを保管している部屋の鍵を壊したところで目当てのものは盗めませんでしょ? もっとも――」
彼女は舞台女優よろしく天を見上げる。メルトバレー家の家族たちの部屋がある、母屋の棟の二階あたりに視点を置き、いかにも意味ありげな言い方で長台詞の続きを口にした。
「この後はわかりませんけれど。宝石の管理は今まで以上に厳重になさいませんと、ね」
ほ……と会場のどこかから息をつく音が漏れた。それもひとつやふたつではない。「ま、私はこんな事だろうと思っていたがね」なんて自慢げに言う者まで現れ始めた。
つまり。夫人が錯乱し泣き濡れたのは、夫が夫人の宝石箱から宝石を盗んだという大恥を隠そうとしたためであって、決して子爵夫人の座が脅かされたからではない。愚かな子爵はフラフラと浮気をする事はあっても、しっかり者の夫人を手放せるほど肝が太くないのだから、メルトバレー子爵家の宝石産業が簡単に揺らぐわけがなかったのだ……と周りの者は解釈したのである。
エリザベスは自分の描いた筋書き通りに舞台が進行していることに手応えを感じながら、最後の仕上げにかかる。
「そうそう。私の話の証拠をお見せできると思う、と先ほど申し上げましたわね。ついてきていただけますか?」
彼女はメルトバレー子爵夫人や執事、アーノルドの他にも物見高い賓客たちをゾロゾロと引き連れ、移動する。待機室へ繋がる両扉をくぐり、掃き出し窓から庭に出た。
「化粧室の鎧戸の隙間からは少ししか見えなかったのですが、人がいたのはこの辺りの位置だと思います」
子爵とサラが立っていた位置に立つと、エリザベスは先ほどのパントマイムをもう一度やってみせた。白い手袋をはめ、何も持たない彼女の右手の指先に皆の目が集まる。それが弾かれるようにクイ、と動いた……傍らの生け垣に向かって。
「ここに、男性が渡そうとしたものが落ちたままではないかと……ほら、見つけましたわ!」
エリザベスが生け垣の根元に指を差し込み、その手を引き抜くと、手の中には男性物の装飾品があった。サファイアをあしらったカフリンクスである。
賓客たちから「おお」という声が上がった。このサファイアは大きさといい質といい見事なもので、一見してメルトバレー子爵の持ち物にふさわしいクラスだから説得力があったのだ。
エリザベスは素早くそれを子爵夫人の手の中に入れ、上からギュッと手を握る。
「ね? 問題はありませんわ。この通り、何も奪われていないんですもの」
皆が庭から引き上げ、大広間に戻った直後。正面出口を開けて子爵がやって来た。顔はタオルで拭ったのか綺麗なものだった。やたらご機嫌なのは上手く妻から逃げおおせたと思っているからだろうか。
しかし彼が大広間の片隅にいるサラに近づこうとすると、彼女は顔をしかめて子爵と距離を取った。
「……私、これで失礼します!」
「えっ? あ、サラ、待ってくれ。さっきは悪かったから……」
「知らない! 私は何も知らないわ!」
パーティ会場から逃げ出すサラと、ポカンとする子爵を見て意地悪なクスクス笑いが大広間のあちこちから起きる。
エリザベスの計略によって、二人には非常に不名誉なレッテルが貼られてしまったのだ。
サラ・デッドリィ男爵令嬢は、メルトバレー子爵から立派な宝石を強請ろうとしても上手くいかず、しかも子爵に盗みを唆した。その代償として唇を許した倫理観も頭の良さも備わっていない恥ずかしい女……という立場を。
メルトバレー子爵には、若い頃こそ華やかだったが、今は老い、哀れで愚かで少し面白可笑しい道化に成り下がった男……という役割を。
なにせ、自分の家の家業どころか家宝の宝石すらも妻に握られていて、宝石を愛人に与えるにしても質の悪い黒い宝石か、自分のカフリンクスを差し出すのが精一杯の裁量しか持たされていない。しかもそれを差し出したところで若い生意気な女のキスひとつしか貰えなかったのだから、という筋書きで。




