第二十一話 あの時何が起きたのか
「まだ大丈夫です!!」
大広間にはっきりとした声が響く。
一斉に皆の目が、青いドレスを身に着けたエリザベスに集まった。
彼女は緊張で今にも声が上擦りそうなのを堪え、手袋をはめた両手をきつく握りあわせる。
(もう後戻りはできないわ)
この舞台に進んで乗ってしまったのだから。今から彼女は狂言回しのフリをして、その実、話の筋を無理矢理変えるデウス・エクス・マキナを演じなければならない。
夫人の悲劇を、ちょっとした悪趣味な悲喜劇だと観客たちに思わせるために。
エリザベスは深く息を吸い、言葉を続ける。
「夫人、今回のことは未遂です。貴女の大事なものは、まだ壊されても盗まれてもいないのです!」
「……? 何、を」
言っているの、とメルトバレー夫人の口の形が動く。その夫人を横で支えていた執事も目を丸くしてエリザベスを見る。そしてごく僅かに険のある顔つきに変わった。
何も知らないくせにでたらめを言うな、とでも思ったのだろう。
だがエリザベスは知っている。正確には、知っていないことも想像できる。
パーティで和やかに会話をしていたメルトバレー子爵夫人が、夫の姿が見えないことに気がつき探し始める。嵌め殺しの窓からクリーム色のドレスが見えた気がして、慌てて窓へ駆け寄った。
夫人のただならぬ様子に驚いた子爵の甥は、ヴァイオリンの演奏を止める。子爵は演奏する曲について甥に指示をしたかもしれないが、甥の方では子爵の企みまでは知らなかったに違いない。彼は今の生活が気に入っているのだ。子爵の馬鹿な行為を手助けすれば、その生活が送れなくなるかもしれない。
さて、窓から子爵とサラの口付けを見てしまった夫人はどうしたか。くるりと右向け右をし、一番近くの掃き出し窓へ向かった。そこから庭へ出て左に曲がり、大広間の外壁沿いを周って子爵たちの現場を抑えるつもりだったのだろう。
しかしその前に逃げ出したエリザベスが立てた音によって、子爵は他にも人がいたことに気がついた。
慌てた二人が周りを見渡し、近づいてくる夫人を遠くに認める……遅れてサラの「きゃあ」という悲鳴のような声が聞こえたのは、思い詰めた夫人の鬼気迫る顔を見たからではないだろうか。
彼らも待機室に逃げ込もうとするが、夫人は追いかけてくるだろう。この場で何が起きたかも想像できる。子爵はサラの腕を引っ張って待機室に入れたと同時に、乱暴に窓を閉め、掛け金を内側からかけた。
この時の音と声が玄関ホールで聞こえ、執事は何事かと思って待機室に飛び込んだのだ。
彼は唖然としただろう。パーティを上手く回すための片翼であるはずの主人が、若い女と一緒に真っ青になって待機室でぜえはあと息を荒げている。女の紅は取れ、代わりに主人の口周りにべったりと付いているのだ。そして「いいからここから出ろ」とかなんとか言いながら、子爵は女を両扉から大広間へ無理矢理に押し出した。
その直後に掃き出し窓が乱暴に鳴る……掛け金をかけられた窓を、夫人が開けろとばかりに何度も揺すっていた……恐ろしい顔で。執事が「お待ちください!」と慌てて窓に近づき掛け金を上げる間に、子爵はドアから玄関ホールに出ていってしまった。
待機室に残されたのはメルトバレー子爵夫人と、子爵家に長らく仕えている忠実な執事である。
彼は絶望して全てを投げ出したかったのではないか。しかしそうはしなかった。きっと夫人に「奥様、落ち着いてください。まずはパーティを無事に終わらせましょう。話はその後です」と説得したのだろう。
それが、メルトバレー子爵家の名誉と行く末を守るための最善の行動だったから。
自分たちが主催者であり、自らの屋敷で行ったパーティに主人が愛人を招待しただけでも微妙である。夫婦関係が冷え切っていて妻も認めている愛人ならともかく、この場合はパーティの招待に妻の同意すら取っていない。サラが現れた事で狼狽え、真っ青になって自室に戻った夫人の態度を見れば明白だ。
しかも夫がパーティの真っ只中に抜け出して愛人といちゃつき、それを知った夫人が錯乱したと明らかになれば。
メルトバレー子爵家の評判は地に落ちるだろう。そして同時に、子爵家が扱う宝石の価値も。
メルトバレー子爵は実父から爵位を受け継いだ男であり、夫人は外から嫁入りした女である。エリザベスは以前下調べをしていたから知っているが、そうでなくたってわかる。子爵と血の繋がった甥、つまり子爵のきょうだいの子供はメルトバレーを名乗り、働きもせず音楽を楽しむだけで生きていけるからだ。
それにも関わらず、だ。領地の主な産業である宝石の産出と売買については、子爵ではなく夫人が取り仕切っていた。
子爵が宝石産業に関わらせてもらえない、というのは貴族の間で密かに語られている噂であるが、事実でもある。だからこそ、以前のエリザベスはメルトバレー子爵ではなく、子爵夫人に近づこうと試みた。
子爵については、若い頃から甘いマスクと豊かな家業を持っている為に浮いた噂が絶えなかったが、彼と長続きした女はいないそうだ。メルトバレー家の宝石を贈ってもらえると期待した女が「あんなケチな男! 口では美しいだの愛だの言うくせに、こーんな小さなルビーしかくれないの。それなら自分で買えるわよ」とボヤいていた話もあるらしい。
だからこそ、メルトバレー家の宝石には価値があるのだ。
女好きでフラフラした子爵ではなく、地味で堅実でしっかりした子爵夫人が実権を握り、質の悪い宝石を安易に貴族階級には流さない。そこに信頼が生まれていたのである。
しかし、今回メルトバレー子爵がサラ・デッドリィ男爵令嬢に結構な大きさの宝石を贈っただけでなく、彼女を家に引き入れたのは今までの外での遊びとはレベルが違う。しかも夫人が錯乱し庭を駆け回った末に泣き崩れたとなれば、周りはこう思うだろう。
「これでメルトバレーも終わりだ。子爵が夫人と離婚し、愛人がその立場にすげ変われば、宝石産業はめちゃくちゃになる」




