第十九話 庭での情事
今夜は満月らしいですね。
まあ今回のお話は、そんな素敵な感じではないのですが。
エリザベスは玄関ホール脇の入口から待機室に入った。部屋の中は薄暗いが最低限の明かりはあり、きちんと様子を見ることはできる。
長方形に近い形の部屋の対面は、庭に繋がる掃き出し窓。向かって右側の壁には、先ほど通った大広間に繋がる両扉がある。近づいてみると扉の向こうから楽しげな曲が聴こえてきた。まだ舞踊曲の演奏は続いているようだ。
曲調とは裏腹に、ますます嫌な予感がした。
ここまでくると予感というよりも想像と言っていい。彼女の頭の中には逢引きの手順が描かれている。
メルトバレー子爵は、予め甥に派手な構成の音楽を弾くように指示を出していたのかもしれない。見事なヴァイオリンが皆の気を引いている間にサラがこの両扉をこっそり開けて待機室へ入ったのだろう。子爵はその後、何食わぬ顔をして正面出口から出ていき玄関ホール脇の扉から待機室に入ればいい。
そしてここで落ち合った二人が待機室を出てどこに行ったか。
正直なところ、これは賭けでしかない。空いている客室に入ったようならこれ以上の追跡は不可能だ。だが、二人で連れ立って客室棟をウロウロすれば、使用人に見つかるリスクがあるだろう。
(庭は庭でリスクがありそうだけれど)
そう思いながらも掃き出し窓に近づいてみれば、内側に掛け金はかかっていなかった。
彼女は音を立てないように注意深く窓を開け、庭に一歩降り立つ。先ほど大広間の窓からはちらりと見えただけだったが、改めて見ると手入れの行き届いた良い庭だった。
空には満月が浮かび、その光が足元に張り巡らされた芝生の緑を浮かび上がらせている。ところどころ丁寧に刈り込まれた生垣と立木が配置されており黒々と存在感を示していた。奥の方には薔薇園も見え、大小の薔薇が咲き誇っているようだ。昼間なら子爵家が金をかけて作り上げたこの庭の美しさに素直に称賛を送っただろうが、今はどことなく幻想的な雰囲気と不気味さが共存している。
「ふふふ」
「!」
くすくす笑いと人の気配とを感じたエリザベスは咄嗟に伏せて生垣に身を隠した。
生垣の葉の何枚かを指先で除け、向こうを確認するのぞき穴を作ると少し開けた芝生の場所に男女が寄りそって立っているのが見えた。どうやら二人は大広間から窓越しに聞こえてくる、微かな音楽に合わせて踊っているようだ。
「子爵様、素敵な夜ね」
「ああ、最高の夜だ。やっと君をこの腕に抱くことが叶った」
エリザベスの口からふっと小さな安堵の息が洩れた。正直なところ、もっとどぎついシーンを見ることも覚悟していたのだ。子爵は「黒」も黒の真っ黒で最低な男だが、若き男爵令嬢とはまだ深い仲にはなっていないらしい。
……まあそれも時間の問題な気はするが。二人は満月の明かりの下で見つめ合った。
サラの唇の輪郭が月の光で際立つ。その先からべったりと甘えきった声が放たれ、エリザベスのもとまで届いた。
「ねえ子爵様? 私、恥ずかしかったんですのよ」
「何がだい? 可愛いひと」
「あの伯爵令息の婚約者! 私の自慢の宝石よりも大きいものを身に着けてるんですもの」
「ああ……まあでも借り物だそうだし……」
「ね、今度は私にあんな恥をかかせたりしませんよね? 一番大きな宝石を私にくださいな」
「一番?」
「そう! あのルビーがいいわ」
「えっ」
「あのルビー、誰よりも私に似合うと思うの! 子爵様なら自由にできるでしょう?」
随分と凄い自信だ。メルトバレー子爵夫人はもともと派手ではない顔立ちであるのと、実直な性格がなせる風格を長年の時をかけて備えたからこそ、あの大きすぎる紅玉を胸に抱いてもサマになっているというのに。まだ言動に幼さの残るサラが着ければ、滑稽で偽物の宝石に見える可能性を考えていないらしい。
「……確かに君には似合うな」
「ね、約束よ!」
「ああ、そうだなぁ……」
子爵は曖昧な言い方をしたが、彼女はそれに気がつかないのか、あるいは気がついていても「これで言質を取ったわ」と思ったのかもしれない。「嬉しい!」と一層高い声を上げ、男の首に手を回した。彼もサラの背中と後頭部に手を回す。二人の唇が引き寄せ合い、重ねられた。
完全に互いしか見えていない状態だ。エリザベスは今なら気づかれずに済むと判断し、そろそろと後ずさりをはじめた……が。
遠くに聞こえていたヴァイオリンの音が唐突にふっとやみ、数拍の後にピアノの音も中断される。何事かと屋敷の方を見た彼女はもう少しで叫びそうになった。
「!!」
大広間には幾つもの窓が作られている。そのひとつである嵌め殺しの窓に、青白い顔の女の姿がぼうっと映っていた。目を見開き眉間には深い皴が刻まれているのに、彫像のように人間味を失った顔。その耳と首元には見事な赤い石が輝いている。
夫人は夫の情事を見てしまったのだ。そしてすぐさま右向きに頭を回し、次いで窓から姿が消えた。




