第十八話 エリザまで抜け出す
不穏な空気をはらみながらも、パーティは始まった。
しかし暫くすると、皆最初のぎこちない空気を忘れて和やかになる。料理と酒、それに良い雰囲気の音楽のなせる技だった。
子爵家のお抱え料理人はこの日の為に腕によりをかけたのであろう。提供された料理は見た目も味も素晴らしく、ワインや蒸留酒もなかなか良いものを出している。
酒については、実はアーノルドの手柄なのだと子爵令息夫人がこっそりエリザベスに教えてくれた。コゼット伯爵家はワインの産地にも伝手があり、今回のパーティの為に良い酒を手配してくれたのだそうだ。
さらにはメルトバレー子爵の甥が大層な音楽好きらしく、ヴァイオリンを持参し音楽係を担当していた。
「僕はメルトバレーの端くれに生まれたお陰で、働かなくてもギリギリ食えていけるんですよ。だからこうして好きな音楽だけに没頭していられるんです。まぁあんまり褒められた生活じゃないですがね」
冗談交じりに少々卑屈な物言いをする男であったが、没頭していると言うだけあってヴァイオリンの腕は玄人はだしだった。
まずは心安らぐ曲から入り、聴く者の心を寛がせると一転して悲劇の戯曲のテーマを情感たっぷりに弾きこなす。感嘆のため息が賓客から漏れ聞こえた。それを聞いた彼はニヤリと笑み、次に手数の多い高難度の曲を披露したのである。
パーティの参加者は彼の調べに耳を傾け、曲が終わると賛美の拍手を惜しみなく贈った。
「やあ、ありがとう。でもそろそろ皆さん、踊りたいんじゃありませんか?」
「では僕がピアノを弾こう」
エリザベスは軽く驚いた。アーノルドがピアノの前に座り、ヴァイオリンと息を合わせて舞踊曲を器用に弾き始めたのだ。
軽快な曲に合わせ、何組かのカップルが大広間の中心で手を取り合い踊りだした。
淑女たちの色とりどりのドレスがダンスのステップに合わせて広がり、揺れる。そして参加者が身に着けた数々の宝石がシャンデリアの光を反射して煌めく。
色と光が万華鏡のようにくるくると回る景色を、エリザベスは壁際でぼうっと見ていた。
ここだけの話だが、エリザベスはダンスがあまり得意ではない。商人としての勉強には熱心だったが、淑女としての勉強は必要最低限しかしなかった為である。
だからアーノルドと踊るようであれば化けの皮が剥がれるかもと心配していたのだが、彼がピアノを弾いてくれて助かった。おそらく他に彼女をダンスに誘うような人物はいないだろう……あの好色そうなメルトバレー子爵が変な気でも起こさない限り。
そこで彼女はハッと気がついた。
子爵の姿が見えない。
急いで大広間中にぐるりと目を走らせる。メルトバレー子爵夫人は賓客と会話をしていた。子爵令息とその妻は仲睦まじくダンスの最中だ。淡いクリーム色のドレスは……見当たらない!
一層エリザベスの動悸が早くなったが、彼女は全くそれを表に出すことはなく扇子を取り出すと、顔の下半分を覆った。目だけを扇子の上から出し、改めて大広間を見渡す。
この大広間は、壁の半分は庭に半円形で張り出す形に作ってあった。庭に面している部分は掃き出し窓が幾つもあるので簡単に庭に出ることが可能だ。が、窓を開ければ外の薄寒い空気が入ってくる。タキシードの男性はともかく、首や肩を出したイブニングドレス姿の女性なら、近くの窓が開けば寒さですぐ気がつくだろう。
(と、なると……)
窓と対面の扉は玄関ホールに繋がっており、いわゆる正面出口というやつである。ただし、今回パーティの参加者はこちらを通っていない。パーティの準備ができるまで、脇の待機室で待たされ、そこから直接大広間に繋がる扉を通ったからだ。
エリザベスはできるだけ目立たないようタイミングを見計らい、正面出口から玄関ホールに出る。すると執事とおぼしき年配の使用人が声をかけてきた。
「お客様、如何されましたか?」
「化粧室はどちらかしら」
「ご案内いたします」
執事はメイドの一人を呼びつけ、エリザベスの案内をさせる。
待機室の前を通り来客用化粧室に辿り着くと、彼女はメイドに「ここまでで大丈夫よ。ありがとう」と笑顔で伝え化粧室に入った。鏡を見て身だしなみを整えながら素早く考える。
やはり子爵家の使用人たちはしっかりと訓練されている。今日初めて来たであろう男爵令嬢がこっそり抜け出そうとしても見咎められるだろう。
同様に、子爵がサラを伴って何処かに行こうとでもすれば使用人が即座に止めに入るか夫人を呼ぶはずだ。
だが穴はある。子爵一人ならどこへ行こうとも使用人は強く言えまい。彼はこの館の主なのだから。そして彼が愛人に入れ知恵をして、それぞれが別々に大広間を抜け出すなら可能だろう。
(一番簡単なのはやはり、あそこね)
エリザベスは化粧室を出てもと来た道を戻るが、待機室の手前で立ち止まる。そっと首を伸ばし、玄関ホールの執事からは自分の姿が見えていないことを確認してから、ドアノブに手をかけた。
ゆっくり、ゆっくりと音を立てないようにドアを細く開け、その隙間から中を伺う。室内には誰も居ないと確認し、もう少しドアを開けて中に滑り込んだ。




