第十五話 不穏な空気
客室を出てすぐ。
廊下の少し先をパタパタと中央に向かって小走りするメルトバレー家のメイドがいた。客の前でそんな事をするのははしたない。もしかして人手が足りずに出来の悪いメイドも駆り出しているのだろうかとエリザベスは思ったが、ハッと気づく。
横にいたアーノルドが廊下の先に厳しい視線を向けている。今までの愛想のよい仮面でも、皮肉交じりの飄々とした態度でもない。緊張感すら感じる苦々しい顔つきだ。
その視線の先は館の中央だった。先ほどの玄関ホールの階段を登ったところだ。その階段を、よろよろとした足取りで登ってくる女性がいる。
「奥様!」
メイドが駆け寄り、最上段に辿り着いたメルトバレー子爵夫人を支える。その横顔を見たエリザベスは息を呑んだ。
「!」
先ほどまでの夫人とは全く違う。朗らかさや堅実な真面目さといった、彼女の美点がすべて失われている。顔色がひどく青ざめている上、歯を食いしばり息は荒く、目はギョロリと凄みがあった。
「……こちらから行こう」
アーノルドは踵を返した。
玄関ホールや階段から、屋敷は左右に棟が伸びている形だ。左手が客室棟で今、エリザベスたちが居る場所である。おそらく反対の右手の棟がメルトバレー家のそれぞれの部屋だろう。彼は自室に戻ろうとしている夫人と鉢合わせないよう、わざと客室棟の反対に歩を進めたのだ。
子爵家とは親しい仲というだけあって彼は屋敷の構造が完璧に頭に入っているらしく、迷いなく進む。廊下を突き当たりまで進むと下に降りる階段があった。二人は一階の幾つかの客室の前を通りすぎ、遠回りで玄関ホールに戻ってくる。
そこに居たはずのメルトバレー子爵も姿が見えず、代わりに子爵令息夫妻がパーティーに訪れた賓客たちへの挨拶を担当していた。ちょうど来客が途切れたところでアーノルドが夫妻に話しかける。
「ジャック、まさか例のが来たのか?」
子爵令息は肩をすくめ、その妻はそっと目を逸らす。
「そのまさかだよ。親父が招待してたようだ。今、二人で庭を見てると思う」
「子爵夫人は……」
「ちょっと興奮したみたいでね。支度も必要だから先に部屋に戻ってもらった」
「……」
アーノルドの顎が僅かに引かれ、視線が下に落ちた。その重苦しい雰囲気を無理に払拭するように、子爵令息は明るく言う。
「もうこれで俺の覚悟は決まったよ。母さんともう一度話してみる。アーノルド、ありがとう」
「……ああ」
そこにまた新たな客がやって来たので、ふたりは離れた。
「さ、行こうか」
アーノルドはエリザベスを伴ってホール脇の部屋に入る。パーティーが始まる前の待機室らしく、中にはすでに何人かの先客がいて、酒や茶、煙草を楽しんでいた。
そして誰もが赤や青の宝石を身に着けている。エリザベスが着けているものほど大きくはないものの、ハッキリとした色味の美しさから、間違いなくメルトバレー家が売ったコランダムだろう。
「やあ、アーノルドじゃないか! 婚約おめでとう!」
ソファに座っていた一人の男が立ち上がり、近づいてきて笑顔で祝福する。エリザベスは偽の婚約者として挨拶をした。
「あー、よかった。お前ときたら女の子たちに秋波を送られても全く無視するんだから、一生結婚しないかもと心配してたんだぜ」
「言っただろ。僕は理想が極端に高くて特殊なだけって」
「お前さぁ、そうやって匂わせるから変な噂が立ったんだぞ……。まあでもいいか。理想の女性が見つかったんだもんな!」
楽しそうに会話をしているのをエリザベスは横でにこやかに聞いていた。しかし、背後で窓の開く音が聞こえた途端、彼らがピタリと口を噤む。
アーノルドとその友人だけではない。談話室に居た他の人間も皆おしゃべりをやめ、窓の方向を見ている。エリザベスも振り返った。
「ああ〜中はやはり暖かいな」
「素敵なお庭でしたわ。子爵様、私、お酒が飲みたいです」
庭につながる掃き出し窓を開けて、一組の男女が楽しげに話しながら入ってきた。
男の方はメルトバレー子爵だ。目尻を下げっぱなしで女を見ている。女の方はブルネットでまあまあの美人だが、だいぶ若い。エリザベスよりも年下ではないかと思われる。
「そうだな。軽く飲もう。何がいい?」
子爵は女性が着ている外套を脱ぐのを手伝い、控えていた使用人に手渡した。外套の下から柔らかいクリーム色のドレスが現れる。そして胸元には暗い色の宝石があった。
「!」
エリザベスの頭が即座にその価値を計り始める。
(あれはスモーキークォーツ? いえ、多分……)
色味は確かにスモーキークォーツに似ている。僅かな赤みを帯びたグレーだ。だが今日は子爵家で行われているパーティーで、来客はみな当然とばかりにメルトバレー家のルビーやサファイアを身に着けている。
つまり、この若い女の首に下がっているネックレスの宝石もコランダムではないだろうか。それも、なかなかの大きさの。
女性は自分が注目を浴びていると気がついたのか、得意げな表情になり、部屋の中を見渡した。




