92. 礼儀の地獄と、懐かしい顔
心の中でひっそりため息をついた。
前世の俺は、スーパーの冷凍肉を散々馬鹿にして、ベーコン、ハム、加工肉の旨味にしか興味がなかった。
今になって思い返すと —— あの頃の自分の頭を思いきりはたいてやりたい。
本当に救いようのない馬鹿だった。
魚はほどなく焼き上がった。
外皮がうっすら香ばしく焦げ、中はふわりと柔らかくジューシーだ。
細かい塩をひとつまみ振り、手環から丸くて黄色いレモンを一個取り出した。
スライスして絞ろうとしたところで —— 隣のオーレリアンの顔色が「ぱっ」と曇った。
「お嬢様…… それ、好きなんですか?」
レモンを指さして、危険物でも見るような目つきをしている。
俺はうなずいて、当然という顔で笑った。
「うん、焼き魚に合わせると最高なんですよ。」
「えっ、あれって酸っぱくて渋くて、めちゃくちゃ不味いじゃないですか!」
オーレリアンがすぐさま顔をしかめた。
「昔、市場で見かけて物珍しくて買って、一口かじったら即後悔しましたよ。」
俺は笑いを堪えた。
「そのまま食べたら当然そうですよ。でも汁を絞って肉にかけると、脂っこさが消えてすごくさっぱりするんです。試してみますか?」
レモン果汁をたっぷり絞りかけ、香りが立ち上った串焼き魚を彼の前に差し出した。
オーレリアンが明らかに迷っていた。
魚を見て、俺を見て、また魚を見る。
「俺の分は今持っているから十分だし…… それに受け取ったら、小姐の分がなくなるじゃないですか。」
「心配しなくていいですよ。」
俺は手環を軽く揺らした。
「昨日の午後にたくさん捕ってきましたし、魔法で焼けばすぐもう一匹焼けます。」
言い終わる間もなく串焼きの魚を強引に渡し、自分は新しい一匹を取り出して浮遊させ、また火を点けた。
オーレリアンは魚を両手に持ったまま、しばらく心の準備をしていた。
やがて目をぎゅっと閉じて、思い切りよく一口かぶりついた。
—— 次の瞬間、動きが完全に止まった。
ふわっと身がほぐれて、骨から離れる。
旨味が口の中に広がった。
彼がゆっくりと目を開けた。
信じられない」という顔で手の中の魚を見つめる。
「なんで…… こんなに美味いんだ。」
呟く声は、まるで美食番組の審査員みたいに真剣だった。
「レモン汁が魚の臭みを全部消してる。あの酸味が身に染み込んで、渋みじゃなくて…… 逆に旨味を全部引き出してる。この味、すごいぞ。」
俺は笑いを堪えるのが精一杯だった。
一口食べたところから、オーレリアンはすっかりレモンの熱烈な信者になった。
目を輝かせて自分のパンを開き、残ったレモン果汁を全部ハムの上に絞りかけた。
塩漬けの時に血抜きが甘かったハムは、レモンの果酸と合わさって、意外にも悪くない仕上がりになった。
臭みが取れて、さっぱりした。
ところが問題は、余ったレモン汁がパンに染み込んだことだ。
そのレモン汁たっぷりの硬パンを一口かじった瞬間 —— 彼の表情が盛大に崩壊した。
顔が歪みきった。
「ぷっ ——!」
口の中のパンを勢いよく吐き出して、死にそうな顔をしている。
「…… なんでもかんでも合うわけじゃないな……。」
その壊れっぷりを見ていたら、俺は堪えきれなくなった。
「ぷっ ——!」
思わず噴き出した。
「あなたがそんな顔をするとは思わなかったな。あんなにがっしりした体格だから、ずっと無表情のハードボイルドな人かと思ってましたよ。」
オーレリアンは頭をかきながら、照れ臭そうにへへっと笑った。
わざわざ腕の筋肉をぽんとたたいてみせる。
「うちの家族にもよく言われますよ。こんなに落ち着いた体してるのに、中身が全然落ち着いてないって。」
筋肉はボディビルダーみたいな極端さはない。
でも、筋がはっきり通っていて、力強い。
何年も海に出て、魔物と戦って、風雨にさらされてきた体だ。
それが刻み込んだ、健康的な浅黒い肌。
ただそこに立っているだけで、頼りがいがにじみ出ている。
でも話してみると、すぐわかる —— この人は中身が思いのほか素直でわかりやすい。
話は五月花号が入港した翌日に戻る。
アムニット学院の通学期間とクラーケン討伐の遠征期間に滞った魔法の授業と礼儀の授業を取り戻すために。
休暇のあいだ中、俺はほぼ公爵邸に縫い付けられた状態だった。
夜明け前から日暮れまで授業が続いて、息をつく間もほとんどない。
正直、魔法の授業は苦じゃない。
ハイディ先生はとっくに基礎から中級魔法まで教え終えていて、今さら教える新しい魔法の型はほとんどない。
でも先生は俺の魔力の弱点をいつも的確に見つけ出して、魔力の保有量を高める訓練をさせたり、大型魔導器の組み立てを教えてくれたりする。
複雑な魔導陣の組み合わせ、魔力ノードの制御 —— これは単純な魔法の練習より、ずっと面白い。
でも礼儀の授業のほうは —— 完全に地獄だった。
毎秒毎秒、拷問を受けているような気分だ。
前世の俺はただの平凡な現代人で、王侯貴族とは縁もゆかりもない世界で生きてきた。
いわゆる貴族礼儀というものは、時代劇とか中世ヨーロッパ風のゲームでちらっと見かけた程度で、かすりもしていない。
数十年にわたって染み付いた「普通の人間」の習慣は、もう骨の髄まで刻まれていた。
立っていると無意識に壁に寄りかかる。座っていると足を組む。話し方は単刀直入で、嬉しいと思ったらすぐ相手の肩をぽんとたたく。
これが礼儀の先生には全部「あるまじき無礼」で、それを今さら一から矯正しなければならない。
まっすぐ一時間立ち続ける。ティーカップを少しずつ口に運ぶ。話す前に膝を折ってお辞儀をする。
幸い父上と母上は心が広くて、家の中では俺が自分らしくいることを認めてくれていた。
貴族のお嬢様らしくふるまうとは言わない。
でも一線は弁えなければならない。
よそから貴族の来客があるとき、または貴族の宴に出席するときは、公爵令嬢としての振る舞いを完璧に見せなければならない。
エリクセン家の名を汚してはならないと。
だからこそ、二人はわざわざ一番厳格な礼儀の先生を呼んできた。
グリンマン帝国の宮廷礼儀官を務めていたこともある方だそうで、多くの貴族子弟を指導してきた経歴を持つ。
一日三時間の授業だけなのに、終わるたびに全身の骨がばらばらになる気がした。
肩が痛くて上がらない。足が痺れてじんじんする。
引きつらせ続けた頬の笑顔まで痛い。
クラーケン討伐で大ダコと一日中格闘したときよりもずっとしんどかった。
その日の午後、ようやく今日の礼儀授業を終えた俺は、庭の石畳の上に立ち、先生が小さな小刻みな足取りで歩み去るのを見送った。
先生の後ろ姿が公爵邸のアーチ門の向こうに完全に消えた瞬間 —— 俺はどっと力が抜けた。
膝がふっと折れて、脇の石のベンチにどさっと腰を下ろした。
ふくらはぎをつかんで、こっそりもみほぐす。
石のベンチに崩れ落ちて、頭の中が思いでいっぱいになっていた、そのとき。
馬車の車輪が転がる音が聞こえてきた。
飾りこそ派手ではないが、こじんまりとした上品な小さな馬車が、公爵邸の門を通り抜け、庭のすぐ近くの邸前にゆっくりと停まった。
俺は無意識に目を向けた。
馬車から降りてきた二人を確認した瞬間 —— 目が輝いた。
チャーリーとニーナだ。
アムニット学院の同じクラスの友人たちだ。
ニーナは今日、深い蒼色の薄手のワンピースを着ていた。
生地が柔らかくて、風が吹くたびにさらりと揺れる。
涼しげな色合いで、いつもの制服よりずっと可愛く見えた。
懐かしい顔を目にして、俺は思わず、無防備にぼけた笑顔を浮かべた。
口角が自然と上がって、目元まで緩む。
—— でも次の瞬間、はっと我に返った。
胸がひやりとした。
しまった、設定を忘れていた。
彼女たちが知っているのは、アムニット城下で素性を隠して暮らしていたときの、普通の女の子「ケーシー・コエーリョ」だ。
エリクセン公爵の娘、クローディア・フォン・エリクセンではない。
確かにオリバー商会で、チャーリーが俺の服を仕立ててくれたことがある。
あのとき採寸して、デザインを確認して —— それが二回目の顔合わせだった。
でも言葉をほとんど交わしていない。
初対面同然の相手に、こんなにぱっと表情を崩したら確実に怪しまれる。
チャーリーとニーナもこちらに気づいて、顔に嬉しそうな表情が浮かんでいた。
二人とも無意識にこちらへ足を踏み出して、声をかけようとした —— そのとき。
俺は素早く目を細め、二人に向かって鋭く視線を飛ばした。
焦りを込めた、「ちょっと待て」のサインだ。
二人がはっとして、固まった。
二秒ほどの沈黙の後、何かを思い出したらしく、顔から嬉しそうな表情をさっと引っ込めた。
踏み出しかけた足を引き戻す。
二人そろってさっと顔を横に向け、俺とは完全に初対面の赤の他人を演じ始めた。
おもむろに馬車から重そうな木箱を一個ずつ両手で抱えて降ろし始める。
外側に清潔な麻布が巻かれた箱だ。
その二人の、ぎこちなくも一生懸命な様子を見て、俺は心の中で笑いをこらえた。
でもすぐに顔を引き締め、たまたまこちらを眺めた通りすがりの人間のふりをする。
礼儀の先生が帰ったばかりだ。
邸の使用人たちにだらしない顔を見られて、先生の耳に入ったら明日の授業でまたこってり叱られる。
しばらくして、軽やかな足音が聞こえてきた。
清潔なメイド服に身を包んだユーナが、小走りで近づいてくる。
ピンク色の長い髪を小さなポニーテールに結んでいて、歩くたびに軽く揺れていた。
俺の前に来ると、きゅっと膝を折って一礼した。
声は柔らかく、でも少し改まっていた。
「クローディア様、奥方様が応接間でお待ちです。お越しいただけますか。」




