9. あなたがいれば十分
仲間の一人が炎に包まれるのを見た瞬間、男たちの顔から余裕が消えた。
……まあ、そうなるよな。
まさかこの見た目で、ここまで魔法を使いこなせるとは思っていなかったんだろう。
「落ち着けよ! こっちは人数がいるんだぞ! 魔法が使えるからって何だ、あの精霊の嬢ちゃんを押さえ込んじまえば、もう反撃できやしない。かかれ!!」
ひときわ体格のいい男が声を張り上げた。
見ると、彼だけが俺の魔力の気配に気づいていた。この集団の中で唯一、魔法を扱える人間らしい。
……なるほど。
まあ、それで何が変わるわけでもないけどね。
錆だらけの大型ナイフを持った数人が、俺たちに向かって一気に駆け出してきた。
その瞬間——ユーナが、ぐにゃりと崩れ落ちた。
「ユーナ!?」
……そりゃそうか。
彼女はまだ十三歳の女の子だ。武器を持った男たちが突進してくれば、足が竦むのは当然だ。
そして俺は?
なぜ怖くないのかと聞かれたら——前の人生を合わせれば、もう四十三年も生きてるからだ、と答えるしかない。
ただ……正直に言えば。
先に一人ファイアボールで片付けてはいたけれど、刃物を振りかざした男たちが走ってくるのを見て、俺の足も——微かに、震えていた。
それを気づかれる前に、母上が動いた。
ヘレナ母上は、もう取り繕うのをやめた。
手環の中から、全長二メートル近い巨大な戦斧を引き出し、静かに一歩前へ。
突進してきた男たちが、その光景に気づいて硬直した。
しかし、もう遅い。
母上が腰を捻ってスイングした瞬間——ごぼっ、という音と共に、数人が綺麗に上下に分断された。
「……なあ、兄貴」
生き残った一人が、震える声でぼそりと言った。手に持ったナイフが、ガタガタと揺れている。
「俺たち、ちょっとマズいもんに手ぇ出したんじゃないか……」
連中の顔から、自信という自信が綺麗さっぱり蒸発していた。
そりゃそうだ。金髪の精霊族のお姉さんが、自分の身長より長い斧を振り回して仲間を真っ二つにしたんだから。
まあ正直、俺も少しびっくりした。お母様、普段あんなに優雅なのに。
リーダー格の男は、もう自分たちに勝ち目がないと察したらしい。
「くそっ、今日は運が悪かった! お前ら時間を稼げ! 俺は先に——」
丸い球体を地面に叩きつけた。
煙が勢いよく噴き出し、路地を白く染めていく。
煙幕か。
……逃げる気満々じゃないか。
でも——逃げられると思ったら大間違いだよ?
男が煙の向こうで走り出したその足に、石畳の隙間からするりと蔓が伸びて絡みついた。
「な——ッ!?」
男は転倒した。足を引っ張られ、体が地面に叩きつけられる。
俺の木属性魔法だ。
こんな石畳の街中に蔓が生えるわけがない——それが分かっているからこそ、彼の顔に「ありえない」という表情が浮かんだ。
男は全力で足を引いた。
「なんだこれ……ッ!」
魔力を足に集中させているのが分かった。筋力強化で強引に引き千切ろうとしているんだろう。
──でも、無駄だよ。
俺の魔力量と、この人の魔力量じゃ、天と地ほどの差があるから。
「くそッ、俺の持ってる魔力全部使っても動かない……! ガキ一人にッ……! このっ——!!」
やけになったのか、男は自分の膝めがけて大型ナイフを振り下ろした。
足を切り落としてでも逃げる気か。
蔓が瞬時に膝まで伸びて、刃を弾き飛ばした。ナイフが石畳の上をカランと転がる。
傷跡ひとつ残っていない。
「…………」
男は完全に動きを止めた。
その頃には、残りの手下もすべて母上と俺で片付けていた。
——路地の奥で座り込んでいたユーナが、ゆっくりと立ち上がり、男の元へ近づいてきた。
彼女は一本の麻縄を持ち、慣れた手つきで男の両腕を後ろ手に縛り上げた。
「…………ユーナ、いつそんなスキル覚えたの」
俺は小声でつぶやいた。
侍女の専科カリキュラムに、拘束術なんてあったっけ?
その後、私たちはその一味を揃って近くの警務処に引き渡した。
担当官は状況を聞いて、一言「すぐに裁きを下します」と答えた。その目は本気だった。
まあ、一般市民を武装して路地に追い込んで暴行しようとしたんだから、重罪なのは間違いない。
「……帰ろうか」
俺は言った。
帰りの馬車の中は、静かだった。
いつもならあれこれ話しかけてくるユーナが、窓の外を見たまま黙っている。
「ユーナ」
「……はい」
返事は来た。でも顔は向いてくれなかった。
最初は、怖い思いをしたから落ち込んでいるのかと思った。
でも——家に帰って、一緒に浴室に向かったとき、俺はそうじゃないと気づいた。
いつもなら浴室で俺に飛びかかってくるのに、今日は何もしてこない。
……これは、本気でダメだ。
「ユーナ、どこか怪我した? 治癒魔法かけようか」
「……いいえ、どこも」
「じゃあ何で——」
「私の存在は、お嬢様にとって」
ユーナはゆっくりと口を開いた。その声に、いつもの活気がない。
「……いてもいなくても、変わらないんだなって」
「ユーナ——」
「むしろ、足手まといだったと思います。私がいなければ、もっとスムーズに片付けられたはずです」
彼女の目は、俺が今まで見たことのない色をしていた。
空虚。
あの出会った頃のひどい状態のときでも、こんな目はしていなかった。
「自分が役に立てないって分かってたけど……でも今日、本当によく分かりました。私は魔法も使えない、戦う力もない、知識もない。人間だから寿命も短い。お嬢様のお側でお仕えし続けることもできない」
「……」
「私はずっと、もらってばかりです。自由も、苗字も、衣食住も、そして今日は身の安全まで。与えることが何一つできないのに、受け取り続けている」
俺は湯船の縁に腰を下ろして、ユーナの言葉を聞いていた。
……分かる。
この感覚、すごく分かる。
前世でも、すごくお世話になった上司がいた。何度助けてもらっても、恩返しできる気がしなくて——だんだん顔を合わせるのが辛くなっていった。
ユーナが感じているのは、きっとそれと同じだ。
相手が凄すぎて、自分の無力さだけが浮き彫りになっていく感覚。
さて、どう声をかけるか。
上手い言葉を探しかけて——やめた。
俺は正直に言うことにした。
「好きだよ、ユーナのこと」
「……え」
「だから、そばにいてほしい」
ユーナの顔が、みるみる赤くなっていく。
「そ、それは、その……! わ、私、ただの侍女で——!」
「侍女でいい」
「でも! わわわ私なんかが、お嬢様の『好き』なんてもらって——」
「毎日元気にしてくれるじゃないか」
俺は続けた。
「その活発さとか、ちょっとずうずうしいところとか、その可愛い桃色の髪とか——全部含めて、好きだよ」
「っ……」
ユーナが両手で顔を覆った。でも指の隙間から、耳まで真っ赤なのが丸見えだ。
「ふぁっ、こ、こういうのをですね、不意打ちと言うんですよ——!? しかもお風呂場で!? 心の準備が——!」
「逃げないで聞いてよ」
「きッ聞いてますッ! 聞いてますが限界なんですが!!」
……よかった。
目に光が戻ってきた。
「ユーナが側にいるから、毎日が楽しいんだ。使えるとか使えないとか、そんなの関係ない」
「……関係、ない……?」
「うん。ただ、いてくれればいい」
しばらく沈黙が続いた。
ユーナは顔を覆ったまま、小さな声で言った。
「……粉紅色の髪が、悪魔の証って言われるの、知ってますか」
「知ってる」
「昔から、ずっとそう言われてきました。生まれた日からずっと」
「知ってる。でも俺は信じない」
「……なんで」
「ユーナはユーナだから。悪魔でも何でもない。ただの——俺が好きな女の子」
ユーナは長い沈黙のあと、くすっと笑った。
くだらない迷信なんかに、俺の好意は揺るがない。それがちゃんと伝わったらしい。
脱衣所で着替えながら、ユーナがぽつりと言った。
「クローティア様」
「うん?」
「……私も、魔法を習いたいです」
俺は振り返った。
彼女の目は、さっきとはまるで違った。
あの空虚さはどこにもない。
代わりにあるのは——確かな、意志の光だ。
「ヘイティ先生に、一緒に頼んでもらえますか」
「もちろん」
俺は即答した。
そしてこっそり笑った。
……ユーナが本気を出したら、どんな魔法を使うんだろう。
楽しみだな、と思った。
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