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65. 緑の迷宮、百人長の誇りと、帝国兵の魂

その時だった。


完全武装した一人の衛兵が、軍勢の中央からゆっくりと歩み出てきた。


他の兵士たちとは一目で分かるほど、纏う鎧が格段に厚く精巧だ。真鍮の甲片には繁雑な帝国紋章が刻まれ、腰には装飾の豪華な短剣が吊るされている。踏み出す一歩一歩に、圧倒的な重圧感があった。


――百人長か。


俺はすぐにそう見当をつけた。


古グリンマンランク帝国の帝国衛隊百人隊において、戦闘の核心は百人長にある。 他の兵士たちを遥かに凌ぐ戦闘実力を持ち、百余名を率いる指揮能力を備える。まさに部隊全体の魂だ。


百人長を失えば、この衛隊は烏合の衆と化し、戦闘力も大幅に落ちるはずだ。


百人長は歩みを止め、漆黒の兜の面頰の奥、冷酷な双眸が俺を真っ直ぐ捉えた。余分な動作は一切なかった。


それから――華麗な刻文が施された細剣をゆっくりと振り上げ、剣先を俺へと向けた。


ドォオン――ドォオン――ドォオン――


四枚の漆黒の壁が、俺の四方から一気に立ち上がった。


漆黒というより、墨を塗り込めたような黒。壁面からは淡い異質な魔力が滲み出ている。それはみるみるうちに高さを増し、光の翼を全力で羽ばたかせても届かない高さまで伸びきったところで、ようやく止まった。


完全に閉じ込められた。


俺の心臓がきゅっと締め上げられる。


(――封じ込められた?こいつが、俺を?)


咄嗟に光の翼を叩き、壁面へと飛んで行った。指先から光系の光束を放ち、壁面を直撃させる。


だが光束は一瞬で壁に吸い込まれ、傷一つ残らなかった。


俺は素早く百人長の手中の細剣へと視線を移した。


――あれは、普通の剣じゃない。


剣身には漆黒の暗魔力が揺らめき、刻文の間に微かな光が明滅している。少なくとも史詩級の一振りだ。俺を閉じ込めたこの技能は、間違いなくあの剣の能力だろう。


もっとも――こいつも自分をこの空間に閉じ込めてしまっているわけだが。


(なら、コイツを倒せば出られる、か)


深く息を吸い込み、心の中の動揺を押し込めた。手中のブリュンヒルデの槍を強く握り直す。


槍身に纏わりつく光魔法が静かに揺れ動き、細剣の暗魔力と鮮やかな対比を描いていた。


俺は槍を振り、穂先に眩い白光を灯すと、光の翼を全力で羽ばたかせ――百人長に向かって急降下した。


第一大隊の百人長は他の兵士の数十倍の強さを誇るとはいえ、しょせんは百人長。 伝説級のブリュンヒルデの槍を持つ俺が、倒せないはずはない。


そう確信し、槍の穂先が百人長のすぐ傍まで迫った――その瞬間。


大地が激しく揺れた。


「――ッ!?」


一体の巨大なスケルトン兵士が、地中から突き破るように出現した。


並外れた巨体、手中の巨大な盾は分厚く無骨で、俺が突き出した槍を真っ向から受け止めた。


「ガキンッ!」


金属質の衝撃が手首から肩まで駆け上がり、槍が小さく震える。俺は心臓が跳ね上がるのを感じながら、即座に巨盾の隙間から槍を引き抜いた。


翼を叩き、後方へ素早く離脱する。


スケルトン兵と百人長の二体を等しく警戒しながら、俺は目を細めた。


(召喚まで使えるのか。この百人長の能力なのか、それとも細剣の能力か……)


予想よりも事態は複雑だ。召喚魔法まで持っているなら、さらに慎重にいかなければ。


俺は翼を動かして閉鎖空間の中を素早く飛び回り、百人長が放ってくる羽矢を可能な限りかわした。


羽矢には薄い暗魔力が宿っていて、速い。当たってどうなるか、賭けに出るわけにはいかなかった。


ただ、あの巨大なスケルトン兵は一時的な召喚物だったらしい。


一分も経たないうちに骸骨の体がぐらぐらと揺れ始め、「カカカカッ」と骨のぶつかり合う音を立てながら、その場で崩れ落ちた。ただの白骨の山に成り果てて、完全に動きを止めた。


好機だ。


俺は光の翼を全力で広げ、矢のような速さで百人長に急降下した。ブリュンヒルデの槍の穂先を、首筋へと正確に向ける。


技能クールタイム中の百人長は、先ほどの巨大な骷髅兵を再召喚することができなかった。慌てて細剣を振り上げ、俺の攻撃を防ごうとする。


だが――一歩遅かった。


「ズチュッ――」


鈍い刺突音。ブリュンヒルデの槍の穂先が、百人長の首筋を正確に貫いた。


黒い血が傷口から噴き出し、地面に落ちて「ジュッジュッ」という音とともに小さな黒い穴を腐食させていく。


百人長の全身が硬直した。手中の細剣が「ガランッ」と音を立てて地面に落ちる。


兜の面頰がゆっくりと滑り落ち――蒼白く歪んだ顔が露わになった。眼の中にあった殺意が少しずつ消え失せ、最終的に完全に光を失った。


その体がゆっくりと倒れ込み、完全に動かなくなった。


百人長の倒伏とともに、周囲の黒い壁が瞬時に霧散し始めた。点々とした黒い靄となって消え去り、閉鎖空間はあっけなく解除された。


俺は素早く視線を巡らせた。


先ほど百人長の技能によって一時的に消えていた帝国衛兵たちが、再び視野に戻ってきた。


(――まずい)


彼らはすでに亀甲陣を立て直していた。先ほどの混乱の影もなく、整然とした足並みで山の斜面上の野営地に向けて進攻しており、速度は以前より増し、殺気も一層濃くなっていた。


俺の牽制と破甲攻撃がなくなったことで、帝国衛隊は素早く陣形を立て直した亀甲陣を再構成していた。


先ほどまでの戦いで、大多数の兵士と僧侶全員を倒してはいる。


陣形も以前より小さくなり、人数の減少によって盾と盾の間の死角も増え、防御力も大きく落ちていた。


だが――チャーリーとニーナの燧発銃の精度が、あまりにも低すぎた。


二人は何発も撃ち続けているが、標的に当たったことはない。


鉛弾は盾に弾かれるか、見当違いの方向へ逸れるかで、衛兵に傷を付けることができていなかった。


ユーナの火球術も、部隊後方の帝国魔法師が次々と防御魔法を展開するせいで、ことごとく相殺されている。


威力を大幅に削がれた火球では防衛線を突破できず、かろうじて前進を遅らせる程度しかできていなかった。


(――これが、帝国衛隊か。本当に恐ろしい戦意だ)


俺は眼下の戦況を見渡し、心の底から震撼するものを覚えた。


素早く敵の残存兵を数える。


損耗率はすでに七割を超え、八割近くになっていた。


それでも彼らは士気旺盛で、三人を相手に圧倒し続けており、退く気配は一切ない。


手中にブリュンヒルデの槍がなければ、その圧倒的な光魔力と突撃威力がなければ――。


俺たちはこの小隊の雑兵すら相手にできなかったかもしれない。ましてや精鋭の百人隊に対抗するなど、夢のまた夢だっただろう。


古グリンマンランク帝国の軍勢に、俺はまたも圧倒された。その規律の厳しさ、戦闘力、そして絶対に折れない戦意。どれも、これまで俺が見たことのないものだった。


だが時間は待ってくれない。


このまま放置すれば、間もなく彼らは野営地の前まで押し寄せてしまう。そうなれば、ユーナたちはさらに危険な状況に追い込まれる。


俺はもう迷わなかった。


屈み込み、地面に転がっていた繁雑な刻文の入った史詩級の細剣を拾い上げ、剣身の汚れをさっと拭い取ると、腰に差し込んだ。


そしてブリュンヒルデの槍を両手でしっかりと握り直し、光の翼を全力で羽ばたかせ――眼下の帝国衛隊に向かって飛翔した。


ブリュンヒルデの槍の破甲能力と、上空からの機動牽制を組み合わせれば、戦況はすぐに覆るはずだ。


その読みは正しかった。


俺は何度も急降下を繰り返し、槍の穂先で衛兵の鎧を正確に刺し貫く。


光魔法が瞬時に炸裂し、彼らの生命を吞み込んだ。一度の突撃で、数人の衛兵が散った。


そして――何度かの連続突撃の後、頑強な帝国衛隊はついに最後の一人だけを残すのみとなった。


その最後の衛兵は、全身に傷を負っていた。


黒い血が鎧に染み込み、腕の一本は俺の攻撃で当の昔に断ち切られていた。


残った片腕だけで盾を死にものぐるいで握りしめ、ふらついた足取りで、それでも野営地の方向へ歩き続けていた。


目には、まだ一筋の殺意が残っていた。


俺はため息をついた。


翼を叩いて目の前に降り立ち、その衛兵と向き合う。


衛兵もまた、最後の力を振り絞って俺を見上げた。


そして――盾を振り上げ、俺に向かって叩き込んできた。


その動きはもはや以前のような素早さとはほど遠く、振りかぶる片腕も微かに震えていた。


俺は手で凝結させた光刃を静かに振るい、その首を断った。


盾が地面に落ちる。衛兵の体がゆっくりと崩れ落ちた。


俺はその場に立ち尽くし、眼前に転がった首を見つめた。


その眼には、憎悪も嫌悪もなかった。


あったのは――深い、深い敬意だった。


(暗魔法は古代の存在を召喚して戦闘に使役することができる。だがその際、召喚された個体の戦闘意志もそのままコピーされる)


戦闘意志が高い者ならば、四肢を断ち落とされようとも、最後の一瞬まで戦い続ける。 逆に意志の低い個体は、ある程度ダメージを受けただけで消滅してしまう。


そして今しがた俺が斬ったこの兵士は――命尽きるその瞬間まで、戦意を手放さなかった。


(……古帝国、か)


俺は静かに目を伏せた。


(本当に、恐ろしい……)

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