61. 緑の迷宮、帰還と着替えと、チャーリーの口
疲れ果てた体を引きずって、俺はゆっくりと後方の黄草原へ歩いて戻った。
両脚に鉛でも詰め込まれたみたいに重く、一歩踏み出すたびに余計な力が要った。
たった今、森妖を仕留め終えた。体内の魔力はほぼ底をついている。長い白金の髪は汗で首筋に張り付き、毛先には黒い樹液がちらほらと残っていた。
風が吹くたびに、俺の体から山茶花の体香と魔物の腥臭が入り混じった、なんとも形容しがたい奇妙な匂いが漂う。
俺は手を上げ、頬に貼り付いた髪を払いのけた。指先が自分の冷たく白い肌に触れる。広大な黄草の中に立っている俺の姿は、きっと格別に頼りなく見えたことだろう。
すぐに、遠くに三つの見覚えのある影が現れた。ユーナ、チャーリー、ニーナだ。
三人は平らな大岩のそばに腰を落ち着けていたが、俺の姿を認めた瞬間、まず揃って固まった。そして次の瞬間、申し合わせたように三人同時に鼻を覆い、眉を寄せた。
ユーナはやや横に身を引き、鼻先をわずかに蠢かせた。 チャーリーは思い切り上体を後ろへ傾け、両手を腰に当て、あからさまに顔をしかめた。
ニーナはそっと体を丸め、長い髪で顔の半分を隠しながら、両手を胸の前で組み、静かに俯いた。
「クローディア、すっごく臭いよ!」
先に口を開いたのはチャーリーだった。眉はずっと寄ったままで、片手で鼻を押さえ、もう片方の手を顔の前でせわしなく扇いでいる。思わず半歩後ずさりまでした。
「森妖とどんだけ戦ってたの?なんでこんなに汚れてるの、泥沼でひと転がりしてきたみたい!」
俺は彼女の言葉に釣られて、黒い樹液まみれの腕を鼻先まで持ち上げ、くんと嗅いでみた。
草木の腐った臭いに魔物の腥臭が混じった強烈なにおいが鼻を突き、思わず顔が歪む。眼底に一筋の無念さが過ぎた。
指先の樹液はねばつき、肌に絡みついて気持ちが悪い。俺は思わず裾で手を拭いたが、裾まで汚してしまった。
「仕方ないよ、森妖の樹液を全身に浴びたんだから。戦ってる最中はそんなこと気にしてられないし、終わったら戻るのが精一杯だった。」
話しながら腕を軽く揺らすと、樹液が指先から草の上に滴り落ち、黒い小さな染みを作った。
ユーナが俺を一瞥し、その眼の奥に一筋の心配が過ぎった。それからニーナの方へ、阿吽の呼吸で目配せした。
ニーナはすぐ察した。微かに顔を上げ、指先をそっと動かすと、透明な水球がふわりと宙に浮かんで現れ、ほんのりと水気を漂わせながら俺めがけて飛んできた。俺は躱さず、そっと目を閉じた。
――奴らが汚れを落としてくれようとしているのはわかった。
水球が体に当たった瞬間、「ザバッ」と弾けた。
冷たくきれいな水が髪を伝って流れ落ち、黒い樹液を少しずつ洗い流しながら足元へと滴り、黒色の小さな水たまりを作った。
魔法の清水はあっという間に表面の樹液を落としてくれた。しかし服はすっかり台無しだった。
ぐしょぐしょに濡れて皺だらけになり、汚れも染み込んで、体にべったりと貼り付いたまま冷たく重い。
これ以上着ていられる代物ではなかった。
俺は思わず服の裾をかき合わせた。頬がじわりと熱くなる。長い髪が目隠しになっていて、まだよかった。
ユーナが立ち上がり、すぐさま俺のそばへ歩み寄った。細い指が俺の髪先の水粒をさらりと払う。指先から微かな温かみが伝わってきた。
それから手環をひと操作すると、かすかな光が瞬き、白いタオルが一枚取り出された。
「クローディア様、早く服を脱いでください。濡れた服を着ていると体が冷えてしまいます。」
声は柔らかく、心配の色が滲んでいた。彼女の梅の花の香りが俺の周囲にふわりと漂い、張り詰めた神経がほんの少しほどける。
「うん。」俺は頷いた。胸の中がじんわりと温かくなる。
ただ、俺は何もしない、ただその場に立っているだけだった。服を脱ぐ気にはどうしてもなれない。視線が自然とチャーリーとニーナの方へ向いた。頬がまた一度赤くなる。
二人がまだそこにいるのに、さすがに目の前で脱ぐわけにはいかない。
「クローディア、なんで着替えないの?」チャーリーが不思議そうに俺を見つめた。目を丸くして、声に少し急かすような色がある。
「早く替えてよ、まだ臭うし、着替えたらキャンプに戻らないといけないじゃない!」
俺はその顔を見て、心の中で静かに白目を剥いた。
こいつ、本当に気づいていないのか、それとも無邪気なふりをして俺をからかっているのか。
「あなたがそこで見ていたら着替えられないじゃない。」俺は無言の突っ込みをひとつ呑み込んでから、白い目を向けつつ苦笑した。目の前の長い髪をひと払いして、
「まさか、私が脱ぐのを見たいわけ?」そう言いながら、わざと眉を上げ、眼底に一軒のいたずらっぽい光を灯した。「御家断絶しちゃうよ~。」
「もう、ケチ。」チャーリーは不満そうに顔を背け、両手を胸の前で組んで唇を突き出した。それ以上は何も言わなかったが、肩がわずかに膨れていた。
ニーナはといえば、空気を読むことが自分の命綱であるような人間だ。
ユーナがタオルを取り出した時点で、彼女はもうそっと背を向けていた。長い髪が横顔を隠し、ほんのわずかに耳の先だけが赤くのぞいていた。
相変わらず小柄で、両手を胸の前で組み、体をほんの少し丸めて、呼吸まで気を遣っているように静かで、最後まで一言も発しなかった。それでいて、距離感だけはちょうどよかった。
二人が背を向けたのを確かめて、俺はようやく息をついた。緊張していた肩が、すとんと下がった。
汚れた濡れ服を脱いだ。指先が冷えた肌に触れた瞬間、思わず小さく身震いした。
ユーナが後ろに立ち、白いタオルを手にしていた。
「クローディア様、浄化魔法で残った汚れと体内の魔物の濁気を落としましょうか。その方が楽になります。」
俺は頷き、振り返って彼女を見た。胸の中が静かに温かかった。
ユーナはタオルを手に取り、指先に淡い白い光を灯した。
浄化魔法の光だ。彼女は指先で俺の腕や首筋をそっと撫でながら魔法を流し込み、もう片方の手でタオルを使って丁寧に拭いていく。
指先の温かみが魔法の優しさと混じり合い、肌に残った冷気と体の不快感を少しずつ払っていった。俺はそっと目を閉じ、力を抜いた。
二人のほのかな体香がいつの間にか重なって漂ってきて、疲れ果てた体と心がほんのわずかに緩んだ。
しばらくすると、白かったタオルは真っ黒になっていた。排出された汚れと残留樹液でびっしりと染まり、見ているだけで気分が悪くなるほどだ。
ユーナは小さく眉を寄せ、タオルを脱いだ服の上にぽいと放り投げた。
「これは使いものにならないし、このままにしておくと魔物を引き寄せるかもしれません。後で一緒に燃やしてしまいましょう。」
俺は目を開けて頷き、服の山を見た。樹液だけじゃなく、ゴブリンの血肉まで絡まっている。魔物に汚染されたものは確かに残しておかない方がいい。
続いて、ユーナは手環からひと鍋分の水を取り出してゆっくり俺の頭から注いだ。
先ほど沸かして冷ました清水で、温度がちょうどよかった。冷たい水が髪を伝い流れ落ちて、残った汚れを最後に洗い流した。
ユーナは水を注ぎながら、髪をそっと手で梳いた。動作はずっと穏やかだった。
注ぎ終えると、今度は白い大きなバスタオルを取り出してさっと広げ、俺の体に優しく巻きつけた。
そして髪の先から足の甲まで、丁寧に水気を吸い取っていった。一箇所も見逃さなかった。
白いバスタオルはみるみる灰色になり、黒い汚れが滲んだ。これだけ拭いてもまだこんなに出てくるとは。帰ったらきちんとお風呂に入り直さないといけない。
拭き終えると、ユーナはバスタオルをそっと脇に置いた。
すべての準備が整って、ようやく彼女はワンピースを手に取り、俺に着せてくれた。
「はい、これでだいぶ綺麗になりました。臭いもほとんど消えたと思います。」
俺は手を伸ばして乾いた髪に触れ、心地よさに胸が緩んだ。眼底に小さな笑みが灯る。
「ありがとう、ユーナ。」
ユーナはにっこりと首を振った。「お嬢様、これは私のすることです。」
俺は魔力薬水の瓶を取り出してキャップを開けながら、背を向けたままの二人に声をかけた。
「もう向いて大丈夫よ。」
キャップを外した瞬間、ほのかな魔力の気配が漂い出した。俺はひと口含んだ。
温かい薬水が喉を滑り落ち、枯れかけていた体内の魔力がじんわりと戻ってくる感覚がした。疲労もわずかに和らいだ。
今の俺は黒い亜麻のワンピースに、白いタイツと黒いローファーを合わせていた。動きやすく、目立たない。
地下城の中ではとにかく動きやすさが一番だ。
この現代的すぎる服とローファーのデザインは俺が提案して、手先の器用なチャーリーに作ってもらった。
正直、中世風のあの重たくてごてごてした衣装は本当に着る気がしない。煩わしいし苦しいし、戦いにも向かない。
俺は手でさらりと長い髪を払い、足首を少し揺らして確かめた。やっぱりこれにしておいてよかった、と内心でしみじみ思った。
チャーリーとニーナが振り返った。
チャーリーは一瞬で目を輝かせ、すぐさま俺の周りをくるりと一回りした。声は思い切り大げさだった。
「わあっ、クローディア、すっごく可愛い!そのスカート、すごく似合う!」そう言いながら髪に触ろうと手を伸ばしてきたが、俺はさらりとかわした。
「からかわないでよ。」俺の頬と耳の先がじわりと赤くなった。あわてて話題を変える。
「いいから、みんな早くキャンプに戻りましょう。大事な話があるから。」
チャーリーにこんなに真っ直ぐ褒められると、さすがにくすぐったい。普段どれだけ気ままに振る舞っていても、こういうときはまだ少し照れを感じてしまう。
チャーリーはくすっと笑い、それ以上はからかわなかった。
「わかった、わかった、キャンプに戻りましょう。」
ニーナもゆっくり歩み寄り、相変わらず無口だった。俺をちらりと一瞥してすぐまた視線を落とし、言葉の代わりにそっと頷いた。
俺たちは四人でキャンプへと歩き出した。ユーナは俺の隣を歩き、ときどきそっと俺を支えた。
魔力が空になって体が疲れているのを、彼女はちゃんと知っていた。
しばらく歩いて、先ほど設営したキャンプが見えてきた。
森妖との戦いは基本的に俺の一方的な攻撃だった。おかげでキャンプの設備は比較的無事だった。
焚き火の炭はまだ残っていた。石組みも整ったままだ。ただ、テントは揺れで倒れてしまっていた。支柱が歪み、布地も何か所か引き裂けている。張り直さなければならない。
俺はキャンプの真ん中に立って、ぐるりと見渡した。
――まあ、跡形もなく壊されていなかっただけよしとしよう。また一から野営地を探すのだけは、勘弁してほしかった。




