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54. 緑の悪夢

戦闘態勢を整えた、その瞬間だった。


四方の黄草が、激しく揺れ始めた。


「さわさわ」という音が急速に大きくなり —— 掠れた唸り声が重なり、数十体の緑色の肌をした醜悪な魔物が、草むらの中から一斉に飛び出してきた。


密度の高い包囲網が、俺たちを取り巻く。


俺は眉をひそめ、じっと目を凝らした。


—— ゴブリン?


(この魔物、低級迷宮ではよく見かけるが…… ランクの高い迷宮に、これほど大量にいるものなのか? しかも待ち伏せまで仕掛けて)


ゴブリンたちは一体一体が小柄で、肌は緑色で脂ぎっており、見るだけで不快感を覚える。


頭の上には草むらからちぎってきたらしい黄草の束が、べったりと張り付いていた。


なるほど —— それが迷彩だったのか。草むらに紛れていたら、よほど注意深くなければ気づけない。


手にはそれぞれ武器を持っていた。


ひび割れた木盾を構える者、錆びた鉞を握り締める者 —— どれも拾い物同然で、とても精良とは言えない。


(前世では「破傷風の刃」なんて呼ばれてたやつだな)


(しかし…… 完全包囲だ。どの方向に突破を試みても、必ずゴブリンの妨害に遭う。最初から計画的に待ち伏せしていたということか)


実を言えば、ゴブリン一体の戦闘力はたかが知れている。


一対一なら、普通の人間でも容易に太刀打ちできるくらいだ。


だが —— こいつらが厄介なのは、腕力ではない。


頭脳だ。


人間でいう十歳前後の知能を持ち、武器を扱い、道具を使い、互いに連携し、身を隠し、待ち伏せる。

今がまさにその典型だ。単体では勝てないと分かっているから、数の力で包囲してくる。


(…… こいつら、ここを獲物の待ち伏せポイントにしてるな)


迷宮に足を踏み入れる冒険者を、食い物として待ち構えている。


数で囲い込み、逃げ場を奪い、ごっそりとさらっていく。


緑色の瞳がこちらを舐め回すように動き、よだれが滴り落ちていた。


(ゲームで見たことある —— 女の子がゴブリンに捕まった場合の末路が……)


…… 前世、そういうゲームは好きだったけど。


実体験はご遠慮したい。


ユーナも状況を見て取ったのか、表情がわずかに曇る。声に緊迫が走る。


「お嬢様、包囲されています。一度引いて入口から脱出し、作戦を立て直しましょう」


俺も頷いた。ユーナの判断は正しい。


ゴブリンは四十体以上、個々の実力は大したことないが数が多すぎる。


俺とユーナには無力な相手でも、数の優位で注意を引きつけ、チャーリーとニーナをさらわれる最悪のシナリオが頭をよぎった。


(撤退が最善だ。元の世界に戻ってあの二人を安全な場所に置き、俺とユーナだけで戻ってきて一掃する)


俺は後方へ振り返り —— 入ってきた方向を確認しようとした。


あの菫色の光幕を探す。


だが。


光幕は、消えていた。


草が揺れるだけで、そこには何もない。


魔力の気配すら残っていない。完全に消失していた。


ユーナ、チャーリー、ニーナも同時に気づいた。


三人の表情が一気に曇る。


「…… どうして? 入口が閉じるなんて、これまで聞いたことがありません」


ユーナは眉を寄せ、声を潜める。


「じゃあ…… 私たち、出られないの?」


チャーリーの瞳に不安が滲み、小声で問いかける。


ニーナが顔を上げた。体が微かに震えているのに、それでも俺の側へ寄り添おうとする。


言葉は出なかったが、瞳には助けを求める光が宿っていた。


俺は深く息を吸い、心を落ち着けた。


(…… なるほど。迷宮側が強制的にクリアを迫ってくるわけか)


周りのゴブリンたちは、俺たちの動揺を察したのだろう。


嘶きがさらに大きくなり、一体一体が手の武器を振り上げ、ゆっくりとこちらへ詰め寄ってくる。


緑の瞳には、獣欲と凶暴さが滲んでいた。


俺は改めて体勢を整え、隣のユーナへ視線を送り、静かに、しかし揺るぎなく告げた。


「ユーナ —— 二人を守って」


ユーナは即座に頷いた。胸中の動揺を振り払い、瞳に再び決意の輝きを宿す。


火属性の長剣を、しっかりと構え直した。


―――――――――――――


言葉が終わるより早く、先頭の数体のゴブリンがすでに動き出していた。


喉の奥で「ゴロゴロ」と奇妙な音を立て —— まるで唾を飲み込むような音 —— 粗野な木棒を振り上げ、つま先立ちで狂ったようにユーナへ突進してくる。


ユーナが小柄だから、一番手懐けやすいと見込んで、まず柔らかそうな標的から狙いに来たのだろう。


ユーナの背後でチャーリーがびくりと硬直した。


足が震え、反射的に後ずさり、肩がニーナの腕にぶつかる。


生まれてこのかた、ずっと家族に守られて育った彼女にとって、


これほど凶暴な魔物を目前にするのは初めてに違いない。


武器を振りかざして襲いかかってくるとなれば ——。


瞬く間に目が赤く腫れ、涙が瞳の縁に溜まっていくのに、唇を強く噛み締めてこぼれまいと必死に堪えている。


呼吸まで乱れていた。


だがユーナは違った。


ユーナは幼くして父母を失い、底辺の世界を這い上がってきた。


食べるもの、着るものにも困窮する日々が当たり前だった。


他人からの冷遇や意地悪も、数え切れないほど乗り越えてきた。


そして俺と出会ってからのこの一ヶ月 —— 魔物相手でも人間相手でも、数多くの実戦を経験してきた。


その経験が与えてくれたのは、剣を振る技術だけではない。


突発的な状況に直面しても心が乱れないこと —— それが何より大きな強さだ。


突進してくるゴブリンを見ても、ユーナの瞳には波じらいも立たなかった。


眉すら動かさず、体重を半歩横へずらす。


ゴブリンの木棒が空を切り、「ドン」と地面を叩き、黄草が舞い上がる。


それと同時 —— ユーナの手首が鋭く動いた。


火属性の長剣を持つ腕が、自然な流れで一閃する。


迷いも無駄もない。


「シュッ」と鋭い音が走り、赤い閃光が煌めいて ——


突進してきたゴブリンの体が、真っ二つに裂かれた。


墨緑色の血液が噴き出し、地面の黄草に降り注ぐ。


「ジュッポ」という濁った音を立て、気配は一瞬で消え失せた。


ゴブリンの骸が草むらへ崩れ落ちる。


ユーナは僅かに身をかわし、飛び散る血潮を避けた。


袖先で頬についた一滴の血を軽く拭い、視線は一秒たりとも途切れることなく、再び周囲のゴブリンたちへ向けられた。


警戒は一切緩んでいない。


―――――――――――――

その瞬間、ゴブリンの群れの中から —— 一際大柄な個体が動き出した。


通常のゴブリンより一回り大きく、肌の色も濃い。


手には棘だらけの鉾杖を握っている。


その個体が喉から耳障りな鋭い嘶きを上げた —— 明らかに進撃の号令だ。


それを合図に、数十体のゴブリンが一斉に動き出した。


躊躇も、様子をうかがう素振りもない。


一体一体が嘶きながら武器を振りかざし、俺たち四人へ突進してくる。


密集した緑の影が、隙間なく俺たちを包囲する。


空気にはゴブリン特有の獣臭が充満し、胃が反射的に反応した。


俺の心は、まったく動じなかった。


(数は多いが所詮は低級魔物。俺にとって脅威にはならない。少々手間はかかるが、数分もあれば片付く)


俺は両足を地面にしっかりと固定した。


左手を高く掲げると、氷晶の盾が正面の数体のゴブリンが振り下ろした刃と木棒を真正面から受け止める。


「ドンドンドン」と連続する衝撃音が鳴り響いたが、盾は微動だにしない。


同時に —— 右手の金魔法で凝結させた砍刀が、正面の三体のゴブリンの脚部へ向けて一気に薙ぎ払われた。


躊躇も迷いも、一切ない。


「カチャリ、カチャリ」という乾いた断裂音が走り ——


三体のゴブリンの脚が、胴体から綺麗に切り離された。


その上に薄く巻かれていた粗末な皮の鎧ごと、砕かれていた。


三体は凄まじい叫び声を上げ、バランスを崩して地面へ崩れ落ちた。


両手で切断面を押さえながら身をよじり、甲高く絶叫する。


墨緑色の血が傷口から溢れ出し、たちまち下の黄草を染め上げた。


ゴブリンたちは目を見開いて俺を見つめ、恐怖と呆然とした表情を浮かべていた。


(こんな細い腕でそれほどの力が出るとは、思ってもみなかっただろうな)


俺は視線をさっと逸らし、一瞥するだけ。


瞳には一滴の同情も宿っていない。


こちらを殺そうと襲いかかる相手に情けをかけるのは、自ら首を差し出すようなものだ。


足元 —— 一体が足首を狙って這い寄ってきていた。


俺は僅かに体重を移動させて回避し、左手の氷晶の盾を流れるように振り、そのゴブリンの頭部に叩きつけた。


「ドン」と鈍い音が響き、ゴブリンはよろけ、数歩後退して地面に倒れた。


起き上がろうともがく隙も与えず —— 右手の金の砍刀が一閃する。


刃は首元を正確に捉え、その命を断ち切った。

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