44. ここから先が、本番だ
その後、ラティは奴隷を管理するために開発された魔導器のことを、丁寧に教えてくれた。
いくつかの種類があった。
魔力を封じるもの。身体の動きを縛るもの。そして、抵抗する意志そのものを奪うもの。
——本当に、吐き気がする。
人間の残酷さには、もう驚かないつもりでいた。けど、こうして具体的に聞かされると、やっぱり胸の奥がざわつく。
俺はただ静かに頷き続けた。感情は仕事の邪魔になる。今はまだ、聞くことに集中しろ。
一通り話し終えると、ラティはゆっくりと立ち上がり、恭しく一礼した。
「では、準備の方を——」
「わかった。行ってください」
エステラは俺の視線を避けるように、ずっと下を向いたままだった。身体も、ぴんと固まったまま。彼女も連れて、ラティは面見室を後にした。
運搬用の荷馬車と、必要な準備を整えるために。
俺はユーナの手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
胸の中に、静かな炎が灯った気がした。
「行こう、ユーナ」
「——はい」
ユーナの返事は短かったが、その目には揺るぎない光があった。
俺たちは公爵邸内の研究開発基地へと向かい、二人で使えそうな魔導器を一つ一つ選んで腕輪にしまい込んだ。
万全の準備を整えた。
─────────
深夜一時。
闇は深く、月は厚い雲に隠れて、世界はどこまでも黒く静まり返っていた。
公爵邸の正門前に、一台の荷馬車が定刻通りに停まった。
鉄格子の積まれた平台馬車。車体には装飾一つなく、どこにでもある粗末な代物だ。これがラティが奴隷の運搬に使い続けてきた馬車。目立たず、怪しまれず——それだけが取り柄。
俺とユーナは、すでに変装を済ませていた。
「…………」
ラティと老執事のアーレンが馬車から飛び降りてくる。アーレンは黒い執事服をきちんと着込んで、白髪交じりの頭を少し垂れ、ラティの後ろをついてくる。
その二人が俺たちを見た瞬間——固まった。
まあ、そうなるか。
俺とユーナの白い肌には、黒い煤と褐色の泥が満遍なく塗りつけてあった。
精巧な顔は見えない。ただ目だけが、やけに澄んで輝いていた。
——そこは仕方ない。目の色まではどうしようもない。
服はドレスから替えた。粗い麻布を、身体の要所だけ辛うじて覆う程度。布は薄く、硬く、肌にべたりと張り付いて気持ち悪い。
(……前世でもここまで貧相な服は着たことがなかった。)
俺たちの首には、黒い革製の奴隷の首輪も嵌まっていた。
エステラの首輪とは違う。これには拘束の符文も、魔導金属も使っていない。ただの普通の革紐だ。
ただし——表面には偽装魔法をかけておいた。本物の奴隷首輪と同じ魔力気息を散らすように。宗師クラス以下の魔法師であれば、まず見抜けない。
それと、髪の色も変えた。
俺の輝くような白金色の長髪は、今は鮮やかな桃色に染まっている。ユーナの桃色の長髪は、逆に白金色に変えた。
人間がこの色の髪を持つのは極めて稀で、商人の目を惹きつけやすい。俺たちの本来の身分から視線を逸らすには、ちょうどいい。
「……ラティ先生、ぼうっとしてる場合じゃないですよ。時間がない。早く行きましょう」
ラティが硬直したままこちらを見つめているのに気づき、俺は意図的に声を落として、おどおどした口調で言った。
返事を待たずに、俺はユーナの手を引いて馬車の後部の鉄格子の中へ自分から飛び込んだ。
鉄格子は頑丈な鋼鉄製で、触れると氷のように冷たかった。中に敷物なんてものはない。鉄の床に直接座るだけだ。
俺とユーナが中に入り終えると、俺はずしりと重い鉄扉を自分で引き閉めた。
「ガシャン」
鈍い金属音が鳴り響き、外界と俺たちの間に隔たりができた。
(……思ってたより音がでかい。)
ラティは呆然としながら首を振った。顔には「なぜこんなことに」と書いてあった。
もう何を言っても無駄だと悟ったのだろう。ただ静かに祈るように目を閉じ、馬車の正面へと回った。
アーレンが御者台に乗り込み、ラティがその隣に腰を下ろす。
馬鞭が軽く弾かれた。
馬車はゆっくりと動き出し、夜の闇の中へと走り出した。
車輪が地面を転がる「ゴロゴロ」という音が、しんとした夜の空気に静かに響いた。
─────────
馬車は滑らかに走り、途中で何事も起きなかった。
やがて、馬車は鬱蒼とした森の中で止まった。
森の木々は天を突くほど高く、葉が折り重なって空を覆い隠している。昼でさえ陽の光はろくに届かないだろう。まして深夜となれば——辺りは完全な暗闇だった。
木々の間を吹き抜ける風が、「ザザ……」と葉を揺らした。まるで誰かが囁くように。
——悪くない舞台だ。
馬車が止まった瞬間、黒い影が空から落ちてきた。
「ドン」
重い着地音が地面に響き、わずかに砂埃が舞い上がった。
影はゆっくりと立ち上がった。
黒いフードの外套。頭から足先まで黒布に包まれ、顔は見えない。布の隙間からわずかに覗く目だけが、鋭く、冷たく、陰鬱な光を放っていた。
馬車の真正面に立ち、行く手を塞ぐように。
「チャーリーさん、よくいらっしゃいました」
ラティが馬車から飛び降り、すぐさま愛想笑いを浮かべた。声音は恭しく、腰は低い。まるで顧客に媚びる行商人のようだ。
チャーリーはラティを一瞥もしなかった。
その視線は最初から、馬車の鉄格子の中の俺たちに向いていた。
品定めするような目だ。冷たく、貪欲で、温度がない。
まるでここに人間がいるとは思っていないかのように——ただの荷物として、値踏みしている目。
(……吐き気がする。だが今は、コレを利用する。)
俺は心の中で舌打ちをしながらも、外側には怯えた表情を貼り付けたまま、探索魔法をそっと広げた。
チャーリーの魔力を探る。
——魔導士五級。
(……取り越し苦労だったな。)
俺の現在の実力でいえば、目を瞑ったままでも倒せる相手だ。焦ることはない。
「ラティさん、今回は二人しかいないのですか」
チャーリーがようやく口を開いた。
声は低く、しゃがれていた。砂紙で削ったような質感。語気には、不満の色がにじんでいた。
「以前、毎回最低五人は連れてくる約束だったはずです。二人では、会長への説明が——」
「チャーリーさん、まあまあ落ち着いてください。まず品を確認してから文句は言ってください」
ラティが笑顔を崩さずに割り込んだ。
場慣れしている、という顔だった。こういう場面を何度もこなしてきた人間の顔だ。
「今回の二人は、苦労して手に入れた一級品ですよ。ご覧ください——」
ラティは鉄格子の中の俺を指差しながら、声に自信を滲ませた。
「この精霊の少女。呪われた色と呼ばれる桃色の髪ですが、本物の純血精霊族です。精霊族の少女は容姿端麗、寿命も長く、魔力の素質も抜群。その種族だけでも、普通の人間奴隷の何倍もの値がつきます」
それからラティはユーナを指差した。
「そちらの人間の少女、髪の色をご覧ください——白金色ですよ。これほど希少な発色は、皇族の中ですら稀です。貴商会にも、こういった品は多くないのでは?この二人合わせれば、普通の奴隷五人分どころか、それ以上の価値が十分にある」
チャーリーの眉が、ゆっくりとほぐれていった。
眼の中の不満が薄れ、代わりに濃い欲の色が滲んでくる。
「……確かに、桃色の精霊に白金の人間か。珍しいな」
ひとりごとのように呟きながら、再び俺たちを眺め回した。
ラティは胸の内でこっそり息をついた。
やり過ごせた——その安堵が、一瞬だけ表情に浮かんで消えた。
そこから先は、あっけないほど淡々と進んだ。
チャーリーは懐から金貨袋を取り出し、ラティへと手渡した。ラティは素早く中身を確認し、枚数に問題がないことを確かめると、引き渡しリストをチャーリーに差し出した。
二人は簡単に確認を交わし、取引は完了した。
鉄格子の中で、俺はひっそりと目を細めた。
(……よし。第一関門、突破。)
これがまだ序盤に過ぎないことはわかっている。
ここから先が、本番だ。




