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38. 折れた意地

悪役令嬢といえば、机への嫌がらせは外せないよな。


そう思ったのは、あの一件の直後だった。


あの手の文学作品に登場する悪役令嬢が最も好む嫌がらせといえば、ヒロインを虐める、そして陰でこっそり机に細工をする——この二つに尽きる。


ああ、でも待て。


ここは日本式の異世界じゃないんだよな、靴箱なんてものは存在しない。 報復の手段として使えるのは、せいぜい机くらいのものか。


(いや、こんなこと考えてる場合じゃないんだが……)


――あながち外れてもいなかったというのが、正直なところだ。


茶話会はあっという間に終わり、授業の時間になった。 俺たちは四人で荷物をまとめ、教室へと向かった。


教室に足を踏み入れた瞬間、俺は固まった。


自分の席に、黒インクがぶちまけられていた。


白い椅子の座面に黒々と広がる染み。 清潔で整っていたはずの椅子は見るも無残な状態になっており、とてもじゃないが座れたものじゃない。


そして机にいたっては、影も形もなかった。


ぽっかりと空いた空間が、まるでそこだけ時間が止まったかのように、ただただ虚ろに広がっている。 エステラとその取り巻きが、どこかへ運び去ったのだろう。


……いったいどこの誰がやったんでしょうねぇ。 難しいですよ、犯人を特定するのは、本当に。


俺は冷たい目でその惨状を眺めながら、内心でそんな棒読みのセリフを垂れ流した。


もちろん、犯人はエステラに決まっている。


彼女以外に、こんな暇で幼稚な嫌がらせをする人間はいない。 カール・ハインツを蹴り倒した件、跪かなかった件、その両方への報復だろう。


視線を遠くへ向ける。


教室の入口付近、ドア枠にもたれかかって腕を組んでいるドリルツインテールの令嬢——エステラが、こちらを軽蔑した目つきで眺めていた。


その口の端には、隠しきれない満足げな笑みが浮かんでいる。


俺の視線に気づいたのか、彼女は慌てたように折り畳み扇で半顔を隠した。


けれど得意げな笑みはそこからでもはっきりと滲み出ていて、まあ丸見えというわけだ。


(ご苦労さん)


時間はない。授業が始まる。 今さら机を探しに行っても、見つかったところで原形をとどめているかどうか怪しいものだ。


だったら――新しく作ればいい。


そのほうがよっぽど手っ取り早いし、エステラへのメッセージにもなる。


「あなたの嫌がらせ、ちゃんと見てますよ。でも、これっぽっちも響きませんでした」――そういうことだ。


俺は静かに体内の魔力を巡らせた。


指先からほんのわずかな緑の光が、音もなくにじみ出る。


教室の入口付近の空きスペースを狙い、そっと一点に触れる。


次の瞬間、床を突き破るように太い蔦が幾本も生え出し、みるみるうちに伸びていった。


蔦はまるで生き物のように絡み合い、巻きつき、しなやかに折り重なって――気がつけば、一脚の机の形を成していた。


精緻な造形、鮮やかな翠緑。 生命力に満ち溢れた、どこか幻想的な雰囲気を持つその机は、学院に備え付けの木の机よりも、正直ずっと見栄えがする。


維持するには絶えず魔力を供給し続ける必要があるが――この程度の負荷、今の俺には大したことではない。 授業中ずっと流し続けたとしても、疲れる気配すらなかった。


椅子の黒インクは、ニーナが水魔法で洗い流してくれた。


彼女は眉をひそめながら俺の席のそばに歩み寄り、指先に薄い青の魔力を収束させた。


空気中の水分を手繰り寄せ、細い水流を操り、丁寧に、丁寧に、黒い染みを押し流していく。


穏やかで的確な水の流れ。 しばらくすると椅子はすっかり元の白さを取り戻し、まるで何事もなかったかのように、静かにそこに鎮座していた。


(二週間前、魔法をほとんど使えなかったニーナが、ここまで……)


俺は密かに目を見開いた。 正直、想像の何倍もの成長だった。


「どうしてこんなことをするんですか!どれだけひどいことをしたかわかってるんですか!」


椅子が片付いたのとほぼ同時に、チャーリーが爆発した。


席から勢いよく立ち上がり、エステラのいる方向へ大股で歩み寄る。 その背中からは「今すぐ殴ってやる」という意思がにじみ出ていた。


「あらあら、このお方、ここで何があったかご存知なんですか?」


エステラはゆっくりと折り畳み扇を閉じ、これ以上ないほど無実ぶった表情を浮かべた。 声音には軽蔑と嘲笑が混じり合っている。


「証拠もなしに、やみくもに人を陥れるんですか?田舎者ってそういうもの?野蛮ねえ。マナーの欠片もない。そんな安物の礼服を着て、野蛮なことしかできないんだから、仕方がないのかしら」


言い終えると彼女はわざとらしく顔をそむけ、まるで悪臭でも嗅いだかのように眉を寄せた。


そこにあるのは純粋な嫌悪と、洗練されているようで滑稽な傲慢さだった。


「あんたって……!」


チャーリーの全身がわなわなと震えた。 両手はきつく握り拳になり、爪が手のひらに食い込んでいる。 その拳が、ゆっくりと振り上げられた。


だが――次の瞬間、外から戻ってきたユーナがその腕をすっと掴んだ。


チャーリーはユーナを見上げ、大きな黒い瞳に疑問と怒りをたっぷり滲ませながら問いかけた。 「なんで止めるの」と言わんばかりの顔だった。


でも、ユーナの目を見たあとは、チャーリーの表情がゆっくり落ち着いていった。 ユーナが何を思っているか、何となくわかったのだろう。


チャーリーが衝動のまま動けば、学院のルールで罰せられるのはチャーリーの方だ。 そんなことになれば、エステラの思うつぼでしかない。


チャーリーは重たいため息をひとつついて、振り上げた拳を下ろした。 エステラをキッとひと睨みして、背を向け、席へと引き返す。


戻っても眉間のしわは解けず、口の中でぶつぶつと不満を垂れ流していた。


(ユーナ、よくやった)


事前に話を通しておいてよかった。 俺は小さく安堵の息をこぼした。


ユーナがチャーリーを止めてくれたこと。 感情よりも状況判断を優先してくれたこと。 俺の言葉を、ちゃんと覚えていてくれた。


「……ごめんな」


思いがけず、声をかけられた。


振り向くと、カール・ハインツが傍に立っていた。


あれからだいぶ経つのに、顔色はまだ白い。 黒い短髪は乱れたままで、服には埃がついている。ひどい格好だ。


それでも、頭を下げた顔はいたって真剣で、目の奥には本物の罪悪感が宿っていた。


「俺のせいで、こんなことになっちまった。財産的な損害があったなら全部弁償するし、精神的な損害だって何でも言ってくれ。できる限り埋め合わせる」


普段は鬱陶しいくらい喧嘩を売ってくる男だ。 無駄に向こう見ずで、空気も読めない。 ほとほと手を焼かされている。


けれど今回の件、主な責任はエステラの幼稚な行動にある。 カール・ハインツは彼女に好かれていたというだけで、直接手を下したわけじゃない。


俺は静かに頭を上げ、淡々と返した。


「構わない。あなたのせいじゃない。謝る必要もないし、弁償も要らない」


カール・ハインツは一瞬きまり悪そうな顔をしてから、小さく頷いた。


そして踵を返し、エステラのいる方へと歩いていった。


エステラの前に立つと、カール・ハインツは眉をひそめ、声を張り上げた。 怒りと呆れが混じり合った、歯に衣着せぬ指摘だった。


そんなことをするな、俺のために誰かを傷つけるな、お前がやったことは最低だ——そういう意味のことを、包み隠さずぶつけた。


エステラは、固まった。


カール・ハインツが自分に怒鳴るとは、思ってもみなかったのだろう。


いつもの傲慢さが顔から剥がれ落ち、代わりに滲み出てきたのは、あからさまな委屈と悲しみだった。 目の縁がじわりと潤む。


(いや……泣くの?)


俺は内心、ほんのわずかだけ呆れた。 ドリルツインテールが潤んだ目をしているのは、なかなかどうして、画になる光景ではあるのだが。


(まあ、それはそれとして)


俺はそっと視線を窓の外へ逃がした。 蔦の机は静かに翠色の光を宿しながら、主の帰りを待っている。


今日も賑やかな一日だった。


そして、まだ終わっていない。

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