325. 逃走と副官
彼が双眼鏡を下ろす間もなく、向かいの黒い大船の艦首、あの二本の金属の筒が彼のいる方向へわずかに角度を変え、末端から灰白色の煙をひと塊吹き出した。
あの音は、彼には聞き慣れないものだった。
バリスタの弓弦の音ではない。
投石機のばねの音でもない。
低く詰まったような轟きで、何かが空を引き裂き、そして海面に低い唸りを押しつけていくような響きだった。
彼の足元の甲板が、激しく一撃で揺れた。
「海王戟号かいおうげきごう」の左舷およそ50メートルにいた二本マストの縦帆船が、見えない巨大な拳に横から殴られたようだった。
船体中央のブルワーク(舷側の壁板)が一瞬で粉砕され、木屑と破片が扇状に飛び散り、続いてその船は真ん中から断裂した。
断裂した船首と船尾がそれぞれ逆方向へ反り上がり、マストが衝撃で折れ、帆布と綱が乱雑に水中に落ちていった。
ライオネルの瞳孔が収縮した。
あの船は、一瞬で真っ二つになった。
彼は二発目を見ていない。
だが甲板が揺れたとき、続く低い音を聞いていた。
何かが頭上を掠め、鋭い風圧を伴って、艦隊の後列にいた三本マスト戦列艦の一隻を捉えた。
その船の船尾は、直撃を受けて全体が吹き飛び、破片と板材が宙へ放り出され、船体は均衡を失ってゆるやかに左へ傾きはじめた。
傾くにつれてメインマストが数度揺れ、そして帆布と綱を巻き込んだまま水面へ叩きつけられ、白い飛沫を大きく上げた。
海面では、炎上する二つの船体が煙を上げはじめ、火の手は海風にあおられて急速に広がっていた。
悲鳴が、最初に撃たれた船のあたりから広がりはじめた。
水面に石を投げ込んだときに広がる波紋のように。
最初はひとつ、次にいくつか、そして艦隊のあちこちで人が叫びはじめた。
ライオネルの鼓膜に、かすかな耳鳴りが起きた。
彼は手すりから手を離し、一歩下がった。
「伝令」
声はさっきよりいくぶん低かったが、あの兵に届くことは分かっていた。
「全艦、回頭せよ。直ちに反転。クーパー港へ全速で撤退する」
伝令はその場に立ったまま、一瞬固まった。
「将軍……」
「急げ」
伝令は身を翻し、マストへ向かって走った。
昇降索を引こうとして手が一度震え、それから索を握り直し、帰投の信号旗を引き上げた。
だが回頭には時間が要る。
インゲリアの軍艦は帆走だから、針路を変えるには帆の角度を調整し、舵輪を回し、風と潮流が船体を回し終えるのを待たねばならない。
この工程には数分、あるいはそれ以上がかかる。
そして回頭を終える前に、エリクソン艦隊は二巡目の斉射を放っていた。
徹甲弾が、再び海上の空気を引き裂いた。
最初の打撃を受けたのは、右側編隊の末尾にいた数艘の中型帆船だった。
一発の弾丸が二本マスト帆船の喫水線の近くに巨大な破口を穿ち、海水が破口から船内へ流れ込み、船体は一分と経たぬうちにはっきりと沈みはじめた。
甲板の水夫たちが救命艇を下ろす間もなく、船体はもう取り返しのつかない角度まで傾いていた。
別の弾丸は前列の軍艦を越え、後方の一隻の三本マスト戦列艦のメインマストの根元を捉えた。
メインマストは折れた瞬間、木材の裂ける甲高い音を立て、帆を吊る綱を伴って右側へ倒れ、巨大なマストが隣のもう一艘の船へ叩きつけられて、そのブルワークに大きな穴を開けた。
折れたマストが海面に倒れ、綱が帆布を引きずって海水に沈んでいく様は、死にゆく鳥が翼を畳んでいくようだった。
ライオネルは艦首に立ち、手すりを握り、目の前の光景を見ていた。
彼の前の海面で、少なくとも八艘の船が燃えていた。
炎が船殻を舐め、灰色の木を黒に変え、黒い裂け目から橘色の光を吐き出していた。
煙がそれらの燃える木造船から立ち上り、海上に低い灰色の幕を敷いた。
風が吹くと、煙は海面に這うように南東へ流れ、焦げた臭いを彼の立つ位置まで運んできた。
彼の視線は燃える残骸を越え、あの灰色の鉄甲艦へ落ちた。
無畏号は、まだそこにいた。
追撃してこない。
針路すら変えていない。
ただその場にとどまり、インゲリア艦隊の弩矢を黙って受け止め、そして弩矢を放った船を、黙って一隻ずつ海底へ送っていた。
あの艦隊は撤退中だ。
だがその撤退の速さは、エリクソン艦隊の装填の速さに追いつかない。
三巡目の斉射が、続けざまに降りかかった。
今度は、より多くの船が爆発のなかで解体された。
木屑、帆布、綱、そして人が衝撃波で宙へ放り出され、散らばって海面へ落ちていった。
そのうちの一隻、三本マスト戦列艦。
インゲリア海軍で三十年を超えて就役していた老艦「珊瑚海号さんごかいごう」は、艦の中央に被弾して甲高い金属の軋みを上げた。
続いて竜骨が折れ、船体が中央から崩れ落ちた。
下から支えていたものが、すべて引き抜かれたかのように。
海面には板材、空の木樽、転覆した小艇、そしてライオネルが仔細に見ようとはしないものがいくつも浮いていた。
彼は甲板に立ち、唇をきつく結んだ。
手すりを握る手は離していなかったが、力も込めていなかった。
沈んだ船には、かつて千名を超える水兵が乗っていた。
なかには埠頭で顔を合わせ、食堂で互いに会釈した相手もいる。何人かは、彼自身が抜擢した士官だった。
その誰の姿も、いま彼には見えなかった。
「ライオネル兄さん」
背後から声がした。
とても小さく、どこか頼りなく、そしてユージンの声からはこれまで聞いたことのないものを帯びていた。
ライオネルは振り返った。
ユージンは甲板の中央に立っていた。
そこからは、海上で燃えているあの二艘の船がはっきり見えた。
彼の顔色は、帆と同じといっていいほど白かった。
口を開き、自由を失ったように閉じ、もう一度開いた。
ようやく声が出たとき、それは普段よりずっと低かった。
「あの船は……」
ライオネルは何も言わなかった。
ユージンもそれ以上は尋ねなかった。
彼はそこに立ち、海上の燃える残骸と転覆した船体、そして水面に浮かぶ板材と綱を見つめていた。
彼はそこに立ち、長いあいだ黙っていた。
海風が燃える船骸の方から吹いてきて、焦げた臭いと熱気を帯びて彼の頬を掠め、背後の広い海へ散っていった。
そのときライオネルは、砲口が回るのを見た。
すべての砲口ではない。
無畏号の艦首にあるあの二本の筒は動かず、終始インゲリア艦隊の中央を指していた。
動いたのは、あの黒い小さな船の砲身だった。
それらはもともと別々の方向を向いていた。
左の残骸海域へ向いているものもあれば、艦体と平行な待機角を保っているものもあった。
だが、ある一瞬、それらは同期して回りはじめた。
同じ一本の軸で連動しているかのように、すべてが共通の目標を指した。
「海王戟号かいおうげきごう」。
ライオネルの瞳孔が、金属の回転のなかで収縮した。
彼は叫ばなかった。
声ひとつ立てなかった。
手すりから手を離し、身を翻して後甲板の方へ二歩走った。
軍靴が木の甲板を踏む音は急で重く、一歩ごとに板を踏み抜かんばかりだった。
「ユージン!」
その名を呼んだとき、声はすでに裏返っていた。
ユージンは舷側に立ち、手にはマストから拾い上げた木の破片を握ったままだった。
ライオネルの声を聞いて振り返った。
顔にはまだ、消えきらない青白さと、茫然とした色が残っていた。
ライオネルは反応する暇も与えず、彼の肩を引っつかみ、ブルワークから無理やり引き離した。
「ついてこい」
説明はしなかった。
彼はユージンの腕をつかんだまま、甲板を船尾へ向かって走った。
足元の甲板が震えていた。
砲撃の揺れではない。
自分の足取りと鼓動が重なって生まれる震えだった。
それが足の裏から膝へ、そしてユージンの腕を握る指先へ伝わってきた。
船尾のボート・ダビットには、小型の連絡艇が吊るされていた。
艇は白く塗られ、長さはおよそ4メートル、船底を上にしてダビットに被せられ、両側の固定索が風にわずかに揺れていた。
濃い藍色の士官制服を着た男が、ダビットの脇に立っていた。
フィリップ・ヘンリー。彼の副官だ。
片方の手袋を外し、素手で綱を握り、結び目の堅さを確かめていた。
足音を聞いて顔を上げた彼は、ライオネルがユージンを引きずってこちらへ走ってくるのを見た。
表情は素早く、平静から理解へ、理解から緊張へと変わった。
「将軍……」
「艇を下ろせ」
ライオネルはユージンの肩を離し、両手で固定索の留め金をつかんだ。
指が金属の留め金の上で一度滑り、それから握り直して、外した。
フィリップは多くを尋ねず、身を翻して反対側の綱を解きにかかった。
結び目を係留杭から引きちぎるとき、麻縄が革手袋のなかでかすかな摩擦音を立てた。
ユージンは脇に立ったまま、目の前の状況をまだ飲み込めていないようだった。
ライオネルは留め金をすべて外すと、一度振り返った。
彼の位置からは、「海王戟号かいおうげきごう」の右舷およそ300メートル、一艘の黒い装甲巡洋艦の艏楼の頂が見えた。
そこにある連装砲塔が、回転の最終的な定位を終えたところだった。
二本の砲身は「海王戟号かいおうげきごう」の船体中心線とほぼ直角をなし、この旗艦の艦橋を正面から捉えていた。
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