289. 菜包魚
店主の案内に導かれ、私たちは店内の一番端にあるテーブルに腰を下ろした。
私たちはさっそく料理を注文した。三人前の「菜包魚」をひと皿。
店主は肌が健康的な小麦色に焼けた若いタイ族の青年で、綺麗に整えられた髪と営業スマイルでありながらもどこか親しみやすさを感じさせる爽やかな笑顔を浮かべていた。
彼は手際よく注文を聞き届け、厨房に向かって威勢よく声を張り上げ、すぐに戻ってきて私たちの卓上に空の取り皿やスープ碗をテキパキと並べ始めた。
「お客さんたち、叻沙城に来るのは初めてかい?」
彼が笑顔で話しかけてきた。
「ええ、初めてなの」と私は答えた。
「へえ! 初めてでいきなり菜包魚を頼むなんて、なかなか目が高いね」
青年は嬉しそうに声を弾ませた。
「夜市に来る観光客なんて、大抵はあっちの揚げ魚カツとかたこ焼きみたいな定番ばかりに流れちゃって、この店の良さに気づかないんだよ」
「私たちもひと通り夜市を歩き回って、最終的にここを選んだのよ」
私は微笑みながら言った。
「地元の人たちがたくさん座って、美味しそうに食べていたから」
「ははは、やっぱりそうかい!」
店主は我が意を得たりと深くうなずいた。
「せっかく叻沙城まで来たんだから、地元の人間が普段から愛しているものを食べなきゃ損ってもんさ!」
その言葉を聞いて、私は内心ちょっとだけ嫌な予感がした。
なぜなら今日の昼間、私たちは全く同じ理屈で「勐牛米粉」を選び、あまりの酸っぱさと独特すぎる風味に身も心もひっくり返りそうになったばかりだったからだ。
とはいえ、今回はこれだけ地元客で賑わっているのだから大丈夫だと自分に言い聞かせ、気楽な心地で料理の到着を待つことにした。
しばらく待つと、待望の料理が運ばれてきた。
店主はテーブルの幅とほとんど変わらないほどの巨大な丸皿を抱えてやってくると、それを私たちの目の前にどんと置いた。
「お待たせしました! ごゆっくりどうぞ!」
大皿の中央には、今夜の主役が誇らしげに鎮座していた。
香ばしく油で揚げられたティラピアが三尾、整然と並べられている。
三尾とも丸ごと一匹揚げられており、頭も落とさず、魚の表面は眩しいほどの黄金色にカリッと揚がって、夜市の仄暗い照明の下で油の乗った旨そうな光沢を放っていた。
ウロコの模様は高温の油で揚げられたことでほとんど消え去り、代わりに頭から尾の先まで、細かな「酥殻(サクサクとした黄金色の衣)」の層が全体を隙間なく覆っている。
魚の身には斜めに四箇所ほど深めの切り込みが入れられており、その切り口は熱によって反り返り、まるで金色の花弁が開いたかのように美しい。腹の身にまでしっかりと熱と味が通る工夫なのだろう。
鼻を近づけてよく嗅いでみると、揚げ魚特有の香ばしい油の香りと共に、はっきりと名前を特定できないエスニックな香辛料の匂いがふわりと漂ってきた。
黒胡椒のツンとした刺激でもなければ、クミンのような強い癖でもない。
フレッシュな草木そのものに近い、清々しく爽やかな香りで、まさに叻沙城という南国の土地が持つ独特の気配を纏っていた。
三尾の揚げ魚を取り囲むように、皿の周囲には彩り豊かな食材がぎっしりと敷き詰められていた。
しっかりと洗われて水気を切られたサラダ菜の葉が一束、青々とした瑞々しい葉を重ね合わせ、澄んだ緑色を主張している。
一枚広げてみると大人の手のひらほどの大きさがあり、葉肉がやや厚めなので、具材を包んでも途中で破けることはなさそうだ。
サラダ菜の脇には、白くツヤツヤとした茹で米粉が小山のように盛られていた。
細くしなやかな米粉の束は、この料理におけるメインの炭水化物という役割なのだろう。
さらにその隣には、細切りにされたキュウリやニンジンの鮮やかな色彩が並び、視覚的にも目を楽しませてくれる。
そして皿の端には、小さな陶器の器が二つ並べられ、二種類の特製タレが盛られていた。
左側の器に入っているのは、白っぽくトロリとしたペースト状のソースだ。
質感はすり潰したピーナッツバターに似ているが、色はそれよりも淡く、細かく刻まれたハーブや香辛料が混ぜ込まれ、表面にはほんのりと淡黄色の香油が浮いている。
右側の器に入っているのは、見るからに刺激的な「ラージャン(特製唐辛子ダレ)」だ。
鮮やかな真っ赤な色合いで、表面には薄い唐辛子油の膜が張り、中には細かく刻まれた生唐辛子の破片や叩き潰した香辛料が沈んでいて、いかにも辛そうなオーラを放っている。
私は箸を一本取ると、その赤いラージャンをちょんと軽くつつき、舌の先に載せて味を確かめた。
途端に、爽やかな酸味とピリッとした辛味が弾けるような旨味となって口いっぱいに広がった。
酸味は時間をかけて発酵させたようなまろやかな甘酸っぱさで、角がなく、むしろ食欲を猛烈に刺激してくる。
辛味もただ痛いだけのものではなく、じわっと心地よい汗が滲む程度で嫌みがない。
その底味にはナンプラー独特の深いコクと塩気がほのかに効いており、ソース全体の味の層を見事に支え上げていた。
よし、このラージャンは文句なしの当たりだ。
「……これ、どうやって食べるの?」
母が大皿に盛られたバラエティ豊かな食材を見つめながら、困惑気味に眉をひそめた。
個々の食材の意味は分かっても、それらをどう組み合わせて口に運べば正解なのか分からない、といった表情だ。
ユーナも首をかしげながら、サラダ菜の葉と米粉の小山を真剣な目つきで研究していた。
「ふふ、じゃあ私がお手本を見せてあげるわ」
私は言いながら、サラダ菜の束の一番上にあった大きな葉を一枚手に取り、手のひらの上に平らに広げた。
「まず、このサラダ菜の葉を一枚こうやって広げて、器代わりにするの。なるべく大きめの葉を選ぶのがコツよ。小さすぎると巻いた時に具が溢れちゃうから」
私は箸で米粉を軽くひとつまみ取ると、サラダ菜の葉の中央にそっと置いた。
「米粉は真ん中に少しだけね。欲張って入れすぎると魚の身を置くスペースが無くなっちゃうから、箸で二つまみ分くらいがベストよ。米粉って案外膨らんで場所を取るから」
続いて、私は箸で揚げ魚のサクサクした衣をそっと払い除け、その下からあらわれた真っ白な腹の身をごろりと一塊掬い上げ、米粉の上に載せた。
魚の身は箸を軽く入れるだけで骨からほろりと解れ、表面の衣はサクサク感を保ったまま、身自体はふんわりと柔らかく豊かな香りを漂わせている。
「魚の身は腹のあたりの肉を選ぶのがおすすめよ。骨が一番少なくて、食感もふんわり柔らかいから」
私は解説を続けた。
「背中の肉は避けたほうが無難ね。あっち側は細かい小骨が多いから、食べてる最中に喉に刺さると大変でしょ?」
米粉の上にふっくらとした魚の身を載せ、さらにその上へシャキシャキとしたキュウリの千切りを二、三本添えた。
歯ごたえのあるキュウリと柔らかい魚の身を合わせることで、口に含んだ時の食感に立体感を出す狙いだ。
それから、サラダ菜の葉の両端を中央へ折り込み、下から上へとクルクルと巻き上げていく。
出来上がったのは、少し不格好ながらも綺麗にまとまった野菜包み(菜包)だ。
「巻く時は適度に力を入れつつ、でも優しくね。力を込めすぎると葉っぱが破けて中身が全部こぼれ落ちちゃうから」
「そして最後に——」
私は出来上がった菜包の端を、右側の赤いラージャンの器にちょんと浸した。
「こうやってタレをしっかりつけて、そのまま豪快に一口でかぶりつくのよ!」
言葉の通り、私はその菜包を口に運び、勢いよく噛み締めた。
——そして、ほんのわずかな静寂が訪れた。
不味い……と言えば、決して不味くはない。
だが、感動的に美味しいかと言われると、素直に頷くこともできない。
とにかく、サクサクしているのだ。
サラダ菜の葉は瑞々しくシャキシャキ、キュウリの千切りもパリパリ、そして揚げ魚の衣もサクサク。
しかし、この三つの「サクサク食感」が口の中で合体した結果、期待したような奇跡の化学反応は一切起きず、むしろ全体の食感が妙にごちゃごちゃと混乱してしまっていた。
噛み締めた瞬間、どのサクサクが主役で、どのサクサクが引き立て役なのかがさっぱり分からないのだ。
すべての食感が、ドレッシングが混ざり切っていない雑多なサラダボウルのように、それぞれ勝手に主張し合って収まりがつかない。
米粉はもちもちと柔らかく、魚の身もふんわりと解ける。
柔らかい素材同士の相性は悪くないのだが、決定的な問題として、魚の身自体に下味がほとんど付いていなかったのだ。
おそらくこの料理は、客が自分好みのタレをたっぷり絡めて完成させるスタイルなのだろう。
だが、ここに大きな落とし穴があった。
ティラピアの身が厚すぎるせいで、タレの味が絡むのは表面の数ミリ程度なのだ。
一噛み目こそタレの味が広がるものの、奥まで噛み進めると、味のつ colon いていない淡泊な魚の身そのものが「僕は素の魚です」と言わんばかりに虚しく主張してくる。
ラージャン自体の出来栄えは素晴らしい。それは心から認めよう。
甘酸っぱさと爽やかな辛味のバランスが取れており、味の層も実に奥深い。
だが、タレがどれほど優秀であろうと、主役である魚の身の味の薄さをカバーしきることはできなかった。
……まあ、昼間に食べたあのトラウマ級の「勐牛米粉」に比べれば遥かにマシではある。
だが、比較対象が「苦くて酸っぱい怪物スープ」だったからマシに見えているだけで、料理単体としての完成度は何とも評価に困るレベルだった。
あの最悪な米粉の記憶が底辺にあるおかげでハードルが極限まで下がっており、相対的に美味しく感じられているだけなのだ。
これは決してこの料理の勝利ではなく、単に昼間の米粉があまりにも破壊的すぎたという証明に過ぎない。
「……なんて言ったらいいのかしら、これ」
私は箸を置き、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
横で私の手順をじっと見ていたユーナが、真似をして自分で菜包をひとつ巻き上げ、口へと運んだ。
モグモグと噛みしめるうちに、彼女の眉毛がみるみるうちに絶妙な位置へと引き上がっていく。
苦痛に悶えているわけでもなければ、美味しさに驚いているわけでもない。
ただ純粋に、どう評価を下せばいいのか本気で困惑している顔だった。
「……普通ね」
一口目を飲み終え、ユーナは実に率直な感想を口にした。
「本当に……『普通』としか言いようがないわ」
「ラージャン(タレ)の味はすごく良いのだけれどね」と私は苦笑した。
「肝心の魚の身に、全然味が染み込んでいないのよ」
「そうね」とユーナも深く頷いた。
「問題は魚の味が薄すぎることだわ。揚げ加減はカリッとしていて悪くないのに、中の身がこれじゃもったいないわね」
私は再び箸を取り、今度は魚の身を直接ほぐして、左側の白いピーナッツソースをたっぷりつけて試してみた。
この白いソースも、味自体は決して悪くなかった。
香ばしいピーナッツの濃厚なコクに、ココナッツミルクのほのかな甘み、そしてほんのりと発酵させたような絶妙な塩気が効いている。
しかし、抱えている課題は先ほどと同じだった。
魚の身が分厚すぎるため、ソースは表面を滑るだけで、中心部まで噛み進めるとやはり淡泊な素の白身に行き当たってしまうのだ。
母は終始無言のまま、私が見せたお手本通りに几帳面な手つきで菜包を巻き上げていた。
サラダ菜の葉を広げ、米粉を少し載せ、魚の身をほぐして置き、千切り野菜を添え、丁寧に折りたたんで巻き、白いソースをチョンとつけて口へ運ぶ。
モグモグと二度、三度と噛み締める。
その間、彼女の表情は最初から最後まで一切変わらなかった。
美味しくも不味くもなく、ただ提供された物体を機械的に咀嚼しているかのような、恐ろしいほどの平静さだった。
「ふむ……」
母は口の中のものをゴクリと飲み込むと、卓上の紙ナプキンを取って指先を丁寧に拭きながら言った。
「この白いソース自体は悪くない味だ。だが、魚がまるでなっていないな」
ひと呼吸置いてから、彼女はさらに的確な追撃を加えた。
「魚に対する下味が致命的に不足している。これでは何の味もしない揚げ衣と白身を、無為に噛まされているだけではないか」
私は箸で白いソースをもう一度舐めてみた。
ソース単体のクオリティは確かに高い。
ピーナッツの芳醇な香りとココナッツの優しい甘み、そして奥深い塩気が見事に調和している。
だが、このまったく味のついていない巨大な魚と組み合わされた瞬間、ソースは力不足な主役を必死に引き立てようとして空回りしている、可哀想なほど優秀な脇役に成り下がってしまうのだ。
その後、私たちはそれぞれ二つ、三つと菜包を巻き、口へと運んだ。
しかしそれは「美味しいからもっと食べたい」という前向きな食欲からではなく、「せっかく頼んだ料理を残すのは勿ノ怪だ」という、長年叩き込まれた貧乏性の本能に従った結果に過ぎなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




