287. 月光夜市の景色
「木綿城でも見かけたし、彩雲城でも、それこそ『花の国』でも見かけたわね……」
フライドチキンのファストフード店がひとつ、ミルクティーのチェーン店がひとつ、マーラータンを売る有名店がひとつ……。
それらの看板は、紅龍国のどの街を訪れても当たり前のように目にするものだった。
どこへ行こうと、ただこの紅龍国の土地に踏みとどまってさえいれば、誰もが必ず同じ看板を見つけ出すことができる。
「ねえ娘よ、あのお店……木綿城にいたときにも見たような気がするのだけれど」
母はそのカラフルな看板たちを不思議そうに見つめ、眉間にわずかなシワを寄せた。
「こんなところにもあるの? 一体にどうやって、全く違う場所に同じ店を出しているのかしら?」
「母さん、これはこの世界の特殊な商いの形で、『飲食チェーン』と呼ばれるものなの」
私はかみ砕いて説明した。
「私たちが商会で大小さまざまな街に支店を展開するのと同じように、彼らも異なる場所に同じ看板の店を出しているのよ」
「飲食チェーン……?」
母は足を止め、その言葉を反芻するように口の中で呟いた。
どうやらこの未知の概念を、領主としての頭脳で飲み込もうと噛み砕いている最中のようだ。
「……でも、ふたつの離れた店舗で、どうやって全く同じ味を再現できるの? 食材の産地も違えば、厨房に立つ料理人も違うはずでしょう? なのにどうして味が一致し得るのかしら?」
まさに核心を突いた素晴らしい質問だった。
私は少し言葉を選んでから、その仕組みを口にした。
「彼らには徹底して統一された『規格』があるの。どの店舗であっても、使う食材、レシピ、調理手順、果ては盛り付けの分量に至るまで完全に同じでなければならないの。そして食材の大半は、本部が一括で大量仕入れして、各地の店舗へ配送しているのよ」
「一括仕入れ……?」
母の表情が一気に真剣なものへと変わった。
「ひとつの拠点から全国の店舗へ食材を運ぶだなんて……どれほど恐ろしい輸送力と、鮮度を保つ技術が必要だというの?」
「本当に恐ろしいほどの技術よ」と私は頷いた。
「この世界には『コールドチェーン(低温物流網)』と呼ばれる高度な仕組みが存在するの。簡単に言えば、産地から店舗の厨房に届くまでのすべての工程を低温で保ち続けて、食材の劣化や腐敗を完全に防ぐのよ」
母はしばらくの間、固まったように絶句していた。
私は彼女が頭の中で何を算段しているのか、手に取るように分かった。
私たちの故郷であるエリクソン領において、物資の輸送は極めて限定的なものだ。
冷蔵技術を支える物流網もなければ、内燃機関すら存在しない。
長距離の物流は馬車と人力に100%依存しており、新鮮な食材をどこまで運べるかは、保存魔法の維持力と天候の気まぐれ次第だ。
ひとつの料理店の味を標準化し、それを全国の街へそのまま複製するなど、あの世界においては到底不可能な神業に等しかった。
「……少なくとも、電力と内燃機関の問題をクリアしないことにはね」
私は周囲を通行する人々に聞かれないよう、エリクソン領の高地グリンマン語に切り替え、声を潜めて呟いた。
「もちろん、電力に関しては氷の魔導師や『保存の腕輪』で強引に代用できなくはないけれど……それではコストが跳ね上がりすぎて商売にならないわ」
「ええ……」
母は深く頷き、その瞳に静かな思索の光を宿した。
「……帰還したのち、一考の価値はあるかもしれないな。まずはアムニット市で実験的に試してみるのも良い」
「もう私の中では構想があるの」と私は微笑んだ。
「でもまずは、あの劣悪な輸送インフラをどうにかするのが先決ね」
そんな会話を交わしながら路地を進んでいくと、やがて前方の出口に鉄製の柵が現れた。
正確に言えば、細長い鉄のポールが一定間隔で並び、その中央の通路には地下鉄の改札にあるような回転式のバーが置かれていた。
どうやら昔は入場料を徴収していたようだが、いつしか無償化されたらしく、ゲートのバーは水平に固定されたまま通行人が自由に出入りできるよう開放されていた。
私とユーナ、そして母の三人はポールの間をすり抜け、中へと足を踏み入れた。
——その瞬間、私たちの視界に「月光夜市」の壮大な全貌が広がった。
私たちが立ち立った場所は、夜市全体の中でも小高い丘のような高台に位置していた。
ここに立てば、見渡す限り広がる夜市の全景を一望の下に収めることができる。
そこにあったのは——地平を埋め尽くすほどの、圧倒的な「光の海」だった。
びっしりと隙間なく重なり合った光の群れが、私たちの足元にある石段から下方へと怒涛のように広がり、遥か先に見える南伝仏教風の寺院の足元までどこまでも連なっていた。
その寺院の巨大な金塔は、深い闇の中でもなお眩い金色に輝き、専用の強力なスポットライトを浴びて、この喧噪の真ん中にそびえ立つ「光の灯台」のごとき威容を誇っている。
寺院の麓に広がる大広場こそが、この夜市で最も賑わう核心エリアなのだろう。
所狭しとひしめき合う屋台の群れが広場を埋め尽くし、各屋台の頭上には色とりどりの電飾が吊り下げられている。
赤、黄、青、白——それらの光が重なり合い、混ざり合い、広場全体をまるで万華鏡のように妖しくも美しく染め上げていた。
四方八方から押し寄せる人波は、あたかも低い谷間へと流れ込む潮の満ち引きそのものだった。
母は石段の頂点に立ったまま、固まったように言葉を失っていた。
彼女はただじっと立ち尽くし、眼下に広がるその人熱と光の嵐を静かに見つめ続けていた。
その顔に浮かんでいたのは、私がこれまで一度も目にしたことのないような、呆然とした表情だった。
失望でもなければ、単なる驚きでもない。好奇心などという軽いものでも決してない。
その表情の裏にあったのは、魂を根底から揺さぶられた者だけが見せる……深く、厳かな「静寂」だった。
私は彼女の邪魔をしないよう促すこともせず、ただその隣に並んで立ち、同じように眼下の光景を見つめていた。
……エリクソン領の夜は、一体どんなものだっただろうか?
静かだ。恐ろしいほどに静寂だ。
太陽が沈んだのち、平民たちの家々の灯火は瞬く間に消え去る。
通りに街灯など存在せず、夜間に外出する者は月光か、手にした松明の頼りない火種に頼るしかない。
夜の間も明かりを点し、豊かな時間を享受できるのは、高価な魔導具や魔法のコストを支払える一握りの貴族階級だけなのだ。
だが、この世界における「夜の明かり」に、高価な魔石など必要ない。
貴族の許可も、生まれ持った特権すらも一切必要としない。
貧しい者も豊かな者も、誰もがその光の中に足を踏み入れ、夜という時間を等しく謳歌することができる。
……おそらくこれこそが、文明というものが到達した「最も真実の進歩」なのだ。
特別な者だけでなく、ただの『普通の人々』が、自らの夜を所有できるようになること。
前世の私——あの三十歳の身体の中にいた頃の私は、残業帰りの途上で何度もこうした夜市の屋台に立ち寄り、安価な焼き串を一本買っては路地裏で立ち食いしたものだった。
当時の私にとって、それはあまりにも当たり前すぎる日常の一コマだった。
日常に溶け込みすぎていて、それがどれほど贅ラスで価値のあることなのか、考えたことすら持たなかった。
けれど今、叻沙城のこの圧倒的な光の前に立ち、嬉々として夜市を散歩しながら食べ歩く人々を見つめていると——
ふと、あの頃に路上で食べた一本の焼き串こそが、世界で最も誇らしい文明の結晶だったのではないかと思えてくる。
それは決して高価ではない。誰もがポケットのコインで買える。
疲れ果てた労働者が仕事帰りに立ち止まり、わずか十分の時間でほんの少しのささやかな幸福を取り戻すことができる。
この世界は、それを成し遂げているのだ。
私たちの愛するエリクソン領では、いまのところまだ到底叶わない夢物語だ。
……けれど、いつの日か。遠い未来には、あの大地でも実現できるかもしれない。
「……すごく、賑やかですね」
ユーナがそっと私の隣に寄り添い、同じように高台から眼下を覗き込んだ。
「私、この紅龍国に来てからずいぶん時間が経ちますけれど……やっぱり、まだ完全には慣れなくて。この世界の夜が、どうしてこんなにも明るいのかしらって……」
「暗い闇の中にいるより、明るい方がずっといいわ」と私は言った。
「普通に生きる人たちにとって、夜市があること、夜に安心して外を歩けるということは……何よりも大切なことなのよ」
ユーナは少し考え込むように視線を落としたのち、優しく頷いた。
彼女の前世は紅龍国の人間であり、幼少期からこうした夜の明かりの中で育ってきた。
本来であれば、夜市など彼女にとって何の変哲もない見慣れた風景のはずだ。
けれど異世界で気の遠くなるような時間を過ごした今の彼女が、再びこの光の前に立ったとき、胸に去来しているのはまた別の感情なのだろう。
それは懐かしい再会のような、けれど少しだけ余分で、ほんの少しだけ愛おしい……複雑な記憶の揺らぎだ。
「……行くわよ」
それまで沈黙を守っていた母が、意を決したように真っ先に階段を降り始めた。
いつもの隙のない、凛とした平静さを取り戻した声で言った。
「何をぼんやり突っ立っているの。お腹が空いているのでしょう?」
私の隣で、ユーナが思わず「ふふっ」と小さく吹き出した。
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