275. 彩雲行省、そして高速鉄道
ユーナと何日か遊びに出かけたあと、私たち三人は旅行に出ることにした。
行き先は、もちろん、花の国にも青龍国にもない景色のある場所。
紅龍国の南西の辺境、彩雲行省。
彩雲行省といえば、この場所は、前世の私にとってずっと胸に刺さったままの小さな棘だった。
三十数年を生きてきて、いろんなものを転売してきた。
会社で丸七年、馬車馬のように働かされた。
それでも、彩雲行省だけは、どうしても行けなかった。
毎回、休みになるたびに、お金が足りないか、切符が買えないか、あるいは会社から急に呼び出されて残業になるか。
とにかく、雲が立ち込め、山と川が絵のように美しいというあの場所は、前世の私の大きな心残りの一つになっていた。
今生で、ようやくその念願が叶う。
「それで、今回の移動手段は?」母が目を輝かせて、興味津々に訊いた。
私は彼女の目に、普段とは少し違うものが宿っていることに気づいた。
初めて地球に来たときのような、見知らぬものに対する慎重さではない。
本物の期待だ。
なにしろ、この何日か木棉城を歩き回るうちに、彼女はこの紅龍国の大都市の仕組みを、少しずつ理解し始めていた。
外出することへの身構えも、いくぶん薄らいでいた。
「もちろん、前に乗った飛行機ですね」私は答えた。「母上、何で行きたいですか?」
言い終わるか終わらないかのうちに、母の表情はほんの少し曇り、それから一気に、しょんぼりと沈んでいった。
「私はこの数日、テレビで『電車』という乗り物を見たのだが、それに乗って行ってみたい」と母が言った。
電車。
私は無意識に、頭のなかで経路を思い浮かべた。
木棉城から叻沙城までは、飛行機ならおよそ四時間。
空港までの時間を合わせても、六時間ほどだ。
電車となると……ずっと長くなる。
だが母の顔に浮かんだ、あの真摯な期待を見て、口から出かかった「長すぎる」という言葉を、喉の奥へと飲み込んだ。
「電車ですか? 実は、できないこともないですよ」
私はスマホの残高を一目見て、それから私たちの行程表にも目を走らせた。
時間には、たしかにかなり余裕があった。
「それなら、早めに駅へ向かいましょう」
そう言いながら、私はスマホを操作して、切符の購入を進めた。
紅龍国の高速鉄道の予約システムは、なかなか便利だった。
日付を選び、列車を選び、座席を選ぶ。
2分もかからずに終わった。
「よし、取れました。明日の朝、十時過ぎの列車で行きましょう」
飛行機の方が速いとはいえ、母が電車でのんびり行きたいと言うなら、その願いを叶えるべきだろう。
「どのくらいで着くんだ?」母が興味津々に訊いた。
「そうですね、おそらく八時間ほどです。飛行機なら四時間くらいですが、もちろん空港までの時間を合わせれば、六時間ほどになるでしょうか」
私は正直に答えた。
「それは、ずいぶん長いな」母は言った。
だが、その口調にはさほど落胆はなかった。
むしろ、いくぶんか興味をそそられているようだった。
「だが、電車のなかからなら、窓の外の景色がよく見えると聞く。それも悪くないかもしれない」
ユーナが傍らでタピオカミルクティーを抱え、ストローで底のタピオカをくるくるとかき混ぜながら、のんびりと言った。
「そうよね。飛行機なんて、飛んだら雲しか見えないもの。何が面白いのよ」
私は彼女を横目で睨んだ。
「よく言うよ。お前、この前の飛行機でも、ずっと窓の外を見てたじゃないか」
「あれは……あれは、眠れなかったからよ」
ユーナは視線を逸らし、もっともらしい顔で、ミルクティーを一口啜った。
翌日、私たち三人がホテルのロビーに集合したとき、出発までまだ二時間近くあった。
母は相変わらず身なりをきちんと整え、今日は麻と綿の明るいカーキ色のスーツに着替えていた。
この服は数日前、木棉城のデパートで買ったものだ。
あのとき彼女は、この麻と綿の素材を見て、これは何の布かと私に訊ねた。
私は彼女に「綿」と「麻」の違いを、時間をかけて説明した。
彼女はなるほどといった顔で頷き、その次の瞬間には、色違いを三着引っつかんでレジへと向かっていた。
外でタクシーを拾い、木棉城駅へと向かう。
運転手がラジオの音量を大きくしている。
流れているのは朝のニュース番組で、アナウンサーが速くて流暢な地元の言葉で、街のさまざまなニュースを読み上げている。
母は窓の傍らに身を寄せ、頭をわずかに外へ傾け、視線を窓の外の街並みとともに動かしていた。
「ここの建物は、本当に高く建っているな」と彼女がそっと言った。
「ええ。木棉城は紅龍国でも有数の大都市ですから。人が多くて、土地が高い。だから、上へ上へと建てるんです」
「花の城も、高い」
「似たようなものですね」私は少し考えた。
「まるで、街を丸ごと一回り圧縮して、それを何十階も上に積み重ねた、そんな感じです」
母はそれを聞いてしばらく沈黙し、それから、かすかに「うん」と声を漏らした。
本当に理解したのか、それとも、そのたとえをあとで使うために記憶のなかにしまい込んだだけなのか、私には分からなかった。
駅の規模に、母は明らかに一瞬、たじろいだ。
待合ホールに足を踏み入れた瞬間、彼女は立ち止まった。
視線を頭上のガラスドームから、ホールの突き当たりに並ぶ電光掲示板の群れまで、一気に走らせた。
待合ホールには、キャリーケースの車輪が大理石の床を転がるガラガラという音が響き、改札口のアナウンスが数秒おきに流れていた。
人々が行き交い、大小さまざまな荷物を抱えて移動している。
「私たちの宿駅より、ずっと大きいな」
ユーナが、母の顔に浮かんだ表情を代わりに言葉にした。
「当然ですよ。ここは一日に何本もの列車が行き交い、何万人もの旅客をさばく場所です。宿駅の規模とは比べ物になりません」
「では、ここの人々は、普段こうやって移動しているのか?」母が訊いた。
「そうです。列車で別の街へ行くか、飛行機に乗るか。近場なら、長距離バスもあります」
私たちは待合エリアで席を見つけて座った。
母は手荷物の小さな鞄を膝のうえに置き、絶えず周囲の乗客に目を配っていた。
斜め向かいに座るのは老いた夫婦で、一袋のポテトチップスを分け合って食べている。
隣にはリュックを背負った若者たちが数人、全員がスマホを手に画面を見つめている。
もう少し向こうには、自分より背の高いキャリーケースを引きずりながらよちよちと歩く小さな子どもがいて、傍らの大人が彼のキャリーケースを受け取りながら、声を潜めて叱っていた。
「にぎやかだな」と母が言った。
その口調には、うまく言葉にできない感情が滲んでいた。
純粋な好奇心というよりは、どこか優しい観察のようなものだった。
列車に乗り込んだその瞬間、私はようやく気づいた。
母が言った「窓の外の景色が見たい」というのが、どれほど本気の言葉だったかを。
彼女は窓際の席に座るやいなや、姿勢を整え始めた。
背筋を伸ばし、両手を重ねて膝に置き、頭をわずかに窓の方へ傾け、その目つきは真剣そのものだった。
まるで、これから正式な式典に臨むかのようだった。
私とユーナは彼女の隣の二席に座り、目を合わせた。
言葉は交わさなかった。
列車がゆっくりと動き出し、ホームの見送りの人々が後ろへと流れていく。
木棉城の高層ビル、ジャンクション、緑地帯が、ひとつまたひとつと窓の外を過ぎ去っていく。
「わあ、速いな」母が低く声を漏らし、手のひらをそっとガラスに当てた。
「それに、とても揺れが少ない。ほとんど感じられないほどだ」
「ええ。これは高速鉄道といって、電気で動いているんです。普通の列車よりずっと速くて、とても静かですよ」
「電気……」母はその言葉を繰り返し、考え込むように言った。
「まるで、魔力で列車を動かして、軌道のうえを走らせているようなものか?」
「似ていますね。ただし、ここで使うのは魔力ではなく、モーターの動力です」
母は頷き、それからまた窓の外を見続けた。
そのまなざしは真剣で、その真剣さが、ふと、彼女が初めてATMを見たときのことを思い出させた。
戸惑っているのではない。全神経を注いだ、あの集中。
まるで、目の前のすべてを、彼女が今ひそかに築きつつある新しい理解の枠組みのなかへ取り込もうとしているかのようだった。
私は思わずこう感じた。
母のような人間は、もしこの世界に生まれていたら、きっと優れた研究者になっていただろう、と。
列車が木棉城の領域を抜けると、郊外の平野部へと入っていった。
窓の外の建物はまばらになり、かわりに一面に広がる緑の農地が見えてきた。
ときおり、小さな村がひとつふたつ現れる。
白い壁に灰色の瓦、あるいはオレンジ色の屋根。
煙突からの煙はもう少なく、陽が照りつけてとても静かだった。
母の目に、窓の外の緑が映り込んでいた。
「これは……」彼女は一瞬、言葉を詰まらせた。「美しいな」
「そうですね」
私はシートにもたれ、目を閉じ、車体のごくかすかな振動を感じていた。
前世で、何度列車に乗ったか分からない。
その大半は、朝夕のラッシュに揉まれるか、別の街への出張へと急ぐかのどちらかだった。
窓の外の景色を、いつ、ちゃんと見ただろうか。
おそらく、一度もなかった。
ユーナの手元には、待合ホールの売店で買った雑誌が一冊開かれていた。
だが彼女はそれを読んでおらず、頭を私の肩に預けて、目を半ば閉じている。
「眠い?」私は訊いた。
「眠くない。ただ、なんだか……いいなって」彼女がそっと言った。
「急ぐ必要もなくて、特別な用事もなくて。ただ座って、外を眺めてるだけ。それも、いいなって」
私は答えなかった。
ただ、頭をほんの少しだけ、彼女の方へ寄せた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




