272. 曼華大酒店の記憶、そして紅花鶏煲
「だいぶ違うよね」と私は言った。
「昔のあれは、本当にラフすぎた」
「あんたが当時、あの制服を着てフロントに立ってたときのこと、覚えてる?」ユーナが私の方を向いて、「聞きなさい」という顔で口を開いた。
「あのとき私、初めて会いに行ったでしょ。ロビーに入って、きょろきょろして、見つけられなかったの。あんたが、あのまともなシャツにズボンみたいな格好をしてるって思い込んでたから。そしたら探して探して、最後に、フード付きの服を着てフロントに立ってる人を見つけた。それが、まさにあんただった」
「それで?」
「それで」彼女は一拍置いて、口元を横に曲げた。
「それで、あんたのこと、お客さんだと思ったの。そこに立ってチェックイン待ちしてる、そういう客だって。それで——ちょっと、腹が立った」
「なんで腹が立つんだ?」私は不思議そうに訊いた。
ユーナの口元が、また曲がった。
今度はさっきよりもはっきりと。
当惑なのか、理不尽さなのか、はっきりしない拗ねたような曲がり方だった。
「だって、あんたがホテルで働いてるって聞いたから、わざわざバスを二本も乗り継いで来たんだよ。あんたがここでどんな様子で働いてるのか、見に来たの。そしたら中に入ったら、私服姿でフロントの脇に立ってるあんたを見つけて。私の最初の反応は、ああ、あれが働いてる私の友達だ——じゃなかったの。こいつ、アルバイトを口実に、こっそり誰かとデートしてるんじゃないか——そっちだったの」
私は一瞬、面食らった。
「それで、私がアルバイトを隠れ蓑に恋愛してると思ったって?」
「あんたがそんな格好してるからよ! 誰が見たってそう思うわ!」彼女はもっともらしく反論し、声がさっきより一段と大きくなった。
「あのフード付きの服に、フロントの脇に立ってる姿勢。誰だって一目見ただけで、あんたはチェックインを待ってるお客さんだと思うわ。そこで働いてるなんて、思いもしない!」
「……つまりあんたはあのとき、入ってきて私を見つけて、まず私がデートしてると思って、それで腹が立った、と?」
「そういうこと」彼女の顔のあの拗ねた表情は、すでに「はい、分かりました、この話は理不尽です、でも当時の私は本当にそうだったんです」という白状へと変わっていた。
「あとで、あんたがこっちに来て話しかけてきたとき、やっと、あんたは仕事中で、あの服はあそこの制服だって分かって、腹の虫も治まったの」
「まあ、でも、そういうのって結局なにも起こってないわけだし」私は軽く笑って、からかうように言った。
「でも考えてみれば面白いよね。あのときのお前、本当に怒ってて、顔色まで違ってたから。てっきりバスで疲れたのかと思ったよ。あとで、なにも説明しないのに怒りが治まったから、変だなって思ったんだ」
「……説明する必要がなかったからね」ユーナはスカートのポケットに手を入れ、肩をほんの少し内側にすくめた。
「誤解だって分かったなら、すっきりしたなら、それ以上は言い続ける必要がないでしょ」
「なるほど」
私はそれ以上、追及しなかった。
追及したくなかったからではない。
言わずに済ませたその先の言葉が何なのか——私はもう分かっていたからだ。
私たちはロビーに長くは留まらなかった。
そもそも、ここは今日の目的地ではない。
今日の目的地は、曼華大酒店という、この場所そのものだった。
この建物の前に立ち、前世であそこで過ごしたあの三ヶ月の夏休みを、記憶のどこかの隅から改めて取り出し、目の前に置いて、それがたしかに存在したことを確かめる——。
それができれば、それで十分だった。
私はロビーの足元から天井まで届く大きなガラス越しに、窓の外の空の色を見た。
太陽はもう西へ傾き始めていて、光は真っ白からほんのり黄みがかった暖色に変わっていた。
路面に落ちる影は、午後二時の頃よりもずいぶん長くなっている。
「そろそろいい時間だし」私は口を開いた。「ここら辺で夕食にしない?」
「ちょうど、私もお腹がすいた」ユーナが応じ、それから頭をホテルの正面玄関の方へ向け、ガラス越しに通りの向かいへと視線を走らせた。
私も振り返り、彼女の視線の先を辿った。
通りの向かいには、一列に、不揃いな商店が並んでいた。
一階が店、二階が住まい。
外壁には塗装が施されていたが、年月を経て、ところどころに細かなひび割れができ、下の古い塗装の色が覗いていた。
それらの商店の大半は、もう見分けがつかなかった。
二十数年、店は何度も持ち主を替え、看板も替わり、店構えも替わり、ドア枠の色まで替わった。
だが、そのなかに一軒だけ、まだ残っている店があった。
小さなスーパーと宅配便の受け取り所のあいだに、赤い漆塗りの木のドアが、ひっそりと挟まっていた。
ドア枠のうえには横長の木の看板が掛かり、木の板は赤く塗られ、そのうえに黄色い大きな字が四つ書かれていた。
字体は整っておらず、筆画はわずかに歪んでいた。
紅花鶏煲。
私の足は、その四文字を見た瞬間、止まった。
何かに躓いたのではない。
記憶の深いところから一瞬で湧き上がってきた、ある種の、きわめて具体的な匂いの幻覚だった。
あの、新鮮な鶏肉と豆板醤、乾燥唐辛子、レモングラスを一緒に土鍋に放り込み、ガスコンロのうえで三十分煮込んだあとに立ち昇る香り。
それが、入り口の木の看板が陽に焼けてほんのり松脂の匂いを帯びた木の香りと混ざり合う。
実際に今、この空気のなかに存在している匂いではない。
だが、鼻先にあるかのように、本物だった。
「……まだあった」
この言葉を口にしたとき、自分でも気づかないほど、声が低くなっていた。
「うん、まだあった」ユーナの声も、とても軽かった。「もうとっくに閉店してると思ってた」
紅花鶏煲——これは前世の私が曼華大酒店でフロントアシスタントをしていた頃、一番好きだった店だ。
一番好きという意味での「一番」ではない。
仕事場から一番近く、手頃で、美味しくて、退勤後に道路を一本渡ればすぐ、という意味での「一番」だ。
フロントアシスタントの仕事は、さほど重労働ではなかった。
だが、ときには腹の立つ宿泊客に当たることもある。
あるいは祝日の前後、三、四日連続で全シフト満杯、足が痺れるほど立ちっぱなしになることもある。
退勤してロビーを出ても、頭のなかは雑音だらけで、脳内に張り詰めた一本の弦が、まだ完全には緩んでいない。
それから道路を渡り、あの小さな坂を登り、紅花鶏煲の赤い漆の木のドアを押し開けると、店の熱気と香りが顔いっぱいに押し寄せる。
壁際の席を見つけて座り、店主があの鶏肉と野菜でいっぱいの土鍋をテーブルに運んでくるのを待つ。
ガスコンロのじゅうじゅうという音を聞き、土鍋のなかの出汁がゆっくりと沸騰するのを見つめていると、頭のなかのあの弦は、土鍋が沸騰するのを待つこの時間のあいだに、少しずつ、緩んでいく。
安くはなかった。
二人で一度食べると、ご飯代も合わせて、私の半日分の給料が飛ぶ。
それでも、私とエイは週に一度か二度、必ず食べに行った。
私たち二人とも、金を節約するために美味しいものを我慢するような性格ではなかった。
「行く?」
「行く」
私たちは道路を渡り、小さな坂を一つ登り、紅花鶏煲の前に立った。
あの赤い漆の木のドアは、昔のままだった。
赤い塗装はところどころ剥がれ、下の明るい茶色の木の地色が覗いていた。
角や端は擦れて白くなっていたが、ドア枠はまだ真っ直ぐで、沈みも歪みもなかった。
一目で、当初の材料選びのときに良い木を選んだことが分かる。
ドアの右側の壁には、ガラスの額縁が一つ掛かり、中にはメニューが一枚。
ガラスには淡い水垢の跡がついていて、おそらく店主が毎日ガラスを拭くときに残したものだろう。
私は店内にぐるりと視線を走らせた。
やはり、あの見覚えのある間取りのままだった。
四人掛けのテーブルが四つ、壁際に二つ、中央に二つ。
床は赤レンガ敷きで、レンガの目地には年季の入った黒ずみがあるが、レンガの表面はきれいに拭かれている。
どのテーブルの下にもガスコンロの差込口が一つ埋め込まれ、テーブル脇のフックには、畳まれた小さな布巾が掛けられていた。
布巾の色はオレンジで、あまりに何度も洗ったので、オレンジが薄まり、オレンジとも黄色ともつかない色になっている。
入り口に近いあのテーブルの脇に、店主が座っていた。
どうやら、経営者まで替わっていないらしい。
彼を見分けるのに、あの老教師を見分けたときより、少し時間がかかった。
たぶん、私がここで食事をした回数が、学校で授業を受けた年数よりもずっと少なく、記憶の深さが違うからだ。
だが、二度、目を向けるうちに、記憶は追いついてきた。
彼は竹の椅子に座り、脚を組み、手にはもう燃え尽きかけの煙草を一本挟んでいた。
視線は、何気なく、入り口の方へと向けられていた。
歳月が彼の顔に刻んだ目盛りは、あの老教師よりも、もう一段深い。
彼はあの教師より十歳ほど年上だろう。
目尻、額、口と鼻のあいだ——その皺は、どれも一段と深い。
下顎の輪郭は以前よりぼやけ、白髪も黒髪より多くなっていたが、髪は丁寧に後ろへ梳きつけられ、生え際の線はまだ整っていた。
ただ、その目だけは。
あの目には、何十年も商売を続けてきた者だけが持つ、ある種のものがあった。
世渡り上手ではない。
疲れ、でもない。
それは、さまざまな人々をあまりにも多く見てきた末に、沈殿してできた、揺るぎない平静だった。
彼こそ、前世の私が最後の日に退勤したとき、私を座らせて、一杯、酒を酌み交わしてくれた人だ。
あの夜、ホテル側は、もうすべての引き継ぎを終えていた。
自分の服に着替え、裏口から出て、道路を渡り、あの赤い漆の木のドアを押し開けて、もう一度だけ食べてから帰ろうと思った。
なにしろ、夏休みが終われば、ここへ食べに来るにはわざわざ足を運ばねばならない。
この「わざわざ足を運んでこそ食べられる」という気持ちは、「退勤がてら立ち寄る」という気持ちとは、まったく別物だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




