261. がん治療
初回の治療の効果は、よく言えば手応えあり、正直に言えば思っていたよりずっと難しかった。
実際に手を動かし始めてから、私はようやく気づいたのだ。
がんというものを魔法で叩くのは、とにかく注ぎ込めば治るという代物ではない。
異世界では、私は木系魔法で骨折や刀傷、矢傷を修復したことがある。
魔物の爪で引き裂かれた兵士の筋肉を止血したこともある。
重症も数多く見てきた。
だがそれらはどれも、根本的には欠けた分を埋め戻すという論理だった。
身体が何を必要としているかを知っていて、魔力はそれに従って埋めていけばよかった。
肺がんは、そうではない。
肺がんは、自分で育っていく。
使っているのは身体本来の組織、本来の細胞、本来の生命力。
ただ、そのすべてが捻じ曲げられ、制御を失って、逆方向に走り始めているにすぎない。
私はただ生命力を注ぎ込むわけにはいかない。
その生命力の一部は、拡大し続けるあの黒い渦に、直接呑み込まれてしまう。
呑み込まれた分は、渦の餌になるだけだ。
かといって、闇系魔法で病変部を直接消し去ることもできない。
それは正常組織とは明瞭に区別できる外来物ではないからだ。
それは洪おじさんの肺葉のあらゆる細かな隙間に、深く食い込んでいる。
無理に壊せば、もともと残り少ない正常組織まで一緒に壊してしまう。
だから私に必要なのは、三つのことを、同時に、精密に、間違いなくやることだった。
第一に、闇属性魔法で、病変組織の外縁からゆっくりと蝕み、あの拡大構造を縁から内側へと圧縮していく。
第二に、水系魔力で洪おじさんの体内に持続的に生命力を注ぎ込み、彼がその過程で衰弱しないように支える。
第三に、木系魔力を闇系魔力の清掃線のすぐ後ろに追随させ、すでに処理された組織領域を再修復し、肺葉の細胞を正常な方向へと誘導的に成長させる。
三筋の魔力、三つの属性、三つの異なる作業、それらを全工程にわたって精密に同時操作する。
私は腰を下ろす瞬間に、この三つの論理連鎖を頭のなかでたっぷり三度、反芻した。
それから目を閉じ、深く息を吸い、三筋の魔力を同時に動かし始めた。
これは、非常に奇妙な感覚だった。
通常の戦闘時の魔法行使、たとえ二属性の同時放出であっても、それはせいぜい両手に一枚ずつカードを持ち、左手と右手で分担する程度のものだ。
だが 今回は三筋。
しかも三筋の働き方はまったく異なる。
闇系は蝕み、攻撃的で持続的な消耗。
水系は維持的、受動的で持続的な出力。
木系は修復、精密で局所的な補充。
タイミングは闇系のリズムに従わねばならず、遅れてもいけないし、早すぎてもいけない。
この三つのリズムは一致しない。
それはまるで、左手で太鼓を叩き、右手で弦を弾き、足でさらに別の拍子のハイハットを踏むようなものだ。
三つがそれぞれ別の拍子で、互いに重ならず、しかも互いに依存している。
およそ十数分が過ぎたころ、私の手が震え始めた。
怖いからではない。
本当に魔力が足りなくなってきたのだ。
私は大きな場数を踏んできた。
帝国の剣で魔力を呼び起こし、数十の実体を数時間にわたって戦わせる、あれなどは、普通の魔導士にとってはおそらく極限レベルの操作だろう。
だがその種の消耗は、集中的な爆発型であり、リズムがある。
身体は、いつ突っ込むべきか、いつ少し息をつくべきかを知っている。
この治療は、違う。
要求されるのは持続的で、高精度で、一瞬たりとも緩められない、安定した出力。
それはまるで、紙のうえに細い線を引くようなものだ。
一気に引き切る線ではない。
ごく弱い力で、ごく安定した手で、一ミリずつ前に進めていく、そんな線だ。
洪おじさんの胸腔のなかの病変領域を、私はおよそ六分の一ほど処理したところで、魔力がほぼ底をついた。
長いあいだ走り続けてきた人間が、心臓が胸腔のなかでバクバクと乱打し始め、膝がかくんと折れそうになり、世界の縁がぼんやりとかすみ始める、あの感覚だ。
私は必死に耐えて三筋の魔力を引き戻し、整え、封じ、それからゆっくりと手を離した。
探り終えた手のひらを収め、そのままソファに崩れ落ちた。
座ったのではない。
本当に崩れたのだ。
背中全体がソファの背もたれにべったりと張りつき、手足がすべて脱力し、頭が後ろにのけ反り、二秒のあいだ、髪がクッションに触れる感覚すらぼやけていた。
これが魔力切れというものか、ずいぶん久しぶりだ。
私は頭のなかでそう呟きながら、最後の意識を振り絞って指を無理やり動かし、収納の指輪から魔力ポーションを取り出した。
その瓶は青い。
これはしっかり覚えている。
指輪を取り出すとき、ガラスの底がかすかな音を立てたからだ。
瓶口を指でつまみ、口元にあてがい、流し込んだ。
苦い。
かすかな薬草の香りがして、ほんの少し甘さもある。
薬草の煎じ汁に、ほんのわずか蜂蜜を垂らしたような味だ。
あまり美味しくはない。
だが、魔力が尽きるたびにこれを飲むと、いつもやっと助かったという気持ちになる。
私は魔力がゆっくりと喉から下りていき、胸腔へと広がっていくのを待った。
溺水したあと、ようやく岸に這い上がったときのように。
それから、ようやく口を開いた。
「今日は、ここまでにしましょう。私の魔力も、もう尽きました」
洪おじさんはソファの反対側に座っていたが、その言葉を聞くと、こちらを振り返って私を見た。
表情は少し複雑だった。
「お嬢ちゃん……大丈夫か?」
「大丈夫です。魔力切れなだけで、たいしたことじゃありません。少し休めば治ります」
私は手を振った。
「おじさん、身体の具合はどうですか」
洪おじさんは一瞬、沈黙した。
それからゆっくりと手を持ち上げ、自分の胸に当てた。
彼は手のひらでそっと押してみた。
何かを確かめるように。
それから、彼の眉がわずかに動いた。
緩んだのだ。
それは本物の緩みだった。
社交辞令でだいぶ良くなったのではない。
長いあいだ慢性的な痛みのなかで生きてきた人間が、突然、胸腔にのしかかっていた鈍痛が少し軽くなったのを感じたときの、あの微細な、ほとんど本能的な緩みだった。
「なんだか……」
洪おじさんは言葉を切った。
「ずいぶん、楽になった」
彼は顔を上げた。
声には、彼自身も気づいていない驚きが滲んでいた。
「胸のあたりに、ずっと何かが乗っかってたんだ。石でも置かれたみたいに。息もずっと……なかなか、うまく吸えなくてな。だが今は、その石がずいぶん軽くなった気がする」
私は頷いた。
六分の一。
確かに効果はあった。
だがそれは、あくまで六分の一にすぎない。
残りの渦は、まだそこにある。
まだ、ゆっくりと回り続けている。
「おじさん」
私はソファの背にもたれたまま、体を起こす力もなく、ただ首を回して言った。
「この先の治療は、場所を変えて続ける必要があります」
洪おじさんは眉をひそめた。
「場所を変える?」
「はい」
私は説明した。
「地球には、空気中に魔力がありません。こちらの食べ物も、空気も、水も、すべて魔力元素を含んでいないので、私の魔力はこっちでは呼吸や食事で自動回復できないんです。事前に向こうで作っておいた魔力ポーションで補うしかありません」
私は空になった青いガラス瓶を手のなかでくるりと回し、洪おじさんに見せた。
「でも、ポーションには限りがあります。私達は転送のたびに魔力を消耗しますし、今夜の治療もありました。今の備蓄は、もうあまり多くありません。ここで全部使い切ってしまうと、転送門を開いて戻れなくなります」
洪おじさんは黙って聞き、頷いた。
「それじゃあ……お前たちのところへ行く必要がある、と?」
「はい。エリクソン公爵領です。そこは、私の向こうでの家です。あちらの空気には大量の天然魔力が含まれているので、私はいつでも魔力を回復できます。治療の回数も、無制限になります」
私は一拍、置いた。
「もしよろしければ、洪おじさん。向こうにしばらく滞在して、私の治療に最後まで付き合っていただけませんか」
「私を……連れていくのか?」
「はい。そもそも前回、一年後にはうちに来て住むって、承諾してくださいましたよね?」
洪おじさんは、もう一度、黙った。
それからようやく、彼は息を吐き出した。
あの老いた顔に、ほっとしたような笑みを浮かべて。
「それじゃあ……世話になるよ、お嬢ちゃん」
彼がその言葉を口にしたとき、お嬢ちゃんという三文字を、とても丁寧に、とてもはっきりと言った。
まるで何かの呼び名を、慎重に確認するかのように。
胸のなかで、何かがそっと動いた気がした。
私は何も言わず、ただ立ち上がって空の瓶を収納の指輪に戻した。
「夜も更けましたし、おじさんも早く休んでください」
小声でそう言って、寝室へと向かった。
部屋の入り口まで来て、私は立ち止まり、振り返って一目見た。
洪おじさんはまだそこに座っていた。
動かなかった。
手のひらは、まだ胸に当てられたままだった。
まるで、何か微細な、今まさに起きつつある変化を、感じ取っているかのように。
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