258. 昼餉の食卓
私達三人の出現は、たしかにこの一家のもともとの計画を、すっかり掻き乱した。
なにしろ彼らは今日という日に、私たちが来るとはまったく予期していなかった。
まな板の上に切られた食材は二人前だけ。
冷蔵庫のなかにも、日常の買い置きしかない。
だがこの一家の対処の仕方は、静おばさんが手を二度叩き、「大丈夫、冷蔵庫を見てくる」と言って、くるりと台所へと向きを変えたことだった。
本来なら、私とユーナは母を連れて、ひとっ走り市場へ行き、食材を補ってこようと思っていた。
二老にあまり無理をさせてはいけない。
ユーナはもうエプロンを結び始めていたし、私も机の脇で携帯を探して、近所の市場がどこにあるのか調べようとしていた。
ところが、静おばさんは台所から顔を覗かせ、あまりにも平静で、ほとんど天然そのものの表情で、私達三人の計画をすべてはねつけた。
「行かなくていい。座ってな。私が携帯で頼むから」
携帯で。
私は静おばさんの手にある、画面の小さくないあのスマートフォンを見つめ、固まった。
「携帯で……食材を買う?」
携帯で買い物ができることは知っていた。
私が地球を離れたとき、ネット通販というものは、まだ少しずつ普及し始めたばかりだった。
あの頃、みんながパソコンで買えたものは、ほとんどが服か、電子機器か、あるいは何か規格化された商品、要するに、選り好みの必要のないものばかり。
食材の買い出しとなれば、私の印象ではやはり市場に行くものだった。
青菜は色の鮮度を見なければならず、豚肉は触って弾力を確かめ、魚は目のつやを確認する。
そんなものを、小さな画面ひとつでどうやって判断するのか、私には想像がつかなかった。
ところが静おばさんはもうアプリを開いていて、指は画面の上をかなり慣れた手つきで滑らせている。
何の迷いもない。
私は近づいて覗き込んだ。
それは出前アプリの画面で、ずらりと近隣の店舗が並んでいる。
そのなかの食材という分類がちゃんとひとつある。
タップしてみると、各種の野菜、肉、調味料が分類され、はっきりとした写真と価格がついていて、一番下には「最短29分でお届け」と書かれている。
この世界は、本当に、変わるのが速い。
「ふふ」
静おばさんが私をちらりと見た。
私が携帯を凝視して打たれたような顔をしているのに気づき、笑った。
「まさか、あたしがあんたに電子機器の使い方を教える日が来るなんてね」
私、この人生でも、あの人生でも、年長者に携帯の使い方を教わなければならない経験など、一度もなかった。
だからこの瞬間、私はまる三秒、固まってしまった。
それからようやく我に返り、笑った。
多くは言わなかった。
説明に骨が折れることは、いっそ、こうして流してしまったほうがいい。
静おばさんは手際が良く、出前を注文しながら冷蔵庫の、もともとあった食材を整理した。
ほどなく、玄関のチャイムが鳴った。
洪おじさんが階下に出前を取りに行き、ついでに持ち帰り袋をひとつ提げてきた。
家の近くで二十年あまり続いているあの酒楼から、事前に詰めてもらった焼き鵞鳥だという。
ここの焼き鵞鳥は木棉城ではなかなか名が知れていて、今日は客が来ているのだから、粗末にはできないと。
厨房から、匂いが漂い始めた。
本物の柴に米に油に塩でじっくりと煮出された、あの匂い。
インスタント食品のような、人工香料を山ほど加えた偽物の香りではない。
鍋の焦げ目を帯びた、熱くて、確かな香り。
豚骨のスープは朝早くから火にかけられていた。
洪おじさん曰く、すでにまる四時間、煮込んである。
スープの色はもう濃い白濁に変わり、表面には細かな油の粒が一層浮いている。
鍋の蓋を取れば、蒸気がごうごうと立ち込め、骨の香りが胡椒の辛みを混ぜて顔面に迫ってくる。
青菜は静おばさんが炒めた。
豚の脂身で先に油を絞り出し、それから菜を入れる。
こうして炒めると、野菜には植物油ではどうやっても代えられない清らかな甘みが生まれる。
葉の表面は油でつやつやと輝き、かすかな焦げ目の香りが乗っている。
一口、箸でつまんで口に入れれば、歯ごたえはさくさくとしながら、そのうえを肉の脂の余韻がふわりと包む。
尋常だが、紛れもなく美味しい。
食卓が整ったとき、母はもうきちんと自分の椅子に座っていた。
彼女は元来、自制の人だ。
異世界では、クリスト伯爵家出身の公爵夫人。
振る舞いは節度があり、食べ物も分を越えない。
どんなに美味しいものを目の前にしても、終始、あの優雅な距離感を保つ。
一口一口の量はいつもほどほどで、せっかちに見えず、欲張りにも見えない。
まるで彼女と食べ物のあいだには、永遠にどこか礼儀の距離があるかのよう。
だがそれは、異世界での話。
今日のこの食卓は、その距離を、直接、消し去った。
私はこの目で見た。彼女が焼き鵞鳥を一切れ、箸でつまみ、口に入れ、それから止まり、ゆっくりと一度、噛み、それからまた少しだけ間を置いた。
まるで何かの信号に反応しているかのよう。
その後、彼女の目つきのなかの何かが輝き、箸が普段とは少しだけ違う速度で、再びあの焼き鵞鳥の皿へと伸びていった。
彼女自身はおそらく、この速度の違いに気づいていない。
私は彼女を見つめながら、笑いを堪えた。
あの鍋で四時間も煮込まれた豚骨スープも、順ぐりに回った。
母は一口飲み、顔色が端正から弛緩へと変わった。
さらに、私が彼女の本当にいいものにだけ向ける目つきがかすかに虚ろになる放心状態へと変わった。
あと少しで、皿まで舐めるところだった。
私は心のなかで、この半句を付け足した。
実際には彼女は最後まで、とてもよく自制して、本気で舐めたりはしなかった。
だが彼女があのスープの底にもう二掬い、多めに足したことは、それで私は心のなかのあの半句を、密かに満足させた。
洪おじさんも静おばさんも、ヘレナがこうして食べるのを、失礼だとは思わなかった。
むしろ正反対、母があまりに夢中になりすぎて、自分がもうあまり貴族らしくないと気づいて、姿勢を正し、いくぶん照れくさそうに詫びを口にしたとき、静おばさんは嬉しそうに机をひとつ、叩いて言った。
「美味しいならたくさん食べて。それだけ美味しそうに食べてくれたら、あの炒め物も無駄じゃなかった」
洪おじさんもつられて笑った。
「次に来るときは、焼き鵞鳥を二羽、頼んでおくからな」
食卓の作者として、こうやって食べてもらえることは、何よりの賛辞だ。
午後。
ユーナは両親のもとに残り、私は母を連れて地下鉄に乗り、木棉城の市中心へと散策に出た。
なにしろユーナと彼女の両親は、前回会ってから丸一年になる。
私達のような第三者は、空気を読んで、彼らだけの時間と空間を残してやらなければ。
木棉城の地下鉄の路線は、私の記憶よりまた何本か増えていた。
案内板も新しい様式に変わっている。
私はホームの路線図の前でしばらく見比べて、ようやく市中心へ向かうラインを見つけ出した。
地下鉄の車内には人が多い。
母は初めての乗車で、すべてに対してあの静かだが真摯な注意力を保っている。
彼女は車内の様々な顔を観察し、時おり注意を促す音を発する駅案内の画面を観察し、いつの間にか一人一台の小さな画面と、一人ひとりがその画面を握るときの専心して隔絶された表情を観察している。
「ここの人は、あまり周りの人を見ないのだな」
彼女は私だけに聞こえる声で、ごく静かに、こう一言言った。
私は少し考えて、否定はせず、ただ言った。
「手に、見るものがあれば、もうよそを見なくてもいいからです」
母はしばらく黙り込み、再び窓の外へと視線を戻した。
その窓には今、ただ黒々としたトンネルの壁だけが、猛スピードで流れ去っている。
地下鉄を出ると、市中心の通りは私の記憶よりずっと賑やかだった。
デパートはデパートへと連なり、ショーウィンドウの陳列はとても速く更新され、人波も私の記憶にあるこの時間帯よりずっと密集している。
私たちは大きなデパートをぶらぶらした。
母はあの自動で開閉するガラス扉や人を上下に運ぶエレベーターに相当の興味を示した。
とあるエスカレーターでは二往復し、私に止められてようやく諦めた。
だが彼女の表情は、洪おじさんの家を出てから、次第に重くなっていった。
最初は歩き疲れたのかと思った。
あるいは人が多すぎて落ち着かないのかと。
しかし彼女の視線は散漫ではなかった。
むしろ、何かを真剣に胸のなかに押し込めている、あの沈鬱さ。
私は彼女を引っ張ってデパートの食品フロアへと入り、ついでに作りたての楊枝甘露を一杯、買ってやった。
彼女が受け取って一口飲むのを見たが、表情はやはりあまり緩んでいない。
そこでようやく、口を開いて訊いた。
「母上。さっき家を出てから、なぜそんなに顔色が優れないのですか」
彼女はあのデザートの器を手にしたまま、少し静かにしていた。
「娘よ、私も、これが余計なお世話かどうか、分からないのだが……」
彼女は少しだけ間を置き、眉間に一筋のためらいが走った。
だが、最終的には口にした。
「あんたは、洪おじさんに気づいたか」
「洪おじさんが、どうかしましたか」
私の語気には、無意識の性急さが滲み出ていた。




