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24. 野外弁当

翌朝。


いつもどおり、学院の正門前に集合した。


正門前には、すでにチャーリーとその母親の姿があった。昨日の話では父親も来るはずだったのだが、どうやら急ぎの仕事が入ってしまったらしく、「悔しい……」とぼやきながら早々に去っていったらしい。


(天然属性は父親からも遺伝するのかもしれないな……)


そんなことを考えながら、俺はチャーリーの母親をあらためて観察した。


チャーリーの母親の名前は、ベナ・アマドールというらしい。チャーリーと同じ苗字を持っている——つまり、この家は母方の姓を継いでいるということだ。中世的な価値観が色濃く残るこの世界では、かなり珍しいことだと思う。


お母さんは、俺と同じくらい——だいたい百六十センチ前後の背丈で、腕には大ぶりの籐編み籠を提げていた。ピクニックの食材、あそこに入っているんだろうな。


(……しかし、今日はのんびり楽しめる日になるはずだったのに)


心の中でそっとつぶやいた。


しばらくしてニーナも到着し、全員が揃った。俺たちは道端で辻馬車を拾い、揺れに揺られながら目的地へと向かった。


ピクニックの場所は、なかなかよく選ばれていた。かつてアムニット市が開発を進めた際に木々が伐採され、今はなだらかな草原が広がっている斜面だ。遮るものが何もないぶん、アムニット市の街並みが一望できる。目を凝らせば、遠くにエリクソン公爵邸の塔まで見えた。


(……まあ、一時間後に某イベントが控えていなければ、完璧な一日だったんだけどな)


ベナさんはてきぱきとピクニックシートを地面に広げ、四隅を石ころで押さえた。


「あの、どうして穴の中に石が四つあるってわかったんですか?」


俺が素直な疑問をぶつけると、チャーリーが笑って答えてくれた。


「ここ、うちの家族が昔からずっと使ってるピクニックスポットなの! お母さんが『毎回石を探すのが面倒』ってことで、あらかじめ穴を掘って石を置いといたんだって」


(……なるほど、天然か合理主義か、どっちに転んでも極端な人だな)


シートを広げ終わると、ベナさんは籠の中から料理を取り出しはじめた。


まず出てきたのは、まだドレッシングを和えていないクローディア菜のサラダ。


(……え、これを野外でサラダにしたの? あの菜っ葉を?)


続いて、豚挽き肉とクローディア菜を細かく刻んで混ぜたハンバーグ、それをふっくらしたパンで挟んだサンドイッチが登場した。さらに、渇きを癒すためのオレンジジュース。


(いや待って。またクローディア菜か。この菜、俺のことどう思ってんの? 刻まれて、和えられて、挟まれて……)


そして最後に、安定の燻製ハムと黒パン。


(よし、これが一番落ち着く。異世界来てからいちばん安心できる食べ物だ)


「あら、ナイフを持ってくるのを忘れてしまったわ。まあ、いいんだけれどもね」


ベナさんがそう言ったかと思うと——次の瞬間、彼女の手の中に柄のない料理包丁が現れた。


シャッ、シャッ、シャッ——ハムとパンをきれいに切り分けると、包丁はスッとまるで最初からなかったかのように消えた。


(……魔法で召喚した包丁でピクニックの料理を切る母親か。なかなか見ない光景だな)


金属性魔法の使い手は、魔力を凝固させて実体化させることができる。破壊を伴う属性攻撃と異なり、安定した形状の実体を維持するには高い制御技術が必要だ。チャーリーのお母さん、見かけによらず相当な実力者である。


(……まあ、そんな人の娘でも天然っていうのが、家庭環境の謎ってやつかな)


俺はそっと手元の懐中時計に目をやった。


——そろそろだ。


「ごめんなさい、ちょっとお腹の具合が悪くて……先にそこの茂みをお借りしてもいいですか?」


言いながら、俺はユーナにそっと目配せをした。彼女はすかさず察して、一緒に立ち上がる。


「わたくしもご一緒します」


「あらあら、女の子同士でトイレ? 仲良しねえ♪」


ベナさんが頬を赤らめながら言った。……その笑顔は、なんか違う方向に解釈してない?


(否定したいのは山々だが、今はそれどころじゃない)


俺とユーナは連れ立って、小森の中へ入っていった。


人目が届かなくなったのを確認してから、俺はすぐに変装魔法を解除した。黒い長髪がさらりと解け、白金色の髪が陽光を受けてきらめいた。


深く息を吸い込む。


「行くよ」


短くそう告げた俺は、前方の障害物を魔法で片っ端から吹き飛ばしながら進んだ。石、木の枝、蔓草——邪魔なものは全部塵にしてやる。


三分ほど足を進めたとき、俺とユーナは同時に立ち止まった。


空気が、変わった。


腐臭と鉄臭が混じった、胃を揺さぶるような臭い。草木の緑の匂いの下から滲み出てくる、生き物の本能が「逃げろ」と叫ぶ臭気。


(これは……相当な数だな)


探索魔法を展開して前方を確認する。百体以上の魔物反応——そして、その中に人間のものらしき微弱な魔力が二つ。


(いたぞ。あれがローブ会の術者だ)


「ユーナ」


「はい」


答えはそれだけで十分だった。ユーナはすでに身を低くして、走り出す準備を整えている。


俺はその肩をぽんと叩いた。


「気をつけてね。絶対に無事で戻ってきて」


胸の奥がじわりと締まる感覚があった。


(……こんなに心配したの、転生してから初めてかもしれない。まるで子供を送り出す親みたいだ)


(親の気持ちって、こういうものなのかな。心臓がうるさい)


「任せてください! ——帰ったら、アイスクリームを食べさせてくださいね!」


ユーナはにっこりと笑い、躊躇ためらいなく飛び出した。


魔物の群れは、最初は気づいていなかった。


だが——ユーナが魔力を解放した瞬間、空気が震えた。


あの魔力の波動は、魔物誘引器が放つ信号に非常に近い。魔物たちの本能を直接刺激する、本物の餌の匂いだ。


「——ガアッ!」


先頭の魔物虎が跳躍した。血に飢えた両目が、ユーナだけをとらえている。


ユーナは身をひねって躱し、即座に振り向きざま火球を放った。火球は魔物虎の頭頂部をかすめ、たてがみを焼き——魔物虎は地中海を手に入れた。


(……ちょっと待って、ユーナの戦闘センス普通にすごくない?)


驚く間もなく、周囲の魔物が一斉に吠えた。


ユーナは逃げる。走りながら振り返り、魔法を撃つ。振り返り、撃つ。ただそれだけなのに、どこか計算された動きだった。


途中、彼女は地面に魔法を仕込んだ。追いかけてくる魔物の足元に地刺が生え、先頭を走っていた数体がまとめてつんのめる。後続も巻き込んでドミノ倒し。


(なるほど。たいして倒してるわけじゃないけど、時間を稼ぎながら誘導してる。貧民窟で培った生存術か……)


ユーナが魔物の群れを引き連れて森の奥に消えていくのを確認した俺は、くるりと踵を返した。


さて——俺の番だ。


「——見つけた」


二体の人間が、茂みの陰で呆然と突っ立っていた。せっかく誘引した魔物の群れを、一人の少女に丸ごと持っていかれたショックからまだ立ち直れていないらしい。


俺が姿を現した瞬間、二人は正気に戻り、杖を構えた。


「ここに来たってことは——仲間じゃないな!」


「迎撃呪術、展開!」


二人が詠唱を始める。同時に、二つの火球が俺の両手から射出された。


二人は防御魔法を展開し、迎え撃とうとした——その瞬間。


俺は火球の術式核を書き換えた。


二つの火球が空中で消える——かと思うと、次の瞬間、それぞれが元の何倍もの巨大な火球として再出現し、二人に迫った。


「な——なんだこの魔法!?」


「防御を上げろ! 全力で!」


二人の防御魔法に亀裂が入りはじめる。


その隙を、俺は逃さなかった。


足に魔力を流し込み、地を蹴る。


まるで瞬移したように、俺は二人の間に割り込んだ。彼らが俺の存在に気づいたときには——もう遅い。


手環の中から二本の小型短剣を取り出し、同時に脇腹へ突き込んだ。


「あ……ッ!?」「がっ……!」


悲鳴とともに、二人の手から杖が落ちた。魔力供給が途絶え、防御魔法が霧散する。


そこへ——二つの巨大火球が着弾した。


轟音と熱波が草地を揺らした。


(……一分かかってないな。ちょっと呆気なさすぎる)


煙の中、短剣を手環に戻しながら、俺は踵を返した。


「ピクニックの邪魔をした罰だ」


誰に向けるわけでもなく、小さくつぶやいた。


(真のプロフェッショナルは振り返らない。たとえ女の子でも、この原則は変わらない)


後ろで爆炎が燃え盛るのを背中で感じながら、俺はユーナのいる渓谷へ向かって走り出した。


ユーナ視点

敵をおびき寄せて奥へ誘い込む——これは、貧民窟時代に身につけた古い得意技だった。


あの頃、仲間と商人の荷物を盗もうとするとき、見張りの目を引きつけて逃げ回るのはいつも私の役目だった。私が一番足が速くて、一番声が通らなくて、一番「いてもいなくても同じ」存在だったから。


でも今は違う。


「——こっちだよ!」


振り返りながら火球を撃つ。魔物の群れが吼えながら迫ってくる。


(ちゃんとついてきてる。いいぞ)


走りながら、体の状態を確認する。魔力残量、まだ余裕あり。足の筋肉、まだ動く。呼吸、少し乱れてるけどコントロールできてる。


渓谷の入り口が見えてきた。


あとは奥まで誘導して、高台に飛び上がれば——群れを上から一掃できる。クローディア様ほどの破壊力はないけれど、わたくし一人でここまで引き連れた群れを処理するくらいなら、問題ない。


走る。走る。走る。


渓谷の奥へ。


(あとちょっと……!)


踏み切る——はずだった。


ぐらり、と。足元が崩れた。


「——っ!?」


脆くなっていた崖の縁が崩落した。重心が後ろへ流れ、体が宙に浮く感覚。


後ろには、魔物の群れ。


下には、岩場。


(……あ)


思考が、一瞬止まった。


追いついてきた魔物虎が飛びかかる。大きな顎が開く。


——もう間に合わない。


(そうか。死ぬのか)


貧民窟育ちにとって、死はいつも隣にある。何度も見てきた。何度も隣で感じてきた。だから、怖いとは思わなかった。


ただ——


(クローディア様に、氷菓を食べさせてもらえなかったな)


(もっと、そばにいたかったな)


目を閉じた——その瞬間。


轟っ。


衝撃波と白光が炸裂した。


(……あれ?)


目を開けると、目の前に魔物虎の姿はなかった。


気がつくと、私は柔らかいものの上に横たわっていた。


ふんわりとした温かさと、山茶花の香り。


「——間に合った」


頭上から、聞き慣れた声が降りてきた。


見上げると、クローディア様の顔があった。白金色の長髪が流れ、銀の瞳が私を見おろしていた。


……膝枕、されていた。


「……わたくし、生きていますか?」


呆然と聞くと、クローディア様はため息をついた。


「あたしがいなかったら死んでたわよ、このドジっ子」


(……ドジっ子……)


苦情を言おうとして——気づいた。


クローディア様の目が、赤かった。


少し潤んでいる。唇をきゅっと噛みしめている。感情を抑えようとしているのに、隠しきれていない。


「……心配、かけてしまいましたね」


「べつに」


即答する割に、視線がちょっと逃げてる。


「…………もう少し、ちゃんと気をつけなさい」


「はい」


「落ちそうになったら叫ぶなり魔法を使うなり——」


「はい」


「あなたが死んだら、わたしが……」


そこで、クローディア様は口をつぐんだ。


次の瞬間——ぽたり、と。


一粒の雫が、私の頬に落ちた。


見上げると、クローディア様の目から涙がこぼれていた。


「……馬鹿。ちゃんと気をつけなさいよ。もう少しで間に合わなかったんだから……あなたのことを、失うところだったんだから」


声が、かすかに震えていた。


公爵家の令嬢が、貴族の所作も忘れて——ただの女の子みたいに、泣いていた。


(……ああ)


私の中で、何かが溶けた。


この人は、わたくしのために泣いてくれている。


あの冬の日、金貨一枚も出せなかった私を買ってくれた人。名前を与えてくれた人。「そのままでいい」と言ってくれた人。


(この人を守りたい、って思ってた)


(でも、この人も——私のことを、ちゃんと見てくれていたんだ)


私はゆっくりと手を伸ばして、その頬の涙を指でぬぐった。


「泣かないでください」


「泣いてない」


「泣いてます」


「……うるさい」


クローディア様の頬が、かすかに赤くなった。


私はそのまま、上半身を起こした。


「お嬢様」


「……なに」


「一つだけ、失礼をしてもよろしいですか」


クローディア様が、小首を傾げた。


私はゆっくりと手を伸ばし——その首元に腕を回して、引き寄せた。


「——っ!?」


目が丸くなる。


それでも私は構わずに、泣きはらした顔のまま困惑するその唇に、そっと口付けた。


柔らかかった。


温かかった。


山茶花の香りが、鼻腔いっぱいに広がった。


クローディア様は完全に固まっていた。何も言えないまま、目をぱちぱちさせていた。


私はそっと身を引いて、微笑んだ。


「泣き顔のお嬢様も、かわいいですよ」


(……これで泣き止んでくれたらいいな)


(それだけだ。本当に、それだけの話だ)


——と、自分に言い聞かせながらも。


私の心臓は、さっきの魔物に飛びかかられたときよりも、ずっとずっとうるさく鳴っていた。

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