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23. 百倍の力

「どかないとしたら? お嬢ちゃん、俺をどうするってんだ?」


大男はにやりと笑い、黄ばんだ歯を剥き出しにした。まるでジムから飛び出してきたばかりの野蛮人みたいな顔だ。


俺には何もできないとでも思っているのか、「この俺様に逆らえるわけがない」という態度を全力で体現している。


(……頭、ドアに挟まれたのか?)


俺は内心そう呟いて、白い目を向けた。


好意で忠告してやったのに、それを無駄にするというなら——こちらも遠慮する理由はない。


俺はゆっくりと両手を伸ばし、コアラのようにその太い腕にしがみついた。


最初、大男は「ようやくわかってきたか」とでも思ったのだろう。足を踏み出して俺を引きずろうとした——次の瞬間。


「ドン!!」


大男の巨体が断線した凧のように地面へと叩きつけられ、頭が「ガコン」という音とともに木の床板を突き破り、そこに大きな穴を開けた。


「あら、床の質があんまりよくないみたいですね」


俺はしゃがみこんで、穴から頭を引き抜こうとしている——顔中に木くずをつけた——大男を見下ろし、しみじみと言った。


「それにしても、顔の皮だけは厚いんですね。これだけ叩きつけてもピンピンしてるなんて」


大男はぐらぐらと頭を振り、顔を真っ赤にして怒鳴った。「このアマ、ただじゃおかねえぞ!」


彼は二言もなく、傍に転がっていた折れた木の板を掴み上げ、ハンマーを振り回す野人のごとく俺に突進してきた。今にも俺をぺしゃんこにしてやるという気迫だ。


(……完全にキレてるな)


俺は口をへの字に曲げた。とはいえ正面から受けるつもりはない。この小さい体で直撃でも食らったら、どこか飛んでいきそうだ。


——そのとき。


ユーナが横からさっと飛び出した。細い手が一振りされると、一本の鉄棒が「ヒュッ」と空気を切り、「バン!」と大男の腹に直撃した。


大男は大砲で撃たれた砂袋のように吹き飛び、ギルドの壁に激突してようやく止まった。石壁にはくっきりと人型の大きな凹みが刻まれた。


ユーナは手の中で曲がった鉄棒を放り捨て、ぽんと手を叩いた。


「壁の質は悪くないみたいですね」


(まったく同じこと言ってる)


そのとき、近くのテーブルに座っていた一団がいっせいに立ち上がり、武器を構えてこちらへ向かってきた。


仲間がここまでやられたのを見て、助太刀に来たらしい。


(なるほど、雑魚経験値の団体様御一行か)


彼らは直接飛びかかってくるのではなく、一定の間合いを保ちながら人数の優位で俺とユーナを取り囲んだ。


俺の返答はといえば——打ち合いで乱れた黒髪を指で軽く整えて、ユーナと背中合わせになること、ただそれだけだ。


そのとき、ユーナのほうから淡い梅の香りが漂ってきた。


「ユーナ、いい匂いがする」


俺が冗談っぽく言うと、ユーナの小さな顔がたちまち赤くなった。


「いい体格した大の男が、小さい女の子ふたり相手にしでかした傷より、女の子の一言のほうがよっぽどダメージでかいって、笑えるわ……」


取り囲む一団の中から、誰かが思わずといったふうに突っ込んだ。


「おい、おまえらふたり。俺たちの兄貴をこんな目に遭わせやがって——治療費をいくら払う気だ!」


一団の中でも特に強面の男が怒鳴りつけた。


仲間のひとりがあの石壁に埋まった大男を引っこ抜き、きれいに折りたたんで椅子の上にのせた。


「あなたたちも、ああなりたいですか?」


俺がそう言いながら折り畳まれた「兄貴」を指差すと、彼らはかえって顔を真っ赤にした。一人が我慢できなくなったのか、手斧を振り上げて俺たちのいる場所へ突進してくる。


「覚悟しろ!」


雑魚その一が、いかにも雑魚らしいセリフを叫びながら迫ってくる。


「おい!あの女の挑発に乗るな!」


雑魚その二が雑魚その一へ向けて、これまた雑魚らしいセリフを叫んだ。


俺は後ろのユーナを引き寄せて横に躱し、振り下ろされた戦斧をかわした。続けて、左脚に魔力を集中させ——「パキン」という乾いた音とともに、鋼鉄の斧の刃を踏み砕いた。


彼が唖然としている間に、俺は全力強化魔法を乗せた小さな拳を、その顔面めがけて叩き込んだ。


彼の顔が「米」の字型に凹み、そのまま後ろへ倒れてぴくりとも動かなくなった。


鋼鉄の斧をたった一踏みで砕いた光景を見た瞬間、残りの面々の戦意は煙のように消え去った。


「や、やめた! 化け物め!」「た、頼む、もうやめてくれ!」


彼らは口々にそう叫びながら、「米」字顔の仲間を引きずり、折り畳まれた兄貴を抱えて、ほうほうの体で冒険者ギルドから退散していった。


この「小さなトラブル」を片付けた後、俺はカウンターへ向かった。


自分の名前を書いた用紙を差し出す。


「すみません、冒険者証の発行をお願いしたいのですが」


受付嬢はまだ先ほどの騒ぎから立ち直れていないらしく、栗色の瞳を銅鑼のように見開いたまま言った。「あ、あ、はい、ただいまお手続きします」


書類に記入しながらも、彼女はちらちらとこちらを盗み見て、口の中でぼそぼそ呟いている。「……この子たち、どう見ても成年冒険者より強いんだけど……」


書類を書き終えると、彼女は顔を上げて訊いた。「ところで、おふたり、本当に十三歳ですか?」


「はい、そうです」


俺はそう答えながら、学院に潜り込んでいる間諜——ジャック——に頼んで作ってもらった偽の身分証を差し出した。この「ケイシー」という身分を証明するためのものだ。造りはさすが本職、一点の粗も見当たらない。


「……証明書には偽造の形跡が一切ない。つまり、本当に十三歳……」


受付嬢はそこまで言ってから、首を傾げた。


「それで、自分の倍はある体格の大男を、どうやって吹っ飛ばしたんですか?」


彼女は一応俺の年齢を信じてはいるが、あの壮挙にどうしても納得がいかないらしい。向学心の強い人のようだ。


そのとき、周囲の人たちがざわざわと噂し始めた。「東方の秘伝武術では?」「神の加護があるんじゃ……」「実は鎧の中に筋肉少女が入ってるとか……」


待て待て待て、止めてくれ。この花の乙女にもプライドというものがある。


俺はぱちぱちとまばたきして、わざとらしく謎めいた口ぶりで言った。


「実は、力強化魔法を使って身体能力を底上げしたんですよ。それで吹っ飛ばせました」


受付嬢は目を丸くした。「そんな、いくら力強化魔法でも——二倍程度の強化で、あれほどの大男を投げ飛ばせるわけが……」


俺は頭をかきながら、ちょっと困った顔をした。


「えっと、二倍じゃなくて、もう少し多めにかけました」


「四倍でもあの人を投げ飛ばすのは無理だと思いますけど……」


受付嬢はまだ疑っている。


俺は人差し指を一本立てて、至ってまじめな顔で答えた。


「百倍です」


「????」


その場にいた全員の頭上に、同時に無数の疑問符が浮かんだ。まるでみんなで揃って人生の意味を問い直しているみたいだった。


——後日の話になるが。


その場にいたある魔法師がこの言葉を聞いて、力強化魔法を何倍まで重ねがけできるか、本格的に研究し始めたという。


五十年後、彼は「俺以外の魔法師が実現できる上限は二十倍」という結論を証明した。


その研究成果が発表された翌日、世界中の騎士・剣士・格闘家といった近接職のほぼ全員が職を失った。


何しろ魔法師は元々の身体能力こそ心許ないものの、力強化魔法で底上げすれば、訓練に何年もかけた屈強な兵士など比較にならない暴力を発揮できる。しかも消費魔力は驚くほど低い。生身の肉体では、もはや追いつけない領域だ。


近接魔法師の時代の幕開けである。


——もっとも、これはまだずっと先の話だ。


ともかく、俺は無事に冒険者証を受け取った。


異世界冒険者、正式入会。


等級はもちろん、最低のF級から。


(まあ当然だな。「勇者はギルドの酒場で仲間を見つける」ってやつ、ちゃんと再現しておきたいし)


翌朝。


チャーリーが満面の笑みで駆け寄ってきた。


「ケイシー、ユーナ! 明日、時間ある?」


明日は学院の休日だ。授業のない俺たちには、特に予定はない。そう答えると——


チャーリーの目がぱあっと輝いた。


「よかった! 昨日うちのお父さんとお母さんがあなたたちのことをすっごく気に入っちゃって、ぜひ一緒に近くの小さな森でピクニックをしましょうって」


「ピクニック!」


俺の目もぱあっと輝いた。


異世界に来てからというもの——いや、前の世界でも、会社員時代には縁のなかった行事だ。


ユーナも表情がほころんでいる。「お誘いありがとうございます。楽しみにしています!」


一方のニーナは、半ば強制的に参加が決まったらしく、「生きているのがつらい」という顔で佇んでいた。まるでピクニックではなく葬儀に招待された人みたいだ。


そして問題は——その夜、借りている家に帰ったとき。


ジャックから手紙が届いていた。


内容はこうだ。


「明日、魔物誘引器を使い、アムニット市に人為的な魔物の襲撃を仕掛けるという計画が動いています。制止をお願いしたい。発生地点は、お嬢様方の野外弁当地点から五キロほど外れた地点です」


(……よりによって)


俺は頭を抱えた。


もし魔物の大群が発生したら、俺たちが真っ先にその直撃を受ける。


仮に俺が誘引している二人を倒しに行くとしても——引き返す前に魔物たちはピクニック地点へなだれ込んでくる。どちらを先に潰すかで詰む。


「……うぅ、なんとかなりませんかね……」


俺は思わずうめいた。せっかくのピクニックが。


黙って聞いていたユーナが、静かに口を開いた。


「お嬢様、よろしければ——」


彼女は手紙の地図を指差した。


「魔物発生地点から一キロほどのところに、広めの渓谷があります。私が魔物をそこへ誘導してまとめて受け持ちます。その間に、お嬢様は誘引器を操作しているふたりを仕留めてください。大元を断てば、魔物の誘引も止まります」


ユーナの細い指が、地図の上を静かに動いた。


——確かにその通りだ。俺たちふたりで防衛に専念すれば魔物は防ぎきれるかもしれないが、その間も誘引器はずっと新しい魔物を呼び続ける。長期消耗戦になってしまう。


ユーナに危険を背負わせることになる。


でも——俺は彼女の実力を知っている。信じている。


「……わかった。その方向でいこう」


俺は地図を見つめながら、静かに頷いた。


ピクニックは、俺たちで守る。

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