228. 討伐の灰燼、そして陽光の帰還
尾が頭上を薙ぎ払った瞬間、凄まじい風圧が周囲の砕石と土埃を吹き飛ばした。
私は吹き飛ばされはしなかったが、衝撃波に押されて全身が地面のうえを幾度も転がった。
背中が突き出た岩に激突し、激痛が背骨から全身へと走っていく。
だがユーナは撃たれなかった。
彼女は障壁が稼ぎ出したあの一秒を利用して、潮脈の核の真正面へと躍り出た。
それから、両手を胸の前で合わせた。
掌と掌のあいだに、炎が凝縮していく。
今度は火球ではない。
剣だった。
橙赤色の炎が彼女の手のなかで、全長二メートルの火元素の長剣へと凝結した。
剣身には密集した炎の文様が脈打ち、異常な高温によって周囲の空気すらも歪んでいる。
両手で火の剣を握りしめ、潮脈の核めがけて突き下ろした。
火の剣の切っ先が、最後の一層のひび割れた鱗甲を貫き、潮脈の核を直接捉えた。
地淵巨蛇が、最後の咆哮を放った。
淡い青の光が腹部で激しく数度明滅し、それから針で刺された石鹸の泡のように、ふつりと消えた。
巨体が、一瞬のうちに、もがきを止めた。
五十メートルの巨蛇は、土水共生の核を失ったあと、一本の巨大な物言わぬ骸へと変わった。
それから崩壊が始まった。
黒岩の鱗甲が躯体から剥がれ落ち、一塊ずつ黒い石と化して砕けていく。
躯体そのものは、何かの支えを失ったかのように陥没し、干からび、最終的には一山の黒い乾いた灰となった。
一陣の風が吹き抜けた。
灰は散った。
沼の中央、かつて地淵巨蛇のとぐろを巻いていた場所には、ただひとつの大穴と、一面の完全にひび割れた、草一本すら生えぬ焦土だけが残されていた。
私はあの岩の傍らに横たわっていた。背中から伝わる痛みが、視界をややぼやけさせている。
だが耳はまだ動いていた。
足音が聞こえた。
フィオナ先生の足音だ。
彼女は私の前まで来ると、しゃがみ込んだ。
「まだ動ける?」
「……たぶん」
彼女は手を差し伸べ、私を地面から引き起こした。
「ユーナ」
「平気です」
ユーナの声が大穴の方角から聞こえた。
振り返ってみると、彼女は大穴の縁に立ち、手にしていた火元素の長剣はすでに消散していた。
顔色は青白いが、口元には極めて微かな笑みが浮かんでいる。
フィオナ先生はほっと息を吐いた。
それから彼女の視線は、北東方向の岩の高地へと向かった。
エドアルド・ペスは、まだ岩の上に座っている。
だが、その状態は悲惨だった。
銀髪は乱れて顔にかかり、精霊族特有の優雅さは魔力が尽きたあと、跡形もなく消えていた。
長衣には淵潮の吐息の飛沫が飛んでできた腐蝕の痕が数筋残っている。両手は微かに震えていた。
だが、目だけは輝いていた。
大禁呪で焦土と化したこの沼を見つめ、地淵巨蛇の遺した灰を見つめ、疲労困憊し、全身泥と傷まみれの私達三人を見つめている。
それから彼は笑った。
またひとつ、大したことをやってのけたという得意げな笑みではない。ようやく終わったのだという、晴れやかな釈然とした笑みだ。
「……お疲れさま」
声はしゃがれて、ほとんど聞き取れないほどだった。
フィオナ先生は岩の横まで歩み寄り、彼を見上げた。
二秒の沈黙。
「今後は、こんな無茶はなさらないでください」
言い方は文句だった。文句を言いながらも彼女は手を差し伸べ、彼を岩の上から支え下ろした。
エドアルド先生の脚が地面に着いたとき、ふらりとよろめいた。
フィオナ先生は止むを得ず、肩で彼の体重の大半を支えた。
「……ヘイティが知ったら、心配します」
フィオナ先生が一言付け加えた。
エドアルド先生は微笑んだ。何も言わなかった。
ユーナは二人の横へと歩み寄った。
彼女はフィオナ先生がエドアルド先生を支える様子を見つめ、それからうつむいて自分の手を見た。手にはまだ、火元素の長剣の高温の焼け痕が残っている。
「あの……」
「はい?」
「あれ、死んだんですよね。急に生き返ったりは、しませんよね」
「しない」
エドアルド先生が言った。
「潮脈の核が破壊された以上、土水共生は再構築できない。地淵巨蛇は、あの手の生き返る魔物ではないよ」
「よかった……」
ユーナはほっと息を吐いた。
それから彼女の膝の力が抜け、あわや地面に座り込みそうになった。だがフィオナ先生の空いたほうの手が、間一髪で彼女を引き留めた。
「ここで倒れちゃだめよ」
フィオナ先生の声には、少し呆れが滲んでいた。
「帰り道は、まだ長いんだから」
「……はい」
私は傍らに立ち、この光景を見つめていた。
背中の痛みは、魔力の循環が回復するにつれて、ゆっくりと治まりつつある。
剣はすでに腕輪に収めた。鉄甲聖騎兵の召喚に蓄積魔力をかなり消耗したため、近いうちの大規模な再使用は難しいだろう。
私は焦土と化した沼の核心区を一瞥した。
地淵巨蛇。百歳の精霊族の魔法大師でさえ制圧困難だった地淵巨蛇が死んだ。
私たち四人が倒したのだ。
魔力を使い果たした精霊族の学者が、古の大禁呪を放った。
土系の戦士が、全編を通じて魔力場を妨害した。
火系の成長途上の少女が、地面を灼いて炙り出し、最後に致命の一撃を突き刺した。
そして私は、古帝国の最も偉大で、最も強勢な鉄甲聖騎兵をもって、五分ものあいだ生きながら引き留め続けた。
正直なところ、鉄甲聖騎兵の後から後からの突撃がなければ、この戦闘はエドアルド先生の詠唱完了まで到底保たなかっただろう。
この戦いにおける鉄甲聖騎兵の価値は、与えた傷ではない。存在感がある。
正面で絶え間なく妨害し、阻み、騒音を作り出し、地淵巨蛇に彼らを無視してエドアルド先生を直接殺しに行くことを許さなかった。
そして帝国の剣が黒い気を放つ現象について。鉄甲聖騎兵が現れたとき、フィオナ先生が剣身の黒い霧を一瞥したことに、私は気づいていた。
彼女は何も言わなかった。
「出口はどこですか」
私が訊いた。
「ボスが倒されれば、迷宮は出口の転送陣を生成するはずよ」
フィオナ先生が言った。
「昨日の洞穴層と同じようにね」
彼女の声が終わるやいなや、焦土の縁の、先ほどまで気づかなかった位置に、一筋の白い光が輝いた。
昨日のあの、白い光の転送陣と同じ色だ。
「行きましょう」
フィオナ先生はエドアルド先生を支えながら、白い光へと歩き出した。
私は剣を収め、その後に続いた。
ユーナは一番最後を歩く。彼女は地淵巨蛇の灰の山を通り過ぎるとき、一歩だけ足を止め、うつむいて見つめてから、向きを変えて私たちのあとを追った。
白い光が私たちの身体を包み込んだ。
転送の感覚は来たときと同じ。回転する輝き、唸る風切り音。
それから、足が地面に着いた。
乾いた、固い地面。
目を開けると、白い石英柱、菫色の光の幕、温泉町の陽射しとそよ風。
迷宮の入り口だ。
陽射しが顔に当たる温かさは、涙が滲むほどだった。
エドアルド先生は石英柱に凭れかかり、銀色の長髪が陽射しのなかで柔らかな光沢を帯びている。
顔色はまだ青白いが、精神は予想以上に健在だった。精霊族の回復力は、やはり伊達ではない。
「戻ったら」
フィオナ先生が彼を見た。
「まずはヘイティに伝えてください。生きていることは知っていても、どこにいるかは知らないままでしたから」
「うん」
エドアルド先生はうなずいた。
それから、私を見た。
あの眼差しが再び現れた。品定めではない。深い感慨だ。
「クローディアさん」
「はい?」
「君の身につけている、あの黒いものは……」
彼は一拍おいた。
「その本質は、古帝国の兵士の亡霊を召喚して戦わせるだけのものではないはずだ。その本質は……まだ見極められない。だが、時間があれば研究してみたいね」
「……またいずれ」
私は言った。
彼は微笑んで頷いた。追及はしなかった。
フィオナ先生は彼を支えながら、学生の隊列の方角へと歩き出した。
ユーナは私の隣に立った。
「クローディア」
「うん?」
「背中、まだ痛む?」
「大丈夫」
「嘘。歩くとき、肩が傾いてるわ」
「……」
「戻ったら、診てあげる」
口調はいつも通りだったが、目尻がほんの少しだけ赤くなっているのに気づいた。
おそらく、地淵巨蛇の尾に薙ぎ払われた瞬間、彼女の表情を一瞬だけ過ぎ去ったあの恐怖が、いまごろになって遅れて浮かび上がってきたのだろう。
だが彼女は、表に出さなかった。
ただ片手を伸ばして、そっと私の袖を摘んだ。
「行こ」
彼女が言った。
「うん」
二人の影が、温泉町の陽射しのなかへと溶け込んでいく。
背後には、迷宮の白い石英柱が静かに聳え立つ。菫色の光の幕は、なおもそよ風に揺らめいており、まるで決して閉ざされることのない扉のようだった。
扉の向こうには、洞穴、雨林、沼、巨蛇、そして流浪迷宮に半月ものあいだ囚われていた銀髪の精霊。




