224. 土水共生の蛇、そして大禁呪の分担
「研究だけじゃない」
エドアルドの目つきが鋭さを増した。精霊族の学者特有の、極限まで集中した冷静な輝きだ。
「倒す方法を探していたんだ」
彼は拾った枝を置き、私達をまっすぐに見つめた。
「地淵巨蛇の核心的な能力は『土水共生』だ。奴の身体が泥土や水分に触れている限り、たとえごくわずかであっても、土と水の高い親和力を通じて無限の自己修復を行う。刺突、切断、氷結、風刃、雷撃、さらには光系魔法すらも、通常の攻撃手段はすべて無効化される。傷は泥水に触れた瞬間、塞がってしまうんだ」
「じゃあ……どうやって倒せばいいんですか?」
ユーナが訊いた。
エドアルドの口元がわずかに吊り上がった。
それは軽薄な笑みではない。「この問題に半月かけて、ようやく辿り着いた答えだ」という、自嘲と絶対の自信が入り混じった笑みだった。
「一撃だ」
彼は言った。
「一撃で、超広範囲、超高濃度の最上級魔法を叩き込む。区域全体の水分をことごとく蒸発させ、泥地をからからに焼き尽くすんだ。地淵巨蛇が完全に土と水の環境から切り離されたその一瞬だけ、土水共生の加護が強制的に剥がされる」
「それは……どれほどの規模の魔法なんですか?」
フィオナ先生が訊いた。
「少なくとも、この雨林の核心区域の三分の一は覆い尽くす必要がある」
エドアルドは言った。
「それも一瞬で成し遂げなければならない。新しい水源にも、新しい泥土にも、触れる隙を与えてはいけないんだ」
フィオナ先生は黙り込んだ。
この規模の魔法が何を意味するか、彼女は重々理解している。それはもう、並の大魔導士や賢者クラスの魔法使いが扱える代物ではない。
「超広域の大禁呪……」
フィオナ先生の声が低くなった。
「そうだ」
エドアルドが頷いた。
彼はフィオナ先生の表情を見つめ、それから私とユーナに視線を向けた。
「私がその魔法を放つ」
彼は極めて平静に言った。
「だが、時間が必要だ」
彼はすっと指を五本立ててみせた。
「完全な詠唱には、少なくとも五分かかる。この五分間、私は完全に動けず、無防備になる。ありとあらゆる妨害、たとえ小石が一つ体に当たっただけでも、詠唱が雲散霧消する可能性がある」
「五分……」
フィオナ先生が呟きを繰り返した。
「五分間。半神級の力を持ち、区域全体の魔力の流動を感知でき、地中潜行と破魔の衝撃波を使う巨蛇を相手に、五分」
空気が再び重く静まり返った。
「つまり……お一人では不可能なのですね」
フィオナ先生が言った。
「私一人では不可能だ」
エドアルドはあっさりと認めた。
「倒す術はある。だが、自分を守る手が足りない。五分の詠唱時間を稼いでくれる誰かが必要なんだ」
彼はフィオナ先生を見た。
「フィオナ、君の土属性魔法なら地淵巨蛇の動きをある程度妨害できる。奴の魔力場を制圧し、足止めすることは可能だ」
フィオナ先生が重々しく頷いた。
「それから……」
エドアルドの視線が、私へと移った。
「こちらのクローディアさん」
「はい?」
「君は、ひどく特殊な魔力の波動を二つ、身につけているね」
私の背筋がわずかに緊張で跳ねた。
「ひとつは光属性の槍だね。波動のパターンが極めて古い。近代の鍛造品ではないな」
彼は言った。
「そしてもうひとつは……」
その視線は、私の腰にある収納の腕輪の上で正確に止まった。
「もうひとつの波動パターンは実に奇妙だ。黒く、すべてを呑み込むような、ありとあらゆる魔力を吸い上げて圧縮したような、それが何かまでは分からないが」
彼が言っているのは、グリンマンランク帝国の剣と、ブリュンヒルデの槍のことだろう。
だが気づいた。彼は「剣」や「槍」という名称を直接口にしていない。ただ漏れ出る魔力の波動だけで、その存在を感じ取ったのだ。
「その二つ、特に、あの黒い波動を持つもの。君は、それを使いこなせるかい?」
「……使えます」
私は答えた。
「なら、いい」
彼は頷いた。
「地淵巨蛇には厄介な能力がひとつある。『潜地無形』だ。泥土や水のなかを自由に潜行し、気配を消したまま移動できるんだ。精霊族の最上級の感知魔法であっても、位置を捉えることは困難を極める」
「その能力を使って、魔法の発動者を奇襲するわけですね」
フィオナ先生が補足した。
「詠唱の最中、発動者が最も脆くなる瞬間を狙って」
「その通りだ」
エドアルドは私を見た。
「私が詠唱している間、巨蛇の注意を引きつけ、潜地した瞬間に奴を炙り出す手段が必要だ。君のあの黒いもの、もしそれが、十分な騒ぎを起こせるなら」
「私がやります」
今度は迷わなかった。
頭のなかで、すでに戦術が組み上がっていたからだ。グリンマンランク帝国の剣、そして鉄甲聖騎兵。
かつて関門の戦場で見た、あの鉄甲聖騎兵の集団突撃の凄まじさは記憶に焼きついている。
個々の戦力では、地淵巨蛇に傷ひとつ与えられないかもしれない。
だが彼らの強みは、数が多いこと、死を恐れないこと、そして鉄の鎧が極めて強固であることだ。
泥のなかを潜行する巨蛇を相手に、倒す必要はない。ただ、地面の上で圧倒的な騒音と振動を起こし続ければいいのだ。
巨蛇の注意を完全に引きつけ、「詠唱者への奇襲」という優先順位を、「まず目の前の鬱陶しい羽虫どもを叩き潰す」ことへと塗り替えてやる。
フィオナ先生が私を一瞥した。
「エドアルド先生、あの黒いものが何かご存じなのですか?」
彼女はエドアルドに訊いた。
「いや、知らない」
エドアルドは包み隠さず首を振った。
「精霊族の古文書でも、この種の魔力波動のパターンは目にしたことがない。だが、恐ろしく強力だ。そうだね、学院生が持ち歩いていい領域のものではないと思うほどに」
彼はそう言い終えると私を一瞥した。その目には、根掘り葉掘り秘密を暴こうとするような色はなかった。ただ客観的な事実を述べているだけだ。
フィオナ先生もそれ以上は追及しなかった。
振り返って私を見つめ、かすかに頷いて見せただけだ。
その頷きには明確な意味があった。私はあんたを信頼する、と。
核心区域へ出発する前の十分間、エドアルドは地淵巨蛇の能力の仕組みと弱点を詳細に解説してくれた。
その教え方を見て、私はヘイティ先生の姿を思い出していた。いや、ヘイティ先生の教え方は、きっとこの人から受け継いだものなのだ。
筋道が明快で、論理が緻密。一言一句に情報が詰まっており、無駄な雑談が一切ない。
けれど、言葉の選び方はヘイティ先生よりもさらに優雅だった。
まるで芸術品を評しているかのようで、凶悪な魔物の話をしているようには思えないほどだった。
「地淵巨蛇の鱗甲は黒岩質でね、物理攻撃ではまず傷を与えられない。だが、腹部に特殊な器官がある。『潮脈の核』だ。これが土水共生能力の中枢となっている」
「ですが、潮脈の核は土水共生が破壊されたあとにしか露出しないのですね」
フィオナ先生が確認した。
「その通り」
エドアルドは満足そうに首肯した。
「通常時、腹部は厚い黒岩の鱗甲で完全に守られている。潮脈の核は淡い青の輝きを放つんだが、その光の層も周囲の泥土と水分に遮られて視認できない。すべての水と土の元素を剥ぎ取った時、初めてその核が露出するんだ」
「つまり、先生が大禁呪で水土の環境を剥ぎ取り、そのあと私たちが止めを刺す、という流れですね」
私が作戦の最終確認をした。
「理論上はそうだね」
エドアルドは言った。
「だが、ひとつ問題がある。大禁呪を放ち終えたあと、私の魔力は完全に底をつく。止めの一撃は、絶対に君たちが決めなければならない」
「潮脈の核が露出したあとも、奴には戦闘力が残っているのですか?」
ユーナが訊いた。
「大幅に弱体化はする。土水共生の自己治癒力を失えば、あれはただの巨大な蛇に過ぎないからね。鱗甲の耐性も落ち、移動速度も鈍る。だが」
彼は一拍置いた。
「何と言っても地淵巨蛇の圧倒的な巨体と身体能力だ。攻撃力そのものの低下は限定的だろう」
「つまり、止めの一撃は一瞬で決めなければならない、ということね」
フィオナ先生が総括した。
「そう。できれば、一撃必殺でね」
私たちは互いに視線を交わし合った。
フィオナ先生は土属性魔法で要所の魔力場を乱し、地淵巨蛇の足止めに専念する。
ユーナは遠距離からの火力支援、火属性魔法で地面を炙り、地中に潜んだヴォルソーンを燻り出す。
私は鉄甲聖騎兵を展開し、正面から地淵巨蛇の注意を完全に引きつける。
そしてエドアルド先生は、安全な位置で五分間の大禁呪詠唱を遂行する。
全員の役割は、完全に定まった。
「では、行こうか」
エドアルドは乱れた銀髪を手で整え、南東方向へと一歩を踏み出した。
「地淵巨蛇がまだ巣穴で休んでいるうちにね。日中は大抵、核心区域からあまり遠くへは離れないから」
私たちはその背中に続き、静かに歩みを進めた。




