223. 泥沼の再会、そして地淵巨蛇
フィオナ先生は小さく頷き、しゃがみ込んで地面からまだ完全に枯れきっていない花弁を何枚か拾い上げると、自分のポケットに入れた。
「迷心花の花弁は、乾燥させれば虫除けの薬が作れるのよ」
彼女は言った。まるですっかり実用的なサバイバル知識を教える教師モードに切り替わったかのようだ。
「あとで学生たちへの実演に使えるわね」
彼女が立ち上がり、手の泥を払う様子を見ながら、私は思った。
この人は戦士としても教師としても、まったく隙がない。
「行くわよ」
フィオナ先生は再び南東方向へと歩き出した。
「迷心花はただの門番に過ぎないわ。本当の核心は、もっと奥にある」
雨林の奥は、外周とはまったくの別世界だった。
南東方向へ進むにつれて、周囲の環境にはっきりとした変化が生じ始めていた。
最初に消えたのは陽射しだった。
頭上の樹冠層はどんどん密集し、わずかな木漏れ日すら届かない、暗闇に近い状態へと変わっていく。
空気の明るさは数分のうちに日没直後のような暗さまで落ち込んだ。
実際にはまだ午前中であるはずなのに。
それから、地面の変化。
乾いた腐葉土の地面は徐々に湿った泥土に取って代わられ、さらに進むと、ぐちゃぐちゃの泥沼へと変わっていった。
一歩踏み出すたびに足は数センチも沈み込み、引き抜くたびに「ぐちゃり」と重い音が響く。
空気には腐敗臭が立ち込めていた。
湿った泥、朽ちた木、そして何か判然としない生臭さが混ざり合った異臭だ。
遠くから水の流れる音が聞こえてきた。爽やかな渓流の音ではない。もっと低く、地響きのように籠もった、地下水が地底で渦巻くような唸り声だ。
「魔力濃度がさらに上昇しているわ」
フィオナ先生の声が前方から聞こえた。
「それに、土属性と水属性の魔力の割合がどんどん大きくなっているわね」
彼女は一定の距離を進むたびにしゃがみ込み、地面の魔力の流れを確認していた。これは彼女の土属性魔法の才能がもたらす天性の感知能力だ。
「地底に暗河……地下水脈があるわ」
彼女は言った。
「それも一本じゃない。この区域のどこかで合流している」
「そこが、先生の言う核心の場所ですか?」
私が訊いた。
「おそらくね。土と水の魔力は合流点で最も濃度が高くなる。この雨林の核心にいる魔物が、自分を維持するためにそういう環境を必要としているなら……」
フィオナ先生の言葉が途切れた。
彼女が足を止めたからだ。
自分から止まったのではない。
突然、身体が硬直したのだ。
まるで動いていた精密機械の歯車が、突然ひとつだけ噛み合わなくなったかのように。
「どうしました?」
私は反射的に身構え、右手はすでに収納の腕輪にかかっていた。
フィオナ先生がゆっくりと振り返る。
その表情は微妙だった。
恐怖でも驚愕でもなく、……確認。
「前方に人がいるわ」
彼女が言った。
「私の感知範囲の端に座っている。……まだ生きているわね」
「人、ですか?」
ユーナと私はまったく同時に声を上げた。
「ええ、人よ。魔物じゃないわ」
フィオナ先生の眉がわずかに寄せられた。
「魔力の波動はとても弱い——戦闘員ではないわね。でも……この魔力のパターンには覚えがあるの」
彼女は二秒ほど沈黙した。
「ついて来なさい」
フィオナ先生は進行方向を変えた。
もはや南東へは直接向かわず、やや東寄りに。
泥沼の縁にある、やや乾いた岩場の方角へと足を進める。
私たちは泥沼のなかを五分ほど歩き続けた。
泥がズボンの裾や靴に跳ね散る。
フィオナ先生の濃い色の長ズボンはまだマシで、あまり汚れは目立たない。
ユーナの桃色の髪には枯れ草の切れ端が数本ついていた。
私はというと、頭のてっぺんから足の先まで、湿気と蒸し暑さで崩壊寸前だった。
そして私たちは、その人物を目にした。
泥沼の端に突き出た乾いた一枚の岩の上に、一人の男が胡座をかいて座っていた。
銀色の長髪が肩にかかり、毛先はやや乱れている。
一部は結び目ができ、泥の粒がついていた。
衣服もあまり整っていなかった——もともとは精巧な精霊族の長衣だったのだろうが、長期間の野外生活を経てすっかり皺だらけになっている。
袖口は擦り切れて、裾には泥の痕がついていた。
だが、彼の背筋は。
背筋だけはまっすぐに伸びていた。
銀髪の下の顔には隠しきれない疲労の色が滲んでいるものの、瞳だけは静かな輝きを宿している。
精霊族の証であるあの尖った耳が、銀髪のあいだから微かに動き、周囲の環境の細かな変化を感知しているようだった。
彼は私たちの接近に気づいた。
だが、立ち上がろうとはしなかった。
ただ顔をこちらに向け、まるで「ああ、ようやく人が来たか」というような気さくな調子で声をかけてきた。
「こんにちは。道に迷った旅人かい? それとも……私を探しに?」
フィオナ先生はその男を見つめた。
表情が、困惑から確認へと変わっていく。
「……エドアルド・ペス先生?」
銀髪の男は数度、瞬きをした。
それからフィオナ先生の顔を認めると、嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、フィオナ・リードルじゃないか」
彼が言った。
その声には、精霊族特有の優雅な響きが残っていた。
「ずいぶん久しぶりだね。すっかり大人びて」
フィオナ先生は歩み寄り、彼から三メートルほどの距離で立ち止まった。
岩の上に座る銀髪の精霊を見下ろすその目には、複雑な感情が浮かんでいた。
「どうしてこんなところにいるんですか?」
「拾われたんだよ」
エドアルドは肩をすぼめた。その仕草は想像していたよりもずっと気さくで、精霊族のあの堅苦しい格式高さとはかけ離れていた。
「この迷宮、君たちは流浪迷宮と呼んでいるのだったね。私が通りかかった場所から、私を『収集』したんだ」
彼は顔を上げ、頭上を隙間なく覆う樹冠を見上げた。
「半月ほど前のことさ。北の森で調査をしていてね。歩いているうちに見たこともない場所に出て——気がついたら、見知らぬ地下空間に転送されていた。何度か層を移動させられたあと、この雨林に放り込まれたというわけだ」
「半月もここに……?」
私は思わず驚きの声を上げた。
「まあ、そんなところだよ。でも心配はいらない」
彼は自分の腹を軽く叩いてみせた。
「雨林には食べられる植物がたくさんあるし、水源にも困らない。精霊族の環境適応力は、人族よりは少々上だからね」
確かに、彼は飢えで倒れそうという状態ではなかった。
衣服は乱れていたが、栄養失調で肌がくすんでいる様子もなく、目元にもはっきりと知性が宿っていた。
フィオナ先生はしばらく黙り込んだ。
「ヘイティが、ずっとあなたを探していましたよ」
彼女が静かに言った。
エドアルドの表情がほんの少しだけ固まった。
それからあの気さくな態度が少し影を潜め、代わりにより穏やかな、懐かしむような表情が浮かんだ。
彼はうつむき、自分の手を見つめた。
「そうか……ヘイティは、元気にしているかね?」
「元気ですよ。結婚して、子供も一人います」
フィオナ先生の口調は淡々としていた。
「いまは私の同僚で、ある貴族の家で教鞭をとっています」
「結婚したのかい!?」
エドアルドが驚いたように眉を跳ね上げた。
「あの、人と挨拶するだけで顔を赤らめていたヘイティが——結婚を?」
「ええ。しかも皆が驚いたことに。夫がとても頼りになる男でね」
「それはよかった」
エドアルドがほっとしたように微笑んだ。
彼は振り返り、フィオナ先生越しに、後ろに立つ私とユーナを見た。
「このお二方は?」
「私の教え子であり、ヘイティの教え子でもあります」
フィオナ先生が言った。
「クローディアとユーナよ」
「教え子かい?」
エドアルドは私たちを一通り眺めた。
その視線はとても穏やかで、品定めするような刺々しさは少しもなかった。
「おや、また賑やかになりそうな若者たちだ」というような視線だ。
それから、彼の視線が私の上にコンマ何秒かだけ留まった。
ほんのコンマ数秒。
だがその視線には何かがあった。
私のよく知っている、「お前は何者だ」という警戒の視線ではない。
もっと深い次元の、どこか既視感や感慨を帯びた眼差しだった。
とはいえ彼はそれ以上追及せず、微笑みながら頷いた。
「ここまで来られたということは、相当な実力者なんだろうね」
「先生が引率してくれていますから」
私がお辞儀を交えて言った。
「フィオナの実力はよく知っているとも」
エドアルドはフィオナ先生を見た。
「昔、学院にいた頃も、彼女の土属性魔法は学年一番だった。性格はまったく土属性魔法使いに見合っていなかったがね。なにしろ、気が短すぎる」
「……先生」
フィオナ先生の手が意思とは無関係に、ツッコミを入れるような手刀の形を作った。
「おや、どうかしたかい?」
「……なんでもありません」
彼女はその手をさっと背中に隠した。
ユーナが横でこの光景を見ながら、口元をわずかにほころばせている。
エドアルドはフィオナ先生のリアクションに気づいていないようだった。
あるいは、気づいていて敢えて受け流したのかもしれない。
彼は岩の上からゆっくりと立ち上がった。
体型は予想よりやや背が高く。
大柄とは言えないが、精霊族特有のしなやかで細長い体つきが、実際の身長以上に不思議な存在感を漂わせていた。
「君たちがこの雨林に来たのは。」
彼が言った。
「あれのためだろう?」
「あれ、とは?」
「ヴォルソーン」
エドアルドはひとつの名を口にし、それから南東方向の、泥沼の奥を指差した。
「地淵巨蛇だ」
空気が二秒ほど静まり返った。
「地淵巨蛇……?」
ユーナの声がわずかに裏返った。
「遭遇したのですか?」
フィオナ先生の声のトーンが変わった。
「遭遇したとも。一度や二度じゃない」
エドアルドは落ちていた枝を一本拾い、泥の上に何かを描き始めた。
覗き込んでみると、雨林の簡略な地形図だった。
「ここが入り口区域、君たちもさっき抜けてきたはずだ。ここが中間の移行帯。泥沼、地下水脈、巨大植物群。そしてここだ。」
彼は地図の南東の角に円をひとつ描いた。
「核心区域。黒泥沼と地下水脈の合流点だ。ヴォルソーンの巣穴はそこにある」
「ここに半月もいて、ずっとそれを調査していたのですか?」
私は彼を見た。




