215. 暗黒の小球、そして逆転の一手
次第に勝ち誇った表情を浮かべ始めた寒氷蠑螈を前に、私も心のなかで対策を練り始めた。
攻撃もせず、逃げもせず。
ただ待つ。
こちらの再攻撃を引き出し、その氷棘の盾を再び発動させるつもりだ。
正直なところ、先ほどのフィオナの一撃はあと少しで相手の頭蓋を叩き割るところだった。
盾面の氷属性魔力が逆流さえしなければ、あの土槌は少なくとも頭部の半分をえぐる深さまで食い込んでいたはずだ。
だが逆流はあまりにも速く、激しかった。
槌頭の表面を覆う土系魔力が一秒足らずで凍りつき、フィオナは違和感を察して咄嗟に打点を逸らした。
それでも左肩の甲殻をわずかに砕いただけだった。
それでも寒氷蠑螈に負傷の気配はない。
ただ冷たくこちらを見つめている——あの虚ろな眼窩が「見る」と呼べるならばだが——さあ、もう一撃来いとでも言いたげに。
フィオナの停止命令で全員が一旦下がり、洞穴には寒氷蠑螈の体表を覆う淡い青の寒気だけが静かに脈打っていた。
私は洞壁に背を預け、指先の照明光球を天井近くに浮かせたままにした。
ヘイティはフィオナの隣にしゃがみ込み、低い声で何かを話している——おそらく次の一手の相談だ。
フィオナの表情は平静だが、眉間にわずかに皺が寄っている。
複雑な問題を考えているときの彼女の癖だ。
ユーナは私から右へ三歩離れた場所に立ち、手にしていた火の短剣はすでに収納の腕輪に収められていた。
それでも右手は腰に添えたままだ。
「どうするつもり?」とユーナが小声で聞いてきた。
「考え中」
考えているのは事実だった。
氷棘の盾の核心的な仕組みはだいたい掴めていた。
独立した防御スキルではない。
寒氷蠑螈の体質そのものが外へ延長されたもの——外部から来た魔力を氷属性へ変換し、侵蝕する。
変換速度は体内の魔力残量と攻撃魔力の属性親和度に左右される。
火系なら寒気に変換され、土系はほぼ瞬時に凍結し、光系なら追い払えるが、消費魔力が通常の行使を大きく上回る。
つまり「一撃受ければ、三倍返し」という受動型のスキルだ。
正面からは通じない。
だが裏を返せば、受動スキルには生来の弱点がある——受動的だということだ。
攻撃を受けなければ発動しない。
しかも変換速度には上限がある。
フィオナの槌は侵蝕を受けながらも、槌頭自体は完全には凍りついていなかった。
つまり攻撃魔力の出力速度が変換速度を上回れば、超過分は盾面を突破できる。
問題は——現在のこちらの出力能力では、単発攻撃で十分な魔力密度差を作るのが難しい。
ましてや……
私の目が、指先に浮かぶ光球へと向いた。
いや、光系魔力なら氷棘の盾を追い払えるが、消耗が大きすぎる。
擬態を解除したときにもかなりの魔力を消費した。
これ以上光系で正面突破を狙えば、このあとの余力が心もとない。
ならば発想を変える。
私は目を閉じ、頭のなかで修得済みの全属性を素早く整理した。
光、火、水、氷、土、闇——全属性適性の利点はここにある。
どんな属性の敵にも対応手段が用意できる。
だが同属性や親和性の高い属性で攻めれば、変換される速度が加速するだけだ。
ならば逆を行く。
寒氷蠑螈が変換できないもの——むしろ「喰われる」側に回るもの。
闇系魔法。
闇系魔力の本質は「消滅」だ。
他属性と化学反応を起こさず、接触した魔力をそのまま呑み込む。
相手が火だろうと水だろうと氷だろうと、闇系魔力の答えは常にひとつ——喰う。
もちろんリスクはある。
闇系は多くの人にとって「暗黒」「呪い」と結びついている。
この世界では特に——教会の闇系魔法に対する態度は決して友好的ではない。
全属性適性でなければ、私自身この属性に手を出すことはなかっただろう。
だが今は、これが最適解だ。
それに経験がないわけでもない。
森のダンジョンで森妖と対峙したときにも似た手を使った——規模はあのときよりずっと小さく、森妖の魔力感知を乱す程度のものだったが。
寒氷蠑螈に必要なのは、より大規模で、より精密な魔力制御。
私は目を開けた。
「フィオナ」
彼女がこちらを振り向いた。
「三分ください」
フィオナの目がわずかに細められた。
理由は聞かない——教師として、戦士としての二重の素養だ。
戦場で、信頼する仲間が「三分くれ」と言ったとき、最も正しい行動は三分を与えること。
「ヘイティ、援護を」フィオナが短く指示を下した。
ヘイティは頷き、立ち上がった。
指先に淡い赤の魔力光が再び灯る。
視線は寒氷蠑螈にぴたりと固定され、火矢はいつでも放てる。
私は洞壁に背を預け、深く息を吸った。
照明用の光球を体内へと戻した——洞穴は瞬時に闇に包まれ、岩壁に群がる青い蛍光苔だけが淡い光を放っている。
寒氷蠑螈の姿は闇のなかでいっそう判別しにくくなった。
全身の蒼白い皮膚と青い蛍光がほぼ一体化し、まるで洞穴の奥から生えてきた生きた氷の塊のように見える。
だが、見えなくても構わない。
いま必要なのは……集中だ。
指先に再び、暗黒の小球が凝縮されていく。
それは妙な感覚だった——闇系魔力は光系のように温かくも明るくもなく、火系のように灼けつき騒々しくもない。
もっと……沈黙の渦に近い。
周囲のあらゆるものを静かに呑み込む。
指先に伝わる感触は冷たいが、寒氷蠑螈のあの刺すような寒さではない——より深層の、虚無に近い冷ややかさ。
底のない深井戸に手を差し入れたような。
暗黒の小球が指先でゆっくりと回転し、表面には黒と深紫の狭間のような色合いが流れている。
体積は小さく、卓球の球ほどしかない。
だが内包された魔力密度は同体積の他属性魔法をはるかに凌駕している。
闇系魔力の本質が「圧縮」だからだ——可能な限り多くの魔力を可能な限り小さな空間に詰め込み、その空間のなかに「すべてを呑み込む」微小な渦を生み出す。
約三秒後、暗黒小球の魔力構造が安定したのを感じ取った。
「今です」
暗黒の小球が手のひらから離れ、寒氷蠑螈へ向けてゆっくりと飛んでいく。
速度は速くない。
むしろ遅すぎるほどだ——誰かが何気なく放った紙屑のように。
フィオナもヘイティもわずかに身構えた。
ユーナの手が思わず握りしめられる。
そして寒氷蠑螈は——
慌てて回避しようとはしなかった。
淡い青の光が再び体表に浮かび上がり、氷棘の盾の光幕が滑らかな鏡のように広がり、あらゆる攻撃を冷たい青の逆影に映し出す。
胴体をわずかに傾け、四肢は動かさず、尾だけが背後でゆるやかに揺れた。
これもまた、自分が変換利用できる攻撃だと思い込んでいるのだ。
それどころか——この卓球の球より少し大きいだけの暗黒の小球など、フィオナの半人丈の土槌に比べれば、取るに足らないとすら考えているかもしれない。
暗黒の小球は間もなく相手の体表に接触した。
そして——
接触した皮膚から、淡い青の光が静かに放たれた。
これまでと寸分違わぬ反応。
氷棘の盾が起動したのだ。
寒氷蠑螈の体内の氷属性魔力が盾面を伝って接触点へと流れ込み、この外来魔力を自らの属性へと変換しようとする。
しかし。
小球が淡い青の光と触れた瞬間、暗黒の小球は即座にその光を喰らい始めた。
変換ではない、相殺ではない、喰らう。
底なし穴に水を注ぎ込むようなもの——どれだけ注いでも、反響すら返ってこない。
寒氷蠑螈の身体がわずかに震えた。
もし声帯を持っていたなら、この瞬間、怪訝な低い鳴き声を発していたはずだ。
氷属性魔力を盾面に流し込み続け、変換量を増やして喰われた分を埋め合わせようとする。
蛇口から水が漏れているのを見て、止めるのではなくバルブを開いてしまう——そんな本能的な反応。
これが致命的な誤りだった。
闇系魔力の喰らい効率は、喰らう対象の魔力密度に比例する。
与えれば与えるほど、喰らう速度は増す。
伝説上の貪欲な化け物に、口のなかへ食べ物を押し込めば押し込むほど、興奮してさらに喰らいつく——それと同じだ。
そしてもっと悪いことに——
暗黒の小球は寒氷蠑螈の皮膚に接触した瞬間、すでに魔力浸透の手段で表皮にがっちりと固定されていた。
吸盤のように。
一度吸着すれば、もはや剥がすことはできない。
粘着性があるからではない。
闇系魔力が喰らいの過程で同時に微細な暗色の糸を外へと伸ばし、根のように接触面のあらゆる隙間へ食い込んでいくからだ。
魔力の微視的な層では、これらの糸はすでに寒氷蠑螈の表皮の魔力網と絡み合っている。
剥がす?
自らの皮を一枚剥ぐに等しい。
寒氷蠑螈も、ごく短い時間のうちにそのことに気づいた。




