214. 氷棘の盾、そして静寂の対峙
火球が液体に触れた瞬間、激しい「じゅうじゅう」という音が立ち昇った。
液体のなかの水分は、高熱によってあっというまに蒸発したが、あの粘りつく有機物の成分は、燃え上がったあとに、鼻を衝く異様な刺激臭を放った。
まるで何かが生きたまま焼け焦げたような、あの匂いだった。
青い液の幕は、炎に呑み込まれて急速にその姿を縮め、ついにはただの数滴の残り雫となって、地面のうえへとぽたぽたと、鈍い響きを立てながら落ちていった。
フィオナはあの液体の影響をまったく受けず、そのまま蠑螈めがけて走り続けた。
彼女の距離はもう、ざっと十メートル圏内にまで縮まっていた。
蠑螈の身体が、かすかに震え始めた。
そいつの逞しい四肢が岩の地面のうえをゆっくりと動き、もともと低く伏せていた胴が、しだいにその身を高く持ち上げていく。
そいつはすでに、はっきりと気づいていた。
あらゆる遠距離攻撃は、遠くにいるあの何人かに、すべて迎撃されてしまうだろう。
そいつがいかなる魔法を使おうとも、氷の円錐であろうと、粘液であろうと。
火属性の魔法が織りなすあの防壁を突破することはできなかったのだ。
だから、それよりもこれ以上は魔法を使うのをやめ、フィオナとの白兵戦に備えて、身構えたのだった。
そいつの四肢がかすかに折り曲げられ、まるで力を溜め込むばねのようになった。
あの平べったい尾が、背後でゆっくりと左右に揺れ、一振りごとに地面のうえに、濡れた一筋の跡を残していた。
そいつの口がかすかに開かれ、二列に並ぶ細かく鋭い歯がむき出しになった。
それは獲物を引き裂くための牙ではなかった。
噛み砕き、すり潰すための臼歯だった。
白兵戦だった。
こいつは白兵戦を選んだのだ。
そいつのあの逞しい四肢と、分厚い肉と皮。
おそらく白兵戦こそが、こいつが最も得意とする戦い方なのだろう。
しかし、まさに二人が激突しようとした、そのとき——フィオナはすでに、蠑螈の目の前、わずか五メートルの距離まで迫っていた——フィオナは突然、誰もが予想もしなかった、一つの動きを取った。
彼女は、瞬間に、急停車したのだった。
あの金属の踵が、地面のうえに耳障りな擦過音を刻んだ。
まるで誰かが爪で黒板を引っ掻いたかのようだった。
フィオナの身体は、慣性のままではほとんど止まれるはずのない、その瞬間に、無理やり蠑螈の目の前、わずか三メートルの位置で、ぴたりと静止した。
蠑螈は、明らかにこの一手を予想していなかった。
力を溜め込んでいたそいつの巨体は、行き場を失った慣性のために、前方へとぐらりと大きく傾いた。
まるで拳を振り上げた者が、不意に目標を見失ったかのように。
全身の力が行き場を失ったかのようだった。
この前方へと傾いた隙に乗じて。
フィオナは、地面めがけて、その金属の踵を打ち込んだ。
「どんっ!」
金属の踵が、蠑螈の足の下にある、岩の裂け目の一つへと、精確に打ち込まれた。
彼女の魔力が、金属の踵を伝って、足の下の岩盤のなかへと流し込まれていった。
今度の魔力の注入は、これまでの「地の槍」とは、まったくの別物だった。
今回は、ずっと深く、ずっと遠く、ずっと一点に集中して——私にも、それが感知できた。
フィオナの魔力が、まるで地の底へと潜り込む一匹の蛇のように、岩盤のなかを音もなく瞬時に走り抜け、蠑螈の真下へと一点に収束していくのを。
それから——
一頭の巨大な岩の竜が石を破ってその姿を現した。
いや、「石を破って現れた」という言い方は、正確ではないかもしれない。
むしろ、大地そのものが生けるものへと変わった、と言うべきだろうか。
岩が蠑螈の真下でぱっくりと割れ、巨大な岩石の塊が、まるで何か見えざる糸に引っ張られるように、地面のそこかしこからせり上がり、積み重なり、組み合わされ、一つの形を成していく。
岩の竜の輪郭が、一秒とかからないうちに、完成した。
岩石が積み重なってできた一つの頭、鋸の刃のような石の牙がずらりと並ぶ大きな口、そして砕かれた石が密集して形作られた、逞しい巨体。
岩の竜はその石の牙の大顎を、がっぷりと開くと、蠑螈の右の後ろ足へめがけて、一噛みにかみついた。
「ぐしゃり——!」
骨が砕ける、あの音が、洞窟のなかをこだました。
岩の竜の石の牙が、蠑螈の右の後ろ足を。
あの木の幹のように太い脚を。
皮もろとも肉もろとも、生きたまま毟り取ったのだった。
鮮血と裂けた肉の破片が切断面から吹き出し、地面のうえに一面の暗い赤色の扇形にびしゃりと飛沫を散らせた。
蠑螈は一声の、声なき絶叫をあげた。
いや、こいつにはそもそも声帯がなかった。
声など、出せるはずがなかった。
だが、そいつの身体は激しく、びくんと痙攣し、その巨体のすべてが、激痛のために一方へと傾いた。
毟り取られたあの右の後ろ足は、まだ岩の竜の石の牙のあいだに挟まったままで、その石の隙間からは、止めどなく血が滲み出し続けていた。
岩の竜は、攻撃を完遂すると、すぐさま崩壊を始めた。
積み重なっていた岩石の塊が、音を立ててばらばらと砕け散っていった。
寒氷蠑螈は、明らかに、この一撃に肝を潰されていた。
そいつの目のない頭がぐいと右の後ろのほうへと振り返った。
そこはかつて、そいつの右の後ろ足が存在していた場所だった。
今ではただの、ぎざぎざに抉れた断面だけが残っていて、白い骨の切り口が裂けた肉のあいだから顔を覗かせ、暗赤色の血がその断面を伝って、ゆっくりと流れ落ちていた。
断面のあたりはすでに、かすかな青い光を帯び始めていた。
そいつが体内の氷属性の魔力を巡らせ、傷口を凍らせて止血しようとしているのだった。
淡い青い氷の結晶が、断面の縁から次第にその姿を現し、まるで誰かが傷口のうえに薄く、塩をひとつまみ振りかけたかのようだった。
しかし、そいつはもう、正面のフィオナを構っている余裕はなかった。
これがフィオナに完璧な隙を与えた。
フィオナは、そいつがまだ状況を掴めずにいる、その隙をついて、手にした重い槌を、あの蠑螈めがけて叩きつけた。
土色の巨大な槌が、空中に鈍く重い弧を描き、槌の頭の上の粗い紋様が、青い蛍光のなかで、歪んだ影を投げかけた。
槌の頭はフィオナの注ぎ込んだ力のすべてを乗せて、蠑螈の背中。
青白い皮膚に覆われた、あの広大な背の部分めがけて、正確に振り下ろされた。
ところが。
まさに巨大な槌が蠑螈の体表に触れようとした、その瞬間、蠑螈の体表に、一枚の淡い青い光の幕が浮かび上がった。
その光の幕は、何の前触れもなく現れた。
まるで水面が突然に凍り始めるかのように。
一枚の半透明の青い薄膜が、蠑螈の体表のすぐ上に、忽然とその形を成し、そいつの全身を残らず包み込んだ。
光の幕の表面は、鏡のように滑らかで、淡い青い輝きが表面を流れていた。
まるで液状になった極光のようだった。
「かあん——!」
フィオナの土の槌が、あの淡い青い光の幕のうえに叩きつけられた。
耳に澄んだ、金属の打ち合う音が響いた。
巨大な槌は、莫大な跳ね返る力によって、高く弾き飛ばされた。
フィオナの両腕は衝撃に耐えきれず、かすかに震え、彼女は二歩後退してからようやく体勢を立て直した。
そして彼女の手にした土の槌はその表面に、一枚の氷の膜が付着していた。
淡い青い氷の膜が、槌の頭が光の幕と接触した、まさにその一点から急速に広がり始め、まるで何かが目に見えて分かる速度で、土の槌の表面を呑み込んでいたのだった。
氷の膜はまず槌の頭を覆い尽くし、それから槌の柄に沿って、フィオナの掌のほうへと拡散していった。
「氷棘の盾……?」
フィオナは、滅多に見せない驚きの表情を露わにした。
彼女はうつむいて、自分の手のなかで今まさに氷の膜に呑み込まれつつある土の槌を見つめた。
もともとは粗野な土色をしていた槌の頭は、今ではもうすっかり淡い青に染まり、その表面にはびっしりと細かな氷の結晶の模様が走っていた。
氷の膜はなおも広がり続け、その速度は少しも衰えなかった。
彼女はやむなく、手にした土の槌をその場で放り投げた。
土の槌は放り出されたあと、地面のうえに落ちて、「どすん」という鈍い音を立てた。
だが、氷の膜の蔓延は、フィオナの手を離れたからといって、その速度を緩めることはなかった。
それはもとのままの速度で、槌の頭の一筋一筋の表面を浸食し続けた。
ついには——あの槌は、一枚の氷の膜に、完全に覆い尽くされてしまったのだった。
土色の一本の土槌から、一本の氷の槌へと。
それがあの青い蛍光のなかで、ほの蒼い冷たい光を湛え、その表面は鏡のように滑らかだった。
それがまだ土の槌であった頃より、どれほども、滑らかだった。
寒気が氷の槌の表面から絶えず外へと拡散し、その周囲の地面の、辺りの砕かれた石くれまでもが、すべて凍りついて一つに固められていた。
「…………」
洞穴のなかは、しばし、静まり返った。
フィオナは地面のうえで、すっかり氷に封じられたあの土の槌を見つめ、少しの沈黙を守った。
それから彼女は向きを変え、私たちのほうへと後退してきた。
彼女の表情はひどく重かった。
それは恐怖ではなかった。
私は彼女の顔に、こんな表情が浮かぶのを、ほとんど見たことがなかった。
困惑だった。
ハーランド魔法高等学院の優秀な卒業生として、十数年の実戦経験を積んだ魔導士として「困惑」という言葉は、フィオナ先生の辞書には、本来なら、一片たりとも存在しないはずだった。
だがこの瞬間、彼女は明らかに、自らの知識の範囲を超えた、何ものかに直面していた。
「いったん手を止めて。今攻撃を仕掛ければ、ただ自分が傷つくだけだ」
フィオナは私たちのいる場所まで後退すると、そう口を開いた。
「氷棘の盾は、受動型の防御スキルだ」
彼女は遠くの寒氷蠑螈を見つめながら言った。
向こうはすでに体勢を立て直し、一本の後ろ足を失ったとはいえ、あの切断面はもう氷の結晶にすっかり塞がれていて、もはや一滴の血も流していなかった。
「いかなる物理攻撃も魔法攻撃も、いったん盾の面に接触すれば、氷属性の魔力が攻撃の媒介を伝って逆流し、攻撃者の武器のなかへと寒気を注ぎ込む。攻撃が激しければ激しいほど、その反作用もまた激しくなる」
「つまり……私たちは今、槌で叩こうが、魔法で撃とうが、どうあっても跳ね返される、ということですか」
ヘイティ先生が眼鏡を押し上げた。
「跳ね返される、ではない」
フィオナは首を小さく横に振った。
「侵蝕される、んだ。氷棘の盾は攻撃を跳ね返したりはしない。それは寒気を攻撃の媒介に沿わせてたとえば私の土の槌、たとえば君たちの火球に術者自身へと逆向きに注ぎ込む。武器の等級が低ければ低いほど、魔力の密度が低ければ低いほど、侵蝕される速度は高まる」
彼女は地面の上の、すでに氷の槌へと変わってしまったあの土の槌を、ちらりと見やった。
「地の槍も土の槌も、あれは土属性で最も基礎的な魔法の産物だ。もともとの魔力の密度が低いからこそ、あれほどの速度で侵蝕されたんだ」
「では、ブリュンヒルデの槍は?」
私が、ほとんど考えなしにそう口を突いて出た。
「伝説級の武器なら、魔力の密度もずっと高いですよね」
フィオナは私をちらりと見つめた。
「…………試してみてもいい。だが、私は勧めない。状況の見えぬままに、軽率に試すべきではないと思う。たしかに伝説級の武器なら魔力の密度は高い。だが、もし氷棘の盾の侵蝕能力が、我々の想定を超えるものだったとしたら——」
彼女は、最後までは言わなかった。
だが、その意味はあまりにも明らかだった。
もし伝説級の武器までもが侵蝕されてしまえば。
その代償は、たかが土槌一本の比ではなかった。
私は、押し黙った。
寒氷蠑螈は、遠くで、その目のない頭を、ゆっくりと巡らせた。
二つの窪み落ちた眼窩が、私たちのいる方角を「見て」いた。
氷に封じられた、そいつの右の後ろ足の切断面からは、もう一滴の血も滲んではいなかった。
そのかわりにそこには、分厚い青い氷の層が覆い被さっていた。
あの氷の結晶は単なる止血のためだけではなかった。
まるで、それがそいつのために、臨時の「義足」までも構築しようとしているかのようだった。
そいつは残った三本の脚で、ゆっくりと自分の立つ姿勢を調整し直し、その巨体はもはや、一本の後ろ足を失ったことによる傾きを感じさせなかった。
それは、苛立っているようには見えなかった。
それどころか、それはどこまでも、落ち着き払っているように見えた。
まるで自らの居間のなかで、招かれざる客が出て行くのを、ただ静かに待つ、この家の主のように。
洞穴のなかの青い蛍光が、そいつの青白い皮膚のうえを滲むように流れ、そいつの輪郭を、ことさら明瞭に映し出していた。
寒気がそいつの身体の表面から、絶えず外へと拡散され、私たちとのあいだの地面には、すでに一枚の薄い氷の膜が張りついていた。
「先生」
私は沈黙を破って、口を開いた。
「では、これからどうします。このまま撤退しますか、それとも——」
フィオナは、すぐには答えなかった。
彼女はただ、あの寒氷蠑螈を見つめ続けた。
その視線のなかには、私がそれまでに一度も見たことのない表情が浮かんでいた。
それは、未知の標本を目の当たりにした一人の研究者の目だった。
「このスキルは……」
彼女は低く呟いた。
「私の知識の範囲では、寒氷蠑螈は、氷棘の盾を使えるはずはない。これは……もっと上位の、氷属性の魔物しか掌握できないはずの、防御スキルだ」
「つまり、この蠑螈は、ただの迷宮の中層クラスの魔物ではないかもしれない、と?」
ヘイティ先生が尋ねた。
「流浪迷宮」
フィオナは三文字だけを、ぽつりと吐き出した。
「覚えているか。流浪迷宮は、各地から『希少な素材や魔物を拾い集めてくる』と。この寒氷蠑螈は……流浪のさなかに、どこかもっと深層の迷宮から、この場所へと運ばれてきたのかもしれない」
「では、こいつの実際の等級は……」
「少なくとも、中層より上。場合によっては、深層に近いかもしれない」
洞穴のなかは、再び静まり返った。
寒氷蠑螈は、ただ静かに、青い蛍光のなかに佇んでいた。
三つの窪み——二つの眼窩と、一本の千切れた脚——が、私たちのいる方角へと向けられていた。
それは、攻撃もせず、逃げもせず。
ただ、待っていた。




