212. 絆の連携、そして夜の宿題
あの大魔蜘蛛は、自分の十数匹の愛おしい子どもたちが、一瞬のうちに肉片と体液の塵へと変わったのを目にすると、その場でハタと動きを止めた。
それはただ呆然とその場所に立ち尽くし、八本の脚を強張らせ、その場に縫い留められたように硬直していた。まるで、世界の停止ボタンを押されたかのように。
二対の毒牙がかすかに開かれ、毒液が牙の先からぽたぽたと地面に滴り落ちて、ぽつり、ぽつりと不気味な音を立てた。
奴は私をじっと見つめ、それからまた、青黒い体液で無残に染め上げられたあの一面の岩壁を見つめた。
それから——奴は動いた。
私のほうではない。身体の向きを素早く変え、フィオナ先生のほうへと憎悪を向けたのだ。
「——ッ!」
フィオナ先生もまた、すでに動いていた。
この魔蜘蛛が呆然と立ち尽くした、わずか数秒の空白の間に、フィオナ先生はすでに十分な力を溜め終えていたのだ。
彼女の手には、新たに魔力を凝固させて作り直した土製の巨大な戦槌が固く握りしめられている。
先ほどの一振りは、蜘蛛の糸の粘着魔力が纏わりついたために、やむなく投げ捨てなければならなかったのだ。
狙いは魔蜘蛛の頭部。奴が向きを変える動作を完了しきる前。
その完璧な刹那を狙って、土の戦槌が容赦なく振り下ろされた。
「どすっ!」
鈍く重苦しい打撃音が洞穴の中にこだました。土の戦槌は寸分違わず、魔蜘蛛の頭部の甲殻を正面から捉えていた。
あの、どこまでも強靭だった暗い鼠色の外殻が、巨大な槌の衝撃を受けてパリパリと砕け散る。
まるで鉄槌で叩き割られた陶器の壺のようだった。
破片と、魔蜘蛛の体内に詰まっていた粘着質な体液が一斉に飛沫となり、空中に暗い弧を描いて飛び散った。
魔蜘蛛のあの巨体は、戦槌の質量をまともに受け止め、前方へと崩れ落ちる。
八本の脚が地面の上を虚しく何度か掻き毟ったが、それきり、二度と動くことはなかった。
洞穴の中は、完全な静寂に包まれた。
ただ、魔蜘蛛の体液が割れた甲殻の隙間からゆっくりと溢れ出る「ゴボゴボ」という不気味な音と、遠くの鍾乳石から水滴が落ちる「ぽたり、ぽたり」という音だけが、冷えた空気の中に残されていた。
「クローディア、あんた……そんな凄まじい武器を隠し持っていたのね」
フィオナ先生は土の戦槌を霧散させ、私のほうへと振り返った。
その声音には、どうにも信じがたいという驚きよりも——「こんなに長く教えてきた教え子が、よりによってこれほどの切り札をずっと隠し持っていたのか」という、複雑な感情が滲んでいた。
彼女とて、伝説級の武器の記述は、古い書物の中でしか目にしたことがなかったはずだ。
何しろハーランド帝国でさえ、確認されている伝説級武器の数は、全部で二十振りほどしか存在しない。
その一振り一振りに固有の来歴と英雄譚が秘められており、各大貴族の家系にとっては絶対の家宝として扱われ、軽々しく人目に晒されることなどあり得ないのだ。
そして今、彼女の目の前に立つこの小さな少女。
彼女が五歳の頃からずっと教え続けてきた教え子が、その手に他ならぬ一振りを握り締めているのだから、無理もない。
「ええ、我がクローディア家に伝わる秘宝です」
私はそれ以上、多くは語らなかった。
ただ、手の中のブリュンヒルデの槍を軽く振ってみせてから、それを収納の腕輪の中へと戻した。
銀白色の長槍は、空気の中へと溶け出すように消えていく。
まるで水面に落とした一滴の銀色のインクが、時間を巻き戻すように吸い込まれていくかのように。
「クローディア様」
ヘイティ先生は眼鏡の位置を指で押し上げながら、青黒いあの染みのあたりをさっと一瞥し、それから視線を私へと戻した。
「さっきのあれ……何十本もの幻影を分離させたあの一撃は、ブリュンヒルデの槍そのものの固有能力なのですか?」
「まあ、そうですね」
私は少しだけ考えてから答えた。
「大量の光属性の魔力を注ぎ込んだ状態で投擲すると、槍が自動的に複数の幻影へと分裂して、魔力の源を追尾するんです。簡単に言えば……『敵をロックオンしての自動照準』ですね」
「自動追尾機能を持つ伝説級の武具……」
ヘイティ先生の眼鏡のレンズが、一筋の鋭い光を反射した。
「アルフレッド様の目利きは、やはり並大抵のものではなかったのですね」
「父をあんまり褒めないでください」
私はふいと顔を横に向けた。
誰かに父を褒められるたびに、いつも決まって、どうにも落ち着かない妙な気恥ずかしさが込み上げてくるのだ。
前世でただの一般人だった頃、たまに「すごい父親がいたらな」なんて夢想したこともあったけれど、いざ本当にそんな父親ができてみると、むしろ……なんというか、プレッシャーが半端じゃないのだった。
私たちは軽く携帯食を口にすると、四人で洞窟のさらに奥深くへと向かって探索を続けた。
奥へ進めば進むほど、洞穴の中の気温は目に見えて冷え込んでいった。その寒さは、ただ「肌寒い」というレベルではない。吐き出す息が、自分の目の前で白く凝結して凍りつくほどの極寒だった。
私の腕にはすでに鳥肌が立ち並んでいた。銀鱗の鎧はもう仕舞ってしまったが、魔力の残滓がまだ皮膚の表面をかすかに温め続けてくれていて、どうにか最低限の体温だけは保てている。
ユーナは私のすぐ横を歩きながら、両手で自分の腕を抱きしめ、寒そうに身を縮めていた。吐き出した白い息が、私の長槍が放つかすかな残光の中へと溶けていく。
彼女とてそれほど薄着というわけではなかった。
出発時に着ていたあの白いワンピースの上に、さらに編み上げのカーディガンを一枚羽織っていたのだが、この尋常ではない寒さは、どうやら彼女の耐えうる許容量をはるかに超えてしまっているようだった。
「クローディア、何か感じない?」
ヘイティ先生が不意に口を開いた。
「何かって言うと?」
「魔力の属性変化よ」
ヘイティ先生は歩く速度を落とし、冷え切った洞窟の壁の上にそっと掌を当てた。
「さっきの曲がり角のあたりから、洞窟の壁に付着している魔力の属性が、土属性から『氷属性』へと変質しているわ。奥に行けば行くほど、氷属性の濃度が高まっている」
彼女の言うとおりだった。言われてみれば、私もそれを肌で感じ取っていた。
この階層の洞窟へ入ってからというもの、空気の中の魔力には、ある種独特の澄んだ冷たさが漂っていた。
火属性の灼けるような熱さや、土属性のどっしりとした重さともまったく違う。
その冷たさはまるで、冬の早朝に初めて肌に触れる冷徹な風のように、骨の髄まで刺し貫く鋭さを含んでいた。
洞窟の中の魔物たちも、それまでのコウモリや節足動物の類から、ずっと分厚い毛皮を纏った寒冷地仕様の種類へと姿を変えていた。
まずは魔大鼠だ。
それはざっと大人の腰ほどもある巨体のネズミで、全身を分厚い灰色の毛皮で覆われ、この寒さの中ではことさら毛皮がふっくらと膨らんで見えた。
その門歯は細長く黄色く変色しており、地面の岩を齧るたびに「ガリガリ」と耳障りな音を立てていた。
それから、寒氷虫だ。その全長はだいたい私の腕の長さほど。
全身が半透明のごく淡い青色を呈し、まるで氷細工で彫り出された虫のようだった。
それがうねうねと這い進むたびに、身体の表面に薄く白い氷の膜が張り、背後に残された岩の表面にもまた、一条の白い霜の軌跡が残されるのだった。
「寒氷虫か……」
フィオナ先生は、岩壁の上をゆっくりと這い回る何匹かの半透明の虫を、ちらりと見やって言った。
「もし私の記憶が正しければ、この魔物の体液は低温下で自然に凝固する性質があるの。凝固した結晶体は、低級の氷属性の付呪素材として重宝されるわよ」
「つまり、それなりの経済的価値がある、と?」
ヘイティ先生が尋ねる。
「冒険者ギルドの買取価格は、確か一匹あたり銀貨二枚だったはずね」
フィオナ先生は淡々と言った。
「もっとも、体液を採取する作業がかなり面倒で、しかも指を凍傷にしやすいから、普通の冒険者はわざわざ集めようとはしないけれど」
「銀貨二枚……」
ユーナが小さくその数字を呟き、その視線が何匹かの寒氷虫の上をしばし彷徨って、頭の中で何かを計算しているようだった。
だが、彼女はすぐにその考えを振り払った。
何しろ、今日私たちがこの迷宮へ来た目的は金儲けではない。
というよりも、ああいった遠方から流れてくる商人や貴族どもの懐から金貨を毟り取るほうが、私たちの本業の稼ぎどころだった。
大人の腰ほどもある魔大鼠の群れが、私たちを食料にしようと、幾度か暗闇から襲いかかってきた。
最初の遭遇は、少しだけ開けた洞穴の広間でのことだった。
私とユーナは隊列の中央あたりを歩き、フィオナ先生が前方の探索を受け持ち、ヘイティ先生が殿を務めていた。
不意に、前方の砕けた石の山の向こうから、ガサゴソという不気味な物音が響き、それから続けざまに十数匹の魔大鼠が、四方八方から一気に躍り出てきた。
奴らの突進速度は、私の予想をはるかに超えていた。
見た目こそ鈍重そうなあの灰色の巨体が、岩の間を驚くほど敏捷にすり抜けながら、まるで滑走する砲弾のように私たちめがけて突っ込んでくる。
そのなかでも最も体の大きな、群れを率いるボス鼠は、なんと岩壁の上に跳び上がり、真横からフィオナ先生に襲いかかった。
——だが、フィオナ先生は、瞼のひとすら上げなかった。
彼女は右足の金属の踵を、そっと地面の上に、ほんの少しだけ触れさせた。
いや、「そっと触れさせた」などという生ぬるいものではない。
私の魔力感知では、彼女はあのまるで何気ない一歩の中で、精密に制御された魔力を踵を通じて足の下の岩盤へと爆発的に注ぎ込んでいたのだ。
魔大鼠たちが突進してくるまさにその通り道で、地面が不意に、数本の鋭利な石の円錐となって凄まじい勢いで突き出た。
「ぎゃっ——!?」
突進の先頭を切っていた数匹の魔大鼠は、その地中から突き出た石の槍に身体を完璧に串刺しにされ、鋭い石の穂先が腹を貫いて地面の上に縫い留められた。
後ろを走っていた数匹は慌てて急ブレーキをかけたが、惰性のままに前方の仲間へと突っ込み、灰色の毛皮の塊となって折り重なる。
直後、ヘイティ先生の火の矢が、寸分違わず後方から射掛けられた。
数本の赤く燃え盛る炎の矢が空中に鋭い軌跡を描き、一本一本がすべて、魔大鼠の頭部だけを正確に射貫いていく。
貫き、燃え上がり、「ぼすっ」という鈍い音が響いた後には、あの巨大な灰色の身体はもう二度と動かなくなっていた。
一撃、必殺。その一部始終は、わずか五秒かからなかった。
(ヘイティ先生とフィオナ先生の連携は、昔からずっと、私の憧れだったな……)
私は心の中で、しみじみとそう呟いた。
フィオナ先生が戦場を支配する。
土属性の魔法で地形を変え、魔物の進路を完璧に阻む。そこへヘイティ先生が精確無比に仕留めにかかる。
火属性の魔法で、フィオナ先生が追い詰めた相手を、安全な距離から一つひとつ確実に屠っていくのだ。
この呼吸は、一日や二日で身につくものでは断じてない。
彼女たちはハーランド魔法高等学院の時代から今日まで、十数年の歳月をかけてこの連携を磨き抜いてきたのだ。
あるいは、これこそがまさに「同じ学び舎で鍛え上げられた者だけが持つ、独特の呼吸」なのだろう。
そして何よりも私を感嘆させたのは、フィオナ先生もヘイティ先生も、いずれも自身の属性における最も基本的な魔法だけを選択している、という事実だった。
フィオナ先生の使う『地の槍』は、土属性の最も基礎的な魔法の一つだ。
地面の上に石の円錐を隆起させるだけで、詠唱は要らず、魔力の消耗も極めて低い。
だが、その効果は精確で、致命的だった。
ヘイティ先生の使う『火の矢』もまた、火属性の基礎魔法だ。彼女が以前、ゴブリンの群れを相手に使った『火雲の術』に比べれば威力はずっと小さいが、弾道速度が速く、命中精度が高く、何より魔力の消耗が極めて低い点こそが最大の武器だった。
彼女たちは、ほんのわずかな魔力を費やすだけで、これらの魔大鼠を一匹ずつ、確実に斃していったのだ。
では、もしこれが私の手に委ねられたら?
私は心の中で、そっと試算してみた。
これとまったく同じだけの殲滅効率を私一人で実現するには、おそらく三個以上の魔導陣を同時に展開し、それぞれに異なる魔法を並列励起させる必要があるだろう。
一つは戦場を制御して魔物の動きを封じ、一つは必殺の攻撃を仕掛け、そしてもう一つは、あらゆる方向からの不意打ちを防ぐために防御を固める。
三個の魔導陣を同時に完全駆動させるということは、すなわち、私の集中力を常に三つに分割しなければならないという意味だ。
それに、魔導陣の一つひとつが維持のために、それぞれ独立した精神力と魔力をガリガリと消費していく。
この燃費の悪さは魔力であれ、精神力であれ。
到底、先生たちの洗練された連携の美しさとは比べものにならなかった。
「ねえ、ユーナ」
私は少しだけ首を傾げて、私のすぐ隣を歩く、前世からの無二の親友にして、今生の……
「ん? なあに、クローディア」
「今夜、宿に戻ったら……私たちも、二人だけの連携の練習をしてみない?」
ユーナはほんの一瞬、きょとんとした表情を浮かべ、それから嬉しそうにこくりと頷いた。
私の提案に、彼女は心からのにこやかな同意を返してくれたのだった。




